まだ手に入れていない時計のことを妄想するとき、私は独特な行為を晒すようだ。それはまるで報われない片思いをしたかのような、不本意で少し恥ずかしい行為だ。熱中し始めの時期はいつも同じだ。そのことについてずっと話していて、それと一緒にセルフィーを撮る。そしてこの新しいアイテムが世界に対する私の感じ方を根本的に変え、私という人間を向上させる力があるかのように(この場合、私という人間よりも私の見た目が重要なのだが、言いたいことはわかるだろうか)、ずっとそれを見つめているのだ。
時計を借りて、すぐに自分のものだと感じられることほどいい気分はないだろう(同じように悪い気分もない)。これは4万5000ドル(約630万円)の時計を買える人物に扮して、街中で身につけるということではない。この時計が自分のものであることを心の底から感じることだ。そしてこの時計をつけて鏡に映る自分を見つめ、この時計を中心にコーディネートを考え、レストランで腕を振り回し、「ねぇ、マティーニをもう一杯いただけないかしら」とドヤ顔でウェイターに呼びかけることなどだ。
そして、時計を返却するときに感じる大きな痛みが訪れる。そう、別れだ。
18Kイエローゴールドのブルガリ オクト フィニッシモを手放さないといけない(そもそも“所有”してさえなかったのだが)無様な現実に揺り戻されるのだ。たしかに、この行為は少し大げさだ。だが、毎日恋をしているわけではない。だから足がすくみそうになる時は、注意したほうがいいと思うことにしている。セロトニンは摂取できるときに摂取することが大切なのだ。
イエローゴールドのブルガリ オクト フィニッシモ オートマティックは、物理的な魅力を超えて強く印象に残った時計だ。なぜなら、それは私にとってより個人的な意味を持つものだったからだ。私が時計の世界に足を踏み入れたばかりの2019年に時を巻き戻してほしい。自分の専門分野を見つけつつあった私は、ほとんどすべてのプレシャスメタルの新作がローズゴールド、ピンクゴールド、レッドゴールドで生産されていることに気がついた。しかしイエローはそこになかった。
ファッションに携わる人間として、ファッショナブルな消費者が何を求めているかをきちんと理解していた私にはこの断絶が理解できなかった。私の周囲の人々はみんなイエローゴールドを欲しがっていたのに。スイスではどうなっているのだろう? なぜ(時計たちの)祖国ではローズゴールドに酔いしれているのだろう?
私はこの4年間、揺るぎない信念を持ち続けた。HODINKEE Magazine(米国版) Vol.Xで私はエッセイを書いた。もっとイエローゴールドの時計を発表して欲しいと、時計の神様に祈るような、悪態というか、祈りというか、そんな内容だ。そして特にイエローゴールドのオクト フィニッシモのリリースをお願いしたのだ。
超薄型のデザインは工業的な素材がもたらす独特の構造を備えていることは理解している。チタンとスティールの採用は最も理にかなっている。しかしブルガリがオクト フィニッシモをローズゴールドで作ることができるのならイエローゴールドで作れない理由はない。ブルガリがこれまで築いてきた歴史に乗っかってみてはどうだろう。ブルガリにおいて、50年代の栄光の時代にはイエローゴールド一辺倒だった。
そして今、ようやくそれが現実のものとなった。黄金のオクト フィニッシモの登場だ。魔法のランプを何度もこすると、あなたの願いも叶うかもしれない。50本の限定生産で北米でしか手に入らない。だが、ないよりはましだ。最近私は1週間、この時計を手首につけて過ごした。その感想をご紹介したい。
