trophy slideshow-left slideshow-right chevron-right chevron-light chevron-light play play-outline external-arrow pointer hodinkee-shop hodinkee-shop share-arrow share show-more-arrow watch101-hotspot instagram nav dropdown-arrow full-article-view read-more-arrow close close email facebook h image-centric-view newletter-icon pinterest search-light search thumbnail-view twitter view-image checkmark triangle-down chevron-right-circle chevron-right-circle-white lock shop live events conversation watch plus plus-circle camera comments download x heart comment default-watch-avatar overflow check-circle right-white right-black comment-bubble instagram speech-bubble shopping-bag

In-Depth 月面に降り立った時計、タイマー達のすべて

偉大なアポロ11号ミッションの50周年を迎え、アポロ計画における計測装置について深掘りしていく。

ADVERTISEMENT

宇宙探査のための時間を計測する装置が、どれほど重要なものであるか理解するのはそれほど難しくないだろう。これは地上においても同じだが、航路を知るために不可欠な腕時計、タイマー、時計には無数の形態が存在し、そのどれもが正確であることが求められているのである。

アポロ計画には、最も有名な時間計測のための道具がオメガによって供給された。スピードマスターは1965年に有人宇宙飛行のための公式時計として採用されて以来、形を変えながらも今日まで運用され続けている。しかしながら、宇宙に飛んだスピードマスター以外のデバイスや時計は数多く存在し、その中の多くはアポロ計画の成功に貢献し、航路の計測だけでなく、月面で行われた重要な科学実験の成功にも不可欠であったのである。

アポロ月面計画の基本路線はこうだ。発射は1963年にリンドン・ジョンソンから大統領令によってケープ・カナベラルから改名したケネディ宇宙センター第39発射施設(LC-39)で行われる。アポロ宇宙船を上空に打ち上げたロケットは、当時最も強力であった。36階建てのサターンVロケットには3段型で、最初のステージには780万ポンドの推力を発生できるエンジンがあった。軌道に到達すると、ロケットの第3段目のエンジンが始動し、宇宙船を月の軌道に文字通り「注入」した。 

アポロ12号ミッション、アポロ月着陸船が月面に降着する様子。

ロケット3段目の上部には、主な乗組員車両として機能するコマンド・アンド・サービスモジュール(CSM、アポロ司令・機械船)と、月着陸船である月面回遊モジュール(LEM、アポロ月着陸船)が搭載されていた。CSMとLEMは、月に向けられた軌道に投入された後、お互いに鼻と鼻を突き合わせた位置にドッキングされた(月に到達するのは、地球から225,000〜252,000マイルの距離があり、軌道の位置によって異なるが、3日間を要する)。

そして月に到達すると、CSMの主エンジンが逆噴射し、宇宙船の速度が低下して月周回軌道に投入された。その後、LEMはCSMから分離し、3人の宇宙飛行士のうち2人が月面に降り、CSMを操縦するために1人の宇宙飛行士が残った。 

美しい。何と美しい。壮大な荒野のようだ。

– バズ・オルドリン, 月面に初めて降り立つ際に

アポロ11号のLEMの着陸地点は岩で覆われていることが判明し、ニール・アームストロング船長は着陸を手動制御する必要があった。 彼はLEMを安全な着陸地点まで操縦し、残りの燃料が1分未満で辛くも着陸した。管制センターのチャールズ・デュークは、「静かの基地へ[最終着陸地点の名]。地上にもよく聞こえているよ。君たちのおかげでここにいる連中は肝を冷やしたよ。ため息が出るね。ありがとう」

アポロ11号のミッションで、歴史的な宇宙遊泳を終えたオルドリンが、月着陸船内で撮影したニール・アームストロングの写真。微笑んでいるのは、月面に最初の一歩を踏み出した後であるため。 

月での活動に利用できる時間は、LEMで運べる物資量によって制限されていた。アポロ11号のバズ・オルドリンとニール・アームストロングは月面で約22時間過ごした。月面での作業が終了すると、LEMの上段が爆発し、降下ステージから分離、CSMとランデブーする(この時点で失敗の可能性があるため、CSMが手動操作を行う必要があり、これがパイロットが軌道で待機する必要がある理由の1つであった)。 2つの宇宙船がドッキングすると、LEM内の2人の宇宙飛行士がCSMのパイロットに加わり、LEMは投棄され、最終的に月面に衝突した。 3人の宇宙飛行士全員が搭乗すると、CSMの主エンジンが着火し、宇宙船が帰還する。アポロの任務はすべてコーン型のコマンドモジュールをサービスモジュールから分離することで完結し、CSMは再突入の大気摩擦によって引き起こされる超高熱を吸収する熱シールドに守られながら地球の大気圏に再突入した。最後に、パラシュートで減速された宇宙船は海面に着水し、乗組員と宇宙船はヘリコプターで救出され、待機中の空母に運ばれた。

