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In-Depth コピー、独創性、著作権。腕時計を芸術と呼ぶ準備はできたか?

インスピレーションとコピーのあいだに引かれた細い線。

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2019年、イタリアの裁判所はフェラーリ 250GTOを芸術作品として認め、このアイコニックなスポーツカーを再現やレプリカから守る権利を与えた。フェラーリによると、クルマが著作権保護の対象となる芸術作品として認められたのはこれが初めてだったという。

 イタリア、ボローニャの裁判所は、“車体のラインや美的要素のカスタマイズから、250GTOは唯一無二の存在であり、真のクルマのアイコンとなった”と記し、さらにこのクルマの“芸術的な長所”は多くの賞やオフィシャルな証書によって認められていると付け加えた。私はクルマについて詳しくないが、クラシックカーの聖杯とも言える250GTOのことは知っている。これは36台しか製造されておらず、これまでに販売されたクルマのなかで最も高価なもののいくつかは250GTOだ。この決定により、このクルマのフォルムはフェラーリによってのみ生産・商品化されることが確定した。ほかのイタリア企業による250GTOのレプリカ製造計画は事実上阻止されたのだ。

フェラーリ 250GTO レコード

2018年、RMサザビーズで当時史上最高額の4840万ドル(当時の相場で約53億4432万円)で落札されたフェラーリ 250GTO。Image: Courtesy RM Sotheby's

 クラシックカー、ファッション、コレクターズウォッチ、そのほかほぼすべてのクリエイティブ産業において、コピーの問題は産業そのものと同じくらい古くから存在している。しかし美しいとはいえ、単純で機能的な製品であるクルマや時計が本来の目的を超えてそれ以上のものへと成長したとき、私たちが認めている保護もそれと同時に成長しているのだろうか?


“成功の代償”

 ココ・シャネルが1920年に言った、“コピーされることは成功の代償である”というセリフは有名だ。記録によると、彼女は自身のアイコニックなスーツにインスパイアされたジャケットを着た女性たちを通りで見かけると、わざとらしく微笑んでいたという。それでも彼女は1930年にライバルデザイナーのマドレーヌ・ヴィオネ(Madeleine Vionnet)と手を組んで、シャネルとヴィオネのデザインを模造して捕まったコピー業者を訴えるなど、彼女は徹底的にコピーと戦った。

 フランスの裁判所はコピー業者を有罪とし、フランスのファッションデザインを“本物の芸術作品”と認め、創作者やほかの著作権者と同様の保護を受ける権利があると認めた。これはほかの国々よりも一歩進んでいる。例えばアメリカにおいて、衣服は原則として機能的なアイテムと見なされ、著作権保護の対象から除外されている(例外もある)。これは著作権は特許よりも取得が容易であり、かつはるかに長く権利が存続するため、著作権法が特許のような保護を実用的な対象まで拡大させないためである。アメリカでは、著作権は著作者の生存期間に加えて70年間も存続するのだ。

 機能的なデザインにはほかにも知的財産保護があるが、特に保護期間が短いという制約がある。例えば、時計ブランドはケースやダイヤル、また針のデザインについて意匠権を申請することが多く、この場合15年間の保護が認められている。一方、ブランドは主な区別的要因として、ブランド名とロゴの商標保護に最も大きく依存している。高級品にロゴが散りばめられているのをよく見かけるのは偶然ではない(キャナル・ストリートでは、これまで誰もそれを止めなかったが)。

 もちろん、イタリア人が自国で最も有名なスクーデリアの芸術的なメリットを公言したり、フランス人が最高のクチュールメゾンの真価を認めて保護を強化したりするのはあたりまえだと言うかもしれない。自分のことを棚に上げて他者を批判しているように。

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アイコンを作り出す
ロレックス 6062 ムーンフェイズ

スティールロレックスの6062は芸術か?

