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私は長いあいだ“これ”を続けてきた。時々、若い読者の多くがそれを理解しているかわからなくなる。言いたいことを伝えるために、私は折に触れてオフィスで誰かに3年前は何をしていたのかと尋ねる。彼らはどこに住んでいたのか、誰と仕事をしていたのか、2021年のCOVIDの時期には何に時間を費やしていたか答えるかもしれない。そして私は、“自分はこんなことをしていました”とつづける。次に私は彼らが5年前の2019年に何をしていたかを尋ねる。“私はこれをやっていました”。2015年はどうだ? 私はこれをやっていた。 2011年は? 2009年は? という具合に。
このことを通して言いたいのは、私は職業人生のすべてを時計の追求、理解、そして称賛に捧げてきたということだ。私がソーホーのスプリング・ストリートにあるワンルームのシェアアパートでHODINKEEを始めたのは25歳、実質無職だったが非常に幸せだったころだ。その後15年ほどは、私は猛烈に忙しい雇われの身(自営業、言い換えれば自分という最悪のボスに雇われること)となり、時にはかなり辛いこともあった。このHODINKEEという小さな事業を始めて今年で16年目だが、今ほど平穏だったことはない。HODINKEEは現在、世界で最も重要なパートナーのひとつであるWatches of Switzerland(ウォッチズ・オブ・スイス)の優れた手腕に委ねられている。私は4年ぶりにこのビジネスの責任者に復帰したが、今はより大規模なパートナーの思慮深いリーダーシップによって、事業が安定している。
社内はCOVID以前の状態に戻ったような感じだ。少人数のグループで、またしても業界の流れを変えると思われる、小規模ながらも非常にクールなプロジェクトに取り組んでいる。ジェームズ・ステイシーを編集長として迎えたことで、私はさらにワクワクしている。
私個人としても、これほど幸せだったことはない。夢のような女性と結婚し、ふたりの素晴らしい子どもたちの親となった。上の子であるジョージは、30歳の私が2526とダブルスイス表記のデイトナを愛したように(アニメの)『ブルーイ』を愛し、下の子のオリバーは今の私がクルマを愛するようにクルマを愛している。彼らは私の人生の絶対的な光であり、彼らとともに私の人生のまったく新しいフェーズが訪れた。子どもができる前のように、時計を買うことにこだわらなくなったのだ。もちろん時計を買わないわけではない。しかし父親となった今、時計の買い方や楽しみ方が大きく変わりつつある。まず、大物はもう手首につけることはない。たとえば私のコレクションのなかの唯一のミニッツリピーターは、昨年私の手を離れてしまった。人生のこの時期にはふさわしくなかったのだ。いつか買い戻すかもしれないが、今は素晴らしいコレクターである友人のもとにあるため、少なくともよく面倒を見てもらっていることは確かだ。
買っているもの
私の購買行動は今どうなっているか。いろいろな意味で、私は3つのカテゴリーのどれかに分類されるものを買っている。1.現代のもので、個人的に親しい関係にある人たちによってつくられたもの。2.同じく現代のもので、私にとって非常に特別な意味を持ち、長いあいだコレクションにあった時計の、少なくともひとつ以上を置き換えることができるもの(これについてはのちほど詳しく説明する)、3.コレクションを始めた初期のころや、そもそもなぜこの趣味にのめり込んだのかを思い出させてくれるものだ。
いくつか例を挙げよう。今年買った時計のひとつは、オーデマ ピゲ ロイヤル オーク パーペチュアルカレンダー “ジョン・メイヤー” 限定モデル(以下、JM AP QP)である。もちろん、オーデマ ピゲは私にとって重要なブランドだ。彼らは我々の最初期のサポーターであり、何年も前、ジョン(・メイヤー)氏とフランソワ(-アンリ・ベナミアス)氏がこのプロジェクトについてはじめて話したとき、私はその場に居合わせていた。私とジョン氏の関係はここでもよく知られていることだが、この時計はフランソワ氏と彼のオーデマ ピゲでの在任期間を祝うものでもある。だから買ったわけだが、本当に素晴らしい時計だ。一生モノの時計になるだろう。率直に言って、私が必要とする唯一のAP QPだ。将来別のものを買わないとは限らないが、最終的に私がもっとも大切にするのはこのJM AP QPだろう。これがカテゴリー1の例。
