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Photos by Tiffany Wade
HODINKEEのスタッフや友人に、なぜその時計が好きなのかを解説してもらう「Watch of the Week」。今週の執筆者は、Haven Watch Co.のオーナー兼創設者兼代表のウェストン・カッター(Weston Cutter)氏だ。 彼については、HODINKEE マガジン Volume 10で詳しくご紹介している。
ジャガー・ルクルトのフューチャーマチック E502は、正真正銘の珍品だ。繊細で壊れやすく、防水性がなく、修理してくれる人がいたとしても高価になる。私はこの時計が大好きで、最近手に入れることができて、とても感激している。しかし私がフューチャーマチックで最も楽しんでいるのは、そのクリーンなダイヤルでも、幻想的なワードマークでも、エレガントなケースでも、希少性でも、笑えるほど過剰なムーブメントでさえもない。この時計が好きなのは父のおかげなのだ。
この一文は、若いころの私を驚かせたことだろう。私の人生最初の20年には、父が最終的に私の親友のひとりとなることを示すものは何もなかったのだ。不機嫌で頑固、決断力と行動力のある父は要求を通してコミュニケーションをとる会社経営者だった。
50歳を目前にして、彼の人生は崩壊した。私と姉妹たちが短気だと思っていたものが、彼が何十年も患っている不安神経症だと診断された。毎朝5時に起きて、家中のものが正しい場所にあることを確認するようなひどい憤慨。それは隠れた強迫性障害だったのだ。
診断が遅すぎたために結婚生活は救われず、父は離婚し、周囲は計り知れない混乱に陥った。そして目の前にいる父と、幼いころに見てきた父親とのあいだには、ほとんど何の共通点もなかったのである。私は大学を卒業したばかりの20代前半で、自分が何者で、何を望んでいて、何を大切にしているのかを理解し始めたところだった。父も似たようなところにいた。50歳になって新しい人生を歩むにはどうしたらいいのか。これまでの生き方はもう通用しないし、それを望んでいるわけでもない。父と私は、この時から親しい友人となった。ふたりともウェストンという名前で、同じような疑問に対する答えを探していたのだ。
週末には自転車で移動し、モール・オブ・アメリカでは交代で彼の父親(私の祖父)と一緒に歩いた。私の友人たちは父のことが大好きで、私がいないときでも一緒に遊んでいた。人格の変化とともに、父はキャリアを大きく転換させた。四半期ごとに報告書を作成する副社長だった父は、それをやめて時計づくりの教室に通い、やがて自分の会社を興すようになったのだ。
父はまた、感情の感じ方や表現方法を学んだ。私が子供のころ、父が何を感じていたのか、私にはわからない。ロボットのようではなかったが、自転車に乗るのは、もっぱらノートに走行距離を書き込むためだったようだ。今、ミシシッピ川沿いを自転車で走りながら、父は突然あたりを見回し「これよりいいものはあるかい?」と言う。母親が子供の手を握っているというようなありふれた光景を見て、何週間も前からそれを待っていたかのように微笑むのだ。このような満足感は、まったく新しいものだった。
それが父の時計に由来するものなのかどうかわからなかった。 今までのキャリアでも不満そうには見えなかったが、これは明らかに違う。父は学ぶことが好きで、時計やクロックの修理が好きで、自分の手で仕事をすることが好きだった。そういうことが上手った。父は定期的なメンテナンスとケアをして物事を正しく機能させることに、圧倒的な喜びを感じている。時計がきっかけで、自分の内面にある機械を大切にすることに目覚めたのだろうか。
父は時計について理屈っぽくなったり哲学的になることはなかったが、時計職人がエレガントに静かに問題を解決していく様子は大好きだった。私がついに時計に目覚めたとき、私は父に時計を買ってあげたいと思い、1年間、父の好みを知ろうとしつこく質問した。私の知る多くの時計職人がそうであるように、父もモノとしての時計にはあまり関心がなかった。ロレックスやパテックを尊敬していたが、それを所有することには興味がなかったのだ。父は仕事をしているときがいちばん幸せだった。
