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本稿は2020年3月に執筆された本国版の翻訳です。
今週は奇妙な1週間だったというと少々言い過ぎかもしれないが、人生が続くようにヴィンテージウォッチのハントも続く。常にポジティブであることを心がけ、手を洗い続け(記事執筆時はパンデミックの最中にあった)、時計(やトイレットペーパー)がないかとほかの人が見向きもしないような場所を探し続けるのだ。
インダイヤルが効いたおなじみのデザインのニバダ・グレンヒェン、政治的な出自を持つGMTマスター、そして機能性だけでなく美しさも兼ね備えた初期のワインダーで、記事に目を通すあいだの数分間の休息を満喫して欲しい。ストラップ付きの小ぶりな時計がお好きなら、オリジナルのルクルト レベルソや魅力的なカルティエも用意している。
ルクルト レベルソ Ref.201 1933年製
どんな時計であれ、最高のコンディションのものを見つけるというのはエキサイティングな出来事だが、ある種のモデルにおいてはほかのモデルよりも重大な発見となることもある。その作りや着用スタイル、ターゲットとする市場の違いによって、より時の経過が感じられる時計もある。このレベルソもそのひとつだ。私が遭遇する初期の時計は十中八九、あまり好ましくないコンディションであることが多く、そのためそこで満足せず探し続けることになる。しかし、その時計が予想外の輝きを放っているときは思わず足を止めて見入ってしまう。
ご覧いただいているのはRef.201 レベルソだ。このモデルは1933年に製造されたもので、年月を経て優雅さを増しているように見える。文字盤に刻まれたルクルト(LeCoultre)のサインが示すように、この個体はもともとアメリカ市場向けに製造され納品されたものである。ブラックだった文字盤は、ご存じのように後年チョコレートのようなトロピカルな色調を帯びることになる。この文字盤は光の加減でなんとなくトロピカルに見えるというレベルのものではない。確実にブラウンだ。もしそう思わないなら、眼科医に診てもらうのが一番だ。さらにこのケースは磨かれていないように見え、ラグの近くにはっきりとしたラインが入っている。このケースのラグ付近のラインは、あまり芳しくない個体ではほかの箇所となじんでしまっていることが多い。
ご指摘の前に、そう、私も針は夜光を塗布し直していると思っている。しかしそんなことでこの時計を購入しようと思わなくなることはないだろう。以前議論したようにレストアはある時点で必要なものとして受け入れる必要があるし、87年前に作られた魅力的な時計の場合はそのことを本当に非難することはできない。もし、あなたがこのような時計をちょっとでも欲しいと思ったのであれば、まずはその方向性で探してみることをおすすめする。
アンティコルムは(記事執筆当時の)ジュネーブオークションで、この初期のレベルソを6000~1万スイスフラン(当時のレートで約75万〜125万円)の想定落札価格で販売する。詳細とカタログはこちらからご覧いただける。
カルティエのレディスモデル 1959年製
時計デザインの進歩は、マイクロメカニクスと美学双方の進歩によって導かれ、互いに調和しながら支え合ってきた。この事実は、しばしば注目に値するデザインの裏側にある特徴的な要素の多くを解説してくれる。レディースウォッチほど、この考え方がよく表れているカテゴリもないだろう。レディースウォッチは歴史的に細い手首にフィットするよう小型化されてきた。小ぶりなものが好まれるようになったことで、時計師たちはエレガンスを引き出す新たな方法を編み出さなければならなくなった。
そのひとつの方法が、裏蓋側から巻き上げる時計を作ることで邪魔なリューズのないシンメトリーな外観の時計を実現することだった。カルティエはこのデザインを、それまでに前例がないラグレスのタイムピースに採用した。この時計ではラグの代わりに、ユニークな形のクロコダイルストラップが全体を取り囲んでいる。間違いなく美しいモデルだが、裏巻きの時計は水分の浸入を防ぐのが難しいということに留意する必要がある。しかし、このような洗練された作品を水に近づける人は、今までもこれからもいないだろう。
