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中国(深セン)ウォッチウィークは、中国時計産業を代表する年に一度のイベントです。ブランドだけでなく、独立時計師やサプライヤーまでが集結し、「世界の工場」と呼ばれてきた中国時計製造の現在地を知ることができます。
中国の時計ブランドをこれほど一度に見られる機会は、世界を見渡しても決して多くありません。スイスにはWatches & WondersやGeneva Watch Daysがあり、日本にも各ブランドの新作発表会や時計フェア、Tokyo Watch Weekなどがあります。しかし、中国ブランドだけをこれほど大規模に集めたイベントとなると話は別です。近年はBEHRENSやCIGA Design、Fam al Hutなど、中国発のブランドが国際的な時計賞で存在感を示し始めていますが、日本でそれらをまとめて実機に触れられる機会はありません。
だからこそ今回、中国(深セン)ウォッチウィークへ招待されたとき、僕は純粋に「いま中国の時計製造では何が起きているのか」を自分の目で確かめたいと思いました。もちろん、中国製の時計そのものは珍しい存在ではありません。現在ではスイスブランドを含め、多くの時計ブランドが中国製のケースや文字盤、ブレスレット、針、さらにはムーブメントの各種部品や製造技術に支えられています。時計業界で仕事をしていると、中国のサプライチェーンなしでは現在の時計産業は成立しないことを実感する場面が少なくありません。
しかし、その一方で「中国ブランド」と聞いたとき、多くの時計愛好家が思い浮かべるイメージはどうでしょうか。「安価な時計」「コピー品」。そんな印象を持つ人も、まだ少なくないはずです。
僕自身も、中国の製造技術の高さは理解していたものの、中国ブランドそのものについては「優れた製造業」という印象が先行していました。もちろんBEHRENSやCIGA Designのようなブランドは以前から知っていましたし、GPHGでも中国ブランドの躍進を目にしてきました。しかし、それでも中国時計製造全体がどのような方向へ進もうとしているのかを肌で感じる機会はこれまでありませんでした。
だから今回の取材は、展示会を見に行くというよりも、自分自身が抱いていた中国時計製造への先入観を確かめる旅でもありました。
中国(深セン)ウォッチウィークとは
会場は、深セン福田会展中心という大規模公共施設。
広大な会場にさまざまな展示ブースが集まる。
中国(深セン)ウォッチウィークは、30年以上の歴史を持つ「China Watch & Clock Fair」を前身とする、中国最大級の時計イベントです。今年は6月26日から29日まで深圳福田会展中心で開催され、31回目を迎えました。
長年、中国の時計産業を支えてきた展示会ですが、コロナ禍を経て名称とコンセプトを刷新。従来の見本市という枠組みから一歩踏み出し、展示会に加えてフォーラムやブランドイベント、ビジネスマッチングなどを展開する「業界向けウィーク」へと生まれ変わりました。
発光カーボンファイバーケースを紹介する展示。
タイムグラファーなど時計の試験に使用する機器のサプライヤーによる展示。
イベントのPR・メディア窓口を務めるJerry(朱梓镕/シュ・ズーロン)氏に「他の時計見本市と何が違うのか」と尋ねると、返ってきたのは「展示会ではなく、プラットフォーム」という言葉でした。
深センにはブランドだけでなく、ムーブメントメーカーや部品サプライヤー、独立時計師まで、時計づくりに関わるあらゆる人が集まっています。この街だからこそ、未来の時計産業について国や立場を超えて議論できる場所をつくりたいのです。
– Jerry(朱梓镕/シュ・ズーロン)氏実際に会場を歩いてみると、その言葉どおり。展示されていたのは、機械式時計の新作だけではありません。ケースや針、文字盤といった部品メーカーをはじめ、高精度CNC加工機、新素材、スマートウェアラブル、さらにはAIを活用したヘルスケアデバイスまで、時計産業を取り巻くさまざまな技術や企業が一堂に会していました。
ムーブメントのサプライヤーもいくつも出展していた。
針のサプライヤーまで時計にまつわるものなら何でも見つけられそうだ。
