編集部注:本文中の日本円表記は販売時の為替レート(月中平均)から算出しています。
ジェイ・Z(Jay-Z)は、現代のポップカルチャーの頂点に立つ存在である。彼はアーティスト、プロデューサー、起業家として多くのキャリアを積み上げてきた。もはや音楽を制作したりスーパーボウルのハーフタイムショーをプロデュースしたりする必要がないのだが、彼はとにかくなんでもやっているのだ。要は彼の一挙手一投足すべてが、波紋を巻き起こす可能性があるということである。それは時計コレクトも含めてだ。
彼は常に、静かになにかを披露する力を持っていることを理解している。彼は1990年代後半にプラチナの時計を身につけていて、現在はディープな時計好きが好むマニア向けアイテムにまで手を広げている。彼の好みは現在のポップカルチャーを反映するというよりも、彼自身のハイエンドな嗜好を象徴するものとなっている。ファンにとってジェイ・Zの時計をウォッチスポッティングするということは、彼という人物や好み、そして彼がより大きな世界でどのように自身を見つめているのかを、理解しようとする方法となった。
だから今年のグラミー賞でパテックのグランドマスター・チャイムをつけていたとき、我々は注目したのだ。そしてアカデミー賞の翌日、ビヨンセと開いたアフターパーティの写真が公開され始めた。ロック・ネイション(Roc Nation)の上級副社長であり、ジェイ・Zの友人で写真家でもあるレニー・サンティアゴ(Lenny S)が、スマートフォンで撮影した2枚の写真を見て欲しい。これは時計業界やファンページで、本人がパテック フィリップの希少なヴィンテージのRef.2499を着用している姿の写真であり、瞬く間に拡散された。
1980年代に作られたファクトリーメイドのチェーンリンクブレスレットを備えた、信じられないほど複雑で珍しいこの時計がジェイの手首に巻かれているのを見られるというのは非常に大きな出来事だった。同僚にこの時計を試着したことがあるかどうか聞いてみたが、誰も身につけた記憶はなかった。大物コレクターは金庫を開けて見せびらかすことを嫌がるため、今まで誰も見たことがなくても不思議ではない。
私はその写真をInstagramで共有し、それでこの件は終わりかと思った。数分後、ふと見ると、あるプライベートの時計コレクターであり、世界でも有数のパテックとAPのコレクションを築いていることを知ることになった元ディーラーから、ふたつのWhatsAppメッセージが表示されていた。彼は以前、自分のコレクションについて話をしてほしいという、私の依頼を断っていた。それでも我々は連絡を取り合っていた。
「こんにちは、マーク。元気に過ごしているだろうか」
あまりにもタイミングがよすぎた。そして、素晴らしいストーリーがあるという予感が確信したと同時に、ジェイ・Zがなぜこのようなアイコニックな時計のオーナーになったのか、その真相を探るべく、特に人に話したがらないであろうことを承知で調査を開始したのだ。
こうしてジェイ・Zは、史上最も希少なヴィンテージのパテック フィリップを手に入れることになったのである。
なぜこの時計が問題なのか
パテック フィリップのRef.2499は、多くのコレクターから史上最高の腕時計といわれているモデルだ。
パテック フィリップは1950年から1985年のあいだ、永久カレンダー(ひと月の長さとうるう年を考慮したカレンダーのことだ)、ムーンフェイズ、クロノグラフを組み合わせたRef.2499を継続して生産し、市場を独占していた。しかしそれは年産10本にも満たなく、計349本と多くは製造されなかった。
35年間も市場を支配し続けるというのは並大抵のことではない。しかしパテックにとっては目新しい機構ではなかった。1941年から1954年までブランドは、Ref.2499の前身であるRef.1518を生産しているが、その数はわずか281本である。Ref.1518のほうがオリジナルだが、Ref.2499のほうがまだ珍しい存在だったのだ。
