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In-Depth 腕時計の動力・ゼンマイについての考察

時計の製造に欠かせないが、正当に評価されていない部品の1つ。

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時計や時計づくり自体に魅了されてから30年ほどになるが、その間ずっと、ゼンマイに関心を払ったことはなかった。これは大きな欠陥である。ゼンマイなしには時計は存在せず、時計の製造もありえないからだ。 

 ゼンマイは必須であるにもかかわらず、時計に興味を持つ人のほとんどすべてにとって、おそらく時計で最も艶のない部品だろう。時計に関する欲求を抑えてくれる特効薬のようだ。人は様々なものに興味を持つ。ダイヤルのレタリングのわずかな差異にはまったり、エスケープメントにいつまでも魅了されたり、多様な複雑機構がどのように作動するかを理解する知的な難題を愛してやまなかったりするのだ。どんな時計愛好家にとっても、時計に関する興味のリストでゼンマイはおそらく最後にあると思われるが、ゼンマイなしには我々が愛する時計はすべて存在しないと言ってもいいくらいだ(G-SHOCKのコレクターは対象外)。

時計のゼンマイ。ディオニシウス・ラードナー(Dionysus Lardner)による挿絵、『Handbook of Natural Philosophy』、1858年。

 私がゼンマイに興味を持ったのは、最近物事を考える余裕があり、ちょうどスティールについて考えていたからだ。上の息子との一連の長い会話がきっかけだった。古代ギリシャ、ローマ、中国や他のところでなぜ産業革命が起きなかったかについてである。ジャレド・ダイヤモンド(Jared Diamond)が『Guns, Germs, and Steel』の中で指摘したのは有名だが、とても多くの要因が適切に重なることで産業革命は起きる。基礎科学における発展から数学の発達、社会のある程度の不安定、他の様々な発見に至るまで、これらすべてが互いに関連して起きる必要があるのだ(例えば古代ギリシャには、おそらく初歩的な蒸気機関があったことだろう。そして、歯車装置や複素数学についての理解があった。しかし、扱いやすい数学用の道具の不足や、質の高い金属合金を大量に生産する能力の欠如などが理由で、プラトンは線路を走るアテネ発スパルタ行きの特急蒸気機関車に乗車することはなかった)。スティールを大量生産する能力は、必須要素の一つだ。あらゆる形態の産業に、そしてもちろん、時計製造にもである。

 スティール自体は古代から知られていた。ローマ人は剣に用いた。中国では紀元前400年に高品質の鋼が作られていた。後に、インドや日本など、世界の様々な場所が中世までに製鋼で名を馳せた。しかし、これらの製鋼方法の顕著な特徴は、基礎化学冶金学の理解ではなく、注意深く伝承された経験則に頼っていたことだ。人類の歴史のほとんどにおいて、製鋼は小量の職人工程であって、高度に発達した産業といえるものではなかった。

 予測可能な特性を持つ鉄や、後に鋼の大量生産は、ヨーロッパで起きた産業革命に不可欠であった。これらの技術発展は歴史上、比較的かなり遅くに起きた。この移行は19世紀にわたって起きた。同世紀では、鋳鉄や錬鉄を作ったり比較的小量の鋼を作ったりする段階から、実に凄まじい量の様々な等級の鉄や高品質の鋼を産業用に生産できるようになった(SSは最後に加わった仲間である。しかし1908年までには、重量が300トンを超えるSS製のヨットが建造されていた)。 

大英博物館にある天文時計の鉄のムーブメント。プラハで製造され、1525年頃に完成。ゼンマイの香箱(上方の後方)とフュージ(左)、バージ脱進機の冠歯車(中央)が見える。

 この全てが時計製造に関連している理由は、携帯できる計時装置の製造に螺旋状のスティールスプリングが欠かすことができなかったからである。
 ヨーロッパで最も初期とされる時計は、ゼンマイ駆動ではなかった。代わりに、重しによって駆動していた。滑車に巻きつけられたロープの先端に何か重いものを置き、重力が重しを下向きに引くときに、重しの垂直方向の動きが回転トルクに変換され、輪列の駆動に用いることができた。このアイデアはとてもシンプルなので、古代に誰も思いつかなかったのが不思議に思えるかもしれない。結局のところ、アンティキティラ島の機械のようなものを作ることができた人々は、考えることの苦手な人たちではなかった。それでも我々の知る限り、出力機構としての下がる重しを機械式エスケープメントと組み合わせることは、早くとも12世紀まで起きることはなかった。 