日本やスイスの時計見本市がブランドや新作時計を中心に構成されているのに対し、中国(深セン)ウォッチウィークは、製造から設計、素材、テクノロジーまでを含めた"時計産業そのもの"を見せるイベントです。世界最大級の時計サプライチェーンを抱える深センだからこそ実現できる展示会だと感じました。
また、会場には中国ブランドだけでなく、Jacob & Co.のような海外ブランドの姿も。中国市場を見据える海外ブランドと、世界へ挑戦しようとする中国ブランド。その両者が同じ空間で交わる光景は、中国(深セン)ウォッチウィークが単なる国内見本市ではなく、国際的な交流の場へと変化しつつあることを象徴しているようでした。
招待客限定エリア「WATCH PLAZA」
もっとも、今回の中国取材は、当初から中国(深セン)ウォッチウィークを目的にしていたわけではなく、本来の目的は、GPHGでAudacity賞を受賞したFam al Hutの工房を訪ねることでした。創業者から直接声を掛けてもらい、江蘇省・太倉市にある工房で、ブランドの設計や製造の現場を取材する予定だったのです。ところが彼らは、こんなことを言いました「この時期に中国へ来るなら、中国(深セン)ウォッチウィークを見ないのはもったいない。いまの中国時計製造を知るなら、まずあそこへ行くべきだ」。
中国でいま最も勢いのある独立ブランドの創業者の言葉を受けて、僕は予定を組み直し、今回初めて中国(深セン)ウォッチウィークを訪れることになりました。振り返ってみれば、その提案は大正解。そこで僕が目にしたのは、ひとつのブランドではなく、中国時計製造全体の現在地であり、その熱量でした。
そして、その"現在地"がもっとも凝縮されていた場所こそ、招待客限定エリアとして設けられた「WATCH PLAZA」だったのです。
一般展示エリアを抜けてWATCH PLAZAへ入ると、会場の空気が少し変わります。ブランドの新作を並べるブースというよりも、時計づくりそのものについて語り合う場所。完成した時計だけではなく、自社でムーブメントを開発するメーカーや少人数で活動する独立時計師たちが集まり、中国時計製造の現在地をそのまま切り取ったような空間が広がっていました。
もちろん、中国ブランドだけではありません。しかし、このエリアの主役は間違いなく中国ブランドです。Jerry氏は取材中こんな話をしてくれました。「以前は中国製時計というと、『安い』『コピー』というイメージを持たれることが多くありました。しかし、この10年余りで、多くのブランドが独自の発明や、中国ならではの文化やデザインを取り入れた時計づくりへ挑戦するようになっています」。その言葉を聞いたときは半信半疑でした。
しかし、実際にブースを一つひとつ見て回るうちに、その意味が少しずつ分かってきました。今回僕が驚いたのは、中国の"製造力"ではありません。その土台の上で育ち始めている"創造力"でした。
製造力の象徴
PeacockとSea-Gullが支える、中国時計産業の底力
中国ブランドを語るうえで、Peacock(ピーコック・孔雀)は避けて通れない存在です。1957年、中国時計産業の中心地のひとつである丹東で創業した同社は、現在では世界最大級の機械式ムーブメントメーカーとして知られています。日本ではブランドとしての知名度は決して高くありませんが、自社製品だけでなく、中国国内はもちろん、スイスや香港を含む世界中のブランドへムーブメントを供給する、中国時計産業を代表する存在です。
そんなPeacockが近年力を入れているのが、高級機械式時計です。ブースで印象に残ったのは、自社製の薄型フライングトゥールビヨン「Divine Craft」コレクションでした。遠目には美しいサンレイ仕上げの文字盤にも見えます。しかし、実際に手に取って見てみると印象が一変しました。
文字盤中央から放射状に伸びる無数の細い線。これはギヨシェではなく、「マイクロチェイシング」と呼ばれる伝統技法によって一本ずつ手作業で刻まれたものです。1000本以上にも及ぶ打刻は、一度でも力加減を誤れば文字盤そのものが使えなくなるほど繊細な仕事だといいます。
工業製品でありながら、工芸品のような表情を持つ文字盤。大量生産メーカーというPeacockのイメージとは、どこか結び付きません。
