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VINTAGE WATCHES “ポストモダン”時代のジェラルド・ジェンタを振り返る

伝説のデザイナーが自身のブランド名のもと、いかにセンスを再定義したかについて。

先週、ジェラルド・ジェンタのイエローゴールド製で、オクタゴンケースの、サファイアセッティングされた自動巻きパーペチュアルカレンダーがクリスティーズオークションに出品されているのを見つけた。このドバイ・エディット・オークションで出品されたロットナンバー8は、私が新たに発見したい物質的なオブジェに求めているような、特別な興奮を呼び起こすものではなかった(これはアドレナリンの分泌が激しくなって心臓が口から飛び出そうになったり、目の焦点が合わずめまいがしたり、じっとりと汗をかいたりするときだ)。でも、それは私だけかもしれない。

 それにもかかわらずスクロールを止めて一時停止した。私の考えにおける伝統的な“時計”とはほとんど似ても似つかない時計を、注意深くよく見るためだ。ダイヤルにはパーペチュアルカレンダーがついていたが、どちらかというとアンティークのジュエリーのようで、ニューヨークのフレッドレイトン(アンティークジュエリーを取り扱う会社)かFDギャラリーのヴィンテージコーナーで見つかるようなものだった。ただムッシュジェンタは20代で宝石商として修行を積み、時計デザインの道に歩みを進めているのだから、これは理にかなっていると思う。

GG PC gem-set watch

希少なスケルトンのミニッツリピーターパーペチュアルカレンダー。Image courtesy of Antiquorum.

Genta gem-set pieces

ジェムセットされたジェンタの作品。Images courtesy of  Christie's.

 率直に言って、ロット8は少し派手だ。ただ、デザイン自体には敬意を感じる。ジェムセットされた時計には見られないバランスがとれているように見える。本質的に時計の構成部品のひとつひとつがにぎやかであるので、推測ではデザインもにぎやかなのだろう。豪華で幻想的だが(ブルネイのスルタンのために作られたのだから)、アングルや線、装飾はすべてどこか完璧に調和している。MCエッシャー(M.C.Escher)のアートや、マルタン・マルジェラ(Martin Margiela)の1990年のデコンストラクションのように、盤面上いろいろなことが起きているのだが、時計を見つめていても目がチカチカすることはない。それどころかすべてのディテールにまで注目させ、研究して欲しいと目にする人を引き込ませる。立体的で、彫刻的で、ある種ちょっと狂気的だ。

GG octagonal pc

ロット8。Image courtesy of Christie's

GG PC Caseback

後ろから見ても迫力満点! Image courtesy of Christie's.

 これは35mm径の、18KYG製オクタゴンケースを採用し、ベゼルにはバゲットカットされたサファイアストーンを、八角形の隅にはダイヤモンドをセットしている。文字盤はマザー・オブ・パール製で、ブルーラピスラズリのディスク上に曜日、月、うるう年、日付、ムーンフェイズを組み合わせた、4つのインダイヤルを配している。同じく18KYG製のブレスレットには金無垢のバックルが付いており、3万7000ドル(日本円で約555万円)で落札された。

 もちろん、この時計がジェンタのデザインによるものだとすぐにわかった。形状、構成は間違いなくジェンタだ。しかし、ミニマリズムで尊敬されていた彼が、なぜこのような独特のきらびやかなジェムセットウォッチを作り続けたのか、真に理解する必要があった。ロイヤル オークやノーチラスをデザインした男は、その後どのようにして文字盤にディズニーのキャラクターをあしらったレトログラードウォッチを生み出したのだろうか? そして、ジェンタが自身のブランド以外のスイスブランドと契約した作品について、百科事典以上の知識があるにもかかわらず、これらの作品に関する情報がネット上にほとんどないのはなぜなのだろうかについても。

Disney Retro Fantasy

1990年代~2000年代前半の、レトロファンタジーモデルのさまざまな例。Images: (from left to right) courtesy of: Gérald Genta Heritage, Sotheby's and Christie's

 午後のあいだずっと、オンラインウォッチフォーラムを回遊したあと(これは私が絶望的な瞬間に陥ったときのためにする行動だと信じてもらえると思っているが)、私はすぐに情報源へと赴くことにした。なぜ延々とGoogle検索をしても結果が出ないのか、イヴリン・ジェンタ氏(故ジェラルド・ジェンタの妻でビジネスパートナー、およびジェラルド・ジェンタ ヘリテージの創設者)に話を聞いた。「ジェラルドがひとつひとつデザインをしていたので、これらの時計の多くは1点モノでした。私たちの工房では、ほとんどプロトタイプを製造していたのです」。彼女は、少量ながらもシリアルをつけて連続して腕時計を生産したが、「(そのほとんどは)1人の顧客を念頭に置いた、1点モノとして作られていました」と説明した。