2018年のオークションで落札された、最も希少なRef.2499の1本を取材している。高価格を記録した個体だが、将来の価格がそれすら吹き飛ばした。ご覧あれ。
「私見ですが、このサイズであったからこそ、パテック フィリップの“マストハブ”である永久カレンダークロノグラフという技術が注ぎ込まれたのだと思います」と、クリスティーズの元時計部門国際責任者であり、パテックに関するあらゆるものの愛好家兼研究者にして、そしてパテック フィリップのヴィンテージおよび中古品を販売するコレクタビリティ(Collectability)の創設者であるジョン・リアドン氏(John Reardon)は言う。「ミッドセンチュリー時代のパテック フィリップにとって、2499のデザインは、永久カレンダー クロノグラフをより大きなケースにするということが自然な流れでした」
しかし、より現代的で着用しやすい37.5mmというのは、美観、腕の上での物理的なバランス、視認性、着用感に優れるサイズであり、純粋なパテックらしさを残したデザインとも思っている。後のモデルでケース直径が2.5mm大きくなっているが、すべてにおいて取るに足らない。
1990年代前半になると、多くの人によりRef.2499の駆け込み需要が発生し始めた。リアドン氏と同じくクリスティーズの元時計部長であり、最近までオーデマ ピゲのコンプリケーション部門長だった友人のマイケル・フリードマン(Michael Friedman)氏は、過去に2499を集めていた“開拓”時代について語る。文字盤と金属を多様に組み合わせた極上のピースたちはオークションやプライベートで、また情報通のコレクターや裕福なコレクターのあいだで争奪戦が繰り広げられていたという。
「これはパテック フィリップのコレクターにとって優良株中の優良株です」とリアドン氏は話す。「そして、市場で買うべき優良株がないときはどうなるのか? さらに高額な値段がつくのです。1950年から1985年のあいだに製造された349本のRef.2499のうち、現在まで公になっているのは半分強ほどです」
最も希少なのは、プラチナケースでできたRef.2499の2本のうちの1本だ。この時計はもともと、パテック フィリップ・ミュージアムに保管される予定だったものである。だがこの時計は何らかの理由でブランドの手を離れてしまい、そして1989年4月にアンティコルムが主催したオークション、“The Art of Patek Philippe”に出品された。パテック創業150周年を記念したそのオークションでは、インフレに合わせて調整されたプラチナ製の2499が約61万5000ドル(日本円で約8485万円)で落札されている。当時としては驚くべき価格だったが、これから迎える2499の狂乱には到底及ばない。
オーデマが昨日言った明日がある
Ref.2499が流行り始めた90年代半ばの頃に、ショーン・“ジェイ・Z”・カーター(Shawn "Jay-Z" Carter)も流行りはじめた。
1996年、自身のロッカフェラ・レコード(Roc-A-Fella records)レーベルからリリースした『リーズナブル・ダウト(Reasonable Doubt)』というアルバムで、ジェイ・Zは腕時計に目をつけていることを世界に知らしめた。しかし、ジェイ・Zは、世間が持っているものと同じものを所有するだけでは満足しないと知っていた。「想像のとおり、具体的なもので示せ、プラチナロレックスだ、俺たちはリースなんてしない」(Can I Liveの歌詞より)
みんながスティールやゴールドのロレックスを買っているときに、ジェイ・Zは(不思議なことに)ド派手な時計やモバードについての歌詞の次にリーズナブル・ダウトのトラック、“Can I Live”でより贅沢することについて話していた。