裏返すと、トランスパレントバック越しに厚さ3.5mmの自社製キャリバーPAX9610Aが姿を現します。ペルラージュ、コート・ド・ジュネーブ、面取りといった伝統的な仕上げも施され、価格は4899ドル(約79万円)。もちろんスイス最高峰のトゥールビヨンと比較する時計ではありません。しかし、この価格帯でここまで完成度の高い自社製フライングトゥールビヨンを実現していることには素直に驚かされました。
Peacockを見ていて感じたのは、「中国だから安い時計」ではありません。「中国だから実現できる価格と技術」のバランスです。巨大な製造基盤を持つメーカーだからこそ、この価格でここまで完成度の高い時計を実現できる。そのスケールメリットこそが、Peacock最大の強みなのだと思います。
一方、日本でもっとも知名度の高い中国ブランドのひとつがSea-Gullです。こちらもムーブメントメーカーとして長い歴史を持つブランドですが、今回は新開発の手巻きムーブメントのプロトタイプを見ることができました。
ケースやダイヤルデザインには1970年代を思わせるクラシカルな雰囲気があり、そのレトロさは現代の感覚ではやや強く感じられます。現代の時計ファンから見ると少し好みが分かれるかもしれません。しかし、ムーブメントへ目を向けると印象は変わります。設計や仕上げからは長年ムーブメントメーカーとして培ってきた技術の蓄積が感じられ、「もしケースやダイヤルデザインがもう少し現代的にアップデートされれば、日本でも欲しいと思う人は多いのではないか」と素直に思いました。
PeacockとSea-Gull。この二つのブランドを見比べるだけでも、中国時計産業が持つ底力は十分に伝わってきます。世界中のブランドを支える巨大メーカーが存在し、自社でムーブメントを設計・製造できる。もちろんムーブメントを製造するメーカーはこの2社に留まりません。その圧倒的な製造基盤こそが、中国時計製造の強さです。
しかし今回、僕がもっとも印象に残ったのは、その土台の上で生まれ始めている新しい世代のブランドです。その象徴ともいえるブランドが、BEHRENSでした。
創造力の象徴
BEHRENSが証明した、「中国だから作れる時計」
2012年に創業したBEHRENSは、ドイツ工業デザインの先駆者、ピーター・ベーレンスへの敬意を込めて名付けられた独立系ブランドです。現在ではGPHGへのノミネートを重ね、中国を代表する独立系ブランドとして国際的な評価を受けています。
しかし、BEHRENSの魅力は受賞歴ではありません。時計そのものの発想です。一般的な腕時計は針で時間を表示します。しかしBEHRENSは、回転ディスクや立体的なローラー、さらにはロータリーエンジンから着想を得た表示機構など、「時間をどう見せるか」という根本から時計を設計し直しています。構造そのものがデザインになっているのです。
ケース下部に配されたふたつのバレルで時刻を表示する「Orion One」。ケース中央にはセンターセコンド、その上にはパワーリザーブインジケーターを備える。写真では見えないが、さらにその右側には日付表示も配置されており、独創的な表示機構でありながら高い実用性も確保している。
実は、僕が初めてBEHRENSの時計に触れたのは今回ではありません。 昨年のWatches & Wondersで、中国から来ていたコレクターが「ぜひ見てほしい」と腕から外してくれたのがUltra Light 11Gでした。名前のとおり約11g(時計本体のみ)という驚異的な軽さもさることながら、僕が驚いたのはその構造です。
Ultra Light 11G
ケースバックそのものをムーブメントの地板として利用し、さらに腕に沿うよう緩やかにカーブさせています。ケースバックに地板の役割を持たせる設計は、ピアジェやブルガリの超薄型時計にも見られます。しかし、それを装着感まで考慮した立体的なケースへ発展させている例を、僕はほかに知りません。
単なる軽量化や薄型化ではなく、「腕時計とはどうあるべきか」という視点から構造を再設計している。その自由な発想に、BEHRENSというブランドの面白さが凝縮されているように感じました。今回改めてブースを訪れると、その姿勢はさらに加速していました。
ヴィアネイ・ハルターとのコラボレーションによるKWH。
