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HODINKEEのコメント欄で、自分を初心者と呼ぶのはやめた方がいいのではという話があったが、それは当然だと思う。
正直なところ、一体どんな初心者が、ジャック・フォースター(Jack Forster)と毎月夕食をともにし、その後、ザルトのグラスで褐色のポートワインを回し、そして先週のようにプラチナ製のミニッツリピーター・パーペチュアルカレンダー・ムーンフェイズ Ref.30020とウルトラスリム・ミニッツリピーター Ref.4261の利点について議論したりするのだろうか。ほかのどんな初心者が、ジャックがコイーバシグロⅢを深く吸い込み、青い煙を吐き出してそれが組み天井に向かって流れていくのを眺めながら「サラ、君はそろそろ製造工場を見学してもいいんじゃないか。ヴァシュロンがいいと思うよ。なんといっても、世界で最も古い歴史を持つ時計メーカーなんだから。ジュネーブの郊外に美しい工場があるんだ」と言ったりするのを見る喜びに恵まれるというのだろうか。
さて、上記のようなシナリオで(ただし葉巻とポートワインとジャック自身を抜きにして)、私はスイスに戻る途中だった。
ヴァシュロンのことは前から知っていた。今では有名になった時計製造の首都への最初のツアーで、私はその店のブティックを訪れ、84個のラウンドカットダイヤモンドが付いた18ctのピンクゴールドのセットと、より控えめなホワイトゴールドのパトリモニーにうっとりしながらも、このブランドは威圧的だと感じたのである。おそらく初めて訪れるにはハードルが高すぎたのだろう。数週間後、私はハイヤーでプラン・レ・ワットの工場に向かっていた。
私はヴァシュロンのカップに入ったカプチーノで迎えられ、思わずカップを持ち帰りたくなったがやめておいた。この建物は2005年に建てられたもので、太陽の光が降り注いでいる。5階まで吹き抜けの階段があり、天井はガラス張りになっている。ガイドの女性はいずれも身なりがよくて気品があり、一人は高そうなズボンに2世代目のオーヴァーシーズをつけ、もう一人はピンヒールを履いていた。いつか私が臨終の床に横たわったときに、“ヴァシュロンの工場を訪れたときのこと”を思い出したら、きっと磨き上げられた床の上でヒールが立てるカツカツという音や、ヴァシュロンのすべての作業場の静けさがフラッシュバックすることだろう。そのどれもが自習室を思い出させるが、机はもっときれいだし、居残りを命じられる出席者もいない。
時計職人ではなく技術者が集まっているという工房では、ブラインドが引かれ、グレーの金属製の引き出しが並んだ整然とした各人のスペースがある。ある男性は顕微鏡を覗きながら、先端が赤い小さな工具で何かを削っている。受け板を磨いているのだという。思わず「知ってるよ!」と言いたくなったが、それではまるでパン屋を見学して「小麦粉! それ聞いたことあるよ!」と叫ぶようなものだと思い、ぐっとこらえた。
彼の受け板は縁を滑らかにするために入念に磨かれ、45°の角度でカーブしている。あとで聞いた話だと、受け板の上部にも溝が彫られるのだが、これは時計のなかに受け板を並べたときに、すべて同じ方向に進むようにするためである。ヴァシュロン・コンスタンタンの時計が正しく機能するためには、受け板のエッジが滑らかであることも、同じ方向の線が刻まれていることも必要ではない。その代わり、ジュネーブ・シールと呼ばれるものに準拠する必要がある。私は聞いたことがなかったが、愛らしいひげもなく、鼻の上にボールが乗っているわけでもない。
受け板は磨かなくても機能することがわかったので、合理的な質問だと思うことを尋ねることにする。例えば、タイメックスの場合のように受け板をケースに放り込むだけで、エッジがボロボロでも、受け板はまったく問題なく動くのだろうかと。