この時計は、1989年に出版されたジョージ・ゴードン(George Gordon)の著書 『Cartier: A Century of Cartier Wristwatches』に載っている。この本はカルティエのデザインについて知識を深めたい人にはおすすめの1冊だ。横幅17.5mmのこの時計は厳密にはレディスモデルだが、手首が細めの人なら、その気になればジュエリーとして成立させることも可能だろう。個人的には、この時計が希少なデザインのカルティエを追い求める愛好家のコレクションに加わるのも不思議ではない。これほどの希少モデルを実際に目にすることができるのは、かなり先のことだろう。
カリフォルニア州ビバリーヒルズのKeystoneが、この時計を(記事掲載当時)5800ドル(当時のレートで約65万円)で販売しており、サイトには追加の写真も掲載されている。興味があるなら、リンクをたどってみて欲しい。
ニバダ・グレンヒェン クロノキング Ref.85008
先月、友人が快くこのブランドの時計をプレゼントしてくれたあと、私はさらなる逸品を求めてこのブランドのアーカイブを深く掘り下げることにした。私のリサーチによると、トラディショナルなものから極めて奇抜なものまで、さまざまなリファレンスの宝庫であることがわかった。意外にも私の心を掴んだのは後者のほうである。ユニークで複雑なデプスマチックのようなダイバーズウォッチから、斬新な日付表示を備えた人気の高いダトマスター クロノグラフまで。ニバダは常に他社とはひと味もふた味も違う製品を世に送り出してきたが、次に紹介する時計は、ある有名なタイムピースとの明確な類似性によってそうした概念とは対照的な存在となっている。
オルタナティヴなデザインが主流となりだした1970年代初頭に登場したクロノキングだ。このモデルも例外ではなく、ファセット加工が施されたクッション型ケースとマルチカラーの文字盤を備えている。しかしこの時計を際立たせているのはインダイヤルだ。よく見てみれば、ポール・ニューマン文字盤のデイトナとほとんど変わらない、おなじみの書体とハッシュマークのデザインにすぐに気づくだろう。オレンジ文字盤のアクセントと鮮やかなイエローのベゼルが組み合わさることで、この伝説的なインダイヤルのデザインが持つクールさが際立ち、デイトナにおいてこの要素がいかに先鋭的なものであったかを物語っている。これはポール・ニューマンを思わせるレジスターである一方で、この時計にふさわしいデザインであるとも言える。
最高のものを求めるコレクターなら、このクロノグラフムーブメント、バルジュー72が搭載された時計を高く評価することだろう。オリジナルのステンレススティール製ブレスレットで提供されるだけでなく、時計と一緒に販売されたボックスも残っている。イエローのアクリル製ベゼルのインサートはわずかにオレンジ色に変化し、文字盤上に施された鮮やかな装飾とマッチしている。風防に傷があることを非難する人もいるだろうが、ヴィンテージの時計がまったく別物に生まれ変わってしまうほど過剰に手を加えられていないことを物語っており、個人的には気にならない。
ハンブルクのCortrie Spezial Auktionenは、(記事執筆当時の)土曜日のオークションでこのニバダ・グレンヒェンを3500ユーロから6000ユーロ(当時のレートで約45万〜75万円)の想定落札価格で販売する。詳細はこちらから。
ロレックス GMTマスター Ref.1675 1976年製
不思議に聞こえるかもしれないが、お気に入りの時計は何度も見ているうちに印象が変わってくるものだ。それゆえに見慣れた時計に心底驚かされ、この山にはまだ(採掘するべき)黄金があるのだと思うように安心させられる。それはいつだってスリリングなことだ。だが正直なところ、私にとってその時計がロレックスであることは滅多にない。
