trophy slideshow-left slideshow-right chevron-right chevron-light chevron-light play play-outline external-arrow pointer hodinkee-shop hodinkee-shop share-arrow share show-more-arrow watch101-hotspot instagram nav dropdown-arrow full-article-view read-more-arrow close close email facebook h image-centric-view newletter-icon pinterest search-light search thumbnail-view twitter view-image checkmark triangle-down chevron-right-circle chevron-right-circle-white lock shop live events conversation watch plus plus-circle camera comments download x heart comment default-watch-avatar overflow check-circle right-white right-black comment-bubble instagram speech-bubble shopping-bag

Magazine Feature アール・デコのアイコンがたどった数奇なる奇跡のストーリーをキャリバーで振り返る

90年以上にも及ぶ歴史のなかで、レベルソとはアール・デコデザインの真髄であり、かつジャガー・ルクルトの普遍的なアイコンとして、デザイン・ムーブメント・機能そのすべてが調和した、絶えず美しい時計であり続けた。

ADVERTISEMENT

本記事は、2021年12月に発売されたHODINKEE Magazine Japan Edition Vol.3に掲載されたものです。Vol.3は現在、Amazonなど各種ネット書店にてご購入いただけます。HODINKEE Magazine Japan Editionの定期購読はこちらから。

1931年3月4日午後1時15分、パリで“支持体をスライドさせて完全に裏返すことができる時計”の特許出願が行われた。1876年にスイスで生まれたセザール・ド・トレーは、イギリスを起点として義歯の事業で財を成したのち1927年にスイスに戻り、ローザンヌにHermetica S.A.(のちのSociété de Spécialitiés Horlogères)を設立して時計業界に参入した。1920年にスイスの時計輸出の25%に過ぎなかった腕時計の割合は、1930年には過半数を超えていたのであり、懐中時計から急速な腕時計へのシフトが進んでいたなか、ド・トレーはモバードのエルメトやアトモスなどの販売を手掛けはじめた。

 当時すでに100年近く時計のムーブメントなどを製造しつづけ、複雑時計のグランド・メゾンといわれていたルクルト社のジャック=ダヴィッド・ルクルトと知人になったのもこのころのことだ。ド・トレーは出張先のインドで出合った英国人将校から、「腕時計のガラスがポロ競技中の衝撃に対して壊れやすい」という話を聞き、これを解決して自分の販売コレクションに追加したいと思い至った。スイスに戻った彼は早速この話を友人で協力関係にあったジャック=ダヴィッド・ルクルトにした。


第一世代レベルソの登場

 冒頭の話は公式に有名なエピソードである。ド・トレーは時計事業参入時から扱っていたモバードのエルメトが保護ケースの開閉によって巻き上げられるという特徴を備えており、パースウォッチ(折り畳み式時計)ではなく腕時計でガラスを保護するという課題をアイデアで解決できると踏んでいたはずだ。当時彼はすでに50代となっていたものの非常に野心的であり、他ブランドの時計も販売したいと考えていた。1915年、ルクルト社が航空機用のレヴカウンターを、その後フランスのジャガー社がスピードメーターの製造を開始。フランス航空業界の公式サプライヤーとして、ルクルト社は戦時中に12万個のレヴカウンターを製造し、エドモンド・ジャガーが連合国側に販売した。1917年10月には、両社の結びつきを強めるために合弁会社が設立された。当時67歳だったエドモンド・ジャガーは、このレヴカウンターの特許を持ち続けるための資金が必要であった。そこに投資をしたひとりが、著名な海軍パイロットであり、実業家でもあるギュスターヴ・ドラージュであった。やがてド・トレーは、のちにルクルト社とジャガー社の財務を監督することとなるドラージュと出会う。時計でもうひと旗揚げたいと思っていた野心家ド・トレーと、フランス人実業家のドラージュを介してルクルト社とジャガー社がつながったのである。ここに役者はそろった。