 一般的に知的財産法は、シャネルが生きていた時代のように、完全なコピーや偽造品を防ぐことに焦点をあてている。フェラーリの事例が興味深いのは、過去のデザインを見てそれを芸術作品とみなし、これまでとは異なる方法を執ったからだ。

 それは一部の愛好家にとっては自明なことかもしれない。これらの機能的なデザインのいくつかは本来の目的の機能をはるかに超えて進化している。ダ・ヴィンチやミケランジェロ、ダニー・デヴィートのような、イタリアの芸術家と同じ保護を受ける権利を与えられていて、定義するのが難しいがすぐにそれとわかる“アイコン”の地位に達しているのだ。この進化を認めることで与えられる保護も拡大する。もはやアイコニックなデザインは、限定的な保護を受けるだけの単なる機能的なオブジェクトとは見なされず、より長期的で広範な著作権保護に値する芸術作品になっているのだ。

 いつかスイスの裁判所が自国の英雄たち、例えばパテック フィリップ 2499ロレックス 6062、SS製のパテック 130を調べて、 “パテック フィリップを所有することはない”というキャッチフレーズを思い出して、そのデザインのいくつかは確実に芸術的でスイス連邦のすべての著作権保護を受ける権利があると判断する日が来るかもしれない。

 しかし、ある特定のアイコニックな時計について、それを言う準備はできているだろうか?


ヘリテージが引き起こした眠り
ファーラン・マリのメカクォーツ クロノグラフ

パテック フィリップ 1463 “タスティ・トンディ”の流れを汲んだファーラン・マリ メカクォーツ クロノグラフ。

時計産業はインスピレーションによって繁栄しており、今日私たちが目にするほとんどは、少なくともある程度のレベルでは以前から行われてきたものだ。つい最近もレトロや復刻、ヴィンテージにインスパイアされたものなどが普及しつつあることについて書いた。当初、各ブランドは自社の伝統にインスパイアされた時計を製造していたが、例えばチューダーのブラックベイやロンジンのヘリテージコレクションの多くがそうであるように、オリジナルのまったくのコピーではなかった。しかしその過程の途中、ブランドはインスピレーションから離れ、過去のモデルの生き写しのようなものを作るようになった。ヴァシュロン 222からQ タイメックスに至るまで、いかなるブランドもこのアクションに加わったのだ(なかには、数十年前のオリジナル図面をスキャンしたことを自慢する者さえいた)。ブランドが真の復刻に近い腕時計をリリースするようになると、ますます私たちが彼らにそれを要求しているように見えた。ダニエル・ロート(Daniel Roth)がオリジナルのトゥールビヨンの復刻版を出して再発表したとき、フォントを変えたことに私たちが怒りをあらわにしたことを覚えているだろうか(その後、ラ・ファブリク・デュ・タンがその批判を聞いてオリジナルのセリフ体フォントに戻している)? 一方、新興ブランドも参戦し始め、ヴィンテージの“インスピレーション”にますます忠実なオマージュウォッチを発表し始めた。

 今私たちは、80歳のハリソン・フォード(Harrison Ford)がインディ・ジョーンズ(Indiana Jones)を演じているように、いつの間にすべてがこんなに陳腐になってしまったのだろうかと、ヘリテージ時代が引き起こした眠りから覚めつつある。今世紀に入ってから、真に新しくて異なるデザインの時計は、おそらくアルティプラノよりも薄い。

 フェラーリ 250GTOのように、時計の世界には芸術作品と見なされるべき、手を出せないほど正当なアイコンが存在しているかもしれない。しかし、時計のなかには機能的なオブジェの領域を超えて、芸術作品と見なされるようになったものもあると言うならば、それはまた現代のクリエイターや時計メーカーへの“明日の芸術作品を作る”という問いかけでもある。すべての時計が、おそらくほとんどの時計でさえも、これを突き詰める必要はないが、これは契約の一部なのだ。

 間違いなく、今日の優れた独立時計師のなかには芸術作品を作ることを目指している人がいるし、成功した人もいる。ただ過去の世代やそれ以上の世代では、真に新しく意欲的で、象徴的となるデザインが欠けているという感覚が共通の感想のようだった。

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模倣とインスピレーションを挟む細い線
マッセナLAB × レボリューション ユニレーサー 1949

ヴィンテージパテック 130クロノグラフをベースにしたマッセナLAB × レボリューション ユニレーサー 1949。

ここで、パテックの130とマッセナLAB × レボリューションのコラボレートモデルについて話をしよう。ブランドが独自のデザインで好きなようにできるということは、かなり確立されたことのようだ。日付窓の位置が間違っている復刻版の捏造について不平を言うかもしれないが、そのような行為をする権利に異議を唱える者はいない。しかしこれらのデザインを用いてほかの人が何ができるか、何をすべきなのかは、さらにやっかいな問題である。