このRef.1675は、第51代メキシコ大統領ホセ・ギジェルモ・アベル・ロペス・ポルティーヨ(José Guillermo Abel López Portillo)が所有し、着用していたものである。推測の域を出ないが、ポルティーヨの家族は同じくロレックスの時計、特にGMTマスターの愛好家であるフィデル・カストロ(Fidel Castro)が彼に贈ったものだと主張している。ふたりが親密な関係を築いていたことを考えればその可能性も低くないが、残念ながら確たる証拠はない。魅力的なデザインと素晴らしいコンディションに加え、この個体のケースバックにはポルティーヨの名前が手彫りされており、メキシコ大統領にゆかりのある装飾一式とともに提供される。
大統領の一族から直接譲り受けたというこの時計の出自は、この時計がはっきりと写っている一連の写真など、さまざまな資料によって明確に裏付けられている。ここでひとつ、この時計について触れておきたいことがある。このラジアルダイヤルのオリジナル性を疑う声もあり、そこでは提供された写真の1枚が、かつて別の文字盤が取り付けられていたことの裏付けとして挙げられている。私は健全でささやかな懐疑心に関しては称賛し、奨励しているが、これはちょっと次元の違うでたらめだ。低解像度の白黒フィルム写真でこの時計の文字盤を判別できると言うのなら、私はあなたが持っているメガネを譲って欲しいと素直に思う。文字盤はシリアルが示す範疇に収まっているし、名のあるディーラーは売りたい時計に自ら不都合な証拠を提供することはない。たったひとりの意見に怯えて、歴史的に重要な素晴らしいピースを手放さないようにしたい。
Craft & Tailoredでは、エリック・ウィンド(Eric Wind)氏の協力を得て、このGMTマスターを7万5000ドル(当時のレートで約800万円)で販売(記事執筆当時)している。詳細については、こちらのページをチェック。
ジラール・ペルゴ ジャイロマチックワインダー
以前にも取り上げたことがあると思うが、時計そのものとは別に時計史に残る遺物は、そのブランドが何を象徴し、どのように販売されていたのかを正確に理解するうえで重要な役割を果たすことがある。そのような遺物のうち特に人気があるのは、販促資料や正規販売店内でかつて見られたディスプレイ、初期のコレクターズガイドなどであり、これらはすべて私たちが敬愛するリファレンスを取り巻く文脈を明らかにしてくれる。しかし皮肉なことに、時計職人が使用する道具は、これらのブランドが発展して国際的な名声を得るに本質的に不可欠なものであるにもかかわらず、多くの人に見過ごされている。
時計用ワインダーの発明は、近代において最初の自動巻きムーブメントを製作したジョン・ハーウッド(John Harwood)に由来する。自分の作品の精度を実証しようとハーウッドは小売店用に12本用のワインダーを開発し、ジラール・ペルゴによるこのモデルのような作例への道を開いた。本体に記されたサインが示唆するように、これは1966年にア・シールド社製のムーブメントをベースに大幅な改良を加えて誕生したジャイロマチックキャリバー用のものである。ジラール・ペルゴはベースに手巻きムーブメントを使用し、独自の巻き上げ機構とローターを開発することでCal.32Aを完成させた。
私の推測によると、このワインダーはサービスセンターの時計職人ではなく、正規販売店が使用していたものだろう。というのもこのワインダーには緑色のカバーと内面に多くのブランドマークが施されており、その能力を示す複数のロゴやマークが植字されているからだ。これはおそらくブランドの製品に自動巻きキャリバーが浸透していくにつれて、自動巻きムーブメントがどのように機能するのかを顧客に知ってもらうための展示用だったのだ。
おそらく、このワインダーよりも安い値段でほかのワインダーを見つけることもできるだろう。しかし使うかどうかは別として、これほど棚の上で見栄えのするものはほとんどないだろう。私たちのようなマニアにとっては、たまらないガジェットのひとつだ。
3月25日、フロリダ州サンライズのHill Auction Galleryがこのワインダーを競売にかける(記事執筆当時)。想定落札価格は100~1000ドル(当時のレートで約1万700〜17万円)だ。