 多くの時計メーカーにムーブメントを卸していたルクルト社であったが、ジャック=ダヴィッド・ルクルトは自身の銘を刻んだ時計を世に出すのが悲願であった。ド・トレーが持ってきた風防の破損を防ぐアイデアにルクルトは魅了され、当然のようにエドモンド・ジャガーに声をかけた。ジャガー社とルクルト社の関係は古く、1903年、エドモンド・ジャガーがごく薄い懐中時計用ムーブメントを欲しているとの情報に応えようと、ジャック=ダヴィッド・ルクルトはパリにてジャガー社と業務提携を果たしていた。なお懐中時計用の超薄型ムーブメントは、1907年のCal.145(39.54mm×1.38mm、1万8000振動/時)として結実している。

タバン製Cal.064。1931〜1933年ごろまでの、最初期のレベルソに採用された。当時としては数少ない角型ムーブメントのなかでも名機であった。

 ジャガー社は風防が破損しない時計のアイデアを、デザイナー兼エンジニアであるルネ=アルフレッド・ショヴォーに託した。かくしてこれは“反転ケース”という形で結実し、彼は特許出願(FR 712 868)に至った。この特許が下りたのは1931年8月3日。早速時計の製作に取り掛かることになるも、ケースはジュネーブの専門会社であるA&Eウェンガー社に任せることになった。発明権の対価として、ショヴォーには1万スイスフランの報酬と、時計1本の販売につき2.50スイスフランが支払われた。契約書の原本には、ショヴォー、ウェンガー、ド・トレー(ジャガーとルクルトの代理)の3人が署名している。この契約書には、ムーブメントはタバン、モバード、ジャガー(ルクルト)のいずれかが供給することが明記されていた。用意された図面を基に、ド・トレーは新しい時計を「レベルソ」と命名し、同年11月4日「REVERSO」という名称が登録された。ド・トレーの会社Société de Spécialitiés Horlogèresはレベルソの特許を購入したあと、ルクルトとジャガーを統合したSAPICグループの傘下に入った。1937年には「ジャガー・ルクルト・ディストリビューション・カンパニー」に変更され、ジャガー・ルクルトというブランド創設に至ったのである。


ケース形状にマッチしたルクルト製Cal.410系

 1931年のクリスマスシーズンに間に合わせるため、レベルソは急いで製造された。時計の組み立てはル・サンティエのマニュファクチュールで行われ、最初のレベルソのムーブメントはルクルト製Cal.410が完成する1933年の前期まで、タバン(Tavannes)社のCal.064が用いられた。当時ルクルト社が作っていたデュオプランのムーブメントは、レベルソには厚すぎたうえ、バックワインドムーブメントは反転ケースに対して明らかに無理があった。レベルソという製品に特許を落とし込む際には、反転ケースの上下に3本のゴドロンが追加され、黄金比をベースとしたアール・デコデザインが与えられた。レベルソは、それまでに市場に出たなかで最も技術的に統合された時計ケースと言える。そのデザインは、ほかとは違うものにしたいという願望ではなく、機械的な機能性に基づいていた。この合理的な設計および品質は、多くのデザインに通じる「形は機能に従う」という倫理観に沿ったものである。レベルソの価値は、素材の高価さや装飾の豪華さではなく、エンジニアリングの創意工夫と緻密さにある。素材の選択、意図、革新的な構造、そして顧客のニーズに応えることで、レベルソはさまざまな意味でアール・デコ製品の真髄となった。

 かくしてレベルソはこの年の暮れ、実際に販売が開始された。この“反転ケース”を持つ時計は風防の破損を防ぐばかりでなく、裏返した金属面に彫刻やエナメル画などのカスタマイズも可能だったことも手伝って販売数を伸ばした。実際に当時の広告では裏面の活用方法の提案も確認できる。1931年から1933年前半頃の、最初期のタバン製ムーブメントCal.064を搭載するレベルソは2針であり、のちのルクルト製ムーブメントは、当初はスモールセコンドの3針、その後出車式センターセコンドの3針モデルが追加された。なお過渡期には例外的にタバン時代の文字盤を用いた、ルクルト製ムーブメントの個体も確認される。これはルクルト製ムーブメントのスモールセコンド針の軸がカットされたもので、珍品である。またひと回り小さい女性用のレベルソにはタバン製Cal.050または051が用いられていたが、すぐにルクルト製Cal.404(9U)または407(9UO)(ともに20.6×12.8×3.1mm、1万8000振動/時、Cal.404は1933〜1938年ごろ、1936年ごろからはCal.407が中心と思われる)にあらためられた。