実は彼の初期のアルバムには、時計に関する歌詞が12曲ほどある。オーデマ ピゲへの思いは、2001年リリースの『The Blueprint 2: The Gift and the Curse』に収録されていた「Show You How」で、“アリゲーターストラップ付きのオーデマ ピゲ”と叫んだことから本化的に始まったようだ。1999年にロカウェア(Rocawear)を設立し、その2年後にはリーボックとエンドースメントを契約するなど、彼はビジネスマン、起業家として本領を発揮し始めた頃だった。2004年にはデフ・ジャム(Def Jam)レーベルの社長兼CEOにも就任している。
ジェイ・Zが、時計分野で初めて大きなビジネスを興したのは2006年のこと。ジェイ・Zはオーデマ ピゲと協力して、彼のサインを裏蓋に刻んだ100本限定のロイヤルオーク オフショアを製作した。
このスペシャルエディションは最後ではない。2011年に『Watch the Throne』でウブロについてラップしたジェイは、その後の2013年に同ブランドとのコラボレーションが実現しており、ブラックセラミックとイエローゴールドの両方で、ショーン・カーター ウブロ クラシック・フュージョンをリリースした。それからビヨンセが、彼の43歳の誕生日に500万ドル(日本円で約4億円)ものダイヤモンドをセットしたウブロをプレゼントしたとも報じられている。
歌詞のリストと時計のリストは延々と続く。
彼はHODINKEEに何度も登場しては、ラップシーンでは当たり前になった(いまやほぼ着用必須)、ユニークピースである数百万ドルものリシャール・ミルを着用し、そして彼はAPも着用し続けている。サプライズでJLCもあった。そしてもちろん、今もロレックスを愛用している。なかにはフランク・ミュラーがベーシックなデイトジャストを改造して永久カレンダーにした、ユニークなロレックスだったこともある。
しかし近年、ヒップホップ界のリーダーは、希少でアイコニックなパテック フィリップに引かれているようだ。ジェイは背後から迫ってくるシーンを、彼が好きでつけているものを拾い始めているのを見ると、それは次のステップに進む合図にしかならない気がするのだ。
そしてパテック以外にどこを動かせばいいのだろうか? 何しろ、ビヨンセとジェイ・Zは、ティファニーとのパートナーシップを成功させているからだ。ビヨンセは黒人女性として初めてティファニーの象徴である128.54カラットのダイヤモンドをまとい、夫とともに広告に出演している。ティファニーは、パテック フィリップと長年にわたり友好的な関係を築いているブランドだ。その関係を祝して、パテックは最も人気の高い時計であるノーチラス Ref.5711に、ティファニーをテーマ(ティファニーカラーの文字盤)にしてから別れを告げた。そのうちの1本が、フィリップス社のオークションで620万ドル(日本円で約8億1505万円)で落札されている。その8日後に、ジェイ・Zは自分のものを身につけていた。
またジェイは、最も高価で複雑なパテックのプロダクトモデルである、グランドマスター・チャイム Ref.6300Gをつけているところも目撃されている。2019年のディディ(Diddy)の50歳の誕生日パーティや、妻がグラミー賞の最多ノミネート記録を更新した今年の授賞式など、これまでに何度も着用しているモデルだ。希少なパテックを身につけることは、群衆から自分を引き離して、喧噪のなかにある自身の居場所で落ち着くための方法のように感じられる。
それは言葉を選ばずにいうと、「私は自分が何者か知っているし、他の誰とも似ていない。あなたは私になりたいかもしれないけどなれない。私の時計でさえ、それを示している」ということだ。
問題の2499
プラチナ2499と同じ1989年のオークションにて、永久カレンダークロノグラフなど、いくつかのパテックの興味深いユニークピースがあった。なかでもムーブメント番号869,392、ケース番号2,779,153を持つ、Ref.2499/101Jが際立っていたもののひとつだ。
この時計はサファイアクリスタルを採用しており、4つのシリーズのうち4番目のリファレンスに位置づけられる。また43年前の1980年4月25日に、最初のオーナーに売却されている。しかし末尾に“101”と記載があることで、35年間の生産期間中に、ケースにブレスレットを組み込んだ状態で工場を出た、4本以下のRef.2499のうちの1本という、特別な特徴を与えている。
