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ジェラルド・ジェンタによる“知られざるブルガリ”を追って

小さなオークションハウスでの落札が、数多く存在するジェラルド・ジェンタの隠れたデザインのひとつを解き明かす道へと私を導いた。

 時計を買うことはめったにない。

 毎日時計に囲まれて過ごしていると、奇妙な副作用が明らかになった。自分のコレクションはゆっくりと、意図的に増えているのだ。何かを加えるとき、その条件は厳しい。近ごろは、視覚的にユニークでどこかドレッシーで、そしてたいていは一瞬立ち止まらせるようなものに重きを置いている。この段階では、これまで1度も見たことのない時計に引かれる。クセや奇妙さを備え、百戦錬磨の友人でさえ“待ってくれ、いったいこれは何なんだ?”と言ってしまうような時計である。

 この小さなインゴット風のブルガリは、まさにその条件を満たしている。

Bvlgari By Gerald Genta

 この時計を初めて見つけたのは、深夜にさまざまなオークションプラットフォームを漁っていたとき、イタリアの小さなオークションハウスでのことだった。ひと目で夢中になったわけでも、抑えきれない憧れを抱いたわけでもなく、ただ好奇心を抱いたにすぎない。出品ページには、驚くほど鮮明な写真が1枚と、ごく簡素な説明が添えられており、要点は4つあった。2000年代製、18Kゴールド、エベル製の手巻きムーブメント、そしてジェラルド・ジェンタのサイン入りケースである。

bulgari genta dual time

同様のデザインを持つデュアルタイムの一例。Image credit Bonhams

 デュアルタイム仕様のモデルで見覚えのある幅広いシルエットだとすぐに気づいたが、時刻表示のみの個体に出会ったことはなかった。それだけでも好奇心は一段と刺激された。そこで改めて説明文に目を戻した。2000年代? それはおかしい。自分をヴィンテージの研究者だと大胆に名乗るつもりはないが、オークションやディーラー、そして写真撮影不可のプライベートビューイングを通じて十分な数の時計を手にしてきた経験から、自分の直感は信じている。これはどう考えても1970年代後半、よくて1980年代初頭の空気感である。そして、そこにジェラルド・ジェンタという名前が記されていた。

Bvlgari By Gerald Genta

 この名前は、残念ながら近年ではあまりにも気軽に使われがちであり、意味のある帰属というよりもマーケティング用の流行語として誤用されることが多い。しかし今回は違った。本物らしさを感じたのである。明らかに一体型スポーツウォッチではないが、これまでに十分な数のジェンタデザインを見てきたし、最終的にブルガリと関わるようになった経緯も知っているため、この主張は十分にあり得るものだと感じた。その風変わりで唯一無二の存在感、本当にジェラルド・ジェンタによるものかもしれないという静かな可能性、そして何より、純粋に美しいと思えたこと。それらは、衝動的に突拍子もない入札をするには十分すぎる理由だった。

 落札できればそれでよいし、もし競り負けたとしても、きっぱりと次へ進むつもりであった。

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パズルのピースをつなぎ始める

 数週間後、その時計は私の腕にあり、期待していた以上によかった。グレーの縦方向サテン仕上げのダイヤルはシャープで、ケースは小ぶりながら存在感に満ちていた。そしていわゆるジェラルド・ジェンタのサイン入りケースは、ホールマーク付きの“GG”バックルであることが判明し、彼の関与を裏付けた。しかし疑問は残った。ジェンタはこの時計にどのように関与していたのか? 本当はいつ製造されたのか? そしてこの時刻表示のみの個体はどれほど希少なのか? こうした疑問が、パズルを組み立てていく作業の始まりとなり、当初は思いもしなかったほど大きな話へとつながっていった。

Bvlgari By Gerald Genta

 当然、まず最初に当たったのはブルガリである。時計はジュネーブ・ウォッチ・デイズの直前に届いたため、ヴィンテージの友人やコレクター、ディーラー、そしてブルガリのプロダクト・クリエイション・エグゼクティブ・ディレクターであるファブリツィオ・ボナマッサ・スティリアーニ(Fabrizio Buonamassa Stigliani)氏にも見せることができた。皆がこの小さな変わり種に興味を示してくれた(あるいはそういうふうに装ってくれた)うえ、スティリアーニ氏は重要な点をいくつか明確にしてくれた。まず、この時計は2000年代ではなく、実際には1970年代のものであること。内部にはETAが製造したエベル製キャリバー(2512/エベル 78x)が収められており、真鍮製のダイヤルは、20世紀でもっとも緻密に仕上げられた文字盤のいくつかを手がけた伝説的なスターン・クリエイションズ(かつてのスターン・フレール社)によって製造された。