反転ケースという画期的なアイデアは、当時の広告が詳細に解説していることからもよほど衝撃だったと推察される。ケースに用いられたステイブライトはステンレスの祖先にあたり、限られたメーカーしか製造できなかった。

Cal.438を搭載した、スモールセコンド仕様のレベルソ。主に'40年代に製造されていたと見られ、レベルソ第一章の中核を担うモデルと言える。

 タバン製Cal.064はケース形状に対して左右にややスペースがあったが、ルクルト製Cal.410系(24.5×17.8×3.5mm、1万8000振動/時)を収めたものは、今に続くレベルソの大きな美点である、「ケース形状にマッチしたムーブメント、あるいはムーブメントにマッチした形状の時計」を完全に実現していたからだ。このCal.410系ムーブメントはレベルソのみならず、通常のレクタンギュラーケースの時計にも用いられたうえ、ヴァシュロン・コンスタンタンなどにも供給された、角型の名機である。しかしながら、1950年代中ごろ以降、このムーブメントを搭載したレベルソの生産は収束していく。実際に確認できる個体として1956年のものは複数確認されるが、それ以降は不明である。タバンCal.064から置き換えられたルクルト製のCal.11ʼʼʼ(リーニュ)U(Cal.410/413、ユニプランと呼称)、Cal.11ʼʼʼUO(Cal.413)センターセコンドのCal.11ʼʼʼUSC(Cal.411)は1933年から1938年が製造期間であり、そのあとを継ぐ11ʼʼʼLO(Cal.438)、11ʼʼʼL(Cal.424)センターセコンドのCal.11ʼʼʼLSC(Cal.437、24.5×17.8×4.15mm、1万8000振動/時)の製造期間は1942年〜1953年(推定。Cal.437は1944〜1953年)とされており、ムーブメントが新規に作られることはなかったため、そのストックには限度があったはずだ。また別の要因として、'40年代になると風防はプレキシガラスが用いられたものが普及し、そもそも風防を保護する必要から解放されたこと、軍用の堅牢なモデルも多くのメーカーから展開されたことなどがあり、反転ケースを持つレベルソのニーズは徐々に低下していったと考えられる。ここまでがレベルソの第一幕である。


レベルソの復活:第二世代

 第二次世界大戦をへて世界が激変するなか、レベルソへの関心は1950年代半ばから徐々に薄れていったものの、一部の熱心な愛好家の記憶には留められ、ジャガー・ルクルトにも時々注文が入っていた。しかし、ストックされていた第一世代のケースとムーブメントを用いたもので市場に応えざるを得なかったようだ。しかし世間から求められる品質や機能などからは、徐々に乖離が起きていたのも事実であった。もちろんレベルソというアイコニックな存在は、マニュファクチュールのなかで生き続けており、この伝説的な時計を復活させようというアイデアは常に議論されていた。例えば、ジャガー・ルクルトのアーカイブには、1968年に描かれたレベルソのケースの技術図面が残されている。1969年12月、社内でレベルソの再発売が決定され、1970年1月14日に新しいケースの開発が始まったものの、このプロジェクトは当初の予想以上に複雑で遅延した。その理由の一つとして、同時期にほかの製品開発も数多く行われていたことがある。

 1969年12月、セイコーのクオーツアストロンが発売されると、それ以降クォーツの波は伝統的な機械式時計産業を根底から揺るがし、特に1970年代の中ごろ以降、多くのスイスのウォッチメーカーは暗黒期を迎える。そしてジャガー・ルクルトもその例に漏れず苦しんでいた。このころアトモスの製造・販売で凌いでいたとする文献もあるが、腕時計に関してこの時期に製造されているムーブメントは、いわゆる南京虫のCal.846(1975年、15.2×13mm×2.9mm、2万1600振動/時)、2,3針用でヴァシュロン・コンスタンタンやブレゲなどにも供給された818(20.8mm×2.94mm、1万8000振動/時)83年には名機889のベースとなる自動巻きの888/900(1967年〜)などが生産されていることが確認できる。これらのラインナップは、のちのレベルソの展開・発展に大きな影響があると考えられる

