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オーデマ ピゲにおけるコンプリケーション部門のトップは、長年にわたり業界で最も注目されているポジションのひとつである。前部門長であるマイケル・フリードマン(Michael Friedman)氏は、ケンドリック・ラマー(Kendrick Lamar)の歌に名前が登場するほどに知られる存在だった。2022年の末、コンプリケーション部門長の変更について業界ではひそかに話題となっていたが、今年2月にニューヨークのAPハウスで開催されたプレスイベントにアンヌ-ガエル・キネ(Anne-Gaëlle Quinet)氏がビデオ通話で参加し、新しいコンプリケーション部門の責任者として紹介されたときはとても驚いた。
オーデマ ピゲの“コンプリケーション部門長”の役割について、誤解している人もいるかもしれない。このあとのインタビューで私に語ってくれたように、彼女の役割は顧客とより深く交流を持つことでブランドのコンプリケーションに対する取り組みをアピールすることだ。また同時に研究開発部門と密接に連携するなかで彼らのプロジェクトに関する理解を深めつつ、顧客から得た重要なフィードバックを提供したりもする。オーデマ ピゲのヘリテージ&ミュージアム ディレクターであるセバスチャン・ヴィヴァス(Sebastian Vivas)氏や、APの研究開発部門長であるルーカス・ラギ(Lucas Raggi)氏といった彼女の同僚とともに、キネがRD#4 “ユニヴェルセル”を含む新作のすべてを見事に解説してくれたのは驚くべきことではない。彼らはともにAPの技術革新にまつわる難解な課題に取り組んできたのだ。そして、その技術革新がブランドの歴史とどのように結びついているのか、今後どのような展開が期待されるかについてを示してくれた。正直なところ、私はキネ氏がここまで重要なポジションに上り詰めたことを見逃していたのだが、彼女はすでにすっかりなじんでいるようだった。
Googleで検索してみたところ、どうやらキネ氏と私は初対面であるようだった。だが、2022年の12月にAPでの新しい役職が決まったときには、彼女は時計業界でもっとも認知度が高いふたつのブランドで20年以上の経験を積み、さまざまな役職を経験した後であり、APにもすでに1年以上在籍していた。そこで今回、どのような経緯でオーデマ ピゲの新しい職務に就いたのか、そしてそれに付随するあらゆることについて聞くために、あらためてビデオ会議でキネと対談した。このインタビューはイラリア・レスタ(Ilaria Resta)氏が新CEOとして発表されるかなり前に行われたものだが、APが目指す方向性について多くの洞察を与えてくれるものだ(そして、なぜレスタ氏がオーデマ ピゲにうってつけだったのかについても、ある程度は理解できるだろう)。
マーク・カウズラリッチ(Mark Kauzlarich、以下AK): あなたのウォッチメイキングにおけるバックグラウンドについて、少し教えてください。とても深いお話がありそうですね。
アンヌ-ガエル・キネ(Anne-Gaëlle Quinet、以下AGQ)氏: もちろんです。ええと……、まず、私はラ・ショー・ド・フォンで生まれました。この町については聞いたことがあると思いますが(笑)、とても時計産業が盛んな地域です。私はしばらくビエンヌで育てられたのち、両親の離婚を機に母とジュウ渓谷に移りました。ここで母は、ブレゲのマーケティングマネージャーとして長年働いていました。ここからが本当の意味で、母との物語の始まりでした。
時計業界に進むことを後押ししてくれたのは、彼女でした。10代のころ、私は自分が何をしたいのかまったくわかっていませんでした。当時、つまり90年代の終わりごろは時計職人になるなんて考えられないことだったんです。それでも彼女は、私をこの道に導いてくれました。そのことについて今では本当に感謝しています。
MK: オーデマ ピゲの“コンプリケーション部門長”は技術職ではなく、顧客と接する仕事であることを知らない人も多いと思います。ですが、あなたは技術的なバックグラウンドも持っているのですよね? 90年代に時計職人になるというのは、どのような経験だったのでしょうか? 業界にとっても当時珍しいことだったと思いますが、時計学校に入学する女性も少なかったのではないでしょうか?
