今日、クレドールはブランド創立50周年を記念して、1979年にクレドール(セイコー傘下)が製造したジェラルド・ジェンタデザインの“クレドール ロコモティブ”を再発売する。セイコーにジェンタデザインの公式時計があると知らなかったのは、おそらくあなただけではないだろう。しかしロコモティブは、ほかのどの時計とも間違えようがない。
クレドール ロコモティブが1970年代のジェラルド・ジェンタによる“ブレスレット一体型”のラグジュアリースポーツウォッチであることは疑いようがない。そのデザインには、アイコニックなデザイナー(そして彼のアイコニックなデザイン)から学んだ多くの特徴が見られる。角ばったブレスレット、ベゼルのビス、そして独特なベゼルと文字盤の形状は、すべて70年代のジェンタを象徴している。しかし、彼のスイス業界への影響が伝説的である一方で、セイコーや日本全体がジェンタにとってどれほど重要であったか、知っている人は少ないだろう。この点を踏まえると、これが伝統的な紹介になることはないが、それが適切だと思う。ジェラルド・ジェンタのデザインには(ポーラルーターを除いて)伝統的なものは何もない。いまから新しい時計を紹介するので、最後のスペックまで飛ばしてもらっても構わない。しかしもっと知りたい人にとって、ロコモティブの歴史を掘り下げることは十分に価値があると思う。
新しいクレドール ロコモティブ
“ブレスレット一体型”という言葉を引用符で囲んでいるのは、ご覧のとおり、ブレスレットがケースに統合されている度合いがその後に登場した3つのデザイン(ロイヤル オーク、ノーチラス、インヂュニア)よりもはるかに少ないからだ。これらほかのデザインについても、当時画期的であったとはいえ、現代のスポーツウォッチの伝統的な型には確実に当てはまらないことが分かってきた。しかしクレドール ロコモティブのポイントはそこではない。この時計は何よりもまず、金属の形をした歴史の教科書なのだ。
まず、その金属の形について話そう。オリジナルのロコモティブはスティール製であったが、新モデルは高輝度チタンでつくられており、サイズは38.8mm×8.9mm、ソリッドケースバック、ねじ込み式リューズ、反射防止コーティングを施したサファイアクリスタルを備え、10気圧の防水性能を誇る。ケース自体には、それまでの時計の要素がミックスされている(例えばIWC インヂュニアに似ているといえるかもしれない)。特にブレスレットは最も明白な“回帰”であり、サテン仕上げの表面、アングルとポリッシュ仕上げのエッジ、各リンク間のふたつのコネクターなど、ロイヤル オークとの類似性を否定することはできない。さらにケースと完全に一体化しているのではなく、時計は中央の1点でつながっている。これについては後ほど詳しく説明しよう。ブレスレットはプッシュボタン式のふたつ折りフォールドクラスプを採用している。
文字盤には六角形のベゼルがあり、それを六角形のネジが固定している。ベゼルの上部はサテン仕上げ、側面はポリッシュ仕上げで、ロイヤル オークと似ているが、ロイヤル オークが非常に鋭く計算されたエッジを持つのに対し、クレドールのケース形状はより柔らかく丸みを帯びている。オリジナルのクレドール ロコモティブの文字盤は、ジェンタのオリジナルスケッチの放射状パターンよりも、むしろハンマーで叩いたようなテクスチャーを持っていた。それがいまでは、新しい機械加工と製造技術によって、1600本以上の放射状パターンが加えられている。またベゼルのネジが機能的になり、文字盤のインデックスが完全な楕円形になったことも、オリジナルのロコモティブが発表されてから45年のあいだに行われたアップデートの一部である。
ケース内部には、時・分・センターセコンド、日付表示を備えた新しい自動巻きCal.CR01が搭載されている。これはオリジナルのクォーツムーブメントからさらにアップグレードしたものだ。時計は2万8800振動/時で動作し、パワーリザーブは約45時間。残念ながら、私が撮影したモデルはムーブメントなしのダミー機であったため、感触や性能については何もお伝えできない。2024年版のクレドール ロコモティブは300本のみの限定生産で、今年の8月に正式販売される際には176万円(税込)で販売される予定である。これが主な詳細であるが、クレドール ロコモティブの物語の表面をかすめたに過ぎない。
クレドール入門
クレドール 叡智IIは、この過去の記事で述べたように“最も偉大なグランドセイコー”として知られているかもしれないが、それは少し複雑である。それでもこの時計は素晴らしく、祝うに値し、さらに探求する価値がある。