第二世代のレベルソの広告。ケースのゴドロン装飾が2本であることが確認できる。Courtesy Jaeger-LeCoultre

 1972年、レベルソは今も市場から求められていることが認知された。ジャガー・ルクルトのイタリア総代理店のジョルジオ・コルボが「レベルソの在庫数」をジャガー・ルクルトに問い合わせたところ、レベルソの第一世代のブランクケース200個の在庫が確認され、彼らがそれを手に入れた。しかしレベルソに使われてきたCal.410系および女性用に用いられてきた404系の機械は、とうの昔に生産中止になっていた。これらをなんとか完成させたいと思ったコルボはル・サンティエに行き、技術者と適切なムーブメントについて話し合ったが、よい返事は得られなかった。それでもコルボはイタリアに戻り、ブランクケースに現行の小型のラウンド・ムーブメントを独自に取り付け、特別に復活させたレベルソを手に、ル・サンティエに戻った。彼の策略は成功し、マニュファクチュールは空のケースにオーバル型のムーブメントを取り付けてくれ、時計を出荷した。すると、なんと1ヵ月も経たないうちに、ミラノにあった200個のレベルソはすべて売れてしまい、コルボはまたマニュファクチュールに戻ってきたのである。この200本に搭載されたオーバル型ムーブメント(Cal.460/490系と思われる)は、次の世代のレベルソに搭載される手巻きCal.846の基礎となった。

1975年に開発され、現代にもつうずるCal.846。手巻きかつ角型というレベルソのポリシーを確固たるものとした。Courtesy Jaeger-LeCoultre

 イタリアでの反応に驚いたジャガー・ルクルトは、いよいよレベルソの復活に本腰を入れることになる。ところが市場ニーズは1930年代とはまったく変わっていた。ケースの構成や構造は抜本的に改める必要があり、マニュファクチュールは外部のサプライヤーを探すことになった。ケースは一から再設計され、1979年にようやく時計が市場に登場した。この結果生まれたケースを、ここでは第二世代と呼ぶ。ムーブメントは1975年に開発した手巻き2針Cal.846と、クォーツCal.602の2本立てである。ケースサイズは第一世代とほぼ同様であるものの、クレードルのブリッジ部分は大きく異なる。第一世代は反転ケースの横幅ほぼ全体をカバーしていたが、左右の幅が狭くなり、回転させるときに時計本体を横に引き出しやすくなった。スリムになりながらもブリッジ部分は分厚く、十分な強度を持つ。また第一世代のラグは手首に沿うように下がっていたが、強度も確保しつつこれを直線とした。このころ、一般的な男性用時計ケースのサイズは'30年代とは違って大きくなっており、装着感の点でこれでもよしとしたと思われる。

 これらの改良の結果、ケースの剛性感は別物となった。ただしラグ幅よりケース幅がやや大きく、ここは第一世代の特徴を残している。この復活した第二世代ケース(1979年〜1985年)は、時計本体部分のゴドロンが上下とも2本であることが特徴である。また縦横比が正方形により近い「レベルソⅡ」も市場投入された。


現在に続くレベルソ〜第三世代

 しかしながらいまだ防水性能に乏しい第二世代ケースの課題を解決するために、1979年から1985年のあいだ、ジェネラル・ディレクターとしてジャガー・ルクルトを率いていたパルビス・ハサン・ザデ(その後数社 を転籍したのち、Datamars SAを創設)はついにケースを自社で製造することを決定し、その技術仕様を徹底的に見直した。これを担当したデザインエンジニアのダニエル・ワイルドはこう振り返る。「回転機構の原理がそのままでは時代の要請に応えられなくなったため、作り直さなければならなかった。最新の技術を駆使し、かつモード特有の美しさを保ちつつ、機構を全面的に見直す必要があった。2年以上の集 中的な作業が行われたすえに、最終的に今日につづくケースを開発した」。このケース開発はル・サンティエで行われた。そこではごく近い距 離でムーブメント開発なども行われており、ようやく現在のレベルソに続く自社一貫での開発・生産というスタイルが取り入れられた。1985年、レベルソは第一、第二世代とは別物の信頼性の高い防水ケースを持って再び市場に現れた。この第三世代ケースは、剛性を確保しつつエッジや面は一段とシャープになるなど細部にわたってリファインされ、1931年当時と同じく3本のゴドロンも復活した。このケースの外観はまさに現代のレベルソである。当時は、おそらくクォーツCal.618による2針ムーンフェイズモデルで復活を果たし、ほどなくして846搭載のレベルソクラシックが登場(1988年説もあり)した。現代に続くレベルソは、ほぼこの時点で完成していたと言ってよい。