私がここでヴァシュロン・コンスタンタンに対してタイメックスに言及したことによって、周りの反応は冷たくなり、それはまるで地平線上の暗雲が雷雨を警告するかのようだった。もし私が再び招待されるようなことがあったら、もっといい比較対象を出したいと思う。比喩でもいいかもしれない。例えば、「受け板が完璧に磨かれている腕時計は、お揃いのブラジャーとパンティを身につけた女性のようなものかしら。それを知っているのは彼女だけで、ジュネーブ州から公式に承認してもらっていなくても、密かに威厳を与えてくれるようなものなのかしら」とか、そんな感じで。とにかくタイメックスではないのである。
先に進もう。笑顔で挨拶してくる人もいるが、合成ルビーを1μ(ミクロン)の精度で測定して受け板に押し込む技術者は、私たちに会釈することさえしない。これは彼女が失礼であるということではなく、彼女が非常に集中しているということなのだ。ルビーを1μの精度で測定し、受け板の上にある小さなルビーのスペースに押し込んで、装飾的な溝がほかのものと一致するように、最終的に時計に組み込むには、この方法しかないのだと思われる。
このツアーでは、基本的な“時計の仕組み”と、「ヴァシュロンがジュネーブ・シールのため、また非常に真面目であれという私たちの義務のために、非常に特殊な方法で特に素晴らしい時計を製造している」ということを案内している。私は後者について納得し、前者についてはより深く学んだり学ばなかったりしてそのツアーを終えた。
ルビーについては大きな進歩があったと言わなければならない。私はいつも腕時計の広告で、宝石がついていると自慢しているのを見ていたが、それなのになぜ宝石が見当たらないのかと不思議に思っていた。そして今日、ここヴァシュロン・コンスタンタンで宝石は内側にあり、可動式の床に取り付けられた、小さくて可愛い輝く柱のようなものであることを知ったのである。この宝石によって、時計のさまざまな受け板とプレートが互いに分離され、また摩擦なしに容易にスライドすることができるのである。HODINKEEの読者のなかで、このことを知っている人はどれくらいいるのだろうか。全員だろうか(後日、読者以外の人に知っている人がどれくらいいるか非公式に調査してみたところ、誰もいなかった。「何を言っているんだ」という回答さえいくつかあった)。
完璧な硬材に沿って少し歩いた後、ガラスの屋根から暖かい光が差し込む空間を通り抜け、火の匂いとCNCマシンの音に満ちた金属加工室にたどり着いた。私がそれまでに今まで見たことのあるCNCマシンは、木材を加工するものだけだった。どうやら金属を加工するものには、専用の小さな冷却滝が備え付けられているようだ。工房でのうやうやしい静けさのあとでは、この部屋は騒々しい。ここはスイスなので、カオスとまではいかないが、明らかに本のない図書館のようである。このような設備を見ていると、時計は機械であるという、当たり前だが忘れてしまいがちな事実を思い知らされる。この工房では、受け板、プレート、そして漠然と“その他の丸いもの”と呼ばれているものなど、さまざまな部品を作っている。
その後、これまでに学んだすべてのことを総括する時間が与えられ、教材サイズの大きなプレートが展示された。その上にはいくつもの受け板が重ねられ、約120個の部品で時計のムーブメントを完成させた。この体験から何週間も経った今、米粒ほどの記憶で語ってはいけないかもしれないが、それでも何となくわかってきたような気がする。プレートと呼ばれる丸い部品がある。腕時計はこの上に作られていて、「腕時計はこの上に作られている」 というのは、つまり、そこにさまざまな歯車やバネなどが固定された一連の受け板があるのだ。これらの部品がプレートの上に配置され、その上に構築されたすべての部品が相互に作用して、時間や日付や曜日を知らせたり、場合によってはもっといろいろなことを行うことができるのであるが、まだマティーニのように混ぜてはいけない。そして、時にはまったく新しいプレートが登場することもある。(私はまだ、彼らがどのようにすべての受け板をそこに適合させるのかがよくわからない。次のファクトリーツアーで聞いてみたいと思う)