ケースバックにはムーンフェイズも。
独立時計師のコンスタンチン・チャイキンやヴィアネイ・ハルターとのコラボレーションもその一例です。中国ブランドとしてではなく、一つの独立系ブランドとして存在感を示し始めています。Jerry氏も、「以前は海外の人が中国ブランドを見る機会はほとんどありませんでした。しかし今ではBEHRENSやCIGA Designの時計を見て、『これが中国の時計なのか』と驚く人が増えています」。実際に会場で時計を見ていて、僕も同じことを感じました。
少し前まで、中国ブランドにはどこか「中国らしさ」を強く打ち出そうとするデザインや、逆に海外ブランドを意識したデザインが少なくありませんでした。しかし、BEHRENSにはそうした"出自"を必要以上に意識させる雰囲気がありません。
コンスタンチン・チャイキンとのコラボレーションによるAce of Heart。
もしブランド名を隠した状態でこの時計を見せられたら、多くの人はその国籍を言い当てられないでしょう。そして、それこそがいま中国時計製造が到達しつつある新しいステージなのだと思います。
国籍で興味を引くのではなく、まず時計そのものの完成度で人を惹きつける。そのあとで、「実は中国のブランドだったのか」と驚かせる。BEHRENSを見ていると、これから中国時計製造を語るうえで「中国ブランド」という前置き自体が必要なくなる日が来るのかもしれない——そんな未来を想像せずにはいられませんでした。
世界が注目し始めた、中国のハイウォッチメイキング
Fam al Hutが切り拓く、新しい独立時計製造
今回の中国取材は、もともとこのブランドの工房を訪ねることが最大の目的でした。 Fam al Hut(ファム・アル・ハット)。この名前を初めて聞くという人も少なくないでしょう。しかし近年、独立時計製造を追いかけている人にとっては、もっとも気になるブランドのひとつと言っても過言ではありません。
その理由は、GPHGです。Fam al Hutは、デビュー作『Möbius Mark I Bi-Axis Tourbillon』で2025年にAudacity賞を受賞し、一躍世界の時計業界から注目を集めました。Audacityとは大胆さを意味し、これまでにない発想を評価する部門です。その賞を中国ブランドが受賞したことは、中国時計製造にとって大きな転換点だったと言えます。
GPHGのトロフィーも展示されていた。
僕自身、このブランドの存在を知ってからずっと実物を見てみたいと思っていました。しかし展示される機会は決して多くなく、これまで実機に触れることはできませんでした。そして今回、ようやくそのときが訪れました。
最初に驚いたのは、そのサイズ感です。写真ではもう少し大きな時計を想像していました。ケースサイズは42.2mm×24.3mm、厚さは17.4mm。しかし実際に手にすると、もっとも高い部分でもその寸法ほどに大きいと思えないほどコンパクトにまとまっています。ケース形状は、どこかカプセル薬を思わせる柔らかな楕円形。
その限られた空間のなかへ、二軸トゥールビヨンと、時・分を表示するふたつのレトログラード機構がぎっしりと収められています。まるで複雑機構を凝縮した小さなオブジェを手にしているようでした。デザインも非常に印象的です。現在の独立時計製造を見ると、クラシカルなラウンドケースや伝統的な文字盤レイアウトを採用するブランドが依然として主流です。しかしFam Al Hutは、そのどちらにも当てはまりません。ケースデザインも、レイアウトも、全体のプロポーションも、スイスともドイツとも、日本の時計とも違う。
どこか既存の時計文化を引用したような雰囲気がなく、純粋に「このブランドらしい造形」が成立しています。一方で、ムーブメントへ目を向けると印象は少し変わります。ブリッジや各パーツには面取りをはじめとする伝統的な仕上げが施され、機械式時計の基本に忠実なつくりになっています。つまり、設計思想やデザインは極めてモダンでありながら、その土台には伝統的な時計製造技術がしっかりと息づいているのです。ここが、BEHRENSとの大きな違いでもあります。