複雑機構を持つグランタイユケースレベルソの登場

 1980年代以降、ギュンター・ブリュームラインによって機械式時計界に新たな息吹が吹き込まれた。1978年に同氏が経営者として迎え入れられたVDOがIWCを買収、ジャガー・ルクルトもVDO傘下となり、いよいよ両社は革新的な時計を世に出すこととなる。それがクルト・クラウス設計のダ・ヴィンチ・パーペチュアル・カレンダー(1985年発表)であり、本記事主役のレベルソだ。IWCは継続的に複雑時計開発を深め、ついにイル・デストリエロ・スカフージア(1993年)にまで至る。90年にはウォルター・ランゲとともにA.ランゲ&ゾーネ復活プロジェクトを立ち上げ、91年にLMHの会長となり、94年にはA.ランゲ&ゾーネ4モデル同時発表を果たす。話が大きくなるのは仕方がない。なぜなら、この潮流を俯瞰しないと1991年のレベルソ・ソワサンティエム(60周年モデル)が誕生する意味が深く理解できないからである。デザインしたのは毎日フランスから越境してル・サンティエに通う、ヤネック・デレスケヴィクス(1987年入社)であり、当時の社長アンリ・ジョン・ベルモンの主導のもとプロジェクトが進められた。ここからデレスケヴィクスは、レベルソのデザインを長きにわたって統括していくことになる。

1991年、レベルソ60周年の節目に登場したソワサンティエム。レベルソ史上初の複雑機構を備え、現代に続く名機Cal.822の前進となるCal.824を 搭載した。ブリュームラインによるレベルソ復活劇のひとつの象徴だ。

 60周年モデルは従来のレベルソのサイズに比べひと回り大きな、グランタイユと呼ばれるケースを与えられ、それまでの2針・3針ではなく、機械式ではレベルソ史上初めての複雑機構、すなわちデイトおよびパワーリザーブ表示が与えられた。ギュンター・ブリュームラインは、明らかに機械式「複雑」時計を新時代に見据えていたのだ。この意思は、2006年のトリプティークや、今に続くハイブリス・メカニカなどのシリーズにしっかりと継承されていることは疑いない。自分が当時のブリュームラインになったつもりで考えてみると、このピンクゴールドケースの美 しい時計が、このあとにつづく複雑時計500個限定コンプリカシオンシリーズの第1弾であったことが腑に落ちるし、最初からその後の展開も綿密に計算しつくされたものであったことが想像できる。余談だが、ジャガー・ルクルトは特別限定モデルにJLのアプライドインデックスを与える傾向があり、それはこの製品から始まったと思われるが、近年それは崩れつつある

 ソワサンティエムに与えられたグランタイユケースは、第三世代ケースに引き続きデザインエンジニアであるダニエル・ワイルドの作だ。そこに収められた新設計のCal.824はその見た目どおり、翌年発表となるジャガー・ルクルトの名機Cal.822の始祖である。ではこの機械の開発はどのような経緯なのであろうか。


ワンモデル・ワンムーブメントという狂気

Cal.861を搭載したレベルソ・メモリー(1999年製・右)。今となっては小ぶりなサイズでラグまでストレートな形状が特徴。左は、Cal.823Dを搭載するレベルソ・ムーン 和光限定(2002年製)。