 ジェンタは中東やアジアのスルタンや王族の顧客、つまり宝石や華やかな装飾を施した風変わりで華麗な作品を求める層を顧客にしていた。このカスタムビジネスモデルによって、ジェンタはスイスの大企業のためにデザインしていた保守的な美学から、超エキセントリックで贅沢な美術作品をしばしば応用して、転身することができたのだ。

GG clock

ジェンタがデザインした、非常に華やかな時計。

時計のスケッチ。

 もちろん、ひとりの人を相手とするビジネスモデルは工房の経営を困難にしたが、ジェンタ夫妻はそうしたいと望んでいた。「ひとつのモデルにこだわって開発を進めていれば、おそらくもっと進歩してさらに豊かになっていたでしょう。しかし、ジェラルドがひとつの時計をデザインして製作したときには、すでにそれに飽きて、次の時計へと移ってしまうのです」

 イヴリン・ジェンタ氏は素晴らしい女性だ。現在、駐英のモナコ大使を務める彼女は、完璧な外交フランス語を交えて軽快な英語を話す。スルタンの話やアジア旅行の話をして、遠く離れた異国の地への航海を切望させ、また亡き夫と交わしたパートナーシップを切望する話などを、卒なく語れるのだ。彼女の結婚指輪は八角形である。夫人が語る夫のエレガンスへのこだわりや、イタリアでオーダーメイドした美しいスーツやシャツ、どんなときでも毎日ネクタイを締めることへのこだわりなど、私はそのロマンスに夢中になって聞いた。そして、完璧に手入れされた彼の口ひげも忘れてはならない!

ミセス・ジェンタ。Image: Courtesy of Gérald Genta Heritage.

 ジェンタ夫人はビジネス面を切り盛りしていた。物流、工房、人間関係を管理していたのは彼女だったのだ。彼女は夫が考え、創造する自由を持つことを望んでいた。「彼が本当の自分でいられるのは、完璧な創造性を発揮できる自由と空間があってこそです」。娘のアレクシア・ジェンタ氏もまた、遺産管理業務に携わっている。私たちは彼女の母親の非常に素晴らしい魅力について語り合った。「母は父にとって、サンローランにとってのベルジェのような存在でした」と彼女は私に話す。私はそれを噛みしめるために少し間を置いた。その例えを聞いたとき、まるでサイレンの音を聞いたような気がした。私はジェンタ一家の、美しさに対する適性と評価、そして芸術家としての遺産を尊重し維持したいという願いに、すっかり魅了されてしまった。「時計職人や時計プロデューサーとは対照的に、彼はまずアーティストだったのです」とジェンタ夫人は語る。

Disney sketches

Images Courtesy of Sotheby's.

 ジェラルド・ジェンタは芸術家だった。彼の描いたデザインを見れば一目瞭然である(そのうち1000点は昨年、サザビーズでオークションにかけられた)。しかし興味深いのは、彼があらゆるデザインをそのスケールに合わせて描いていたことだ。「彼が亡くなったとき、私は時計職人のもとへデザインを持って行って、娘の誕生日にそれを作ってもらいました」とジェンタ夫人。「彼のデザインはとても正確だったのです。リューズを1mmにするならば、彼はそれを1mmで描いた。彼はそれぞれのデザインは実現可能だということを知っていたので、どのデザインも製造することができました」

Gerald Genta

Image: Courtesy of Gérald Genta Heritage.

Elephant clock

ジェンタがデザインした非常に華やかな時計。

 ジェンタのアーティストとしての活動範囲を考えると、彼のさまざまなキャリアのあいだには、明確なデザインの線引きがある。私は1990年代を彼のポストモダン期と考えたい。ポストモダンという言葉自体が文化的に両義的であるため、ここではポストモダンという言葉をあえて軽く使っている。しかしジェンタがスイスの伝統的なウォッチメイキングを異様に風変わりで、ときには派手で、ほぼ必ずと言っていいほど華美な外観に再パッケージしていたという意味ではポストモダンであった。機能に従う形式というモダニズムのマントラや、デザインにおける究極の“真理”を追求するという考え方はもうないのだ。