BEHRENSが革新的な設計によって中国ブランドの可能性を切り拓いてきたとすれば、Fam Al Hutはそのさらに先、本格的なハイウォッチメイキングという領域へ踏み込もうとしているブランドに見えました。価格帯も含め、そのライバルは一般的な中国ブランドではありません。世界のハイエンドな独立時計ブランドです。
実際に手に取ってみると、「中国ブランドだから」という前置きはほとんど意味を持ちません。僕が目の前で見ていたのは、中国ブランドではなく、一つの高級独立時計ブランドでした。もちろん、これがブランド初の作品です。細部にはこれからさらに磨かれていく余地もあるでしょう。それでも、設計、デザイン、仕上げ、そしてブランドとしての世界観まで含めた完成度は驚くほど高く、「デビュー作」という前提を忘れてしまうほどでした。
今回の展示会では作品を見るだけでなく、その後、江蘇省・太倉市にある工房も訪問する機会に恵まれました。設計から加工、組み立てまで、彼らがどのような思想で時計づくりに取り組んでいるのかを詳しく取材しています。その内容だけでも一本の記事になるほど興味深かったため、本稿ではブランドの紹介に留め、工房取材についてはあらためて詳しく紹介したいと思います。
今回の中国(深セン)ウォッチウィークでは、もちろんすべてのブランドが同じ方向を向いていたわけではありません。会場には、往年の中国時計を思わせるデザインのものもあれば、どこか著名ブランドを彷彿とさせる時計も見られ、だからこそ、Fam al Hutの存在は強く印象に残りました。そこにあったのは、「中国ブランドらしい時計」ではなく、一つの高級独立時計ブランドとして、世界のハイウォッチメイキングと肩を並べようとする姿勢でした。
今回の取材を通して僕が感じたのは、中国時計製造全体が一気に変わったということではありません。むしろ、その変化を牽引するブランドが確実に現れ始めているということです。
中国独立時計師という、新しい潮流
BEHRENSやFam al Hutがブランドとして世界へ挑戦している一方で、僕がもっとも心を動かされたのは、一人ひとりの時計師たちでした。
時計業界では近年、「独立時計師」という存在がこれまで以上に注目を集めています。その潮流は中国にも確実に広がり始めています。
僕自身、これまでもローガン・クアン・ラオ(Logan Kwan Lao)やキン・ガン(Qin Gan)といった中国の独立時計師たちの作品に触れる機会があり、その高い技術力や独自の美意識に注目してきました。残念ながら今回の中国(深セン)ウォッチウィークには彼らの姿はありませんでしたが、その代わりに、中国独立時計製造の"次の世代"を担う、実に興味深い時計師たちと出会うことができました。
修理職人から独立時計師へ - Qian GuoBiao
AB-05 Skylight Original & Sun
最初に紹介したいのが、Qian GuoBiao(钱国标/チエン・グオビャオ)です。広東省東莞市を拠点に活動する彼は、長年時計修理やメンテナンスを生業としてきた人物です。
独立時計師のなかには時計学校やメーカー出身者も少なくありません。しかしQian氏は、数え切れないほどの時計を修理し、その構造を知り尽くした経験を土台に、自ら時計を設計するようになりました。
彼の作品を見ていて印象的だったのは、ムーブメントを"見せる"という発想です。通常であればケースバック側から鑑賞する歯車や輪列を大胆に文字盤側へ配置し、機械そのものをデザインとして成立させています。
FACING THE SKY 2.0
近年ではスケルトンウォッチも珍しくありません。しかしQian氏の時計には、それとは少し違う空気があります。華やかさを狙うのではなく、機械そのものの構造美を見せようとしている。長年時計を分解し、修理し続けてきた時計師だからこそ生まれるレイアウトなのかもしれません。
2018年には自身初となるトゥールビヨンを完成させ、中国独立時計製造を代表する時計師の一人として世界からも注目を集めています。そして近年、その評価はコレクター市場にも表れ始めています。
Facing The Sky 2.0 Workshop Prototype (No.00)
