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Just Because CIAが使ったスパイのための腕時計、ハンハルト プロトナ ミニフォン

クロノグラフをまといながら、実際には録音装置として機能した異色の腕時計。冷戦下の諜報活動で用いられたハンハルト プロトナとは。

HODINKEE Japanでは2026年4月27日(月)から5月3日(日)まで、German Watch Week 2026としてドイツの時計ブランドや市場に焦点を当てた特集を公開している。このウィークのために用意した新規取材記事やマガジン限定で公開していた記事、編集部員による動画企画まで、サイト上で毎日配信していく予定だ。すでに公開されたコンテンツについてはこちらから確認して欲しい。

スパイウォッチと聞くと、映画のワンシーンを思い浮かべる人も多いかもしれません。しかし、1950年代の冷戦下において、それは空想上のガジェットではなく、実際の諜報活動を支えた現実の道具のひとつでした。その代表例が、ドイツのプロトナ社(Protona)が開発し、ハンハルト名義でも流通した腕時計です。

 見た目は何の変哲もないクロノグラフ。ところが、その内部にはムーブメントではなく、極めて小型のマイクが内蔵されていました。


世界最小クラスの録音機から生まれた発想

プロトナ ミニフォン P-55(Photo Courtesy: Crypto Museum

 プロトナは1951年、当時としては画期的な小型ワイヤーレコーダーであるミニフォン(Minifon)を発表します。ベークライト製のケースに収められた装置は、直径わずか0.05mmのニッケルクロム製ワイヤーを記録媒体とし、最長約4時間の録音が可能でした。ワイヤーを伸ばすと約3kmにも及ぶとされ、耐久性が非常に高く、データの消去も困難だったといいます。

プロトナ ミニフォン P-55の内部(Photo Courtesy: Crypto Museum)

プロトナ ミニフォン P-55のニッケルクロム製ワイヤーの記録媒体(Photo Courtesy: Crypto Museum)

 やがて改良型の「P55」が登場し、より小型化・実用化が進みました。マイク、操作ユニット、車載用アダプターなど周辺機器も充実し、このシリーズは諜報機関や警察、探偵業界など特定の顧客層に向けて展開されていきます。そのアクセサリーのひとつとして開発されたのが、なんと腕時計型マイクでした。


腕時計型のスパイマイク

直径39mmのステンレススティールケースの9時位置にはワイヤーを接続する穴が空いていた。

 ハンハルト名義で販売された個体の多くは、2レジスターのクロノグラフ風デザインが採用されていました。タキメータースケールやスモールセコンドなど、一見すると当時のスポーツクロノグラフそのもの。ブラックダイヤルやブランド表記違いなど、いくつかのバリエーションも確認されています。

 しかし、ケース内部に機械式ムーブメントは搭載されていません。プッシャーはただの飾りで、クロノグラフ秒針は12時位置で固定。裏蓋周囲には小さな貫通する穴が開けられていて、そこから音声を拾う構造になっていました。

 マイクから伸びた細いワイヤーは、装着者の左腕の袖口を通り、肩掛けされた小型録音機へと接続されます。つまりこの時計は、単体で完結するものではなく、システムの一部として機能する装置だったのです。当然ですが、長袖の着用が前提です。服にマイクが擦れないように細心の注意が必要だったと言われています。

 このマイクは、CIAをはじめとする各国の諜報機関によって、冷戦期の諜報活動に実際に投入された装備でした。どのような会話が記録されていたのかは知る由もありませんが、誰もがスマートフォンや小型の記録デバイスを携行する現代から振り返ると、その存在は、当時の技術と諜報活動の関係性を静かに物語っています。

 1950年代半ば、プロトナの録音キット一式は約350ドイツマルクで販売されていました。現在の価値に換算すると40万円前後と決して安価ではなく、限られた組織向けの専門装備であったことがうかがえます。近年のオークション市場では、状態や付属品の有無によって価格に幅がありますが、冷戦期の実用品という来歴が評価の軸となっています。時計としての性能ではなく、歴史資料としての価値が重視される点が特徴です。

 このハンハルト プロトナの腕時計が興味深いのは、クロノグラフの外観をまといながら、その実態は徹底して情報収集のために設計されている点にあります。見た目はあくまで時計でありながら、内部には時間を刻む機構すら存在しません。

 もし装着者が時刻を尋ねられたとしたら、どのように応じていたのでしょうか。故障している、あるいは巻き上げを忘れて止まっている──そんな言い訳でやり過ごしていたのかもしれません。いずれにせよ、そのわずかな違和感すら許されない環境で使われていたことを思えば、この時計が置かれていた状況の緊張感が浮かび上がってきます。

 プロトナは1967年にその歴史に幕を下ろしますが、このマイクロフォン・ウォッチ自体はその後もしばらく実戦で使用され続けたとされています。華やかな広告や物語とは無縁の、純粋な実用品。その点にこそ、この時計の本質的な魅力があります。

 ハンハルトの名を冠したプロトナは、単なる時計の一種ではなく、20世紀という時代の一側面を腕元に凝縮した存在のように感じます。そして現代においても、世界各地で緊張状態が続く状況を踏まえれば、より高度に進化した同じようなデバイスが、いまなおどこかで静かに使われているのかもしれません。