ブレスレットのヴィンテージパテックは、今でこそ多くのコレクターから評価されるようになっているが、当時はもっと需要が少なかったのだ。通常、ユニークピースには高いプレミア値がつくものだが、ゴールドを編み込んだブレスレットという思い切ったデザインは、当時のパテックの控えめなエレガンスさと相容れないと判断され、インフレに合わせて調整された最終価格は20万ドル(日本円で約2760万円)弱に抑えられていたようである。
2013年にムーブメント番号869,392を持つ個体が、クリスティーズのオークション会場に再び姿を現したとき、この時計の外観はまったく変わってしまっていた。この変更により1週間は、まったく新しいケースが使われただとか、偽造や、シリアルナンバーの重複といったありとあらゆる憶測が飛び交った。しかし、本当のところはどうなのだろうか。
真ん中には、前述した超プライベートなコレクターと元ディーラーが座っている。Instagramで“Only_TheRarest”と名乗っているトニー・カヴァック(Tony Kavak)氏は、約10年前に時計ディーラーの仕事を引退し、それから故郷のストックホルムとチューリッヒにあるショップで、新品やヴィンテージといった希少な時計を扱っていたが、その後息子に事業を引き継いでいる。しかしそれ以上に大切なのは、カヴァック氏は何十年にもわたってヴィンテージパテック フィリップ(およびオーデマ ピゲ)の熱心なコレクターだったということだ。
「私が初めてRef.2499を買ったのは、2001年の33歳の時でした」とカヴァック氏は言う。「今まで購入した時計のなかでも高価な部類に入りますが、非常にクラシカルなモデルでした。私はすぐに恋に落ちました。手首にもしっくりきたのです。しかし2499の歴史について読み進めると、この時計だけではなく、パテックのウォッチメイキングの時代にもすっかり魅了されてしまったのです」
しかしそのオークションに関してカヴァック氏は注目されることを望まなかった。実は観察力のあるパテックファンが、アフターゴールドパーティのジェイ・Zの写真に早々に気づき、そしてカヴァック氏のコレクションを思い出してピースを組み合わせてから、Instagramに投稿したようである。その人たちはジェイ・Zのファンアカウントやジェイ・Zの友人らと並んで、先週からしょっちゅうカヴァック氏をタグ付けして投稿していた。秘密はすでに明らかになっていたのだ。
また、これまでインタビューに応じたことのないカヴァック氏は、この希少な2499/101Jがジェイ・Zの手にわたった経緯について多くを語ろうとはしなかった。だが注意深く検討し、さらに慎重に言葉を選びながら、ストーリーと時計との歴史のギャップを埋めていくことに快く応じてくれたのである。カヴァック氏はジェイ・Zと彼のプライバシーに配慮して、ジェイ・Zとの時間や時計の入手経路についてほんのわずかな情報しか語らず、もちろん価格の詳細については一切触れなかった。
しかし彼がシェアした内容は、ジェイ・Z、そして彼のおかげで、これまで以上にヴィンテージのパテック フィリップに注目し始める可能性がある瞬間だと示唆している。
2013年、2499/101Jが再び市場に現れたとき、落札者は1989年当時の価格を下回る22万ドル(日本円で約2150万円、インフレに合わせて調整後)強を支払い、比較的お得に手に入れている。
ケースとムーブメント番号はアンティコルムのオリジナルと一致したのだが、ロットタイトルには“ラグは後から追加”という追記があったため、入札者のなかには怖気づいた人もいたようである。カヴァック氏の見解では、以前のオーナーはRef.2499を所有することを気に入っていたが、ブレスレットの主張が強すぎると考えていたかもしれないとのことだった。ある時、オーナーは革ベルトで着用できるようにラグを追加するなどしてほしいとパテック フィリップに直接依頼して、通常の時計と同じように、時代に合わせてケースを作り直した。今なら冒涜と言われるようなことだが、この要望は叶えられた。