2026年にはプロトタイプ『Facing The Sky 2.0 Workshop Prototype (No.00)』がMarteau & Co.のオークションで10万2000スイスフラン(約2000万円)という、中国の独立時計師としては記録的な価格で落札されました。また、『Reference AB-03 Double Balance Wheel』もHeritage Auctionsで5万1250ドル(約822万円)という高値を付けています。
もちろん、オークション価格だけで時計の価値は測れません。それでも、中国の独立時計師が世界のコレクターからここまで評価され始めていることを示す、一つの象徴的な出来事だったと言えるでしょう。
小さな文字盤に宿る、中国の美意識 - Langle Yuan
Qian GuoBiaoが構造美を追求する時計師だとすれば、Langle Yuan(ラングル・ユアン)氏は工芸によって時計を表現する時計師です。会場で作品を見た瞬間、まず目を奪われたのは文字盤でした。ルーペで覗き込むと、そこには驚くほど緻密な世界が広がっています。
微細彫刻の上へ何層にも彩色を施したエナメル。一本一本の線は極めて細く、それでいて力強く、時計というより小さな絵画を見ているような感覚になりました。
代表作である「風林火山」シリーズをはじめ、中国の都市をモチーフにした作品や、躍動感あふれる馬を描いた作品など、そのテーマは実に多彩です。近年では、愛犬や愛猫などを題材にしたオーダーメイド作品も手掛けているそうです。
Langle Yuan氏。
興味深かったのは、単に絵を描いているわけではないことです。彼は、理想とする色味を得るためにエナメルペーストの調合を何度も繰り返しているといいます。その色彩は鮮やかでありながら決して派手ではなく、どこか柔らかく落ち着いた印象を受けました。技巧を誇示するのではなく、あくまで作品全体の調和を優先する。その抑制の効いた美意識を感じます。
中国には古くから豊かな工芸文化があります。しかし、それを単に装飾として使うのではなく、現代の腕時計というフォーマットへ自然に落とし込んでいる時計師は決して多くありません。Langle Yuanの時計を見ていると、中国らしさとは龍や漢字といった分かりやすいモチーフではなく、中国の工芸や美意識そのものを時計へ昇華することなのだと、改めて感じさせられました。
18歳が挑む、独立時計製造の未来 - Ricky Hong
Project Tourbillon 01.42
18 in 18
そして今回、もっとも驚かされたひとりが香港出身の独立時計師、Ricky Hong(リッキー・ホン)氏でした。 年齢を聞いたとき、思わず聞き返してしまいましたが、なんと弱冠18歳。会場に並ぶ時計を前にして、その年齢を想像できる人はほとんどいないでしょう。
彼が時計づくりを始めたのは10代前半。最初はG-SHOCKのカスタマイズからスタートし、その後、自ら時計を組み立て、ケースや文字盤を設計し、さらにはムーブメントの加工や仕上げまで手掛けるようになりました。
Ricky Hong氏。
彼との会話の中で話題になるのは歯車や地板、仕上げ、設計のことばかり。どの部品をどう加工したのか、なぜその構造にしたのかを熱心に語る姿は、一人の独立時計師そのものでした。近年発表した『風林火山 18 in 18』は、先に紹介したLangle Yuan氏とのコラボレーションによるもの。
風林火山 18 in 18
若い時計師同士が自然につながり、一つの作品を生み出している姿を見ていると、中国独立時計製造のコミュニティが少しずつ形になり始めていることを感じます。「まだ学ぶべきことがたくさんあります」。そんな謙虚な姿勢を貫きながら、それでも設計や加工へ果敢に挑み続けています。
彼の挑戦はまだ始まったばかりです。 しかし、もし10年後、中国独立時計製造を代表する時計師の名前を挙げることになったとしたら、そのリストの中にRicky Hongの名前があることを確信しています。
KUBERNETが見せた、もうひとつの中国時計製造
Eternal Night Secular Perpetual Calendar Desk Clock