第二次世界大戦に参戦したアメリカ軍空母ホーネットが、アポロ11号の司令船「コロンビア」を回収する様子。1969年7月。

CSMの2つの酸素タンクの1つが爆発し、航行の間乗組員をLEMに避難させる必要が生じたアポロ13号のように、いつの時点でもあらゆる問題が発生する可能性があるミッションであったことは言うまでもない。 今振り返ってみると、アポロ計画期間中に月に行ったすべての人々全員が無事帰還できたことは、宇宙船を設計および製作した技術者および技術者冥利に尽きるものであった。しかしそれ以上に、ミッションのおける機械・技術の膨大な複雑さにもかかわらず、この計画は大きな成功を収めたとされ、その科学および技術的成果は現代の我々の生活にも恩恵を与えた。

その恩恵は私たちが愛する時計たちにももたらされたのだ。

ADVERTISEMENT
ADVERTISEMENT

ムーンウォッチ、月に行った時計達

機械式時計に関心が薄い人でも、「ムーンウォッチ」が「オメガスピードマスタープロフェッショナル」と同義語であることををほぼ即座に理解できるだろう。 スピードマスターの伝説は幾度となく語られるにも関わらず、輝きを失っていないのには多くの理由がある(食傷気味だという言う人には、本当に良い話というのは使い回しによって手垢が付いていくのではなく洗練されていくものだと私は言うのだが)。 私にとって最も重要なのは、この時計は、有人宇宙飛行で使用されるという前提で設計されたものではなかったことだ。 スピードマスターは1957年に発売されたとき、スポーツウォッチとして売り出され、ましてアビエーションウォッチ(航空時計)として売り出されたわけでもなかったのだ。

アポロ14号の発射前、宇宙飛行士のアラン・シェパードが宇宙服を着用している様子。腕に着けているのはスピードマスター。

スピードマスターは全般的にきちんと機能した。 実際のミッション中に遭遇したと思われる唯一の技術的なトラブルは、アポロ15号の2回目の月面歩行中に、 デイヴィッド・スコット のスピードマスターのクリスタル風防が外れてしまったことだ。 スコットは1996年の手紙で、「… 2回目のEVAの後の(LEMの)キャビンで、オメガの風防が外れてしまったことに気づいた[EVAは船外活動の略称] 。したがって、3回目のEVAでは、予備用を使用した… 3回目はさらに高い温度での活動であったが、問題なく動作した」

バズ・オルドリンの宇宙服と装備品、左端にあるのはスピードマスター。

アポロ計画では、ベン・クライマーが2015年のReference Points「オメガ スピードマスター 歴代モデルを徹底解説」の記事の中で触れているように、2つのバージョンのスピードマスターが着用された。これらはアームストロング船長とコリンズがそれぞれ着用したRef.105.012とRef.145.012だ。 その記事から読み解けるのは、スピードマスターはその頃までには宇宙飛行士のウォーリー・シラーの手首に巻かれていたということだ。1962年のマーキュリー・アトラス8で彼はRef.2998を着用してたのだ。これは宇宙に行った最初のオメガ スピードマスターであり、 バーゼルワールド2012で発表されたファースト・オメガ・イン・スペースのベースとなった。 

スピードマスターRef.105.003。当時NASAのテストを実際に受けたモデル。

時計収集家の観点から見ると、Ref.105.012の興味深い特徴の1つは、文字盤に「Professional」という言葉が付いた最初のモデルであったことだ。しかし、2015年にベンが指摘したように、「…オメガはこれらの時計を左右対称のケースと「Professional」のない文字盤を特徴とする他のリファレンスと同時に製造していた。また興味深いのは、Ref.105.012もRef.145.012も、NASAによって認証のためにテストされたモデルではなかったことだ。 NASAによる認証をクリアしたのはRef.105.003だったのだ」