よくあることだが、なんとなくわかってきたような気がして、ジュラ地方の時計学校に通ってみようか、夜にはポラントリュイの小さな屋根裏部屋で赤い屋根とお城を眺めながらNFTで時計を作る方法を考えてみようか、とぼんやり妄想し始めると、ちょっとした壁にぶつかるのである。まず最初に、小さな針金を見せられ、それがまるで奇跡のように小さなバネに巻き上げられた。ここで言っておかなければならないのは、ズボンを履いている男性は早口であり、ピンヒールの女性は、私が彼の言っていることをほんの少ししか理解していないときに、もう一度言ってくれるように頼むことと、私の気持ちを楽にしてくれるようにするためにここにいるらしいということである。
とりあえず、針金がコイルになる仕組みはわかった。問題ない。そして、このふたつの情報が非常に関連しているということなのだが、底のないコートハンガーのようなものと、実際にぶら下がっている部分の両端に2本の赤い棒を差し込んだものが出され、これも大きな歯車の歯にはめ込んでいる。これがアンクルで、時計の動力源である歯車の動きを制御しているのだそうだ。
私は腕時計に関して“アンクル”という言葉を初めて聞いた。時計を調節しているのはエスケープメントだと思っていた。それなのにアンクルという単語が繰り返される。私はまだ混乱している。コイル状になったワイヤーがアンクルの動力源なのか、それともテンプの動力源なのか。それとも、どちらでもないのか。コイル状になったワイヤーとテンプは同じものなのか。どちらも円形で回転する(上記参照:丸いもの)ことを除けば、まったく似ていないので、これはありえないように思われる。
残念ながら、生産的な方法でこの質問をする方法がない。私の戸惑いを察知したのか、それともこれもツアーの一環なのか、私は顕微鏡を覗き込むように促され、小さな赤い歯がアンクルにどのようにフィットしているかを見ることになった。顕微鏡を使うのは、物理が苦手な学生のための「上級生物学」という授業を1987年に受けて以来だったため、私は顕微鏡のかっこよさを忘れていた。顕微鏡を見ているうちに、マックス・ブッサー(Maximilian Büsser)は、人々が歩き回れるような巨大な時計を友人に頼んで作らせるべきだと思えてきた。そうすれば、コイル状のワイヤーとアンクルと歯車が一体となって動く仕組みを説明できるかもしれない。ヴァシュロンの担当者は2人とも、私が少し恥ずかしがりながらも混乱していることに理解を示してくれた。ピンヒールの女性は私に、これはとても複雑なことだと断言してくれた。それが本当かどうかはわからないが、彼女がそう言ってくれるのは確かに嬉しいし、場所を移動するたびに彼女のヒールの音が私を慰めてくれる。
従業員が増えてきた。時計職人もいれば技術者もいる。技術者が時計職人になることもあるようだが、それは普通ではない。誰が誰なのか、いつも把握できるわけではないが、パーペチュアルカレンダーの工房に入ると、なかにいる人たちがヴァシュロンのほかのスタッフよりも少し年上であることに気がついた。パーペチュアルカレンダーは素人や気の弱い人には向かない。ここで働けるのは最も経験豊富な時計職人だけである。そこはまるで遠くジュラ山脈を望む眺めのよい場所のようであり、高齢で目立った才能もない私が、名高い時計職人になったような気分にさせられる。少なくとも10人以上はいたが、4年間にたった1日しかないうるう年に対処するためだけにこれだけの人がいるのだから、頭が下がる。私はこれが大好きである。私が時計づくりで好きなのは、無意味なディテールに注意を払うような美しい機会を与えてくれるからだ。パーペチュアルカレンダーには専用のプレートが付いている。なんという尊敬の念を抱かせることだろう。ムーブメントの一部は4年ごとに回転する歯車だが、いくら歯車でも退屈そうである。
ミニッツリピーターの展示を見たが、その動作が非常に激しいことと、ミニッツリピーターを搭載したヴァシュロン・コンスタンタンの腕時計は約35万ドル(約4200万円)もするため、間近で見れるのはおそらくこれが最後の機会だろうということくらいしか覚えていない。ここで私は、腕時計が1分1秒を争っているようでは何もできないと思ったり、さらには“オフ”スイッチに何千ドル(何十万円)余計にかかるのかと考えたりして、自分の初心者ぶりを再認識したのである。それからズボンの男性が、ボタンを押して時間を聞くという話を始めると、私の思考はミニッツリピーターの仕組みのことに戻ってきて、安堵のため息をついた。でも担当者は私が疲れていると受け取ったようだ。