私が時計に夢中になる以前、ブルガリは世界で最も尊敬されるジュエラーのひとつであると認識していた。ブルガリといえば、『クレオパトラ(現代:Cleopatra)』の撮影現場でセルペンティに身を包んだエリザベス・テイラーや、彼女がリチャード・バートンから贈られた巨大なダイヤモンドとエメラルドのスーツを身にまとった姿が思い浮かぶ。ブルガリの1960年代のドルチェ・ヴィータ全盛期には、ソフィア・ローレンがカラフルな宝石でグラマラスな雰囲気を醸し出し、『カジノ(現代:Casino)』の撮影でシャロン・ストーンがカボションルビーとイエローゴールドのモネーテを身にまとっている姿が想起された。テクニカラーに彩られたハリウッドのファンタジーだ。
正直なところ、私はブルガリを今でもそのように見ている。しかし一方ではブルガリの本格的な時計製造の技術的成果も理解している。そして同じく印象的な高級時計製造のデザインも評価している。
ブルガリに入社して20年になるデザイナー、ファブリツィオ・ボナマッサ・スティリアーニ氏は、トゥボガスとセルペンティ(2009年までトゥボガスはブルガリ・ブルガリのダイヤルで作られていた)を融合させた立役者であり、時計としても機能する美しい単体のオブジェクトをデザインするには何が必要かを明確に理解する人物だ。
オクト フィニッシモは、トゥボガスやセルペンティと同じく彫刻のような美しさを持つ。しかしその曲線的な女性らしさとは異なり、そのラインは純粋に幾何学的である。この極薄のデザインはジェラルド・ジェンタのバイ レトロのデザインの影響を色濃く受けており、21世紀のアイコンとしてふさわしい名声を築いている。しかし実際の製品を文字どおり“アイコニック”と呼ぶのは、まったく別の話だ。
ボナマッサ・スティリアーニ氏は、シェイプや幾何学的な要素を操るというブルガリのデザインの真髄をうまく表現している。一方でオクト フィニッシモは非常に大胆で、時にアグレッシブな印象を与える時計でもある。しかしそのマジックは極薄の横顔、超スマートな直線美、そして超エレガントなイタリアのオーラによるものだ。
この時計をよく見てみると、ほとんどすべての部品が極薄設計となっている。直径は40mmだが、厚みはわずか6.40mmだ。アワーマーカーやスケルトン針、そしてブレスレットのリンクに至るまで。すべての要素が共通して、薄さをメッセージとして伝えているのである。
モノクロ調のオクト フィニッシモの先代モデルとは異なり、このモデルはケースとブレスレットと異なる色のダイヤルを備えている。当初、私はこのブラウンダイヤルに違和感を覚えたものだ。夢のイエローゴールドの時計になぜこんなことをしたのだろう? と。結局ブルガリはローズゴールドをカラーバリエーションのひとつとして確保するためだけに残した。しかしこのブラウンダイヤルは、実際に手に取るとまた違った印象を受ける。サンレイ仕上げ、ブラウンラッカー仕上げのダイヤルは、私が“メタリックチョコレートシガー”と勝手に呼んでいるように深く、暖かく、そしてこの言葉を使うのは躊躇われるが、悩ましいほどに適切だろう。“Yummy(おいしい)”。
超薄型時計には当然、超薄型ムーブメントが必要で、それはブルガリのお家芸となっている。ブルガリは2014年以降、“最薄の機械式時計”のカテゴリーで何度も記録を更新している。フライングトゥールビヨンからミニッツリピーター、自動巻きムーブメントまで、オクト フィニッシモは時計業界が“スキニーレジェンド”の美学を追求するうえで非常に重要な役割を担っているといえる。
イエローゴールドのオクト フィニッシモ オートマティックはプラチナ製マイクロローターとスモールセコンド表示を備えた自動巻きムーブメント、Cal.BVL138を搭載する。厚さ2.23mm、直径36.6mmで、60時間のパワーリザーブを備えるムーブメントだ。
