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数ヵ月前、私は初めて高級時計を身につける機会を得た。選んだのはカルティエのタンクとウブロのビッグ・バン トゥッティ フルッティだ。
トゥッティ フルッティに魅了されつつも、同時に反感も感じた。説明するするまでもないだろうが、説明しよう。
ベゼルにはピンクのバゲットカットサファイアを配され、ウブロの特徴であるチタン製のネジで6個おきに区切ってある。まるで48人の希望に満ちた妖精のお姫様が、機嫌の悪い6人の王子様と輪になって遊んでいるようだ。ストラップはピンクのリザードで、ウブロが誇るピンクラバーで補強されている。ウブロの存在意義の半分はラバーストラップだ。この大胆さをクールだと思う人もいれば、まさに無邪気でおもしろいものだと思う人もいる。また、残りの多くは社会の構造そのものを破壊するもののように見ている。
タンクは敬意を、トゥッティ フルッティはジョークを要求した。パリス・ヒルトンのチワワの首輪から、ついに時計が作られたようだ。ハハハ。その時計はゲームセンターのクレーンゲームの賞品として獲得したものなの? ハハ。君は医者に診てもらったほうがいい。君のことより、君が手首に巻き付けたフラミンゴのほうが心配なんだ!
だから、カルティエを選んだ。レクタンギュラーケースにオフホワイトのダイヤル、黒いローマ数字のインデックスとゴールドのブレスレットは、まるでカーライルにジントニックとコブサラダとタバコのために来たジャッキー・ケネディのような気分にさせてくれる。それでも、気がつけばトゥッティ フルッティを夢想していた。つまり、あれはどこか滑稽だったのだ。私と同じように。
やがてカルティエの試用が終わり、私は実用的な手巻きのLUCHと一緒に残された。その後、カルティエほど高価ではないものの、淑やかで、ほとんど消え入りそうなほど礼儀正しいオメガのデ・ヴィルも一緒になった。
私はドラマと、醜悪に近い大胆さを渇望していた。自分の手首を見て何かを感じたかった。それが何なのかはわからないが、「たったこれだけなの?」ということ以上のものを感じたかったのだ。
私にピンクのウブロは遅すぎた? そして、あんなに悪趣味と言われるものを身につけるのはどんな感じなんだろう?
遅くなかった。そして、私はどんな感じかを知ることになる。
警備員付きの装甲車で届こうが、無造作にポストに入れられようが、時計が来たときの“新しい仲間が来た”というドキドキ感がたまらない。今回の配達員は非武装のようで助かった。私の愛犬、レッドヒーラーのルーシーが吠えまくるから。「彼女は決して人を傷つけませんから」と、私は荷物の受け取りサインと同時に右足でルーシーを抑えながら言った。「彼女は本当はとても優しい子なんです」。 配達員は「もちろんそうですよ」か、あるいは「どうでもいいんです」とでも、取れるかのように微笑んだ。
時計にたどり着くまで包みが何層にも重なっていた。中型のFedExのバッグ、そのバッグのなかの小さなバッグ、そして封筒。そして最後にプチプチに包まれ、粘着性のあるセロハンでケースを覆った“私の”新しい時計は、ある角度からはスポーティに、別の角度からは華やかに、そしてガーリーに見えた。明るいところではセラミック製のダイヤルの黒い穴がスティール製の針を飲み込んでしまい、時刻を知るためにダイヤルを傾けなければならなかった。
リセットした。秒針は動かなかった。ダイヤルにほかにも何かがあるのを見つけた。パテック フィリップ・ミュージアムに行ったときから、これらはコンプリケーション(複雑機構)であると推測していた。3時位置のランニングセコンドのインダイヤル、6時位置の12時間インダイヤル、9時位置の30分インダイヤル。一旦秒針が動くようになったら、それらが気になるだろう。