見学も残り1ヵ所になり、安心した。メティエと呼ばれる部門では、ペインティング、エナメル、エングレーブ、そして黒と白のエナメルを重ねるグリサイユといったあまり知られていないアートも行われている。この工房は私のお気に入りである。というのも、私は時計の仕組みに興味があるとはいえ、機械的なものよりも芸術的なものの方に強く引かれるからである(両者が切り離せないことは承知している)。ここでは、描かれたばかりの泳いでいる青い魚の絵のエナメルを冷ましているのを見た。また、真鍮からケースを削る技術者の様子も見ることができた。3ヵ月かかる仕事だそうだ。3ヵ月も同じケースを削る続けるとは。そのあいだ、この男性は眠れるのだろうか。私だったら毎晩パニックで目が覚め、削ってはいけない部分を削ってしまったり、例えば6週間かけてようやく完成したライオンや雄羊の耳が曲がっていることに気づいたりする夢を見るに違いない。
ファクトリーを出る頃には、今日見た腕時計をほとんどすべて好きになって欲しくなったが、ひとつだけ例外があった。エクスプローラーシリーズのマゼランというモデルで、槍を投げる男が描かれているのだ。確かにこれは古い製品だと思う。例えば、テディ・ルーズベルト(Teddy Roosevelt)がお気に入りのピンカートン(Pinkertons)のために買ったのかもしれないし、シャルル・ド・ゴール(Charles de Gaulle)仏首相がアルジェリア戦争で敗れたあと、最も忠実だった士官のひとりに贈ったのかもしれない。しかしこの腕時計は2004年製であり、レ・グランヴォヤージュシリーズは現在も製造が続けられている。このシリーズは、インドへの航海でイスラム教徒を恐怖に陥れ、拷問し、殺害したヴァスコ・ダ・ガマ(Vasco da Gama)と、1490年代に西アフリカからポルトガルへ奴隷を連れてきたバルトロメウ・ディアス(Bartolomeu Dias)をモチーフにした腕時計なのである。
帰国後、ジュネーブ・シールを調べてみると、それが1886年に制定され、2012年に更新された12件の歴史的な時計製造の要件であることがわかった。そのなかには“テンプのバネは、丸い頭と首の付いたスライド式のスタッドキャップで固定しなければならない。可動式のスタッドホルダーも認められる”という基準や、“はめ込み式、または固定システムが取り付けられた分割式のインデックス(緩急針)の使用が認められる。システムが義務付けられていない超薄型ムーブメントは除外”といった基準も含まれている。個人的な意見であるが、そろそろ更新して、“大量殺人者や奴隷労働者を描いた腕時計は製造しない” といった要件を追加してもいいのではないだろうか。あくまで提案である。
帰国後、ジャックと私は、いつものように(少なくとも私はそう思っている)再会した。「ヴァシュロンがほかのブランドとどう違っていたか教えてくれ」。彼は葉巻を選びながら言った。今回はアルトゥーロ・フエンテのオーパス X BBMFだ。
私は即座に「芸術性と伝統的な職人技を兼ね備え、古い時計製造の伝統を守り続けています。ほかのブランドがやっていない方法で」と答えた。
彼は選んだ葉巻にぴんと来ていないようだったが、彼の疑わしげなしかめっ面は、単に葉巻に対してだけでなく、私の発言に対しても向けられたものであるようだった。
「ローガン・ベイカー(Logan Baker)が言いそうだな」。彼はようやく、疑わしげに言った。
「参りました」 と私は言った。「そうです。あなたにそれを聞かれるだろうと言ったら、何て答えるべきか教えてくれたのです。でも、仰るとおりです。私はまだ1年しか経っていないのですから。意見が変わったらご連絡します。私はまだ初心者ですから、別の意見になるかもしれません」
ジャックは微笑みながらポートワインのグラスを見つめ、まるで底にある砂糖の渦で未来を読み取っているかのようだった。「そうか」と彼は言った。「ここで待ってるよ」と。
Illustrations, Andrea Chronopoulos
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