AGQ: 登校初日は、ただただ母のことを思っていたのを覚えています。しかしまだ迷いもあり、その初日も「1週間だけいて辞めようかな」などと考えていました。時計職人用のベンチに座っていた女性がひとりだったことが、強く印象に残っています。しかし初めてムーブメントを分解し、組み立て、ヒゲゼンマイが動くのを見た瞬間、感動に包まれました。その日以来、私の時計に対する情熱は冷めることなく続いています。
学校ではヒゲゼンマイを中心に学んでいたので、卒業後はブレゲに就職し、トゥールビヨンを専門に扱いました。それが私のコンプリケーションにおける物語の原点です。トゥールビヨンは適切なヒゲゼンマイを作るために多くの演算処理が要求されるため、入社当時はヒゲゼンマイをひたすら作っていました。やがて私はブレゲを去り、2002年にパテック フィリップに採用されました。
MK: 私の記憶によると、パテックでは時計製造の仕事に携わったのちに、最終的にサポート業務に移られていたと思うのですが、合っていますか?
AGQ: アフターサービス部門で時計職人として働き始めましたが、送られてくる時計の問題を分析、診断する過程で時計製造について別の視点から見つめ直すことが要求されるため、非常に興味深くやりがいを感じていました。やがてジュネーブに移り、営業のテクニカルサポートを担当。そののちに、時計職人のトレーナーとしてパテックの多種多様なキャリバーについて指導を行っていました。このとき、私にとって非常に重要なコンプリケーションであるパーペチュアルカレンダーを初めて組み立てました。その後、グランドコンプリケーションモデルのセールストレーナーになり、販売員や顧客とコンプリケーションウォッチの話をすることに慣れていきました。
MK: 別のインタビューに、あなたがAPで働くことにとても魅力を感じていると書いてありました。ですが、パテックを21年勤め上げた現在でも、まるで家族の一員のように思っているのですね。過去と現在のつながりについてブランドが多くを語らない業界にあって、驚くほど正直な言葉だと思いました。
AGQ: 世界は狭いと言いますが、時計業界はさらに狭いと思っています。APは一流のブランドです。パテックを経験した後にコンプリケーションの仕事を続けるとして、AP以外のどこに行けばいいというのでしょうか? 私はこの業界のなかでも特に独創的なAPの創造性とダイナミズムを愛しています。しかし当然ながら、歴史のうえではパテックやヴァシュロン、APといった一流ブランドと、興味深い方法で製品を生み出しているF.P.ジュルヌなどの新興独立系時計メーカーとのあいだにもつながりがあります。競合するブランドとは考えていません。彼らは私たちや時計製造全体を盛り上げてくれる存在です。私たちは互いに刺激し合う関係なのです。
MK: APの創造性について言及しましたが、ひとつの会社に21年間勤務したうえで、この移行を決断した理由は何だったのでしょうか。
AGQ: 即座に思い浮かぶ言葉として、“クリエイティビティ”があります。
2008年に、私はAPに転職する寸前までいっていたのですが、結局うまくいきませんでした。自分の選択に躊躇し、迷っていたのです。しかし2年前に、「パテックで成長してきたが、これから必要なのは挑戦と自分をさらに押し上げてくれるブランドの存在だ」と、私は自分に言い聞かせました。それをイメージできるのはまさにAPだけでしたし、2年が経過した現在でも、ここでの経験からは大きな刺激と驚きを得ています。APが持つユニークなエネルギーに触発され、まるですでに20年分の経験を積んだかのような気すらしています。
顧客との距離感の近さには感銘を受けました。私の仕事は、顧客が私たちのコンプリケーションへの取り組みをよく理解してもらえるように、ブランドに顧客からのフィードバックを正しく伝えることです。これは顧客から一方的に話を聞くというだけではなく、お互い真剣に意見を交わす必要があるということでもあります。それがたとえ自分にとって専門外のことであっても、自分の考えを伝え、異なる意見を得ることができるのです。仮にコンプリケーションの分野でなくとも、製品全般について話すこともできます。ブランドの方向性について意見を交わすとき、皆が真剣に聞いてくれていると感じられますね。
MK: コンプリケーション部門長という肩書きは、人によっては混乱を招くと思います。なので、あなたの仕事内容について少しお話しをさせてください。研究開発部門の責任者としてルーカス・ラギ氏がいますが、私の認識では彼と一緒に仕事をしているものの、あなたは技術的にあまり手を動かさず、顧客と向き合っている時間のほうが長いように感じています。その内訳を話してもらえますか?