アポロ11号ミッションに備え地質学トレーニングを受けるニール・アームストロング、その腕にはスピードマスターが。

宇宙飛行士は、政府の財産であるスピードマスターを返さなければならなかった(人類のために命を賭けた彼らに政府は、気前よく贈与したと思うだろうが、お上というものはがめついもんなのさと税務当局で働いていた友人はよく言っていたものだ)。これらの時計の多くは今日、さまざまな博物館で見ることができる。史上最も有名な「失われた」時計のひとつ(第二次世界大戦以降)は、バズ・オルドリンのスピードマスターで、この時計は実際に月で初めて着用された時計として目されており、ニール・アームストロングのスピードマスターはアポロ11号の 船外活動中にLEM内に置いてあったので、予備用のストップウォッチとして使用されたのだ。オルドリンのスピードマスターはスミソニアン研究所への輸送途上で姿を消した(ベンが「史上最大の行方不明の時計12本」の中で触れているが、彼はこの記事の取材中、その時計をその中でも「最大の紛失事件」とすることに私は完全に同意する)。これは当然、最初の実際のムーンウォッチが1970年代初頭にAWOL(脱走兵)となったことを意味する。オメガ(およびNASA、そしておそらくスミソニアン)は、カルティエがメイジー・プラントの真珠を取り戻したいのと同じくらい、奪還したいことだろう。

スミソニアン博物館に所蔵されているアームストロング船長のスピードマスター。スミソニアンに届いたのは1973年という。

宇宙で使用されたスピードマスターが返却されたという事実は、中古市場でお目にかかれないということを同時に意味する。2017年、アポロ7で使用され1989年に盗難に遭ったスピードマスターは回収されたが、実際に月に行ったムーンウォッチ(アポロ7はそうではなかった。 後の月面活動のための軌道周回が主な目的であった)は、上述の理由から売りに出されたことがないのだ。

ADVERTISEMENT

アポロ15号とデイヴィッド・スコットのブローバ

司令官デイヴィッド・スコットのブローバ・クロノグラフは、アポロ15号の3回目の船外活動、通称ミッション「J」に使用された。1959年にNASAのスペースタスクグループに当初から参加し、マーキュリー計画に心血を注いだカナダの航空宇宙エンジニアであるオーウェン・メイナードは、1967年にAから始まるアポロ計画の類型を作成し(AはサターンVとその宇宙船の無人テストであった) 、ついにはJに到達。 ミッションJは長期間にわたるものだった。宇宙飛行士は、 月面のLEMのより大きなスペースに最大3日間とどまり、月面探査機を操縦することができた。 月面探査機は最長22マイルほどのバッテリー駆動の2人乗りの電気自動車だ。Lunar Roving Vehicleが正式名称だが、シンプルにムーン・バギーと呼ばれていた。

船外活動時に使用された月面車。

乗組員は司令官デイヴィッド・スコットの他、 LEMパイロットのジェームズ・アーウィンとCSMパイロットのアルフレッド・ウォーデンで編成された。スコットとアーウィンは月面に合計3回の船外活動を実施され、これら3回すべてに月面探査機が使用された。スコットのスピードマスターからクリスタル風防が落ちてしまったのは、2回目の船外活動時だ。彼は個人所有のブローバを使用した(宇宙飛行士はいくつかの私物を持ち込むことが許可されてており、多くの宇宙飛行士は支給されたスピードマスターの他に私物の時計を持ち込んだ)。アポロ15号は1971年に発射されたが、翌年にはアメリカの時計ブランドから2回目の採用資格審査が求められていた。候補となったメーカーの中には、当時の社長がオマール・ブラッドリー将軍だったブローバが含まれていた。このロビー活動の背景には、1933年のバイ-アメリカ法があり、米国政府は政府調達品にアメリカ製品を優先するよう義務付けていた(オメガは、米国でケースと風防を調達し、ムーブメントの設置を含む最終的な組み立てと調整をスイスで実施することでこの法律の抵触を迂回していた)。

宇宙飛行士デイヴィッド・スコット私物のブローバ クロノグラフ。スピードマスター以外に唯一月に降り立った時計。

ブローバは、採用資格を得るためにNASAに提出する目的で16個のプロトタイプを作成したことを示す証拠があり、ブローバとNASAの間の1972年のやり取りには、会社によって提出された2つのクロノグラフが実際にバイ-アメリカ法に則っているとの確認に関して記述があるものの 、スコットのブローバクロノグラフは、一般向けに生産されたブローバ・クロノグラフとは一致しておらず、ユニバーサルジュネーブ(当時ブローバの子会社であった)からのムーブメントを搭載したプロトタイプの1つであった可能性がある。