その同時期、Ref.2499は初めてビッグセレブの仲間入りを果たす。2000年代に、クラシックロックのギタリストであるエリック・クラプトンが、アンティコルムで販売していたプラチナ製のRef.2499を購入。その後2499/101Jが再登場する前年の2012年に、クリスティーズで約450万ドル(日本円で約3億5910万円、インフレに合わせて調整後)で自らそれを出品したのだ。
その1、2年後、カヴァック氏は個人コレクターから2499/101Jを購入し、彼自身もこの時計をレザーストラップにつけて少し身につけていた。しかしこの時計が持つ本来の華やかさを失ってしまっているという事実が、彼を苦しめていた。アンティコルムの発表では、ブレスレット仕様の2499は4本以下だと主張していたにもかかわらず、カヴァック氏は彼の研究と経験により、この時計が唯一無二の存在であると確信するほどに多くの時計を見て、ほかの人の話を聞いた。
私の関係者によると、2499/101Jのほかに、少なくともふたつのモデルが存在するが、それは時計の第3シリーズにつくられたもので、ブレスレットのスタイルがまったく異なるものであると確認している。そしてそのうちのひとつは、ブレスレットを取り外してラグを取り付けた個体である。
カヴァック氏は、「あのようなブレスレットに時計をつけるのは、よほど変わった性格の持ち主でないとできないでしょう」と話す。「なぜそうなったのかはある意味理解できるのですが、それでもしっくりきませんでした」
カヴァック氏はパテック フィリップの人脈を通じて、会社の上層部に大枚をはたいて頼み込み、時計を元の状態に戻してもらうことにした。後からつけられたラグを外し、ブレスレットを作り直し、そしてそれをケースに取り付けるまで、2年の歳月を費やしたという。この作業により、オリジナルのケースとケースナンバーはそのままに、時計は本来の姿へよみがえったのだ。
この作業により、パテックの最高傑作である2499/101Jは、再びその全貌を現した。
あの夜について...
アカデミー賞の1週間前、トニー・カヴァック氏は滞在先のマイアミからロサンゼルスに飛んで、約6年前から人々の縁により知り合った人物に、ようやく会うことができた。そのあいだにカヴァック氏はジェイ・Zと彼の好みについて多くを学んだ。だからこの最初の出会いで、時計を売るためではなく、時計好きから時計好きへ共有するために、彼は既成概念に捉われない特別なものを持参していた。
時計好きのふたりなら誰でもそうするように、ふたりは座って時計の話を始め、そしてふたりが愛する物をとおして互いをより深く知ることになった。カヴァック氏はヴィンテージのパテック フィリップへの愛着や好みの時代、リファレンス、そしてそれらが時計史において重要である理由などを説明した。取引を急ぐことはなかった。カヴァック氏によると、ジェイ・Zがすでに聞いたことがあるような内容でも彼は熱心に耳を傾け、一言一句逃さず、その知識と情熱に深く感謝しているようだったという。
「私はジェイ・Zに、1800年代のパテック フィリップの始まりから、どのようにして現在に至っているのか、また私が学んだパテック フィリップのすべてを話しました」とカヴァック氏。「自分が好きなものをなぜ好きなのか、この大切な時計を集めるのに、どれだけの時間がかかったのかも伝えました」
その時、カヴァック氏はジェイ・Zに自慢の2499/101Jを見せた。この時計はカヴァック氏にとって、決して手放すことのできない、自分だけの宝物のような時計のひとつだった。実際に話をしていて、カヴァック氏はまだ自分がやったと信じられないような気がしたという。この時計はカヴァック氏にとって、非常に大きな意味を持つものだ。というのも彼がディーラーを引退したあと、時計を売ることはせず、ほかのコレクターが持っているものがどうしても欲しい場合にのみ交換することをルールにしていたのだ。