 ジェンタの“ポストモダニズム期”は、制約にとらわれないデザインであった。そうすることで、特にディズニーのキャラクターウォッチで、彼はオートオルロジュリーとポップカルチャーのあいだの時計学的境界線を狭めた。このブランドは、ディズニーのデザインを使用したことで1984年のモントレ・エ・ビジューフェアから追い出されたことで有名だが、ジェンタがそのような伝統的な業界の境界線に疑問を投げかけ、その境界線を押し広げようとした行動は、時計業界のセグメント全体を(再び)再調整させ、再定義するような形で物事を揺さぶったのだ。

 ジェンタが最初に製作したディズニーウォッチは、ジェンタのパーペチュアルカレンダーウォッチのコレクターであった、当時のディズニー会長兼CEOのマイケル・アイズナーによる特別注文品だった。アイズナーは年老いた母親のために、バンビの時計を作ってほしいと頼んだ。「そこには文字盤を見上げる小さなバンビがいて、分針には小さな蝶がいた。とてもかわいらしく、とてもロマンチックでした」とジェンタ夫人。それがきっかけとなり、ミッキーマウスをはじめとするディズニーキャラクターたちは、マザー・オブ・パールの文字盤の上にエナメルで手描きされ、ゴールドのオクタゴンケースのなかに入れられ、後の“レトロファンタジー”シリーズとして再び使用されることとなる。

Disney watches

Images (from left to right): Courtesy of Gérald Genta Heritage; Sotheby's. 

 ジェラルド・ジェンタブランドでは、レトログレード、グランソヌリ、パーペチュアルカレンダーといった少量のシリーズを生産したが、ブランドの大部分はコミッション制であった。ジェラルド・ジェンタで行っていたのは意図的な美的破壊ではなく、スイス大企業に支配されたデザインから解放され、自由になろうとする意志を表していた。ジェンタは奇抜でファンタジックな作品を楽しみ、宝石やコンプリケーションを使った作品を、(それを持つに足る)余裕のある顧客のためにデザインした。インターネット上のコメンテーターたちは、GG(ジェラルド・ジェンタ)ブランドを派手だとか、過剰にデザインされているとか一蹴するかもしれないが、優越コンプレックス(罪深い!)を持つ人々が何を信じて人生を過ごそうとも、センスは主観的なものなのだ。

Grande Sonnerie GG watch

グラン・ソヌリのモデル。Images: Courtesy of Gerald Genta Heritage.

Octagonal watches

1995年頃のジェラルド・ジェンタ サクセスと、同じく1995年頃のジェラルド・ジェンタ オクタゴン スケルトン ミニッツリピーティング パーペチュアルカレンダー。Images: Courtesy of Amsterdam Vintage Watches; Phillips. 

Retrograde

ダイヤモンドがセットされた1995年製のレトログラード。Image: courtesy of Christie's.

 ジェンタには、境界線から自由に抜け出そうという明確な意欲があった。ジェラルド・ジェンタブランドはオルタナティブなアプローチで、自発的で、何よりも美しくあるために作られたオブジェを中心としていた。多くの時計愛好家にとっては派手すぎるデザインだが、その大胆さと難解なスタイルは評価しやすい。これらの時計はほかのあらゆるものとはまったく異なり、この偉業は今日の時計業界では誰も達成することができない。

 ジェンタは自身の名を冠したブランドのもと、印象的な種類の時計をデザイン・製造していたが、1996年にアワーグラスがブランドの51%の株式を獲得した。その後、GGブランドは2000年にブルガリに買収されたが、さらに2011年にLVMHに買収された。そして2023年4月をもって、ジェラルド・ジェンタブランドはラ・ファブリク・デュ・タン ルイ・ヴィトンの傘下に入った(発表の全容はこちらから)。

 ジェンタ自身は、2000年にジェラルド・チャールズを新たに設立。この動きは最終的に、ジェラルド・ジェンタというブランドと、個人としてのジェラルド・ジェンタとのあいだに線が引かれたことを示す。

 クワイエット・ラグジュアリーは現在、私たちの物質的な消費習慣の余白を少しずつ蝕んでいるが、ブルネイのスルタンのために依頼されたこのカスタムピースを見つけられると、歓迎すべき休息のように感じた。誰もがほかの人と同じように見られたいと望む時計の世界において、これらの作品はある種のスリルを私に与え、私が“センスがいい”と考えていたすべてのことを再考させ、さらに従うべき絶対的な“真実”がないポストモダニズムのアプローチを評価させた。