最近、私が書いたグランドセイコー Kodo “薄明”に対するコメントで、クレドールはセイコーの最高価格モデルのブランドではないかという質問があった。これはよくある誤解である。その一因は、クレドールはアメリカではほぼ叡智IIしか知られていないことにある。叡智IIはクレドールのマスターピースコレクションのひとつであり、ほとんどのグランドセイコーの時計よりも高価(税込で605万円)だからである。実際、今日まで叡智IIはアメリカで販売されている唯一のクレドールであった。
フランス語の“CRÊTE D'OR”(黄金の頂き)に由来するクレドールは、1974年に貴金属を使用したセイコーの高級ブランドとして設立された。1980年までに、ブランドはトライピークの紋章ロゴとクレドールの名前を初めてセイコーブランドロゴなしで配置し、その2年後には価格が100万ドルを超えるダイヤモンドセットのジュエリーウォッチを発表した。2011年にはスプリングドライブ ミニッツリピーターも発売された。しかし、クレドールの歴史を通じて最も重要なのは、ほかのセイコーブランドやコレクションでは見られない手工芸、宝石セット、デザイン、形状の実験を行っている点である。クレドールはまた、価格帯の幅も大きく跨いでいる。
グランドセイコーとクレドールを差別化する要素は、実は価格とは関係ない。セイコーとグランドセイコーはデザインや価格帯が重なる部分があるが、クレドールの最大の差別化要因は、グランドセイコーの核となる3つのデザイン原則と、すべての時計に共通する9つのデザイン要素の制約から解放されている点である。ブランドのウェブサイトにはこれらの原則の概要が掲載されており、グランドセイコーのすべての時計には以下の要素が備わっているはずである(サイトからの引用)
- 平面を主体として、平面と二次曲面からなるデザイン。三次曲面は原則として採り入れない。
- ケース・ダイヤル・針のすべてにわたって極力平面部の面積を多くする。
- 各面は原則として鏡面とし、その鏡面からは極力歪みをなくす。
この図は、これらすべてがどのようにグランドセイコーの9つのデザイン要素に分解されるかを示したものだ。しかしロコモティブを見ると、これらのデザイン要素の多くが、現代のグランドセイコーの要求とは大きく異なることが分かる。
それを踏まえると、ロコモティブが現代のグランドセイコーで受け入れられるデザインから明らかに異なっていることが分かる。四角ではなく丸みを帯びたインデックス、面取りされていない針、ケースが上から下、さらには角から角まで立体的なカーブを描いていることなど、どれも“グランドセイコー”のデザインとはいえない特徴である。さらに鏡面仕上げではなく縦方向のサテンで仕上げられたベゼル自体も、この時計をクレドール(少なくともグランドセイコーではない)として際立たせている。
その点については納得できる。ジェラルド・ジェンタはほかの誰のデザインルールにも従わなかったからだ。それが彼のデザインをひと目で識別できる理由である。しかし、多くのジェンタのデザインにまつわる逸話とは異なり、この話は彼自身が直接語ったものである。
ジェンタと日本。ロコモティブ誕生の経緯
数週間前のある月曜日の遅い時間、クレドール ロコモティブの再発売を前に、イヴリン・ジェンタ夫人と話をした。“ジェラルド・ジェンタ・ヘリテージ・アソシエーション”の創設者でもある彼女はロンドンを拠点としながらも、故ジェラルド・ジェンタへの敬意を表するとともに新しい若手の才能を支援するために活動している。彼女は東京・銀座にあるセイコーの重厚なウッドパネルの部屋からテレビ会議に出席していた。イヴリン夫人が夫の芸術、デザインへの情熱、そして日本への愛について雄弁に語るなかで、私はジェラルド・ジェンタの天才性と、彼がキャリアで直面した挑戦や外部からの圧力、特にセイコーと仕事をする決断に至る経緯をより深く理解するようになった。
過去20年間、スイスの独立時計産業を支えてきた日本の役割は、フィリップ・デュフォーやF.P.ジュルヌのような人々を新たな高みへと引き上げた。彼らは日本の支援がなければ(少なくともそれほど早くは)その高みに到達しなかったかもしれない。しかし、1970年代にはスイスの時計産業が日本と戦争状態にあった。日本が機械式およびクォーツ式の精度で成長しているため、機械式時計製造の魂を巡る争いが起きたのである。
「もしあなたがスイス人男性で、スイスブランドのデザインを手がける時計の世界で人生をスタートさせたとしたら、日本は絶対に好きになってはいけない場所だった。なぜなら、スイスのあらゆる産業が日本を恐れていたからです」とイヴリン・ジェンタ夫人は私に語った。「日本はスイスの時計産業を滅ぼす大敵でした。工場は閉鎖され、人々は解雇されていきました。それとは逆に私の夫は日本に執着しており、最初は本当に観光客として何度も訪れていました」