腕時計を楽しむ女性にとって、見た目の美しさと機械的な信頼性のどちらを選ぶかは、しばしば悩みの種になる。しかし、この時計はその両方の要素を兼ね備えている。この点において、ボナマッサ・スティリアーニ氏がイエローゴールドをデザインに取り入れた時計は実に巧妙だ。セルペンティの曲線が描くグラマラスでセクシーなムードと、オクト フィニッシモが達成したシリアスな時計製造の力強さが交差する地点に今作を位置付けることに成功したからだ。
競合モデル
クラシックでジェンダーレスなデザインのこの時計は過度に大きくなく、男性的な存在感を主張しすぎていることもない。私が憧れる1970年代のシャーロット・ランプリングの分身ともいえる時計だ。
サントスの特徴は、スクエアなフォルムとベゼルに露出した8本のネジだ。この幾何学的なデザインは1900年代初頭のパリ建築の洗練美とシンメトリーをイメージしたものである。なんともヨーロッパ的な造形だ! 2019年に登場したサントス ドゥ カルティエはローマ数字とレイルウェイミニッツトラックが描かれたシルバーのオパーリンダイヤル、カルティエらしいクラシックなブルースティールの剣型針、ファセットサファイアをセットした7角形のリューズが特徴だ。
モダンなサントスはカルティエの現行カタログのなかで最も成功したデザインのひとつとして盤石な地位を築いた。オクト フィニッシモよりも着けこなしやすく、468万6000円(税込)と予算面でもやや射程圏内に入るのが本モデルだ。とはいえ金無垢の時計を狙うのであれば、予算の話題は恣意的なものかもしれないが。
私が辛抱強く待ち望んでいたゴールドの時計がまたひとつ登場した。41mmのイエローゴールドのアルパイン イーグルは、私の好みからすると少し大きすぎる点が惜しい! オクト フィニッシモが40mmなのは知っているが、両者はまったく違う着け心地だ。ショパールは伝統的なスポーツウォッチで、ブルガリは基本的に身につけられる彫刻のようなものだ。アルパイン イーグルはブレスレットのような質感はない。ただ、大きな時計という印象だ。
しかしそれにしても格好いい時計だ。サテン仕上げのベゼルには面取りが施され、トノー型ケース(厚さ9.7mm)の上にネジで固定されているため、100mの防水性を確保している。コンパスローズ(羅針盤)をモチーフにしたサイン入りのリューズは3時位置のポリッシュ仕上げのリューズガード(9時位置にも付いている)のあいだに収まっている。
テーパーの効いたブレスレットの表面はほぼサテン仕上げで、ポリッシュ仕上げのセンターリンクと相まってしなやかで美しい仕上がりだ。しかし、このモデルがほかのライバルと一線を画している点は、深い稜線と催眠術に誘うような渦巻き模様が施されたダイヤルにある。同じ並びにパテック フィリップのノーチラスを加えるのも一興だ。オーデマ ピゲのロイヤルオークや、あるいはロレックスのヴィンテージ チェリーニ キングマイダスも。しかし私の目には、同じようにジュエリーで有名なブランドの時計が三つ巴の戦いを繰り広げているように映る。
最終的な考え
率直な感想を言おう。この時計の存在を望んでいたのと同じくらい、この時計はブレスレットを腕につけているような気分になる。ティファニーやエルサ・ペレッティのボーンカフやヴェルデュラ(Verdura)のマルタ十字カフを身につけるのと同じような感覚を覚えるのだ。
ワンダーウーマンが超人的な力を発揮している姿、サンローランが所有するマラケシュの別荘のオアシスでくつろぐルー・ドゥ・ラ・ファレーズ、アンディ・ウォーホルとスタジオ54に入るグレース・ジョーンズ、ハルストンの71年秋冬コレクションのモデルで彼女の名を冠したカフスを身につけたエルサ・ペレッティなど、オクト フィニッシモは彼らと自分の姿を重ね合わせてくれる。
つまりドレスアップしたファンタジーを楽しませてくれる存在だ。しかもそれが本格的なムーブメントを搭載した本物の時計であるという、強力なボーナスがついてくるのだ。
それでも何もかも手に入れるのは贅沢だと言うのだろうか?