調査では、スコットが1年前にどのような経緯でプロトタイプを所有していたかという問題は解決しないが、スコットのブローバは1994年にアンティコルムのオークションに登場したユニバーサルジュネーブ・クロノグラフのプロトタイプに瓜二つであることも事実だ。 私の知る限り、謎は解決されていない。 この謎に対する最初の研究は、2016年にWorn&Woundで公開された記事からのもので、今井今朝春の著作、「20世紀の記憶装置―オメガ・スピードマスター」を引用している。 アポロ15号のNASAの装備目録を調べることで、この謎にさらに光を当てる可能性がある。オークションでスコットの時計に最終的に取り付けられたストラップがNASA支給品であったことが確認されているからだ。あるいは デイヴィッド ・スコット本人に直接聞くのが早いかもしれない。

1971年、アポロ15号のミッションで月面に立つ宇宙飛行士のデイヴィッド・スコット。

いずれにしても、スコットは2015年に彼のブローバをRRオークションに委託し、手数料込で1,625,000ドル(約1億7700万円)で落札された。 それは私の死んだ父が貯め込むことがなかったゼニというやつだが、一方で、月面で着用された時計としては最初で最後であることを考えると、掘出し物と言えるかもしれない。

スコットのブローバ・クロノグラフは月面に到達した最も有名なブローバ製品だが、彼はまた、降下軌道投入操作の時間を測るために使用されたブローバ・ストップウォッチも持っていた。


ロレックス GMTマスター

スピードマスターはアポロ計画の公式認定時計だが、ロレックスGMTマスター Ref.1675は、月面旅行の非公式認定時計とみなせるほど、クルー達の間で絶大な人気を誇った。 GMTマスターを持っていることで知られているアポロ計画の乗組員を列挙すると–アポロ13号ではジャック・スウィガートとロン・エヴァンス。アポロ17号では エド・ミッチェル、アポロ13、14号のジェームズ・ラベルは全員GMTマスターのオーナーであった。 また、アポロ14号の乗組員スチュアート・ルーサとアラン・シェパードもGMTマスターを所有していた。

アポロ14号ミッション、宇宙服の準備中に自身のロレックスGMTマスターを合わせる月着陸船操縦士のエドガー・ミッチェル、1971年。

実際に航行中にGMTマスターを身に着けているのは誰かを特定するのはさらに容易だ。 いくつものGMTマスターが航行に帯同しており、ひとつは実際に月面に到達したことを示す明確な証拠がある。

おそらく、GMTマスターが宇宙飛行に用いられたことの最も明白なエビデンスは、アポロ14の打ち上げ当日に飛行の準備をしているエド・ミッチェルの映像だ。静止画と動画の両方の映像から、彼が飛行直前に少なくとも1つ以上のGMTマスターを腕に巻いていることが確認できる。 同じ映像で、スチュアート・ルーサは宇宙服の外側に自分の支給品のスピードマスターを着用し、手首にGMTマスターのように見えるものの両方を着けていることが確認できる (同じ映像で、1:44に、プライムクルーに補選クルーが一緒になる場面がある。これには、見たところ2つの時計を身に着けているロン・エヴァンスが映っており、1つはGMTマスターのように見える)。

デイヴィッド・スコットが着用したブローバ・クロノグラフは、月面で着用されオークションで落札された唯一の時計であることは先に述べた。事実そうではあるが、これに近い存在がアポロ17号のCSMパイロット ロン・エヴァンスが身に着けたGMTマスターなのである。エバンスは月面に降りてなかったが(CSMパイロットのように、彼は乗組員が戻るまで燃料を管理しながら軌道上で待機していた)、自分の私物ケース(PPK)を月面に行く仲間に渡した。 宇宙飛行士には、規定の重量まで私物を保管できるPPKが与えられていた(NASAは、宇宙飛行士が想い出の品を持ち込めるPPKを制度化していた)。