 1970〜80年代に多く生産されていた手巻きCal.818は、すでに50年代後半には存在していた非常に息の長い17石(を基本とするがバリエーション多数)、1万8000振動/時の手巻きムーブメントでサイズは20.8mm、厚さは2.94mmである。この数字にピンときた人は鋭い。それは、今も生産が続くCal.822の厚さそのものなのだ。すなわちソワサンティエムのCal.824は、ごく簡単に言うとこのCal.818を長方形に引き伸ばしたムーブメントをベースに、複雑機構を日の裏側に加えたものであり、当時のジャガー・ルクルトのデザインエンジニアであったロジャー・ギニャールやムーブメント開発部の部長だったジャン=クロード・メイランが設計に携わっている。なお複雑機構部分の厚さは、Cal.822系において多くが1.2mmしかなく、Cal.824の厚さは4.14mmとなっている。Cal.818とCal.824をよく比較してみると、歯車の重なり方が異なるのがわかるだろう。歯車やアンクルなどのパーツは基本的に共通としたうえで、ムーブメントを丸型からレクタンギュラー型に設計変更したことにより、2番と4番車が同レベルでも干渉しなくなったため、テンワの上に4番車がくるようにカナと歯車の位置関係がひっくり返っている。Cal.822は同じ角型ということでIWCのCal.87やパテック フィリップのCal.9-90などとよく比較されるが、4番車の階層はムーブメントによって異なる。角型の手巻きムーブメントはみな似たようなブリッジ分割や輪列配置になるものと見切らず、歴史を踏まえてそれらのムーブメントを観賞すれば、その楽しさも増すだろう。

 話を戻すとCal.822の構成部品は基本的にCal.818と同じものが多く使われ、古典的なチラネジ付きのテンワがCal.824(822)にも与えられることとなったと想像できる。乱暴に言えば'50年代からの基本設計をそのまま現在に引き継いでいるのがCal.822なのだ。なお誤った記事が多いためあえて書くと、Cal.824はCal.818同様に5振動であり、翌年ビッグレベルソに搭載されたCal.822で6振動になる。系譜は、Cal.818(5振動:丸型)⇒Cal.824(5振動:角型)⇒Cal.822(6振動:角型)である。続いてソワサンティエムに続く、レベルソ・コンプリカシオンシリーズについて記す。このシリーズは、下表のように展開されていく。

  • 1993年 トゥールビヨン Cal.828
  • 1995年 ミニッツリピーター Cal.943
  • 1996年 クロノグラフ レトログラード Cal.829
  • 1998年 ジオグラフィーク Cal.858
  • 2000年 パーペチュアルカレンダー Cal.855

 これら5種類のムーブメントはすべて時計の内側にスペーサーが存在せず、地板からそれぞれの時計のためだけに設計されたものだ。これこそがジャガー・ルクルトの真髄である。従来の時計づくり、すなわちメーカーが使えるムーブメントを、それが入るサイズのケースに入れるという当たり前な行為とは、次元が異なる。なぜならひとつの時計に対してひとつのムーブメントを作ってしまうのだ。この行為によって結果的に、あるいはそれを目的として、文字盤のデザインや機能と、ムーブメントが100%バランスする。こうして完璧なバランスを持った、美しい時計が完成するのである。特に'91年から2000年代前半ごろのレベルソは、ジャガー・ルクルトが取りつかれたように「ワンモデル・ワンムーブメント」を実現していた。

 Cal.846と新設計のCal.822を持っているのに、Cal.846ではクラシックケースには小さすぎると考えた(に違いない)ジャガー・ルクルトは1998年、クラシックケースにジャストフィットするCal.861系まで開発する。コンプリカシオンシリーズの、地板から完全に新設計となるムーブメント群をはじめ、Cal.822に複雑機能を追加したCal.854(デュオ)やCal.823(サンムーン)など、ほとんど狂気の沙汰である。徹頭徹尾、実現したいデザインと機能、そしてムーブメントが調和しているのだ。それができる環境こそがマニュファクチュール、ジャガー・ルクルトの強みであり、幾多のメーカーと決定的に違うところであった。まとめると、レベルソはグランタイユケースを得たことによって、コンプリケーションや両面のギミックなどを持つにいたり、数多くのレベルソが時代とともに世に出ていく。ジャガー・ルクルトの、そしてアール・デコデザインのアイコンとなったのだ。