 スティリアーニ氏はまた、この時刻表示のみのダイヤル自体は以前に見たことがあるが、ケースに収められた状態のものは見たことがなかったとも語った。それでもなおひとつの疑問が残った。ジェラルド・ジェンタのホールマークである。 この謎を解くために向かうべき論理的な先は、ジェラルド・ジェンタ ヘリテージ アソシエーションを通じたジェンタ家であり、アレクシア・ジェンタ(Alexia Genta)氏に送った1本の短いメールが、私の疑念を裏づけただけでなくそれ以上の事実を明らかにしてくれた。

スケッチが物語を明らかにする

 約2週間後、アレクシア氏から1通のメールが届いた。その添付には、すべてを一変させることになる1枚のドローイングが含まれていた。

Bvlgari By Gerald Genta

 このドローイングとその作風に見覚えのある人も多いだろう。そうでない人のために言えば、これはこの時計のデザインが生まれたその瞬間に、ジェラルド・ジェンタ自身が手描きし、彩色まで施した正真正銘のスケッチである。

 アレクシア氏はスティリアーニ氏の話していた内容を裏づけてくれたが、決定的だったのは、このスケッチの存在によって、この時計がジャンニ・ブルガリの依頼でジェラルド・ジェンタに発注されたものであることが確認された点である。

 スケッチを目の前にし、時計を手首に着けた状態で改めて向き合うと、そのプロポーションは見過ごしようがない。幅35mm、高さ25mm、ラグ幅は22mmで、バックルに向かって16mmへと絞り込まれている。

 ダイヤル全体にわたってネガティブスペースを巧みに用いていることも相まって、これは時計というより彫刻的なカフを身に着けているかのような装着感である。

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背景にある物語

 出自を確認したのち、私はロンドンでコーヒーを飲みながら実物を見てもらい、もう少し詳しく話を聞くために彼女を招いた。「父は、時計にはこうした大胆さや思い切りのよさがあることを本当に望んでいました。でも同時に、エレガントで感覚に訴えかけるもので、ただ身に着けていて心地よい存在であることも大切にしていたのです」と語る。

Bvlgari By Gerald Genta
Bvlgari By Gerald Genta
Bvlgari By Gerald Genta

 「ブルガリのようなブランドと仕事をするとき、父の場合はいつも関係性が出発点でした」と、アレクシア氏は説明する。「ヴァン クリーフ&アーペルではジャック・アーペルと直接の関係がありましたし、フレッド・パリで仕事をしていたときは、フレッド・サミュエルと非常に密にやり取りをしていました。こうした親密な関係性が、常にそのブランドのためにデザインする動機になっていたのです。父はジャンニ・ブルガリともとても気が合っていて、すべてはそこから始まりました」

 正直に言えば、この打ち合わせに臨むにあたり、アレクシア氏に父親のことを数多く尋ねたい気持ちがなかったと言えば嘘になる。ジェラルド・ジェンタは、デザインを通じて時計界に比類なき影響を与えた人物として知られているが、その偉大な名前の背後にいた実像を知る数少ない人物は、彼女ともうひとり、母であるイヴリン・ジェンタ氏だった。幸いにも彼女はとても寛容で、会話はすぐに広がっていった。アレクシア氏によれば、この時計を手がけていた1970年代当時のジェンタのキャリアの段階においても、彼は驚くほど多忙で、自身のブランドを成長させる一方、ブルガリ、フレッド、グラフ、ヴァン クリーフ&アーペルのためのプライベートラベルの仕事を同時にこなしていたと言う。それらはすべて彼自身のデザインによるものであり、多くは家族の住まいで生み出されていた。

Bvlgari By Gerald Genta

 「私が学校へ行く支度をしていると、父はすでにエレガントなスーツにエルメスのネクタイを締め、デスクに向かって時計のデザインを始めていました。それが父の朝の過ごし方でした。午後になると今度は絵を描き始めるのです。私が学校から帰ってくる頃には、おそらく4本ほどの時計をデザインし、2点の絵を描き終えていたと思います」

 話を重ねるほどに、この小さなブルガリが、ジェンタのキャリアと人物像の現実を掘り下げていくための媒介になりつつあることがはっきりと見えてきた。広く知られた側面だけでなく、あまり知られていない側面も含めてだ。

 アレクシア氏は続けて、ジェンタが本来持っていた創作のプロセスについて語ってくれた。「私が父に、デザインはどこから来るのか、何にインスピレーションを受けているのかを尋ねても、父ははっきりと答えられないことが多かったんです。ただ“降りてきたんだ”と言うだけでした。それが本当に父のやり方で、直感的なものでした。すべてがすでに頭のなかにあったんです。それに父は、時計をデザインするときに3つも4つも案を作ったりしません。1回描けばそれで終わり。描き上げたらすぐ次のアイデアへ進むんです。それはたいてい、まったく別のものになっていました」

Bvlgari By Gerald Genta

 「父はきわめて独自の思考を持っていました。まさにアーティストだったのです。ほかのブランドが何をしているかを見ることもありませんでしたし、トレンドや市場の動向を気にかけることもありませんでした。商業的な側面について考えていたわけではないのです。それこそ、父が明確なビジョンを保ち、完全に自分だけのスタイルを築き上げることができた理由でした」