AGQ: 私の役割は、顧客にコンプリケーションについて訴求し、マーケットがそれらを見て理解できるようにサポートすることです。例えば、私は明日ル・ロックルで研究開発部門の全員と話をします。さまざまなムーブメントとその機能、製造方法、そして製品そのものに関わるすべての要素について話し合うつもりです。彼らの素晴らしいアイデアについて議論し、それに対して適切なフィードバックをすることは、私にとって非常にエキサイティングなことのひとつです。
そして、チームと会って製品について理解するのはもちろんですが、一緒に顧客と会って製品を販売するための手助けをしたり、マーケティングをサポートしたり、必要に応じてPRをしたり、各製品のローンチを手伝ったりもしています。まさに360°どの方向を見渡しても、コンプリケーションの世界が広がっている状態です。
ルーカスは研究開発部門なので顧客と接することはあまりありませんが、ユニヴェルセルのような重要なモデルを発表する際には、製品にまつわるさまざまな情報を取りまとめる役割も担ってくれています。私たちの仕事は密接に連携していて、彼が自分の仕事に対してとても情熱的なので、毎日一緒に働くのがとても楽しいです。また、ジュリオ・パピ(Giulio Papi)も、私たちのインベンションの大きな一翼を担ってくれています。
MK: ブランドは7年周期で製品サイクルを回していると聞いていますが、顧客からのフィードバックを受けたり、自分がAPに入社するずっと前のプロジェクトに意見を出したりするのは、どのような感覚なのでしょうか。また、あなたがブランドにもたらしたいと考えている展望のようなものはありますか?
AGQ: そうですね。私がハンドルを握ったのは、すでに列車が走っている最中のことでした(笑)。そのタイミングで本当にできるのは、見て、聞くことだけでしょう。私もそうでした。なので、“ユニヴェルセル”(RD#4)の発表を知ったときは、本当に興奮しました。まさに、21世紀のウルトラコンプリケーションといえる時計です。搭載されたコンプリケーションの数そのものについてではなく、顧客からの反応や真にユーザーフレンドリーである事実を評価しています。
おっしゃるとおり製品開発には5年から7年かかるので、私はまさにその初期に参加したことになります。ですが、プロダクトを眺めながら、自分の好きなもの、貢献したいことを考えている最中です。私たちが製造しているメカニズムは私のルーツともいえるものなので愛着があるのですが、同時に女性ならではの美観も取り入れたいと思っています。そのため、すでに研究開発部門には「もっと女性らしい美学のようなものが必要かもしれない」と話を始めています。女性も時計が好きですからね。
APでは、このテーマを非常に重要視しています。まもなくお目にかけることができるでしょう。私たちは女性をとても重要な顧客として位置づけていますし、より繊細で情緒的な方法で製品を開発していきたいと思っています。
MK: 女性らしさを追求した時計づくりというのは、サイズ感の問題なのでしょうか。もしくは、キャロリーナ・ブッチモデルのような美的感覚を指しているのでしょうか。また、それは顧客が求めているものなのか、自分の経験をブランドへのインプットとして反映したいということなのかでいうと、どちらでしょうか。
AGQ: もちろん、サイズはとても重要です。例えば、私は41mm径のロイヤル オーク パーペチュアルカレンダー(編集部注:ローズゴールドのケースにブルー文字盤)を着用していますが、本当に気に入っています。そしてもちろん41mm径でもいいとは思いますが、女性だけでなく男性も含め、誰にでもフィットするコンプリケーションを開発したいですね。先日、39mm径のパーペチュアルカレンダー(Cal.2120を搭載したロイヤル オーク)をつける機会があったのですが、私にとってこのサイズはまさに理想でした。