重しで駆動する、17世紀の時計のメカニズム。バージ脱進機付き。バージ冠歯車が上方の中央に見える。ウィキペディアの画像。

 時計の駆動にコイルバネを使うことを初めに思いついたのが誰かは決して分からないだろう。渦巻きバネは、時計に使われる前に発明されていた。錠前屋が初めに使ったのかもしれない。彼らにとって、頑丈で信頼できる錠前の構築にバネは不可欠だった(別種の鋼のバネは、初期の時計製造にはもちろん、錠前作りや銃器の開発にも用いられた)。
 バネ仕掛けの時計で現存する最も古いものは、ニュルンベルのゲルマン国立博物館にある。1430年にブルゴーニュ公フィリップ3世に与えられたものだ。これは極めて複雑なものであり、先行品があるに違いない。とはいえ、ゼンマイの起源は不明のままである可能性が高い(メトロポリタン美術館で長年にわたって時計のコレクションのキュレーションを行ったクレア・ヴィンセント(Claire Vincent)は、『European Clocks and Watches In The Metropolitan Museum of Art』の中で、この技術の発祥の地はおそらく北イタリアだろうと述べている)。

時計のゼンマイの製作技術は、

あらゆる操作機構の中でも、

鋼の特性に関する物理的知識を

最も豊かに提供するものでしょう。

– – ウィリアム・ブレイキー(WILLIAM BLAKEY)、『THE ART OF MAKING WATCH SPRINGS』、1780年

 時計はもちろんのこと、何かを鋼のバネで駆動させるのに伴う問題は、非常に特殊な特性を鋼に持たせなければならないことである。弾性がありながらも頑丈であり、金属疲労で破断することなく無数の周期に耐える必要があるのだ。(壊れたゼンマイは、単に不都合であるだけではない。バネのポテンシャルエネルギーのほとんどが輪列に直接また急激に伝達される場合もあり、機構を大きく損傷したり破壊したりすることになる)鋼の硬度や弾性は化学的構造の微小な差異に大きく依存している。合金鋼も最終特性については、取り扱い方の影響をかなり受けやすい。 

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 鋼の単純な定義は、鉄と炭素の合金である。炭素は、含有率が最も低いものでは0.002%、最も高いものでは約2.14%(炭素と鉄の単純な合金の場合)である。これを上回ると、銑鉄(これは錬鉄にしたり精錬後に鋳鉄として使ったりすることができる)になる。これを下回ると、ほとんど純粋な鉄になるが、柔らかく可鍛性が高すぎて有用ではない。この範囲内で、様々な特性を持った鋼を生産できるのだ。同一の工芸品であっても、多くの結晶や化学的特性を用いた鋼の物体を作り出せる。例えば、日本や他の場所の刀鍛冶は幾世紀にもわたり、刃の至る部分で全く異なる冶金学的性質を持つ作品を生み出してきた。

伝統的な製鋼:正宗による短刀、12世紀。波のような刃文、またはテンパーラインは、刃本体の柔らかい鋼と、刃先を形成する硬い鋼との境を示している。  ウィキペディアの画像。

 ゼンマイも基本的には刃である。とても薄く柔らかい鋼であり、ゼンマイの香箱に渦巻き状に収められている。一般的に、バネの内端は主軸(時計を巻くとスティールロッドの周りに渦巻き状になる)に取り付けられており、外端は香箱に取り付けられている。時計を巻くと、主軸はリューズで回転するが、時計が動いているときにクリック(基本的には歯止めの一種)と時計職人が呼ぶ定位置にある。リューズではなく香箱が回転することで、香箱の歯車の歯は時計の次の歯車のピニオンとかみ合うことになる。 

典型的な時計の輪列。左にゼンマイの香箱(一番車)があり、中央の二番車、三番車、四番車、ガンギ車につながり、最後にレバーがある(輪列を見やすくするためテンプは示していない)。