丸型自動巻き・マスターとの関係

 2000年ごろはスタンダードなレベルソとして、最も大きいケースのビッグ・レベルソ(レベルソ・グランタイユ)から中間のクラシック(レベルソ・クラシック)、最小のレディ(レベルソ・レディ)の3シリーズが展開されていた。一方でもうひとつのジャガー・ルクルトのアイコンであるマスターシリーズも、ケースサイズ別にビッグ・マスター、マスター・クラシック、マスター・レディとみごとに呼応するラインナップを完成させていた。搭載するムーブメントはビッグとクラシックが名機Cal.889、マスター・レディがCal.960とすべて丸型の自動巻き、対するレベルソはすべて角型の手巻きと、ムーブメント、ケースサイズともに完璧な対称性を誇った。ギュンター・ブリュームラインをはじめマニュファクチュールの美学であろうと筆者は想像する。


XGTケース、8日巻きレベルソが登場

初代機(右)にオマージュを捧げたグランド レベルソ ウルトラシン トリビュート 1931(左)。薄型のXGTサイズケースにCal.822を搭載し、レベルソ80周年に登場した。

 2000年代に入ると、男性用の時計はさらなる大型化が当たり前の状況になる。時代を常に先取りしてきたレベルソは、10年前にグランタイユケースが登場したのと同じように、2002年、70周年モデルとしてさらに大きなXGT(エックス・グランタイユ)ケースに入った8日巻きムーブメントのシリーズを登場させる。その口火を切って登場した限定のセプタンティエムは、これまでの例に漏れずベーシックなムーブメントではなく、いきなりビッグデイト・パワーリザーブ表示・ナイト&デイという機能が付加されていた。このビッグデイトも当時のトレンドと言えるだろう。ところで従来の機械式時計の世界では決して主流にはなり得なかった200時間近いロングパワーリザーブの機械式ムーブメントを、ジャガー・ルクルトのようなマニュファクチュールが新規開発したことを意外に思った人も当時多かったはずだ。今も当時も機械式時計の主流はあくまでも自動巻きであり、手巻きムーブメントそのものが絶対的に少ないなか、この8日巻きムーブメントは「レベルソ=手巻き」の大原則を守りつつ、使い勝手のよい自動巻きムーブメントに対する、またきたる大型化時代へのジャガー・ルクルトなりの答えだったと思われる。当初はグランタイユケースに収めることを念頭に開発がスタートし、結果的に機能の実現のために大きなサイズとなったものの、あくまで同社は、安易に丸型の自動巻きムーブメントを使うのではなく、黄金比を持つ角型時計には角型ムーブメントを使うというこだわりを維持しつづけた。「手巻きの角型ムーブメントで自動巻きに遜色ない使い勝手を実現する」というコンセプトであったことは明らかで、ロングパワーリザーブによってそれを鮮やかに実現したのだ。


基幹ムーブメントで見た系譜

 ここまではケースの拡大とともに、時代の変化に合わせて進化、発展を遂げたレベルソを俯瞰した。それ以降、第三世代ケースの基本構造の大きな変化はないものの、近年のシリーズは第一世代のようにラグが手首に沿うようにあらためられ、かつケースサイズもレディ・クラシック・グランタイユ・XGTという4種類の区別ではなく、さらに細かく調整された各種サイズの製品がラインナップされている。便宜的にラグが下がった(2016年ごろ以降)現行のケースは、3.5世代としておこう。ケースサイズによるレベルソの論考は従来より確認できるが、次からは75年のCal.864登場以降のムーブメントの系統でレベルソを俯瞰することにしよう。

 1991年以降のレベルソの手巻きムーブメントは、限定や特殊モデルを除くと全部で4系統に整理できる。すなわち古いほうから順に846系、822系、861系、875系が存在する。そのうち875系は残念ながらレベルソ用としてはすでに生産されていない。また2016年のコレクションでは、ベーシックななレベルソを自動巻き化するという冒険に出た(Cal.960系の965や969を採用)ものの、すぐに翌年Cal.822/2入りの手巻き(レベルソ・クラシック・ミディアム・スモールセコンド)を復活させた歴史がある。Cal.960はもともとマスター・レディ等に用いられた小型の自動巻きであり、レベルソでは90年代後半に現れたグランスポールシリーズのオートマティック(Cal.960R)に用いられた。