ですが、男性がよりメカニカルなデザインを求めていたとしても、女性は違う嗜好を持っているかもしれないというのがコンプリケーションの難しいところです。そのため、男女の好みに合わせて慎重にバランスを取る必要があります。
RD#3(超薄型のロイヤル オーク トゥールビヨン)を例に挙げてみましょう。この伝統的な複雑機構を、より小さな39mm寸法のケースに収めること自体がすでに挑戦でした。しかし私たちは研究開発を推し進め、さらに37mmまでサイズダウンする方法を見つけました。ですが、これは簡単なことではなかったのです。サイズを小さくすると必然的にケースは薄くなり、材料や構成部品を減らすことで時計が壊れやすくなるという問題に直面します。しかし少なくとも20m以上の防水性をすべての時計に要求する以上、信頼性や耐久性を放棄するわけにはいきませんでした。
MK: APが女性のためのデザインを考えるようになったという話は興味深いですね。時計製造の最上流に位置するブランドのなかでも、特にAPには女性が大きな影響を与える機会を得てきた確固たる歴史があります。この仕事に就くことを勧めてくれたあなたのお母さんは、今どのように思っているのでしょうか? そして、今あなたはAPにいますが、時計業界にいる女性としてだけではなく、何よりもまず時計職人として自立できる環境を育んでいるのはAPのどのような点だと思いますか?
AGQ: 母はとても誇りに思ってくれています。もうご存じでしょうが、母は私にとってもっとも大切な人であり、彼女の意見をとても大切にしています。パテックで過ごした20年間のなかで、「そろそろやめてしまおうか」と何度思ったことでしょうか。そのことを彼女に相談すると、そのたびに「いえいえ、愛しい娘よ。やめないで続けなさい」と、昇進や新たなチャンスはまた必ず訪れると言ってくれたのです。私は彼女のアドバイスは正しかったと思います。そして2年前、私がそろそろ違うことに挑戦したいと相談すると、母は「そうね、愛しい娘よ。行ってきなさい」と言ってくれました。今私はAPにいますが、母はとても喜んでくれていますし、私も同じ気持ちです。この移動は必然だったのです。
APは女性が重要なポジションに就けるという点で本当にパイオニア的な存在でした。ジャクリーヌ・ディミエ(Jacqueline Dimier。初代レディース ロイヤル オークのデザイナー)は、私にとって本当に偉大な存在です。オーバル型のケースに極薄のトゥールビヨンを搭載した彼女の設計は、信じられないものでした。私はマザー・オブ・パールを使ったこの時計が本当に大好きです。そして、私が入社して周囲を見渡したときに、実に多くの女性が活躍しているのがわかりました。チーフブランドオフィサーのオリヴィア・クルアン(Olivia Crouan)に、プロダクトディレクターのチャディ・ノウリ(Chadi Nouri)、そして忘れてはならないジャスミン・オーデマ(Jasmine Audemars)。オーデマ ピゲの前会長に女性が選ばれていたという事実は、私にとってインスピレーション源であり、原動力となっています。
そんな女性たちに囲まれているなんて、信じられないことです。そして、コンプリケーション部門のチーフになるということは私にとって最高の喜びです。私がいちばん好きなものは何かと聞かれたら、それは“人”だと答えるでしょう。私は顧客と話すこと、そしてコンプリケーションに対する情熱を共有することが大好きです。今は、その両方を叶えられているわけです。そして、私の置かれた立場が、ほかの女性たちにとって刺激や見本になるのなら、それはとても光栄なことです。私が伝えられるもっとも重要なメッセージは、自分の情熱に突き動かされ続けること。そうすればきっと、その情熱があなたを行きたいところへ連れて行ってくれるはずです。
このインタビューは、編集のうえで一部要約されています。