しかしカヴァック氏によれば、ジェイに時計を見せたときの彼のリアクションはプライスレスだったそう。
「彼の幸せな姿を見るべきでしたよ」とカヴァック氏は言う。「自分で珍しいものを見つけたときのうれしさを、改めて実感することができたのです。というか今でもどんな時計でも、例え普通の時計であったとしても、手に入れた瞬間はワクワクするんです。いいものに出合えたことこそ、何にも代えがたい喜びがあります。だから彼の顔を見たとき、この時計を所有するのにふさわしい人物だと思ったのです」
彼は本当は時計を手放したくないと言っていたのだが、最終的に取引が成立し、その結果、カヴァック氏は新しい持ち主にその聖杯を手渡した。
「時計をよこせ、金はここにある、また今度会おう、というような状況ではありませんでした」と同氏。「彼はとても執着心が強く、時計の歴史や複雑な機構など、あらゆる部分に興味を持っていました」
手放すのは大変だったとカヴァック氏は続けて話す。「でも最終的にこの時計がジェイにわたってよかったと思います。それに彼の情熱があれば、いつか時計を手放したくなったとしても、また私に所有するチャンスをくれるような人だと感じているんです」
最後に調整しなければならなかったのはブレスレットだった。簡単にリンクを外すことができるロレックスやAPの時計とは異なり、このタイプはサイズを合わせるのに手間がかかる。このブレスレットは1週間も経たないうちに、新しいオーナーがアカデミー賞で着用するために完璧な仕上がりになるまで、何時間もかけてリンクを切りながら、サイズ調整する必要があった。あとはもうこれは歴史だとしか言いようがない。
次に何が起こるのか?
この1週間で、時計の言い伝えはどんどん広がっていった。Instagramのアカウントではでたらめな憶測として、市場価格は300万ドル(日本円で約3億9450万円)だと数字が投げかけられたが、やはりカヴァック氏は明言しなかった。おそらく価格は問題ではないのだろう。ジェイ・Zにとって重要なのは、偉大なもの、歴史的なもの、彼のコレクションストーリーにおける、新しい瞬間を意味するもの。そして正直にいって、ほかの誰も手を出せないものを持つことだった。
過去にジェイ・Zに販売した時計や、Ref.2499と一緒に販売した時計についてもカヴァック氏は教えてくれなかった。新しい2499/101Jと同じように、ジェイ・Zが共有するかは、ジェイ・Z次第ということだ。
しかし、ジェイ・Zがこの時計を身につけた写真を“OnlyTheRarest”というハッシュタグとともに投稿した、宝石商のアレックス・トッド(ジェイ・Zのファンであり、最近ではWrist Check Podcastにも出演していた)のように、時計コミュニティやジェイのファン、そして友人からの関心、興味、サポートにとても感謝している。だがジェイ・Zがこの時計を巻いた姿を見た喜びほど、彼を喜ばせるものはないはずだ。
パテックが誇る最高傑作のRef.2499の価格は、ますます上昇を続けている。昨年の秋、イタリアの小売業者だったゴッビ・ミラノ(Gobbi Milano)のサインが入ったユニークなモデルが、2022年のサザビーズ オークションにて768万ドル(日本円で約10億960万円)で落札されていたが、これは前回の2007年に出品されたときの約3倍という価格になる。もしプラチナの2499がオークションで落札されたとしたら、10桁の大台を突破する可能性は高い。またブレスレットタイプのパテックの価格や、ジェイ・Zが持っているかもしれないほかの時計の価格については、時間が経過してみないとわからない。
「今はヴィンテージパテックの新時代だと思います」とカヴァック氏が教えてくれた。「彼のような大物がヴィンテージパテックを愛することに力を注ぐことこそ、まさに今、最も重要なことのひとつだと思います。そして彼がこのトレンドを始めたことで、彼の世界では、これらの重要な時計を身につける人がますます増えていくことでしょう」