ジェンタは旅の途中で、セイコー創業家の一員であった服部禮次郎と出会った。ジェンタは日本語も英語も話せず、服部もフランス語を話せなかったが、ふたりは瞬く間に意気投合し、強い友情で結ばれた。服部はジェンタの作品を称賛し、1970年代には何度もジェンタを日本に招いてセイコーのデザインチームに向けてインスピレーションを与える講演を行った。そこで、余暇には常に絵を描いていた情熱的なアーティストであるジェンタは、最近のグランドセイコーに共通するテーマである自然からインスピレーションを得ること、そしてスイスの時計産業についてあまり考えないようにすることをデザイナーたちにすすめた。
「彼はスイス人として時計をつくっていましたが、彼にとってそれは応用芸術でした」とイヴリン・ジェンタ夫人は夫について語った。「彼は非常に強いこだわりがあり、ほかの時計には見向きもしませんでした。バーゼルフェアに行っても、私がほかのブランドのウィンドウを見て回っているあいだ、彼は決して見に行かなかった。私はそれを不思議に思い続けていましたが、それが彼の流儀だったのです」
そして1970年代の終わりに、服部の個人的な依頼を受けて、ジェンタはロコモティブのデザインを手掛けることになった。ジェンタは一般的に、非常に少ない報酬でブランドのために時計をデザインし、それをブランドに渡して好きなようにさせるのが一般的だった。イヴリン・ジェンタによれば、彼女の家には夫がデザインしたものが自宅に4300点あるというから、夫には“たくさんの子どもたち”がいたことになる。そしてそのなかには、簡単に手放してもいいと思えるほど満足していたデザインもあった。しかしロイヤル オークのような時計については、ジェンタはより深くかかわり、そのデザインが完成するまで見届けることもあった。
ロコモティブは間違いなく後者に該当し、イヴリン・ジェンタによれば、彼は時計の発売まで関与し続けたという。彼女はまた、ロコモティブはジェラルド・ジェンタブランド以外で彼自身が名前を付けた唯一の時計であるとも語った。ロコモティブという工業的な名前は、デザインに機械的なインスピレーションを受けたことを示唆しているが、そうとは言い切れない。彼が観察した機械的なもの、例えばネジや船窓のような細かい部分からインスピレーションを得たことは確かだが、ロコモティブという名前には単なる“列車”以上の深い意味が込められていた。
「コルムやピアジェにも、ジェンタのデザインはあらゆるブランドに存在します。現在、どのブランドも彼のデザインをアーカイブから探しています。いま、ジェンタのデザインを持つことが大流行していますからね。しかし彼が嫌っていたのは、人々がジェンタにまつわる話をでっち上げることでした。いくつかの有名な時計には、本当ではない話もあります。だけどこの時計に関しては違います。彼はこの時計を愛していました。彼はいつも、どの時計が長続きするか知っていました。時々、彼は『これはベストセラーになるだろう』とか『機関車みたい』と呼んでいました」
「フランス語で言うロコモティブはもちろん、皆が知っている機械のことですが、同時に『成功を引っ張るもの』という意味もあります」とイヴリン・ジェンタ夫人は語った。「あなたは写真家ですが、もしあなたの写真がものすごく有名になったら、それはあなたの写真のロコモティブになるでしょう。その時計が完全に機械にインスパイアされたとは言えません。彼はあとから名前をつけたのです」
ジェンタの物語を牽引するロコモティブ
ロコモティブは、現代の時計デザインにおける一種のミッシングリンクである。ジェンタの作品に対する熱烈な情熱にもかかわらず、この数年間で多くの人がロコモティブについて考えたことはないだろう。しかし私が初めてオリジナルのロコモティブを見たとき、それは直ちに、以前のほかのブランドのためにデザインしたものと、のちに自分の名前を文字盤に掲げて行うデザインの橋渡しとして感じられた。まるでジェンタがこれらの大胆な機械的テーマを繰り返し探求しながら、言葉の端にある(いわば)デザインを見つけようとしていたかのようであり、それ以前の各デザインが独自のアイコンであることを証明する一方で、彼は依然として自分が“言いたい”デザインを探し続けていた。
これは多くのアーティストに共通する現象だと感じる。自分の心のなかにある、正確な表現を探し求めることだ。ジェラルド・ジェンタは、何よりもまずアーティストであった。自己批判的であれ自己探求的であれ、もし機会があれば私たちは自分の“芸術”を永遠に調整し続けるだろう。ロコモティブを横から見ると、それは間違いなくロイヤル オークのブレスレットのように見える。しかし少し回転させると、ジェンタが自分のブランド名でデザインした時計に共通する重要なデザイン要素が込められていることに気づく。その中央にある接続ポイントは、ジェラルド・ジェンタの“オクタゴン”ウォッチ(グランソヌリやほかの複雑時計を含む)における重要な要素だと私は考えている。