カテゴリー2に分類される時計の一例として、私がまだ持っていない特別なカルティエ タンク ノルマルがある。といっても、数カ月以内に手に入れたいと思っている。娘が生まれたとき、私はカーラに特別なカルティエのパンテールを贈った。これはいつの日かジョージのものとなるだろう。だからオリバーの誕生をもう1本の特別なカルティエで祝うのは当然のことだった。このノルマルには彼のイニシャルを刻む予定だ。そしてこの時計は率直に言って、私が今年初めに1960年代のカルティエ ロンドン サントレを売却した原因でもある。今の私には、特別なカルティエを何本も所有する必要はない。
カテゴリー3は? おもしろいことに、最近は私が時計について学ぶ基礎となった時計を探していることが多い。これの一番いいところは、私が今流行っていない時計について話している点で、むしろそれを心地よく感じていることだ。たとえば、ごくシンプルな6240 デイトナと14270 エクスプローラー Iはこの1年間に購入した時計であり、本当に、本当に気に入っている。
14270は私が初めて所有したロレックスであり、6240は初期の6239を夢中になって研究した直後の絶対的な憧れだった。14270と6240の両方が私のコレクションに戻ってきたことは正しいことに感じられる。不思議なことに、クルマでも同じことをしている。クレイジーなものは見送り、日常的に使えて、より個人的に喜びをもたらしてくれるシンプルなクルマの特別な個体にフォーカスしている。たとえば1982年式のポルシェ 911SC タルガを買ったばかりだ。これは誕生年のクルマである。このクルマのおかげで、ほかのクラシックな911がすぐに必要になるとは思えない。正直なところ、乗る時間がない高価なクルマを手放すきっかけになるかもしれない。
私が買っているものについては、下の手放さないでいるものについて述べたセクションでもう少し紹介したい。このふたつは密接につながっているからだ。
手放さないでいるもの
聞いて欲しいことがある。そしてこれは最近、友人とも何度も話し合ったため私だけのことではないとわかっている。子どもを持つと、売りに出せないというものがほとんど無くなる。優先順位が急激に、そして率直に言っていい方向に変わる。そんなわけで今週末、フィリップスで私の絶対的お気に入りだった時計をいくつか売ることにした。ただなかには少数ながら“永久保持”する時計もある。カーラが私の40歳の誕生日にプレゼントしてくれたロレックス デイデイト。私にとって本当に大事ないくつかのスピードマスター。私が初めて買ったパテック 3940Gだ。実を言うと、“手放さない”カテゴリーにある時計はかなり多い。だが私のなかで変わったのは、上にも書いたように、高額な時計はもう私の人生にはふさわしくないということだ(少なくともヴィンテージ品は)。そしてそれはおそらく、私が高級時計の新しい楽しみ方を見つけたからだろう…それはしばしばインディペンデントブランドや、より安価なヴィンテージウォッチである。
手放したものと、その理由
前述したように、ここ数年で私の生活はいいほうに大きく変わった。それに伴い、今までとは違った意味で私の心を打つ時計を買いたいと思うようになった。それはしばしば、そのためにほかの時計を手放すことを意味する。だからこそ、今週末のフィリップス・ニューヨークセールに私のコレクションから5つのロットを出品することについて話し合う際、カタログの説明を私自身の言葉で書き、それらを手放す理由を完全に明確にすることに意味があると考えたのだ。というのも、HODINKEEを始めた当初は想像もしなかったが、このカテゴリーで私が何をしているかを、実際に多くの人が注目している。だからこそ私がこれらの時計を売るということは、そのリファレンスやカテゴリーのよさを信じていないということだと誰かに思われたくない。むしろその逆だ。今からご覧いただくが、ほとんどの場合それらの時計はすでにほかの類似した時計に置き換えられている。私にとって収集とは経験であり、WGの2526や8171の場合、これらは単に私が非常に長期間所有してきた大物時計たちなのだ。その後、新たに手に入れた時計で同じような着用感を楽しむ方法を見出してきた。