所有が対話へと変わるとき

 このブルガリをコレクションに加えて以来、時計はほとんど私の腕を離れていない。ミラノ、ジュネーブ、ニューヨーク、ドバイへも旅をし、ロンドンにも何度か立ち寄った。実際のところ、ほかの時計を身に着けることがまれにあると、決まってこんな質問が飛んでくる。“ブルガリはどこへ行ったんだ?”。

Bvlgari By Gerald Genta
Bvlgari By Gerald Genta
Bvlgari By Gerald Genta

 この時計についてInstagramで少し詳しく共有して以来、ボナムズのもの(先ほどの例)を含め、コレクター経由でデュアルタイムモデルの個体がいくつか私の目に入るようになった。だが、時刻表示のみの個体にはいまだに出会えていない(余談だが、もし持っている人がいたら、Instagramの@timvauxまで写真を送って欲しい)。

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 しかし、おそらくこの時計がもっとも雄弁に物語っているのは、現代のブルガリについて、そしてそのデザイン言語がどれほど過去にまでさかのぼるものなのかという点である。“12”と“6”のアラビア数字、そしてバーインデックスを注意深く見て欲しい。そこには、最新のオクト、ローマ、アルミニウムにも同じ書体が用いられていることに気づくはずだ。1970年代のほかの時計にもこの書体は見られるが、今日しばしば大胆で先進的、挑戦的だと称賛されるオクト フィニッシモのデザイン言語の一端が、実は50年も前に生まれていたと考えると実に興味深い。

ジェラルド・ジェンタ ヘリテージ アソシエーション

 現在、アレクシア氏とイヴリン氏はジェラルド・ジェンタ ヘリテージ アソシエーションを運営し、父の仕事を伝えると同時にその背後にいた人物像をていねいに解き明かしている。

 「2019年にこのアソシエーションを設立したとき、多くの人が父のことをロイヤル オークやノーチラスのデザイナーとしてしか知らないと感じていました。私たちは父の多様性をきちんと理解してもらいたかったのです。父はレディスウォッチも、スポーツウォッチも、ドレスウォッチも、形状やサイズ、素材を問わず手がけていました。常に、誰もやったことのない大胆なことを考えていたのです。いまでは時計ブランドが父のデザインを復刻したり、あるいは今回のこのブルガリのように、過去の仕事について語ったりするようになりました。10年前であれば、こんな会話は生まれていなかったと思いますし、それがとても特別なことだと感じています」

Bvlgari By Gerald Genta

 アレクシア氏はまた、誤解についても言及した。「人々は、父がまったくの無名で、非常に質素な環境から出発し、時計の世界についての教育も理解もまったくない状態だったことを忘れがちです。私たちはいま、父という人物をより深く理解してもらうことに重点を置いた段階にいます。父はビジネス志向ではありませんでしたし、時計師でもありませんでした。人生のスタートは決して平坦ではなかったのです。それでも最終的には、デザインの力によってクォーツ危機のなかで機械式時計を救いました。父はアーティストでした。それが本当に美しいと思います。私たちはジャーナリストやブランドと協業することでこの目的に取り組んでおり、これから控えている刺激的なプロジェクトも数多くあります」

 コーヒーを飲み終えるころ、私はこの一連のプロセスを経て父について語ることが、彼女にとってどんな意味を持つのかを尋ねた。「父の仕事について、より深く知ることができたという意味でとてもよい時間でした。私たちが持っているアーカイブは決して完全ではないので、簡単ではないことも多いんです。オメガやハミルトンのために手がけたデザインもぜひ見つけ出したいのですが、残念ながらいまのところ手元にはありません。それでも、誰かが私たちのところに相談に来てくれるたびに、一緒になって父が関わったモデルについて情報を掘り起こしていきます。それは本当に意義深いことだと感じています」

Bvlgari By Gerald Genta

 この時計は、ここ最近、私を実に長い旅へと連れ出してくれた。すべてはオークションでのたった1度の入札から始まり、いかにも希少に見える1本の時計の真の物語を解き明かし、その伝説的なデザイナーの家族とつながるところへと導いてくれた。そして現在、その時計はどうかといえば、誇らしげに私のコレクションに収まり、頻繁に腕に着けられ、そのたびに会話のきっかけを生んでいる。少なくともこの旅が、詳細に記録され尽くしたかのようにに見える時計の世界であっても、なお掘り起こされるべき物語が残っていること、そしてジェンタの場合、それを正確に書き直す余地があることを思い出させるものになればと願っている。

 この場を借りて、ファブリツィオ・ボナマッサ・スティリアーニ氏、ブルガリ、アレクシア・ジェンタ氏、そしてジェラルド・ジェンタ ヘリテージ アソシエーションに対し、時間と専門知識、そして情報を惜しみなく共有してくれたことへの感謝を述べたい。

 そして念のため言っておくが、ジェンタのスケッチのプリントは額装され、私の壁に飾られる予定である。

Photographs by Tim Vaux