 エヴァンスは、月面着陸した記念という目的のために、彼のGMTマスターを月面に送ったようだ。 2009年の初々しいホディンキーの記事では、「…このロレックスがデコボコなチーズのブロックに到達するために、エヴァンスはPPKに入れた…そして彼の2人の乗組員がそれを月面に持ち込んだ」とある。 月面飛行から帰還後、エヴァンスはこれを記念して、「APOLLO XVII ’72年12月6日〜19日、月面に12月11〜17日ーロン・エヴァンス」と刻印された。

この時計は2009年にHeritage Auction Galleriesで131,450ドルで落札されたが、これは10年先の現在から見ると、驚くほどロープライスに見える。今オークションにかけられると一体いくらになるのか見当もつかないが、「もっと」高値を更新することは間違いないだろう。

ケースバックにエングレーブが施されたエバンスのGMTマスター。

確かにかなりの数のGMTマスターがさまざまなアポロ計画(アポロ14の3人の乗組員全員を含む)で宇宙飛行したが、GMTマスターが月面にいたという明確な証拠を見つけることは少し難しい(例えば、ルーサはアポロ14号のCSMパイロットであったため、彼の時計は飛行中に月の実際の表面に到達しなかった)。いずれにせよ、エヴァンスの時計は、これまでオークションに登場した唯一のGMTマスターだ。

別の可能性があるとすれば、ロレックス ターノグラフだ。アポロ中に使用されたロレックスの時計を追跡する際に脚の仕事の約90%を行ったJake’s Rolex Worldは、ターノグラフのように見える時計を着けている飛行3ヶ月前のフライトシミュレーター内のアポロ11号の宇宙飛行士マイケル・コリンズの画像を取り上げている。私はターノグラフが宇宙飛行したというはっきりとした証拠を見つけることができなかったが、そうであったなら実に面白い。宇宙飛行士の私物の腕時計がどのような運命を辿ったのか?私は最近の写真でラヴェル氏の手首にGMTマスターを確認したが、宇宙飛行したロレックス GMTマスターの多く、おそらくほとんどの所在を掴むことは困難であろう。

ADVERTISEMENT
ADVERTISEMENT

時計、タイマー、数個の爆弾(そう、爆弾)

支給品のスピードマスターや宇宙飛行した数々の時計(と言っても、ブローバの1本を除いて、ほとんどがGMTマスターなのだが)の話題から離れて、検証が容易な事柄に話を移そう。例えば、明らかに誤った情報(私自身も吹聴してきたが)として、アキュトロンの音叉ムーブメントがアポロ宇宙船のLEM、CSM双方のミッションタイマーとして使用されたというものだ。 しかし、事実は異なる。資料を掘り下げたところ、驚いたことに、LEM、CSM双方のミッションタイマーのムーブメントは誘導コンピュータの一部に組み込まれたクォーツ振動子であることが判明した。

アポロ誘導コンピュータのディスプレイ、キーボードとユーザーインターフェース。

アポロ誘導コンピュータ(AGC)はレイセオン社によって製造され、MITのInstrumentation Laboratoryで開発され、プログラミングはMITのマーガレット・ハミルトンが率いるチームによって作成された。 コンピューターとそのソフトウェアの開発自体は別の記事ができるほど(書籍といったほうが適切か)だが、我々が取り扱う話題では、CSMで標準時間をコントロールするために水晶が振動した周波数は1.024 Mhzであったことを理解するだけで十分だ。 

マーガレット・ハミルトンとMITの彼女のチームが開発したアポロ誘導コンピュータのコード、1969年。

長い間忘れられていたタイミング制御装置(CTE)は独立したモジュールで、ミッションの経過時間を記録し、通常はAGCのクォーツ振動子によって制御されていたが、瞬時にCTE内部クォーツ振動子に切り替わる(宇宙船の計器パネルのミッションタイマーに隣接する小さな照明付きの音叉記号から見分けられる)。タイミング機能は任務遂行に不可欠であったため、宇宙船に搭載された2つの主要な電源のいずれかからも電力を引き出すことができた。