以下に、今週末のフィリップスで販売される5つのロット(6つの時計)と、それぞれについて私が書いた説明を紹介する。さらに私の考えを理解してもらうために、フィリップスのカタログ用に書いたものに補足と詳細を加えよう。
ベン・クライマーのコレクションからの6本の時計を紹介
この16年あまり、時計収集の世界の中心的存在として私が享受した最大の贈り物は、私よりもはるかに経験豊かな人々に接することができたことだ。私はほとんど知識も、まして資金もなくこの旅路に就いた。そのため初期のHODINKEEは、偉大な先輩コレクターたちの助けを借りながら、時計の研究(当時は主にヴィンテージ)に多くの時間を費やしていた。彼らの名前はご存じなのではなかろうか。 (ジョン・)ゴールドバーガー氏、(ウィリアム・)マッセナ氏、(ジャン・)シンガー氏、そしてフィリップスの(ポール・)ブトロス氏などだ。彼らからは文字盤のデザインやオリジナリティ、ケースの仕上げやムーブメントの装飾について学んだ。しかし私がすぐに気づいたこと、そして率直に言って最も驚いたことのひとつは、売却なくしてコレクションは成り立たないということ。そして適切な時期を認識し、誠意と誇りを持って行動することが重要だということだった。人の人生や興味は、その人のコレクションと同じようにどんどん変化していく。そしてそれは紛れもなくコレクションの成長の一部でもある。
というわけで、私が個人的に気に入って数年間所有し、楽しんできた腕時計を5点(計6本)ご紹介しよう。これらは私の人生の旅と収集のいくつかの側面を表しており、それぞれの物語を所有し、その一部であったことを誇りに思っている。ふたりの幼い子どもの父親として新たな旅を始め、Watches of Switzerlandとのパートナーシップのもと、HODINKEE(私が冗談抜きで“長男”と呼んでいる会社)の舵取りに戻った今、私の収集傾向は少し変わったようである。友人たちがつくった時計にもっと興味を持つようになり、もはや何においても最高のものを所有する必要性を感じなくなった。その代わり自分のスタイルと個性に合っていて、かつ実用性のあるものを求めるようになった。この5つのロットは、私に言わせれば、少なくともそれぞれのリファレンスのなかで世界でも最高の個体の部類に入ると思う。
ロット30。極上のコンディションを誇る、1960年製のユニバーサル・ジュネーブ ポールルーター、ピンクゴールド製
ユニバーサル・ジュネーブは、私がコレクターとしての審美眼を磨くのに大いに役立った時計ブランドのひとつである。15年前、市場には非常に多くのユニバーサル・ジュネーブが出回り、そのすべてが手ごろな価格だった(A.カイレッリのオーバーサイズ スプリットセコンドクロノグラフといった例外を除く)。好んでこのブランドの時計を集めるようになり、今でもその多くを持っている。しかし時計への興味が新たな時代に突入し、私が思うこの世で最も優れた個体のひとつをほかの誰かに譲ろうと考えた。
これはオリジナルのローズゴールド製ポールルーターで、ハングタグとボックスが付いた完全未使用品である。この時計は何年も前にマイアミのアンティークショーで購入したもので、私がこれまでに購入・所有した時計のなかで未使用と思われる唯一のものだ。ポールルーターが当時どのような見た目だったのかを知りたく、この時計は言わば学術的探究として購入したものだ。すばらしいツイステッドラグはポリッシュされておらず、ベルトとバックルはオリジナルのままだ。
さらに、このモデルについて私がいつもおもしろいと思っているのは、ケースバックに貼られた“Limited Edition”というオリジナルのステッカーだ。私は長いあいだ、“リミテッドエディション”という考え方自体がどこから来たのか不思議に思っていたが、これはその最も初期の使い方のひとつであると考えざるを得ない。少なくともブランド自身がそう言っているのだ! そしてRGに光沢のある黒文字盤を組み合わせたこのRef.104601-1は、この時代を代表する美しい時計のひとつであると私は信じている。