 次の歯車は、ムーブメントに繋がる二番車である。古典的な時計では、二番車は1時間かけて一回転する。輪列の各車は、すぐ前の車よりも速く回転する。それで、四番車(ガンギ車の前)では回転が1分につき一回となる。伝統的なレイアウトの時計では、四番車の旋回軸の上に秒針を置くことにより、サブダイヤルで秒を表示している。輪列の両極端に渦巻きバネがあるのは、機械式時計の興味深い特徴である。一方には動力のためのゼンマイ、他方にはテンプの動きを調整するためのヒゲゼンマイがあるのだ。 

ブルゴーニュ公フィリップ3世のために作られた時計、1430年。バネ仕掛けの時計で現存する最も古いもの。

 最初のゼンマイの開発には、どれほどの創意工夫と粘り強さが必要だったのだろう。ゼンマイについて考えることは最近ではほとんどない。しかし、ある程度均一の品質でゼンマイを大量に作るのは、時計製造の歴史のほとんどにおいて芸術そのものであり、高度に専門化されたものであった。時計製造が、ほぼその初めから区分化されていた度合いにいささか当惑するのもっともなことだ。しかし、ゼンマイ作りから判断できるとすれば、後から考えるとこれは当然のことである。時計製造は数多くの専門性をまたいだ職人の協力によるものなのだ。 

 ゼンマイの製造は高品質の鋼を用いて始まった。原料は鉄鉱石であり、その品質は著しく異なる場合もあった。それでも、骨の折れる数多くの手間が掛けられて完成品が生み出された。18世紀の時計のゼンマイは、何日にもわたる入念な労働の成果であった。ゼンマイは見るからに単純なため、専門家が作る理由を今日の時計愛好家は理解しにくい。しかし、とても柔軟で弾性のある鋼を使って、わずか数センチの香箱に渦巻き状に収められる薄い刃を、手作業の技のみで作ることがどれほど困難なものかを考えて欲しい。なぜ時計製造業者が、自ら作ろうとする代わりに注文に出したかがよく分かる。

 この工程は、『L’Art de Faire les Ressorts de Montres(時計のバネ製造の技)』と題する18世紀の本に詳述されている。この論説は、イギリスとオランダ両国で働いたイギリス人、ウィリアム・ブレイキーが書いたものである。アムステルダムで1780年にマルク=ミシェル・レイからフランス語で出版された。我々の多くと同じように、あなたもゼンマイ作りを時計製造のつまらなくて面白味のない一面と、即座に払いのけるかもしれない。リチャード・ワトキンズ(Richard Watkins)が最近英語に翻訳しており、驚くべき事実を学ぶことができた。

ドイツの初期(遅くとも16世紀半ば)のバネ仕掛けの携帯できる時計、41mm x 64mm、メトロポリタン美術館。このような携帯できる時計は15世紀半ばまでには誕生していたと考えられている。

鉄と金銅のムーブメント。ゼンマイの香箱が下方の左にあり、フュジーが巻かれたコーンがその右にある。時計は当時としては極めて小さい。高さのほとんどはフュジーコーンによるものであり、直径は現代の腕時計よりも小さい。

 ブレイキーは論説の始めに基本的な問題をこのように説明している。
「時計のゼンマイの製作技術は、あらゆる操作機構の中でも、鋼の特性に関する物理的知識を最も豊かに提供するものでしょう。この仕事で芸術家は、鉄を鋼に変える特質をまず知ることができます。硬度、可鍛性、弾性など、この金属の様々な特性をよく認識できるのです。考えてみてください。通常の時計のゼンマイは小さく薄い刃で、長さが12〜22インチです。曲げることで弾力が生じ、テンプを30時間に54万回振動できます」