今回のWATCH PLAZAで、もうひとつ強く印象に残ったブランドがKUBERNET(クーバネティス)でした。ここまで紹介してきたブランドとは少し毛色が異なります。腕時計ではなく、クロックメーカーだからです。時計好きにとって、置時計は腕時計ほど注目される存在ではありません。しかし、そのぶん腕時計というフォーマットに縛られず、自由な発想で機構を追求できる世界でもあります。KUBERNETが展示していた『Eternal Night Secular Perpetual Calendar Desk Clock』は、まさにそんな作品でした。
ベースとなったアラームクロック。
特許取得の歯車が盛り込まれたムーブメント。
もっとも、いわゆるクラシカルな置時計を想像すると、その印象は少し裏切られます。会場にはムーブメントを大胆に見せたスケルトンダイヤル仕様をはじめ、比較的オーソドックスな文字盤を備えたモデルなど、複数のバリエーションが展示されていました。その内部には極めて野心的な機構が隠されています。ベースとなっているのは、1979年に上海時計工場で設計された機械式アラームクロック用ムーブメント。しかも新品未使用のNOS(New Old Stock)です。普通であればヴィンテージムーブメントとしてそのまま使われるところですが、KUBERNETはそこから大胆な再設計を行っています。
驚かされたのは永久カレンダー機構でした。一般的な永久カレンダーは、2100年のような400で割り切れない世紀年では手動調整が必要になるものも少なくありません。しかし、このクロックは2100年、2200年、2300年まで自律的に処理します。つまり、400年周期のグレゴリオ暦そのものを理解している永久カレンダーなのです。
さらに日付、曜日、月、ムーンフェイズまでもが約2秒以内に一斉に切り替わる瞬時ジャンプ表示を実現。最新技術を使うだけがイノベーションではなく、半世紀近く前のムーブメントを現代の発想で再解釈し、新しい価値を生み出す。それもまた、中国時計製造が持つ創造性の一つなのだと思いました。
中国時計製造の現在地
取材の最後、Jerry(朱梓镕/シュ・ズーロン)氏はこんなことを話してくれました。
誤解があることは悪いことではありません。その誤解があるからこそ、人は『本当はどうなんだろう』と興味を持ってくれるのです。
– Jerry(朱梓镕/シュ・ズーロン)氏その言葉を聞いたとき、今回の取材そのものを言い表しているように思いました。僕自身「中国時計製造はいまどうなっているのだろう」という純粋な好奇心から中国を訪れました。そして帰る頃には、そのイメージは大きく変わっていました。深センを訪れる前、僕にとって中国時計産業は「世界の工場」でした。その印象は決して間違っていませんが、これまでとは明らかに違う潮流も生まれ始めていました。
BEHRENSは、中国ブランドという枠を超え、一つの独立時計ブランドとして世界から評価され始めています。Fam al Hutは、そのさらに先、本格的なハイウォッチメイキングという領域へ踏み込もうとしていました。そしてQian GuoBiaoやLangle Yuan、Ricky Hongといった時計師たちは、それぞれの哲学や美意識を時計という小さなキャンバスへ落とし込み、新しい表現に挑戦しています。
彼らに共通していたのは、「中国らしい時計」を作ろうとしていたことではありません。「誰かのような時計」でもなく、「中国ブランドだから」という肩書きでもない。自分たちが本当に作りたい時計を、自分たちの言葉で表現しようとしていたことです。その姿勢こそが、今回の取材で最も印象に残りました。
いまなお中国は、世界の時計産業を支える巨大な製造拠点です。しかし、その強固な製造基盤の上に、自らの哲学や美意識を持ったブランドや時計師たちが少しずつ育ち始めています。今回、深センで僕が見たのは、その完成形ではありません。「世界の工場」の上に、新しい時計文化が芽吹き始めた、その瞬間でした。
数年後、この取材を振り返ったとき、「あの頃が転換点だった」と思える日が来るのかもしれません。そう思わせるだけの熱量が、今回の深センには確かにありました。少なくとも僕にとって、2026年の中国(深セン)ウォッチウィークは、中国時計製造をもう一度見つめ直すきっかけになったことは間違いありません。
次に深センを訪れるとき、この変化がどこまで進んでいるのか。いまから楽しみでなりません。
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