さて、お約束したように、この時計を売ろうと決めた理由を正直にお話ししたい。というのもこの時計はどの要素においても完璧だからだ。実のところ、その完璧さこそがこの時計を手放す理由かもしれない。私はこの時計を10年間所有して研究してきたし、もう1本ヴィンテージポールルーターを所有している。また、新しいユニバーサル・ジュネーブのアドバイザリーボードのメンバーとして、このブランドが今後発表する製品をとても楽しみにしており、そう遠くない将来、またポールルーターを購入することになるだろうと確信していることも付け加えておこう。
この1960年製ユニバーサル・ジュネーブ ポールルーター 18KRGの推定価格は3000〜6000ドル(日本円で約45万~90万円)で、さらなる詳細はこちらでご覧いただける。
編注;結果2万4130ドル(日本円で約370万円)で落札
ロット31。ヴィンテージロンジン “カラトラバ”と、その時計の復刻版
私が所有し、愛用しているものはすべてパテックやロレックスというわけではない。実際、最も楽しんでいる興味深い作品のいくつかはほかのブランドのものだ。今回のケースでは、何年も前にニューヨークの47番街で見つけたロンジンの“カラトラバ”を指している。その大きくて薄い横顔、驚くほどシャープでフラットなベゼル、そして美しいバラのようなサーモンカラーの文字盤を見た瞬間、どうしても欲しくなった。アール・デコ調のアラビアインデックスとビーズが交互に配され、ブルーの時・分針と非常に美しく組み合わされている。この時計は、私が購入してすぐにタンのスエード製HODINKEEストラップをつけたもので、ヴィンテージウォッチ収集の素晴らしさと、注意深く探すことで発見できるすべての素晴らしいモノの象徴のようなものだった。
この話にはさらにおもしろい展開が待っていた。ある日、サンティミエにあるロンジンの製品開発責任者から、私の時計をInstagramで見たので借りてもいいかとメールが届いたのだ。もちろん私はそれを承諾した。それから約1年半後、バーゼルワールド2017で、ある時計にかなり興奮するだろうと伝えられた。ロンジン ヘリテージ 1945は“私の時計”だった。まあ、自動巻きになり38mmから40mmにはなったものの、事実上ロンジンは私の時計を製品化したのだ! HODINKEEのリミテッドエディションではないが、ヘリテージ 1945は時計コミュニティで長く愛されているモデルで、この個体は発売と同時にロンジン本社から私に贈呈されたものだ。オリジナルも現代版もとにかく素晴らしい時計だ。
この時計を売ろうとしている理由は、正直私が思ったほど着用していないからだ。ヴィンテージ風の3針時計を身につけるとなると、ついついほかのものを手にしてしまう。現代版のほうは非公式なHODINKEEリミテッドエディションのようなものなのだが、のちに公式のリミテッドエディションをつくり、今はそちらの時計ばかりを愛用している。
このふたつの時計を合わせた推定金額は8000〜1万6000ドル(日本円で約120万~240万円)で、詳細はこちらからご覧いただける。
編注;結果2万5400ドル(日本円で約390万円)で落札
ロット32。私のローラン・フェリエ ガレ トラベラー リミテッドエディション、チタン製ブルーエナメル文字盤
リミテッドエディションといえば、頭のなかで夢見た時計が現実のものとなるのを見るのも私の仕事における最大の喜びのひとつだ。HODINKEEのためにつくられたローラン・フェリエのガレ トラベラーは、私が時計について愛してやまないもの、つまり新旧を問わず、ロマンティックな複雑機構を備えた時計の代表例である。パテック フィリップの2597だけでなく、2523のようなオーラを蘇らせた究極のコンテンポラリートラベルウォッチをつくりたかった(そのために重量の軽いチタンを使用)。チタンをポリッシュ仕上げすることで、まるでゴールドのような光沢を持つルックスを実現している。さらに日付窓とディスクを取り除いた。このようなデザインのトラベラーは、今でも世界最初の、そして唯一のものであるはずだ。