 そのようなゼンマイを手作業で作るのは、控えめに言っても、言うは易く行なうは難しである。ブレイキーの論説には、ゼンマイ作りに関する合計69の個別のセクションがあり、幾つもの作業が詳述されている。どの種類の鋼を使うか(彼はイギリス製が最高で、ダンジグから送られるドイツ製がほとんど同等の2位だと感じた)はもちろん、鋼をワイヤーに打ち延ばす方法、そして特別なヤスリがけの工作機を使ってゼンマイに端から端まで見事なテーパーを施すことを含めた他の多くの段階も扱っている。すべてが順調に行ったなら、精密に構築されて出来上がったばねは、ゼンマイの香箱の中で渦巻きが互いにぶつかることなく巻き戻っていく。フュージと関連させて使えば、30時間駆動する。ブレイキーはこの技を父親から学んだ。父親はゼンマイ製造における多くの発明や改善の貢献者で、その作品は18世紀後半のゼンマイ製造の至適基準を正当に代表するものであるようだ。彼によると、優れたゼンマイを作るのはとても難しかったため、時計製造業者は良質の品に対して大金をサプライヤーに提供した。例えば、父親の時代についてブレイキーはこう述べている。「... パリの時計製造業者は通常、ばねをジュネーブから調達しましたが、イギリスから調達したばねにはその3倍から4倍の額を支払いました」

ゼンマイを手作業で成形。リチャード・ワトキンズが翻訳した『時計のばね製造の技』の描写。

 良い品質管理基準で鋼を大量に生産するのは、産業としての時計製造全般に、とりわけゼンマイの大量生産に必要であったことは明らかである。しかし、ブレイキーがこの論説を書いてほとんど100年が経ってからしか、これは実現しなかった。その頃までには、産業としての時計製造を可能にする他の幾多の発明があった。それには、最初の実用的な真のフライス盤が含まれる。それにより、工場は交換可能な部品を大量に生産できた。産業用に大量に鋼を製造する最初の安価な方法は、ベッセマー製鋼法だった。融鉄に圧力をかけて空気を吹きつけ、不純物を焼き払う製造法である。発明者のヘンリー・ベッセマー(Henry Bessemer)は、彼の名を冠する製造法を1855年にイギリスのシェフィールドにある自らの製鋼所で用い始めた。翌年、彼はこの製造法の特許を取得する。ベッセマー転炉はとても有用であったため、最後の炉は1960年代まで使われ続けた。 

米国オハイオ州ヤングストンで使われていたベッセマー転炉、1941年。ウィキペディアの画像。

 当時、炭素鋼のゼンマイは冶金学の奇跡であったが、最良のものでも欠陥があった。破損に加え、最大の問題は経年による弾性低下だった。時計の駆動中にゼンマイは弱くなり、パワーリザーブ全般およびテンプの振幅の両方に悪影響を及ぼした。そうなると、唯一のオプションは交換であった。第二次世界大戦後、炭素鋼のゼンマイは、冶金学的により複雑でより洗練された合金に徐々に取って代わられた。それらの合金は、それほど「へたり」(弾性の低下)の問題がなく、破断することもなかった。今日、ゼンマイ作りは、20世紀以前よりもさらに専門化が進んだ労働と言えるかもしれない。製造には絶対的な一貫性が必要なため、仕事のほとんどは現在では自動化されている。しかしながら、興味の度合いが下がったわけではなく、工程は想像よりもはるかに複雑である。

ブルガリ オクト フィニッシモ スケルトン パワーリザーブ。上方の左には、見通せる香箱があり、内部にゼンマイが見える。

 そのような近代的なゼンマイ合金の1つが、ニヴァロックスの製造したニヴァフレックスであり、極めて複雑な材質である。近代的なゼンマイに関する記事の中で、ギルバート・ブルーナー氏(Gisbert Brunner)はこのように述べている。「重量でいえば、ニヴァフレックスの45%はコバルト、21%はニッケル、18%はクロム、5%は鉄、4%はタングステン、4%はモリブデン、1%はチタン、0.25%はベリリウムで成っています。炭素はこの合金の重量の0.1%未満です。合金におけるベリリウムの比率を増やすと、強度や硬度が増します。これは小型化の重要な要素です」

A.ランゲ&ゾーネ ランゲ31の31日間仕様のムーブメント。ゼンマイの香箱がムーブメントのスペースのほとんどを占める。テンプに隣接するルモントワールによって、動力伝達が一貫したレベルに維持される。 

