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1952年、処女作である『カジノ・ロワイヤル』の原稿を仕上げたイアン・フレミングは、金メッキのタイプライターを注文して祝杯をあげた。それはロイヤル・クワイエット・デラックス(Royal Quiet Deluxe)と呼ばれる品で、フレミングは高額な輸入税の支払いを避けるため、友人に汽船でイギリスまで密輸してもらったそうだ。これは、処女作を書き上げたばかりの新米作家にとっては大変な贅沢だったが、その後12年間にわたって執筆したジェームズ・ボンドシリーズで大成功を収めたことから、結果的には先見の明というか、適切な買い物となった。
2021年、私は初めての小説、『デプス チャージ(Depth Charge)』というスリラー小説を完成させた。今、このジャンルで最も成功した作家のひとりと自分を比べる勇気はないが、自分自身を祝福するために、贅沢な、そして願わくばそれに劣らないものを購入した。金メッキのタイプライター(Appleは金色のMacBookを作っているのだろうか)ではなく、腕時計を買ったのだ。具体的には、ウェーブパターンが施されたセラミックダイヤルと耐磁性コーアクシャルムーブメントを搭載した最新世代のオメガ シーマスター ダイバー 300Mを選んだのだ。そのやや冬っぽい白い文字盤と、ボンド映画との緩やかなつながり(1990年代以降)から、私はこの時計を“アークティック・ボンド”(北極のボンド)と名付けた。
私にとって、最近の腕時計の主な役割は時間を知ることではなく、過去の冒険を思い出し、未来の冒険へのインスピレーションになることだ。傷だらけの金属のケースや色あせた文字盤に誰かの過去が潜むヴィンテージウォッチを好む人もいるが、私にとって新しい時計をゼロから始めることは、手首にタブラ・ラサ(ラテン語で白紙の意味)を乗せるようなワクワクする提案なのだ。それがダイバーズウォッチであれば…私の場合は大抵そうだが、どんなものにも対応できるし、自分の時計コレクションに加えることができる。私の新しいオメガは、個人の文学的業績を記念して購入したというだけでは十分ではない。この時計は、腕の上で実際に何かをなすまでは、単なる装飾品のままだろう。昨年9月に購入したこの時計は、1月までは他の時計とローテーションを組みながらつけていた。そのあと、私はこれを外さなくなった。
新年を迎えるにあたり、「健康的な食事を始める」「1月は禁酒する」「デザートを断つ」など、意欲的な目標を掲げる人もいるだろう。私は自分の目標を「1ヵ月間1本の時計をつけ続ける」ことにした。一般的な人からすれば、これはとても低いハードルに思えるかもしれないが、これを読んでいる大多数の人にとっては大変な努力を要することだろう。賭けてもいい。神話に登場する「ワンウォッチ」は、未確認の毛深い怪物ビッグフットのように捕まえにくく、めったに見られない存在であり、私にとって理想像のようなものなのだ。そこで、私はちょっとした実験で、丸1ヵ月間、すべてシーマスターだけを着用することにした。ランニング、クロスカントリースキー、ダウンヒルスキー、睡眠、シャワー、そして家事をするときも、だ。その結果、これらのことはすべて、シーマスターにとっては朝飯前の、単なる子供の遊びに過ぎないことが判明した。実際、どんな状況でも、1日に1秒しか誤差が生じなかったのだ。しかし、ダイバーズウォッチである以上、ダイビングをしないわけにはいかない。そこで問題になったのが、真冬のミネソタにいたということ。それに南国行きの航空券を持っていなかったということだ。
2月中旬のある週末、私はミネソタ州の凍った湖の真んなかで、心ある(無鉄砲な?)ダイバーたちの小グループに加わった。ある者は厚さ2フィート(約60cm)もある氷にチェーンソーで三角形の穴を開け、ある者は何百フィートもの安全ロープを登山用のアイススクリューで固定した。私は、軍用の余剰テントを張って風を防ぐ手伝いをした。気温は−20℃度前後、水温はそれより40℃ほど高い(かろうじて水が液体として保たれている)が、防寒用のロングジョンとドライスーツを着た我々は震えるほど寒い思いをした。
ダイビングは器材に負担をかけることで知られているが、アイスダイビングはそれ以上だ。バルブが固着したり、潤滑油が濃くなったり、マスクが曇ったり、あらゆるものが凍ったような霧氷で覆われてしまう。単に温度を保つ工夫だけでなく、レギュレーターが凍りつき、空気が噴出すると、ものの数分でタンクが空になってしまうという心配がある。さらに、大型の水中カメラを氷の下に取り付けていたことも事態をややこしくしていた。時計のことなど考えたくもないくらいだった。とにかく動いてくれないと困るのだ。アイスダイビングは、深度や無減圧の制限ではなく、時間による制限があるのが普通だ。寒すぎて長居はできないし、面白いのは氷床の下側だ。氷に覆われた湖底の景色は、生気がなく暗いものだからだ。そこで我々は、最大潜水時間を25分とし、100フィート(約30m)の安全ロープと氷の穴とのつながり、そして比較的安全な水面が探索の範囲となることで合意した。私はダイビングコンピューターを置いていき、オメガのみで経過時間を、圧力計でシリンダー内の重要な空気の残量を確認することにした。ベゼルを回して特徴的な分針の矢印をゼロにあわせ、氷に開けられた筋を伝って潜った。
ネタバレになるが、ダイビングは何事もなく終了した。それだけでなく、なぜ私がアイスダイビングを楽しんでいるのか、なぜ数年に一度、夢中でやっているのかを思い出させてくれた。唇が痺れたり、指が凍ったり、水中で数分間作業したことを忘れてしまうのは、単に私の記憶力が鈍いせいかもしれない。しかし、氷の裏側を舞う気泡の別世界の光景、水中で反響する振動音や亀裂音、上の雪に掘った矢印から射し込む日光が出口まで導いてくれる様子は、私のこれからの経験で最もエキゾチックなものになりそうだ。
私のシーマスターも、分厚くくるまれた手首にしっかりと固定され、問題なく動作した。光り輝く分針が漆黒のベゼルに時間を刻み、スイープする針が不気味な薄明りのなかに輝く白い文字盤上を静かに行き来する。どんなに過酷な環境下でも設計どおりに動作する機器は信頼感があり、時間を頻繁に確認する度に心強くなる。また、大きなスティール製の腕時計を身につけると、あらゆるダイビング、あらゆる冒険がより印象的に、記憶に残るものになる。特に自分の物語の主人公を演じることができたときは、なおさらだ。小説を書くことは、私がこれまで経験したどのダイビングより(たとえ氷の下であっても)凄い、最大の冒険だった。そして、2冊目の本を書いている今、1冊目の本を書いた記念に買った腕時計を、思い出とインスピレーションのために身につけるつもりだ。
Photos, Gishani Ratnayake