これらのデザインのどれも、ロコモティブなしでは存在しなかった可能性が高いだけでなく、1969年に設立されたジェラルド・ジェンタブランド(ロコモティブのリリースの10年前)自体も存在しなかったかもしれない。ジェンタはロコモティブのあと、主にスティールの一体型ブレスレットスポーツウォッチのデザインから離れていったが、それには服部からの励ましもあった。
「ジェラルドはロコモティブで、これらのよりインダストリアルな外観の時計で言いたいことを言い尽くしたと思います」とイヴリン・ジェンタ夫人は語った。「彼がそのあとに望んだのは、複雑機構の探求だったと思います。それはおそらく、ピカソがある時点で彼のスタイルや使用するさまざまなメディアから解放されたときと似ています。夫にも同じようなことが起きたのだと思います。彼は非常に独特な空や太陽を特徴とする永久カレンダーを作りたがっていました。彼は6本のプロトタイプを作りましたが、それらはまだ完成しておらず、文字盤には名前もありません。それを服部さんに見せたところ、服部さんは『仕上げて持ってきてください。和光で展示したいです』と言ったのです」
「ジェラルドは6本の時計を持って戻ってきました。そんなにお金を持っていなかったのに、金無垢の時計を6本も製作するのは大変なことでしたので、それは大きな投資でした。服部さんはそれらを和光で展示しましたが、その反応はどうだったかというと、あるスイスのブランドが服部さんに『そんなことはできない。これらの時計を展示しないでくれ』と言ったのです。服部さんは『ジェンタ、これは非常に無礼です。あなたはそれを受け入れるべきではありません。自分の名前をつけるべきです』と言いました」
その瞬間こそが、ジェラルド・ジェンタというブランド名のもとに生まれたすべてのものの真の誕生だったと、イヴリン・ジェンタ夫人は考えている。
クレドール ロコモティブは、その物語とジェラルド・ジェンタおよびクレドールブランドの歴史における役割に魅了されずにはいられない。ロイヤル オークの“ジャンボ”やパテック フィリップ ノーチラスよりもやや厚めだが、この時計は間違いなく手首に快適に装着できるし、176万円(税込)という価格はそれらよりもかなり手頃である。文字盤は非常に魅力的で、ロイヤル オークやノーチラス(さらにはオーデマ ピゲの“トスカーナダイヤル”のような希少バージョン)よりも素晴らしい。ただそれはある意味、重要なことではないかもしれない。
数人のコレクターと話をしたあと、ほかのジェンタデザインと同様に、クレドール ロコモティブを長いあいだ探し求めている人が確かに存在することを知った。日本の時計製造を愛する人々は、ジェンタのセイコーやクレドールとの歴史について、ほかの多くの人よりもずっとよく知っているようだ。ヴィンテージロコモティブは二次流通市場に出回ることもあるが、どのヴィンテージウォッチも同様に、コンディションや正確性に関する落とし穴がある。私自身の好みとしては、ジェンタデザインのなかで特にお気に入りというわけではないが、素晴らしいストラップには目がない。300本しか製造されない新しいロコモティブは、ジェラルド・ジェンタにとっての日本のすべてを表現しつつ、なおかつ新しくて耐久性があり、多くの歴史を背負っていることは間違いない。
基本情報
ブランド: クレドール(Credor)
モデル名: 50周年記念 LOCOMOTIVE 限定モデル
型番: GCCR999
直径: 38.8mm
厚さ: 8.9mm
ケース素材: ブライトチタン
文字盤: ブラック(ラジアル切削)
インデックス: アプライド
夜光: あり
防水性能: 10気圧
ストラップ/ブレスレット: ブライトチタンブレスレット、プッシュボタン式の2つ折りフォールドクラスプ
ムーブメント情報
キャリバー: CR01
機能: 時・分・センターセコンド、日付表示
パワーリザーブ: 約45時間
巻き上げ方式: 自動巻き
振動数: 2万8800振動/時
石数: 26
クロノメーター: なし、ただし日差+15~-10秒
追加情報: ねじ込み式リューズ、反射防止コーティングのサファイア風防
価格 & 発売時期
価格: 176万円(税込)
発売時期: 2024年8月9日より全世界で発売
限定: あり、世界限定300本
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