 往年のゼンマイは手作りで、青い炭素鋼が用いられていた。何という違いだろう、別の近代的なスプロン510というゼンマイ合金はセイコーインスツル株式会社(SII)が製造し使用している。スプロン510は、コバルト、ニッケル、モリブデンと他の成分の合金である。ニヴァフレックスと同様、破断および歪みに起因する疲労に高い耐性を持つ。非磁性であり、時計の作動時に動力を均等に伝達する。近代的なゼンマイ合金は、輪列の他の部品の現代的で精緻な製作と相まって、腕時計のパワーリザーブをより長くすることを可能にした。例えば、2007年に発売されたランゲ31は、2つの極めて長い(185cmの)ゼンマイによって、駆動時間が丸1ヵ月である。ランゲ31と同じドイツの時計に、本記事で紹介した16世紀の携帯できる時計があり、両者を比較するのは興味深い。サイズは同じくらいだが、16世紀の時計(確かに小さいので腕時計と呼んでも良いかもしれない)はおそらく最長でも1日駆動するばかりなのだ。

 冒頭で、ゼンマイなしには時計製造はないと述べた。携帯できる機械式時計にゼンマイは不可欠なので、次の疑問が生じる。初めの腕時計はいつ出来たのだろう? ゼンマイの起源と同じように、この答えがはっきりすることはないだろう。あまりに長い時間が過ぎ去ってしまった。15世紀には、記録はあってもムラがあった。いずれにせよ、携帯できる小型の時計と腕時計との明確な区別はつけ難い。時計学者ケネス・アリエット(Kenneth Ulyett)がレバーエスケープメントの起源について述べたように、その区別がついたなら、「... 多くの時計学者は互いに議論する喜びを奪われるでしょう」

 ゼンマイの技術は、機械式時計の他の多くの面と同じく、発展を続けている。しかし、改善は漸進的なものであり、革新的なものではない。最近のゼンマイ作りは、近代的な時計製造に必要とされる緻密さ、また使用される合金や冶金の複雑さが理由で、そのほとんどが自動化されている。しかし時折、より劇的な発展が可能かもしれないという兆候がある。

2012年のカルティエ ID TWOの4つの香箱(香箱が、2つに積み重ねられて、並んで配置されている)。 

 2000年代半ばの一時期、カルティエは実験的なムーブメント技術に多額の投資を行った。そして、その最も壮観なコンセプトウォッチがID ONEとID TWOであった。ID TWOにはゼンマイの香箱が4つあり、ゼンマイの材質は極めて珍しいものだった。炭素鋼やハイテク合金を使う代わりに、ID TWOはグラスファイバーのバネを使った。そして、時計づくりにおける他の多くの技術革新と組み合わせることで、32日間のパワーリザーブをもたらしたのだ。残念なことに、先端的な時計製造を知的エンターテインメントの一形態として捉えるファンにとっては、カルティエが技術を追求しないと決めたように思えた。しかしそれは、現代の時計製造における魅力的な仮説であり続けている(詳しくは、ベン・クライマー(Ben Clymer)による2012年のIn-Depth記事をお読みいただきたい)。

 近代的なゼンマイの複雑さは、師が徒弟に(またはウィリアム・ブレイキーの場合のように、父が息子に)伝えた知識に基づいて仕事をした、過去の職人の技をなおのこと称賛する理由となっている。ゼンマイ作りに必要な技術は、品質が定かでない粗鋼のワイヤーから始まり、学ぶのに多くの年月を要した。熟達するにはさらに多くの年月を要し、ゼンマイ作りを優れた工芸の域に高めた。
 これらの技や方法は、ほとんどが失われている。時計製造の歴史全体のように、ゼンマイ作りの歴史は、材料科学の発展とオートメーションの歴史にほかならない。ゼンマイの働きは、ほとんど見えず、考慮されず、宣伝すらされない。しかし、熟考するなら、その発展は時計製造の過去、現在、未来を体現しているのだ。

注記および参考文献:

時計に関するワトキンズの他の文章や翻訳はこちらにあります。近代のゼンマイ理論についての優れた入門編として、2015年にWatchtimeに掲載されたギルバート・ブルーナーの記事はこちらから読むことができます。最後に、近代のゼンマイ製造業者の内状について、The Naked Watchmakerに掲載された「Making Mainsprings At Générale Ressorts"」と題するピーター・スピーク=マリンによる記事を読むことができます。大見出しの画像は、スプロン510のテンプバネ、ゼンマイの香箱、テンプ、ガンギ車と他の部品。スプロン510の技術的な詳細については、オンラインでSIIをご覧ください。