彼はあらゆるタイプのムーブメントに魅了され、何かを所有するとしたら、奇妙で忘れ去られた時計に最も興味を示していた。ルクルトのレベルソのケースの巧妙さについて熱く語るのを聞いたこともあるし、グリュエンのエアフライト(数字が1~12から13~24にジャンプする時計)をとても気に入って、同じ機能を持つ時計をデザインしたこともあった。父の変わった時計に対する熱意は、エルジンのテノール・ドーリー(Tenor-Dorly) 1376ジャンピングアワークロノグラフを所有し、修理し、身につけることができる数少ない人物のひとりであることでわかる。以前の父は流行に敏感だったが、新しい父はまったく気にしない。
だから、Havenを立ち上げたとき、私の最大のモチベーションのひとつは、彼が尊敬してくれる製品、つまり優れていて楽しくて、信頼できる驚きのある時計を作ることだった。
例えば最新のモデル、 チルミナティ(Chilluminati)。もし私の父が自分の好きなものをとことん追求する人でなかったら、9時位置に日付があり、三角形のインダイヤルを持つクロノグラフをデザインすることはなかったろう。
父と同じで、私はあまり時計を集めない。でも本当に好きなもの、胸に響くものは変なものばかりだ。オメガのデ・ヴィル クロノグラフ Ref.146.017は、9時位置の日付窓が変わっているし、BWCは豪華な非対称のインダイヤルを持ち、ランデロンのCal.1340が内蔵されている。
しかし、父も私もフューチャーマチックに行き着いたのは、つい最近のことだ。
ジャガー・ルクルトは、1953年に史上初めてムーブメントを巻き上げるためのリューズを持たない時計、フューチャーマチックを発表した。文字どおり自動巻きで、主ゼンマイは動きとバンパー巻きのムーブメントだけで駆動する(当時ロレックスはフルローター式自動巻きムーブメントの特許を取得していた)。
3時位置にランニングセコンド、9時位置にパワーリザーブを配したE501と、その後に発表されたE502のふたつのフューチャーマチックがある。そして、今回ご紹介するE502は、この年代の後半に発表されたモデルだ。ディスプレイは同じだが、ダイヤルの下にある機械を見せる小窓で表示するようになった。回転するディスクが秒を表示し、塗装された金属片がゆっくりと動いて残りのパワーリザーブを表示する。赤色はほとんどパワーがない状態、白色はフルパワーの状態を示す。
フューチャーマチックは、ジャガー・ルクルトの世界的な成功を目指して作られたが、都市伝説では、この時計(とその過剰設計のムーブメント)は会社を倒産寸前まで追い込んだという。結局、1959年にフューチャーマチックは正式に廃止された。
長いあいだ、父はこの時計を修理する数少ない時計職人だったが、その経験を語るとき、父はムーブメントがそれほどまでに精巧であることに驚いているような声をあげた。このような奇妙で常識はずれのムーブメントを作るために、これほどまでに馬鹿げたことをした技術者の反抗的な狂気に対して、彼の声にはいつも心からの誇りが感じられた。
この冬、私は彼にこの時計をプレゼントした。それは最近修理されたばかりで、完璧な状態だった。そしてついに1ヵ月ほど前に自分用にも奮発した。
フューチャーマチックは、ルクルトが50年代初頭に想像していたような世界的な大ヒットモデルになったのだろうか? 決してそうはならなかった。相変わらず面倒で、難しい時計だ。雨の日にはつけられないし、自転車や庭仕事では手首につけていられない。しかし重要なのは手軽さでも、どこにでも行けて何でもできることでもないということだ。
私たちのフューチャーマチックは、単純に楽しみ、喜びを感じるのに適した奇妙な喜びだ。父と私が同時に、そして一緒にその理想を理解する方法を学んだことを、私はいつも愛している。
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Haven Watch社、ジャガー・ルクルトについては、オンラインで詳しく知ることができます。ウェストン氏については、HODINKEEマガジンVol.10で詳しくご紹介しています。また、HODINKEEショップでは、Vol.10で紹介された時計をベースにしたセレクションをキュレーションしていますので、こちらでご覧ください。