846系と822系に収斂されるモダンレベルソ

 まず、現代のレベルソに採用されているムーブメントは、大きくふたつの系統に集約された。それは846系と822系である。一部レディスモデルで搭載される861系や自動巻きモデルも確認できるものの、レベルソというコレクションを司っている基幹ムーブメントはCal.846とCal.822であることは疑いない。

レベルソ90周年を記念して登場した、レベルソ・トリビュート・ノナンティエム。裏面に同社初となるジャンピングアワー表示を備えた、新Cal.826を採用。Courtesy Jaeger-LeCoultre

Cal.846系
846: クラシック、レディ、クラシック・スモール(2針)
844: デュエット・レディ(両面)
842: デュエット・レディ・ムーン(裏面にムーンフェイズ)

Cal.822系
822: ビッグ・レベルソ、ラティチュード(限定)
822AD: レベルソ・アールデコ
823: レベルソ・サンムーン
823A: レベルソ・リザーブ・ド・マルシェ
823D: レベルソ・ムーン
823AD: Ptサンムーン
824: ソワサンティエム
835: レベルソ・デイト・ナイト&デイ WGケース黒文字盤の
   レベルソ・デイトはナイト&デイ付き
836: レベルソ・デイト
843: レベルソ・グランドカレンダー
851: レベルソ・グランスポール・デュオ
854: レベルソ・デュオ
854j: レベルソ・デュオ・ナイト&デイ(WGケース黒文字盤の初期デュオはナイト&デイ付き)

 さて、1975年に誕生しレベルソという火を絶やさず今日につなげたCal.846は、1988年に2針のレベルソ・クラシックに搭載され、モダン・レベルソの基礎を築いたことはすでに記した。現在、主にレディスモデルにこのCal.846系ムーブメントが用いられている。これは古くからある南京虫の生き残りであり、ほかの名門メゾンに供出されてきた伝統的な2針の名機だ。Cal.460/490/491(サイズはCal.846と同等だが3.5mm厚とCal.846の2.9mmよりも厚い)を始祖に持つ、きわめて息の長い系統であり、この機械から派生したデュオフェイスのCal.844や、さらに裏面にムーンフェイズを加えたCal.842などが存在する。

 一方、メンズサイズのレベルソに搭載されるのは、名機Cal.822のバリエーションを基とする。丸型のCal.818から角型のCal.824へ進化の際、緩急針がスピロフィン(微調整機構)にあらためられたのち、3針のレギュラームーブメントとして6振動のCal.822となった。流麗な形状に分割されたブリッジを持つ美しいムーブメントであり、巻き味も評価が高くファンの多い大傑作と言えるだろう。テンプのみならず脱進機の受けにも伏石・耐震装置付きの21石高級ムーブメントであり、複雑機構のベースムーブメントとしての使命をまっとうしている。シースルーバックの時計(サンムーンなど)では、レギュラーのCal.822とは異なり青焼きネジが多用されるなど、美観にもこだわりが感じられる。代表的な派生ムーブメントは下表のようなものがある。3針のCal.822とデュオのCal.854はレギュラーモデルとしてほぼ途切れなくラインナップされており、現在はフリースプラングに進化(Cal.822/2)したため、スピロフィンは廃止されるなど時代のテクノロジーを取り入れ、基幹ムーブメントとして着実に成熟している。

 90年に及ぶ歴史のなかで、レベルソとはアール・デコデザインの真髄であり、かつジャガー・ルクルトの普遍的なアイコンとして、デザイン・ムーブメント・機能そのすべてが調和した、絶えず美しい時計であり続けた。今回は、そのあいだに時計の心臓部を担ってきた多様なムーブメントをたどることで、レベルソ全 体を俯瞰することにチャレンジしたが、それはほぼ手巻きムーブメントの角型時計としての道のりだったと言えるのではないか。100周年に向かってもその位置づけはまったくブレることなく、さらに発展し続けるだろう。そして未来永劫、愛好家を楽しませてくれることを信じてやまない。

1930年代の様式に範をとったレベルソ・トリビュート・デュオ(左)。現代の技術で作られた美しい文字盤とデュオフェイスが光る。右はレベルソ・クラシック・ラージ・スモールセコンド。

Photographs by Yoshinori Eto, Shooting Cooperation Courtesy Curious Curio & Abe Tokeiten & Shun Horiuchi