ブルーエナメルのディスクは、当然1950年代の2523と単色エナメルロレックス(Ref.6090のような)へのオマージュだ。この時計は高度に研磨されたチタンケース、ブルーエナメルの文字盤(最初のバッチはすべてケーシングされる前に割れてしまった)、本物のWG製セクター(つっこまないで)、まったく新しい仕上げを施して高度に改良されたキャリバーなど、少量生産で過剰なまでに贅沢なものだった。またこの時計はLF(ローラン・フェリエ)の最初のコラボレーションのひとつであり、我々の最初期の、そして言うまでもなく最も高価なコラボレーションでもある。私にとってこの時計は優美さとおもしろさを備えた究極の控えめなトラベルウォッチであり、もちろんローラン・フェリエのナチュラル脱進機を搭載した特別なモデルである。
さらに言えば、ローラン・フェリエは10年前にトゥールビヨン、そしてナチュラル脱進機のガレで時計業界に大きな衝撃を与えた。コレクターの興奮度という点で、これに本当に比肩しうるのはレジェップ(・レジェピ)のアクリヴィアくらいだ。この時計で彼らと仕事をし、私の好きなパテックトラベルウォッチへのオマージュを取り入れることができたのは夢のようだった。これ以上のトラベルウォッチはどのブランドにもないと思う。補足;もしパテックがこんなエレガントな時計をつくったらどうだろう?
この時計を売る理由はふたつある。1.私のコレクションにはほかにもローラン・フェリエが数本あり、そのうちの1本は決して手放すことはないだろうということ。2.この時計は、旅行が当たり前だった私の人生の一時期を象徴していたわけだが、それを過去のものとし、家族ともっと多くの時間を過ごしたいという思いがあること。バカバカしいと思われるかもしれないが、この時計がまだこれから世界を見ようとする人のもとへ届き、そのための完璧で控えめな手首のパートナーになることを願っている。その目的のためにこれ以上のものはない。それと、いつも限定版のナンバーワンを手にするというわけではないのだが、これは1/15番の時計だ。
このHODINKEE ガレ トラベラーの推定価格は2万〜4万ドル(日本円で約300万~605万円)で、詳細はこちらでご覧いただける。
編注;結果6万960ドル(日本円で約930万円)で落札
ロット33。1953年製のロレックス Ref.8171 トリプルカレンダームーンフェイズ、ゲイ・フレアー社製ステンレスブレスレット付き
私は長いこと、ヴィンテージロレックスのコレクションの世界には“次のレベル”が存在すると仮定してきた。そしてそのレベルとは、ほぼトリプルカレンダームーンフェイズ、つまりRef.6062と8171で構成されている。これらの時計は、私の控えめでない意見として、ロレックスという世界で最も重要なブランドはもちろん、あらゆるブランドがこれまでに製造した時計のなかで最も出来がよく、美しく、優美で、おもしろみのある時計である。
私はふたりのアメリカ人コレクターのおかげでRef.8171の詳細に初めて触れ、HODINKEE Magazine Volume 4(2019年5月刊行)に詳しく書いた。それらはずっと自分の憧れだった。そして私らしいことだが、実際に所有することへの興味なくして物質的に魅了されるなんてことはありえず、何年も前にスティール製の8171を手に入れることを目論みはじめた。8171は不思議な時計である。数が少ないため入手の結果を予測するのが難しい。私が思うに、8171の決定的な特徴は、大振りなオーバーサイズケースと、望むらくは非常にシャープなラグ、そして精巧に描かれた裏蓋のエングレービングである。