 さて、コックピットタイマーとしては使用されなかったが(少なくともアポロ計画では。その後のスカイラブ宇宙ステーションのミッションには2つのアキュトロンが搭載されていた)、少なくともアキュトロンがアポロ計画の主要クルーか予備クルーの数名が使用していた可能性があるようだ。確固たる証拠はないが、アキュトロンは最先端の航空宇宙プログラムで実際に使用された。 アキュトロン・アストロノーツは、X-15ロケット機プログラムで実際の宇宙飛行士が着用した(X-15ロケット機のパイロットが、もう少しで宇宙飛行士の称号を与えられるほど超高度を飛んだことをお忘れなく)。また、特殊任務 OXCART CIAスパイプレーンプログラムではA-12(SR-71の前身)のパイロットが着用した。そのため、NASAアーカイブの何千もの画像のどこかに、アキュトロンの腕時計を着けている宇宙飛行士の写真があったとしても、私はまったく驚かないだろう(まだ見つけていないが)。 

飛行中の高高度極超音速実験機 X‐15

ブローバ アキュトロン アストロノート

しかし、月面で使用されたアキュトロンムーブメントがあった。実際のところ、それらはまだ月面にある。これらは、アポロ11号、12号、14号による地震実験のタイマーとして使用されたものだ。アキュトロンのムーブメントの歴史は、1959年のエクスプローラー7までさかのぼり、衛星のタイミングデバイスとしては非常に長い歴史を有していた( Explorer 6にも1つあったが、その宇宙船は打ち上げ時に爆発した)。そして、あまり知られていない事実として、月面でブローバ製機械式ムーブメントが使用されたことだ。 アポロ16号、17号には、両方地震実験パッケージが存在した。これらの実験は、ぞっとすることに、爆弾を含んでいた。

爆弾は月の地殻の地震学的理論を調査するために、地震計の針が触れる程度の衝撃波を生成するために必要だったのだ。

飛行する巨大な爆弾に乗った(サターンVロケット)宇宙飛行士や計画立案者達にとって、数キロの爆弾を月面で爆発させることなど些細なリスクに感じられたことだろうが、私個人はLEMに爆弾と同乗するなんて、何も感じずにはいられないだろう(アポロ16号の場合、信じられないだろうが迫撃弾と迫撃砲が同乗した)。

アポロ16号に装着された人工月震実験パッケージ。爆破装置を遠隔操作によって800メートルまで投げることが可能だった。

とりわけアポロ17号の実験では、安全面がかなり考慮された月面地震プロファイリング実験(LSP)に爆発物を使用した。 安全を確保するために宇宙飛行士が月面を去った後、遠隔操作で爆発させるというこの仕組みは確実に爆弾がセットされたことを担保するメカニズムが必要であり、それは特定の時間帯にのみ起爆用電波を受信するというものであった。 この時計の制御はブローバ腕時計のムーブメントによって制御されており、宇宙飛行士が爆発物の表面のピンを抜くと計測を開始した。

1972年のアポロ17ミッションで、人工月震実験のため、遠隔操作で爆破装置が月面に設置された。爆発をカウントダウンするためにブローバのムーブメントが装着されている。

このムーブメントは、国防総省のMIL-W-3818規格に基づいてブローバ社によって大量生産されたものであり、ホディンキーのニック・ マノーソスは丁寧にも本記事のために貴重なNASAの記録文書を提供してくれた。それによると、このムーブメントは月面条件下で異常に歩度が進んでしまうことで、爆弾が早期に起爆状態に入る可能性があるという懸念があったのだ(当初は指摘を強調するために「壊滅的」の分類が付与された)。 ブローバとNASA共同で、この問題に対処したことで実験は成功裡に終わった。 宇宙飛行士が月面から十分に離れた後、爆弾を吹き飛ばしたかった諸々の事情は理解できるにしても、爆破シーンを見る機会を奪われてしまったと思うのは私だけであろうか。 

アポロ16号の着陸地点、左端に見えるのは、人工月震実験パッケージ。

年経るごと、関係者の記憶が薄れていくにつれて、アポロ計画の任務中に使用された時計や他の計時装置について直接の証言を得るのがますます難しくなっている。 しかし、人類の持つ好奇心と豊富なアーカイブデータ、そして世界中の時計愛好家の執念のおかげで、時計や計時装置が実際に宇宙飛行し、月面での活動に使用されたという示唆が最も得られた記事となった。この種の記事は必然的に未完(タイトルには「全て」という単語が含まれているが、あくまで希望的観測にすぎない)となるが、宇宙へ飛んだ時計、帰還した時計についての我々の精一杯の情報収集による本記事を楽しんでいただけただろうか?

それから、最後に。

近い将来、再び人類が月面を歩く姿を想像しながらアポロ11号の月面着陸50周年を共に祝おう。