“秒針を動かす”でググってみた。あるサイトでは、ワイングラスを振り回すように手首を回すといいと書いてあった。私は手首を回し、ブラックセラミックのフェイスにセミスケルトンのSS針が見える正しい角度をつかまなければ、実際に時間を知ることができないことに感心した。しかし、秒針はまったく動かない。私は、この時計が爆発するのではないかと半信半疑で右上のボタンをそっと押した。幸いなことに秒針(クロノグラフ針)が動き出し、秒のインダイヤルやおそらくほかの針も動き出したが、それぞれ大陸横断飛行機の飛行時間や『となりのサインフェルド(Seinfeld)』のエピソードには役立つが、おそらくそれ以外にはあまり役に立たないだろう。
友人とコーヒーを飲みに行ったときのこと。「ラインストーンがすごい」と言われた。
「ラインストーンじゃないわよ」と私は言った。「サファイアよ 」と。彼女はトゥッティ フルッティという、ナッツやカラフルなフルーツがたくさん入ったアイスクリームを知っていただろうか? 知っていた。カラフルな宝石をたくさん使ったオリエンタリズムのトレンドであるトゥッティ フルッティスタイルのジュエリーは? 知らなかったろう。
「きれいね 」と彼女は怪訝そうな顔で言った。
別の友人と出くわした。
「サラが新しい時計を買ったわよ」と最初の友人が言った。「トゥッティ フルッティよ。アイスクリームとジュエリーにちなんでいるんだって」
もうひとりの友人はサブマリーナーを決して外さない人で、私の時計を見て目を細め、「この時計が何のためにあるのかわからないけど、何のためではないかはわかるよ」と言った。「時間を知ることだ!」
トゥッティ フルッティを販売している宝石店で、この時計についてのビデオを見たことがあった。プレゼンターが「この時計は簡単には読めない」と言っていた。これはとても寛大な表現かもしれないと思った。針が見えるように光を当てれば、時計を見るたびにサファイアを自慢できる、と私は言った。
「いずれにしても 」と友人は言い、「時計を見て時間を知りたいね。僕は単純な人間だから」と答えた。
帰宅したボーイフレンドがそれをひと目見て、「君は高い時計しかつけないんじゃないかと思ってた」と言った。
「これは2万ドルの時計よ」と私は腹が立って言った。「中古だから少し安いけど、高い時計よ。ウブロなのよ」
「ニューブロー? じゃ、オールドブローは?」
「ウ、ブ、ロ 」と言ってやった。スペルも言った。 ウブロはパテックやロレックスのような堅苦しくて比較的似かよったブランドに対する解毒剤として、1980年にスタートした時計会社であることを説明した。そして、Jay-Zが自らラップで表現した腕時計で、セラミック、ゴールド、シルバー、ラバー、レザーといったさまざまな素材と目に見えるビスが特徴だと続けた。この時計では鮮やかな宝石とピンクのリザードも特徴だ。
「ピンクのトカゲ!」 彼は鼻で笑った。「そりゃ驚きだ」。
そんな反応が一般的なようだ。詳しく説明することもできるが、要するに、この時計は私がノードストローム・ラックで手に入れたちょっとした衝動買いだと思われているようだ。
このような侮辱を受けたが、時計が嫌いになるどころか、より好きになった。そして、このトゥッティ フルッティに対する私の熱意は単に反抗心からだけではなかった。手首にはめたときの重さ、クラスプの男性的な堅さ、ピンクのストラップがフィレステーキのように厚みがあってボリュームがありながら、ストロベリーショートケーキのように甘くて鮮やかなのが気に入ったからだ。
この時計を過小評価したり、馬鹿にしたりする人は、この時計と暮らすことの楽しさを知らないのだ。ドレスアップしていても、ただ着飾っているだけでも、あるいは無精者のように寝転がっていても、この時計はいつも動いてくれた。スポーティさを演出するのか、それともラグジュアリーさを演出するのか、直感的にわかっているような気がした。これはウブロに限ったことではないだろうが、私は自動巻きの時計を持つことが大好きで、もう二度とそれ以外を受け入れることはないと思う。