さて、市場で見かける8171の大半はラグが丸みを帯びており、多くの場合裏蓋の刻印がほとんど、あるいはまったく見えない。ただ私はそれがどうしても許せなかった。そこで2017年、私の古い友人でありHODINKEEの寄稿者でもあるエリック・ウィンド(Eric Wind)氏がニューヨークのクリスティーズで働いていたとき、とても魅力的な特徴を持つ8171があると私に言ったのだ。そのケースは新品同様で、オリジナルのプロポーションが際立って美しかった。裏蓋のエングレービングもこれ以上ないほど鮮明だ。イエローゴールドの針とインデックスを備えた文字盤は、私が好む古い時計らしいエイジングが進み始めていた。つまりきちんと古びた雰囲気を醸し出していたのだ。しかも、この時計は元の所有者によってクリスティーズに委託されたもので、ネットに掲載された1枚の写真では、この時計のよさはまったく伝わらなかった。私は実際にその時計を見て、圧倒され、入札を決めた。残念なことに、私よりはるかに裕福なよき友人も同じように考え、結局彼が17万5000ドル(当時としては高値)でこの時計を持ち帰った。その際彼に、もしこの8171を手放したくなったらぜひ引き取りたいと言った。そしてそう遠くない未来に、その時が訪れたのだ。
この8171こそ、私にとってのヴィンテージウォッチ収集の神髄である。素晴らしいオリジナルコンディションを保ちながら、没個性というわけではない。文字盤のすみが若干経年劣化しているほかケースには1、2カ所傷があるが、それこそこの時計が本物であることを証明している。私はこの時計に装着するために、オリジナルのゲイ・フレアー社製オイスタースタイルブレスレット(もちろん時代的にも正しい)をすぐに見つけ、ロレックスUSAの前CEOであるスチュアート・ヴィヒト(Stuart Wicht)に生涯功労賞を授与するときなど、多くの重要なイベントに何年も着用して出席した。私にとって8171は史上最高の時計のひとつであり、2017年に元のオーナーから譲り受けたこの個体は、その品質とオリジナリティに大きな誇りを持ちつつ、気兼ねなく着用できる完璧な1本だ。
なぜ今、8171を手放そうとしているのか。正直なところ、これとかなり似たような印象の時計を今年の初めに手に入れたからだ…そしてその時計は現代のものでありながら、偉大なる8171の半額を大きく下回る金額である。それは70年前のロレックスとほとんど同じ感性を持った現代の時計だ。私が言っているのは、ナオヤ ヒダ&コー(Naoya Hida & Co.)のTYPE 3Bのことだ。突飛な結び付けと思われるかもしれないことは承知だが、本当にそう感じている。そしてこの素晴らしいコンディションの8171を長年愛用してきて、今が手放すべきタイミングだと感じたのだ。
この1950年代のスティール製ロレックス パデローネ Ref.8171の推定金額は10万〜20万ドル(日本円で約1520万~3050万円)で、詳細はこちらでご覧いただける。
編注;結果20万3200ドル(日本円で約3100万円)で落札
ロット34。1956年製のパテック フィリップ Ref.2526、ホワイトゴールド製、オリジナル鑑定済みホワイトエナメル文字盤
そしてグランドフィナーレへ。この世にこれほど“私らしい”時計はない。パテック フィリップ 2526は、私にとって最初で最後の、そして最も真実の愛を注ぐ時計である。私はこれまで11本もの2526を所有してきたが、WGのこの個体ほど付き合いの長いものはない。この説明書きをお読みで私のことをすでにご存じの方なら、私がなぜ2526というリファレンス全体を愛しているのか、すでにおわかりだろう(もしそうでなければ、HODINKEEで2526を検索していただきたい)。それでも、所有してきたすべての個体のなかでなぜこの個体が最も長く保有したものであるかは、話す意味があるように思う。
2526について、そしてパテック フィリップだけでなく、時計コレクターの世界全体にとって同リファレンスが象徴するものについて語れることはたくさんある。この時計に使用されているキャリバーの品質は、今日に至るまで自動巻き時計の基準となっている。下向きについたラグとスクリューバックを持つケースは36mmという完璧なサイズで、ストラップでもブレスレットでも、どんなサイズの手首にもフィットする。そして文字盤は...1950年代に製造された、2度焼きの光沢あるエナメル文字盤を見て、誰がその魅力に抗えるだろうか?