 最初にこのリリースを見たとき、私はあまりいいとは思えなかった。なにしろ、マッセナLABが有名なヴィンテージウォッチを完璧にリメイク(少なくともダイヤルのみ。ケースはオリジナルとは似ても似つかない)しようとしたのは、これが初めてでも2度目でもなかったのだ。このタイプの時計で問題に上がるのは、インスピレーションではなく、模倣がインスピレーションとしてポーズをとる場合である。

2本のパテック フィリップ タスティ・トンディ 1463 クロノグラフ

今年初めに開催されたモナコ・レジェンドで目にした2本の“本物”のタスティ・トンディ。

 コピー品を作る企業という小規模産業があるが、それは本質的には“本物”のコピー品であり、本物と競合しないために邪魔はされず(あるいは単に無視しているだけ)、偽物以外の何物でもないように見せかけている。私もシャネルと同じように(おそらく自分がシャネルに似ている唯一の点)、あまりにも多くのことが起きていて、もはや何をコピーしているのかさえわからない時計を見ると、いつも笑みがこぼれてしまう。(コピー品に対する最善の防御策は、一部のファッションブランド時計ブランドが行っているように、自分らのデザインを“真似する”ことがいいときもある)またスイスの時計製造は基本的に、当時優れていたイギリスの時計製造を真似して始まったと指摘することは、完璧な皮肉ではないにしても適切だとは感じている。

 一方で、パクりと感じない程度にインスピレーションを得て、ちょうどいいラインに着地しているという絶妙なバランスの新しい時計もある。それが何かは、ほかのユーザーと意見が一致しない可能性があるため名前は挙げないでおこう。私たちは制限を設けることができるし、それでいいのだ。

 創造性の難問を浮き彫りにしている。インスピレーションやコピーさえも創造性の一部であるが、行き過ぎてしまっている場合もある。あらゆる分野の偉大なアーティストたちは、存在するものをリミックス、リフ、リマスターして、真に新しく表現力豊かなものをいつも生み出してきた。それはときには成功するし、また一線を越えてしまうこともあるのは事実だ(たとえそれが世論の一線だとしても)。

パテック 130(写真)とマッセナLAB (時計)

マッセナLAB ユニレーサーと、オリジナルのパテック 130の写真。

 私の知る限り、2019年以降、クルマが芸術作品と見なされるという考えは、一国で1台のクルマが認められて以降広まっていない。ただ私は時計についても同様に抑制されるべきだと提案したい。ファッション業界における一般的な知的財産保護の欠如とその結果生み出されてしまったコピーは、イノベーションを抑止するどころか、実際にはそれを促進していると主張する者もいる。これが“海賊版のパラドックス”である。コピーはすぐにそのスタイルを広めるので、それより一歩先を行くには常に新しいものを作るしかない。さらにコピーは創造的なものにはつきものであり、リミックス、リフ、リマスターを止めると、将来創造されるはずだったもの(いいものも悪いものも)すら無くしてしまうかもしれないのだ。

 時計のデザインによっては、もはや厳密には機能的なものではなく、芸術作品であることを認めて、周囲に太くて“交差しない”線を引いてさらに厳重に保護することは構わない。ただこれに伴うトレードオフは認識しよう。これらを踏まえて、ユニークなパテック 130(数週間前までそれほど気にする人はいなかった)はそのレベルに達しているのだろうか?

 個人的には、ヴィンテージにインスパイアされたあらゆるものの普及は、ある種自らを省みるきっかけとなった。ここ数年、インスピレーションがコピーに近づくにつれ、私はその多くを応援し、ブランドがヘリテージを評価していることを称賛していたからだ。歴史的なインスピレーションが現代の時計にも影響を与えていることは間違いないが、ただ顧客も時計メーカーも、過去への郷愁や、古きよき時代を懐かしんだりする以上に時計づくりの現代的なビジョンを目指すべきなのである。フェラーリ 250GTOやパテック 2499など、次のアイコンはそうやって創りあげるのだ。