「うわー変なの。そんなのつけて妙な気分にならない? レディ・ガガのオレオの宣伝用時計みたい 」などと聞けば聞くほど、“豚に真珠”という言葉が頭をよぎった。もし私がロレックスを持っていたら、私を含め、誰もがそれを好きになる。でも、この時計をむしろ自分で愛したからこそ、その関係はより甘く、より切実なものになった。
「まるで、ルーシーを想うのと同じように時計を想っているみたいだね」と、私のボーイフレンドが言った。
この時計は、時計自身と私の時計への愛情が安心して感じられる場所に行く必要があった。幸いなことに、私はサンフランシスコのウブロストアから2時間ほどのところに住んでいる。
店に入ると、約1年前、初めて高級時計に挑戦したときのことを思い出した。パールグレーのカーペットはそのままで、時計も大きく輝いていて、アグレッシブなくらいメタリックで、勢いのあるラグジュアリーさも変わらなかった。でも、私の態度は変化していた。当時、私はウブロの時計をまったく理解しておらず、ばかばかしく自己顕示欲を示す存在だと思っていた。今もそう思っているが、今ではその点が気に入っているのだ。
セールス担当は昨年の私を覚えていてくれた。彼はトゥッティ フルッティを見たことがなく、やっと見ることができて本当に感激していた。私はこの宝物を見せているのは私だということを誇りに思った。何も知らずにこの店に入った私が、今もほとんど何も知らずにまたこの店に立っている。私たちは、この時計の宝石のきらめき、威厳のある形、存在するだけで“ガールボス”という言葉が廃れないことを保証してくれるような、そんな宝物を二人で鑑賞した。彼の賞賛は私の心を、恥ずかしながら感傷的とも言えるほどの誇りで満たしてくれた。
2005年に登場したビッグ・バンは、チタン、セラミック、ラバーという大胆な組み合わせで瞬く間に人気を博した。その後、2008年にトゥッティ フルッティが登場したが、この名称が正式に使われるようになったのは2010年になってからだ。ビッグ・バンの派手な従兄弟のような存在のトゥッティ フルッティは、ピンク、グリーン、オレンジ、ブルーなどのカラーバリエーションを揃え、ケースはSSかセラミック、たまにローズゴールドがあった。レギンスやペプラムジャケット、エルベ・レジェのバンデージドレスが流行した時代。トゥッティ フルッティは、まさにこの時代にぴったりだ。しかし、ほかのトレンドと同様に、この時計も永遠には続かず、ウブロはわずか数年でこの時計を廃止した。
トゥッティ フルッティとは、ウブロのシグネチャーウォッチであるビッグバンが、なにかのコスチュームを身にまとっただけのものだと、この店を訪れたおかげで理解できた。店で、私の時計とプロポーションが似ているビッグ・バン ウニコを試着してみた。だが、ベゼルには丸いダイヤモンド、プッシャーは丸く、ストラップはグレイッシュブラックのスエードだった。また、私のトゥッティ フルッティのムーブメントが十分な性能ではあるが特筆すべきものではないETAであるのに対し、その時計は自社製ムーブメントを搭載していた。私はトゥッティ フルッティを自社製ムーブメントで復刻したらどうかと提案したところ、多くの人に賛同してもらった。このとき私は時計の旅を始めて1年目にして、初めて業界のマニア的なことを言ったことに気づいた。
友人と飲みに行ったときのこと。私はすでにピンクのブレザーとピンクがかったラベンダーのブーツ、そして時計に合わせて買ったピンクのルーサイトピアスを身に着けていたが、そこにロゼを注文して完成させた。「ワオ、君は本当に時計にハマったね 」と友人が言った。「それ、買ったの?」 私は「借り物だよ」と答えた。「なんだ、安心した 」と彼は言った。
「そうね」と言い、「私にとって安心じゃないの!」と私は逆ギレした。
Photos, Ingrid Nelson
Illustrations, Andrea Chronopoulos