私にとってこの特定の個体がほかより優れているのは、それがWGであるという点にある。実際、2526に使用されている素材のなかで最もまれなものであり、このような時計においてきわめてエレガントな金属だ。それだけでなく、世界で知られている20本ほどのWG製2526のうち(そう、本当に希少なのだ)、エナメル文字盤で誕生したと記されたアーカイブが現存するのはほんのひと握りしかない。これはそのうちのひとつである。ホワイトメタルの2526はほとんどの場合、メタル文字盤で生まれ、ときにはインデックスにダイヤモンドチップがあしらわれ、そのあとコレクターの気まぐれでエナメル文字盤に変更された。しかしこの時計はこのように生まれたため、ほかのWGやプラチナの2526よりも価値が高いと言える。この時計は10年ほど前、ジョン・リアドン(John Reardon)氏とエリック・ウィンド氏が個人的に私に仲介してくれたもので、20年以上市場に出ていない。
さらに深掘りしてみよう。このWG製2526がエナメル文字盤で製造されているのもさることながら、2526GやPの文字盤に“Patek Philippe”の文字がゴールドで書かれているのを時折見かける。ほとんどの場合、それはプラチナの個体で見られるものだが、ホワイトでもいくつか確認されている。私がこの時計を探すにあたって、WGのケースとインデックスに調和するシルバーの文字を見つけることにこだわった。私のコレクションに最近加わったWGのフルセットRef.3428 (先月のクリスティーズで41万3000ドル、日本円で約6300万円にて落札された2526の進化系)は、やはり文字がシルバーではなくゴールドだった。そちらの時計を悪く言うつもりはない(その時計が絶対的に素晴らしいものだから)が、やはりこの文字盤にはシルバーの文字のほうがしっくりとくる。
この時計を所有することがどれだけ喜びだったか、また仕事でもプライベートでも、この時計がどれだけ多くの重要なイベントをともにしてくれたことか、言い表しようがない。ブラックの革ベルトをつければ、ブラックタイにおあつらえ向きの時計となる。スエードのベルトをつければ、秋から冬にかけて毎日使える最高の時計になる。 しかし何よりも、この時計は私にとって、そして私の時計への愛にとって根本的に重要な存在なのだ。
ではなぜ手放すのか? 先ほども言ったように、いろんな意味で原点に立ち返りつつあることに加えて、信じてもらえるかわからないが、この1年にもう1本2526を買ったのである。単なるYGだがいい個体で、もう何年も所有していなかっただけにしっくりきたのだ。その時計に加え、もう1本購入した時計、そして私自身の人生の新しいフェーズと優先順位の変化によって、今回手放す決断につながったのだ。ではその現代の時計を購入したことで、お気に入りのヴィンテージウォッチを金庫から取り出し、売りに出す決断をしたのか? その答えはイエスだ。その時計とは、プラチナ製のレジェップ・レジェピ クロノメーター コンテンポランII(RRCCII)だ。このモデルは私の2526Gとよく似ていて、カジュアルにもきわめてフォーマルにも使える。 そして2526と同様、その時代におけるウォッチメイキングの頂点を体現している。
WG製2526の売却を後悔することになるかもしれないが、今週末にはそれが素敵な新しい家に行くのかと思うとわくわくする。そしてこれを落札した人は、すなわち私という新しい友人を得たことになる。時々この時計を訪ねて見せてもらえないかお願いするかもしれない。冗談だと思ったら大間違いだ。
この1950年代製パテック フィリップ 2526Gの販売前の推定価格は12万〜24万ドル(日本円で約1830万~3660万円)で、こちらでご覧いただける。
編注;結果27万9400ドル(日本円で約4260万円)で落札