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「Watch of the Week」では、HODINKEEのスタッフや友人を招いて、ある時計を愛する理由を説明してもらう。今週のコラムニストは、小説『Super Sad True Love Story』や『Lake Success』、回顧録『Little Failure』など、多くの楽しい本を執筆している。次回作は11月に発売予定の『Our Country Friends』だ。
時計に夢中になってから間もなく、私はニューヨーカー誌のライターとして新しい趣味についての記事を書くため、ウエストビレッジのベンジャミン・クライマー氏のアパートメントに招待された。彼が目の前に並べた時計を見ているうちに、よだれが出そうになっていた。よだれ掛けを持ってくるべきだった。アイゼンハワー、グレイブス、ジョン・メイヤー(衝撃的なことに、私は時計にハマる前は彼のことをまったく知らなかった)など、その出自は多岐にわたっていたが、私の想像力を最もかきたてたのは比較的平凡なパテック 3940のホワイトゴールドだった。そして、それが今でも頭から離れないのだ。
それからちょうど5年が経ち、私は時を刻む機器を20本所有するという、精神的にも消耗するような地点に差し掛かっている。その数を超えると狂気の沙汰、もしくは「私はコレクターではなく、単なる愛好家だ」とは言えなくなるレベルだ。私が自分のコレクションを淘汰して少数の重要なものに置き換えることを想像するとき、3940は常にそのリーダーとして登場する。
1985年から2007年まで製造されたこの永久カレンダーモデルは、モダンとヴィンテージの間、コンピュータ支援設計とCAD以前、黄金時代のパテックにおけるミッドセンチュリー的優雅さと現代的なムーブメントの進歩の間に位置している。この時計は伝説的な5711と一緒に1年間生産されたが、私はこちらの方がより興味深く、また大胆な提案だと思っている。
この時計は、パテックがクォーツショックの主人公たちに中指を立てたことを象徴している。80年代半ばの電池駆動の時計は、クロノグラフ、ミニッツリピーター、対数計算を可能にしながら、うるう年を簡単に計算できるようになっていた。もちろん、現在ではブルガリなどがよりスリムな永久カレンダームーブメントを発表しているが、腕につけたときにこれほどしっくりくる時計はほかにはなく、複雑時計でインダイヤルがこれほど視覚的に楽しめるものはないと思うのだ(トリコンパックス様、ごめんなさい)。バウハウスの伝統的な手法である「形態は機能に従う」というよりも、ブルックリンのサブレット(編注;部屋の間借り、短期貸しのこと)に形と機能が一緒に入居して、朝から夕暮れまで甘い恋をしているようなものだと思う。
私と同じように3940への情熱を持ち、これを究極の1本とするコレクターをたくさん知っている。3940はどう考えても非常に高価な時計だが、例えば、デュフォーのシンプリシティやほとんどのF.P.ジュルヌのようなインフレの波に乗っているわけではない。そして、私は自分のコレクションのほとんどを売り払って、3940を日々の時計にすることを想像できる。ただし、熱心なスイマーである私は、1日のうち2時間は水に浸かっていなければならず、そのための何かが必要だ。これには、愛用しているブレスレットのアクアノート 5167を推薦したい。この時計は、多くの人に「お前、そのノーチラスを定価で買ったのか?」と言わせるほどのものだ。
また、アクアノートはあまり治安の良くない地域では指先の素早い人たちの目に留まるため、そういうところの旅行に持っていけるような防水時計も必要だ。この目的のために、私はハイウェイにインスパイアされた陽気なフォントとセクシーで明るい数字を備えたノモスのクラブ ネオマティックを持っている。最近、ナポリの警官と一緒にイタリアの組織犯罪を調査したとき、この時計は見事に、そして控えめに機能した。以上、3940を筆頭に、アクアノートとネオマティック クラブが脇を固めるシンプルな3本立てのコレクションを紹介した。
ところで、どの3940にするのか? ここでパテックの永久カレンダー崇拝者たちは、この時計が製作された4つの貴金属(ホワイトゴールド、ローズゴールド、イエローゴールド、そしてプラチナ)と、20年間に生産された3つのシリーズに基づいて、いくつかの宗派に分かれる。多くの人にとって“正解”は、 YGの第1シリーズであり、このシリーズは、製造に使用された伝統的な技術、美しい沈み込んだインダイヤル、小さいパテックサインの機知に富んだ性質で知られている。私は第1シリーズを提案する信奉者たちとは議論しない主義だ。しかし、もし3940を海に行かない時に毎日使うのであれば、適切に焼けた月が第3シリーズのいくつかでシルバーディスクに置き換えられる前の、WGかPt、そしておそらく第2シリーズを選ぶだろう。私の友人であるエリック・ウィンドによると、オーバーポリッシュされていない状態の3940を見つけることは可能だが、それほど簡単ではなく箱や保証書付きのものはなおさら難しいという。80年代と90年代を生き延びた者として、これはまったくもって理解できる。ぼうっとしていて何も残せなかったのだから。
皆さんから「ゲイリー、自分のコレクションをあまり売らないでくれ」という声が聞こえてきそうだ。そして、すでに持っているコレクションに3940を加えればいいじゃないか、という声も。私は自分の時計を、それが意図された目的のためだけに使うことを楽しんでおり、永久カレンダーウォッチは永久に使う必要があると思っている(ちなみに、私は自動巻きの時計は好きではない)。我々の日々を4年ごとに計測する装置には、哀愁と知的な雰囲気、そして(ジャックのように)フォースターのような雰囲気がある。もうすぐ50歳になろうとしている私には、このようなサイクルがあとどのくらいあるだろう。そして私はこのような時計を引き出しの中に追いやり、月に一度最新の状態にしようとして機械を壊してしまうようなことがないように、時の経過を示す方法を尊重したいと思うのだ。
もちろん、インダイヤルを実際に読むという問題がある。ウェイ・コー氏か、彼に近い人物がこんなジョークを言っていた - 永久カレンダーを買えるようになる頃には、老眼が進んでそれが読めなくなっているだろう、と。ここで私は遠近両用レンズの神に救いを求めなければならない。
私が最も好きなTalking Watchesのエピソードは、William Massena氏かもしれない。彼の素晴らしいコレクションだけでなく、「何も考えずに1本の時計を買う人」に対する彼の称賛と、そのような人になりたいという願望がわかるからだ。もちろんワン・ウォッチ(いやスリー・ウォッチ)・ガイになるということは、現在私の手首にある愉快なミンとMassena Labのイエローハニカムを売ることを意味する(そう、完璧なものだ。聞かないでくれ)。そして最近購入したホワイトバーチ(編注;白樺ダイヤルのSLGH005)は、グランドセイコーのなかでも4、5本の指に入る最高傑作だと思っている。あるいは、もし売られることがあれば、“金色好き”を刺激するであろう60年代のヴィンテージロレックス(残念)だ。また、パンデミックが終息し、東京が時計産業に適した環境になった暁には、まだ買っていないキングセイコーのヴィンテージも考慮している。
3940は、コレクターではない私を“マニア”にするだけの吸引力があるのだろうか? 正直なところ、それを知るのが怖い。
Top Photo © Brigitte Lacombe