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In-Depth ロレックス ベトナム最後の皇帝バオ・ダイが所有したRef.6062 トリプルカレンダー ムーンフェイズ

ヴィンテージウォッチエキスパートのルイ・ウェストファレンが、歴史上最高の値がつくかもしれない(つかないかもしれない)ロレックスを実際に手にしてみた。


※本記事は2017年4月に執筆された本国版の翻訳です。

アメリカにおける(世界におけると言ってもいい)ロレックスの偉大なディーラーであり専門家、アンドリュー・シアー(Andrew Shear)氏(こちらに登場)とエリック・クー(Eric Ku)氏(こちらに登場)の2人が、コレクターで満員になった部屋でこう質問されるのを想像してみてほしい。“もし、ロレックスをたった1つだけしか所有できないとしたら、どれがいいですか?”。すると両氏の答えは同じである。これは実際に起こったことで、私もその場に居合わせた。彼らの共通の答えは、ゴールドレターのアンダーライン入りギルトダイヤルのサブマリーナでもなければ、とびきり珍しいオイスター ポール・ニューマンでもなく、36mmの小さなイエローゴールドの時計で、実は多くの人がもつ平均的なデイトジャストと同じケースが使われている。しかし、エキスパート2人の憧れの的の時計と、ありふれたロレックスの共通点はそれだけである。

 “バオ・ダイ”と呼ばれるRef.6062は、ある種の伝説的な時計である。それはイエローゴールドのトリプルカレンダー ムーンフェイズを備えた希少なRef.6062だ。その上、ダイヤルはブラックでインデックスの一部にダイヤモンドを使っている。しかし、コレクターの間で知られているこの時計の呼び名こそが、この時計を唯一無二のものとするその驚くべき来歴を明らかにしている。この時計はかつてベトナム皇帝のバオ・ダイが所有したもので、ロレックス愛好家の間では伝説となっているのだ。 

Bao Dai 6062

誉れ高い“バオ・ダイ” Ref. 6062。

実際のところ、この時計は最も伝説的なロレックスである。3月にお伝えしたように、フィリップスとオーレル・バックス(Aurel Bacs)氏は、5月に開かれるジュネーヴ ウォッチ オークションのために、この時計を委託された。“バオ・ダイ”のロレックス Ref.6062の出品が発表された当初、多くの注目を集めることになった推定落札価格は、驚愕の“150万ドル(約1億5570万円)以上”だ。この特別なRef.6062が、再びオークション史上最も高価なロレックスとなる可能性は十分にある(2002年には当時の記録を更新する23万5000ドルで落札された)。そのためには昨年スプリットセコンド クロノグラフ Ref.4113が打ち立てた250万ドル(約2億5950万円)という落札価格を上回らなければならない。

 記録更新の話はさておき、この時計がどんなものであるかをよく見ておくことには価値がある。これは並外れたストーリーをもつ格別なヴィンテージ ロレックスであり、まさに我々は、先週ニューヨークでこの時計を見ることができた。まずは少し、歴史の話をしよう。 

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バオ・ダイとは何者か? そして、この時計はどのようにして生まれたのか?

 すでにお伝えしたように、バオ・ダイはベトナム最後の皇帝であり、この国を支配した最後の一族であり、13代にわたって続いた偉大な阮朝(グエン朝)王家の最後の1人だ。1926年から1945年の間、バオ・ダイ(この名は“偉大さを維持する者”を意味しており、彼はグエン・フク・ヴィン・トゥイとして生まれた)は、安南(フランス統治時代のベトナム北部から中部を指す歴史的地名)の皇帝として在位し、それからフランス領インドシナも治めた。この地は現在のベトナムの3分の2にあたる。公式に皇帝の座を継いだのは彼が12歳であった1926年だが、治世を始めたのは1932年からである。 

 バオ・ダイは幼少期の多くを教育を受けるためにフランスで過ごし、18歳の時に国を治めるために戻った。20歳で結婚して、5人の后妃と5人の子どもをもうけた(そのうち3人は最初の妻との婚姻期間中に結婚)。第2次世界大戦中、日本がフランス領インドシナに侵攻した際、バオ・ダイ率いる政府は占領軍に説得されたことから、フランスからの独立を宣言した。 

 日本が降伏した後、ホー・チ・ミン(ベトミン独立同盟会のリーダー)は、バオ・ダイと日本との繋がりを指摘して、皇帝の座を退くことを納得させた。しかしながら、彼はホー・チ・ミン率いるベトナム民主共和国政府の最高顧問の地位を与えられたが、1940年代後半にこの地域で大きな紛争が起こったため、その地位は長くは続かなかった。バオ・ダイは、そのほとんどの時間を香港やヨーロッパで過ごした。1949年、彼はフランスから再び権力の座に就くことを求められたが、その肩書は皇帝ではなく“国家元首”であった。 

 1954年の春、バオ・ダイは、朝鮮戦争での衝突につづく問題を解決し、そしてインドシナの今後について話し合うためにジュネーヴでの会議に参加した。韓国の問題については大きな成果がなかった一方、ジュネーヴ協定ではベトナムを2つの国に分け、北部はベトミンが統治し、南部を統治するベトナム国では、バオ・ダイが指導者となった。しかし、共和国政府の樹立とバオ・ダイの解任を求める国民投票が1955年に可決され、彼はその後の人生を海外(主にフランス)で過ごした。 

 しかし、ジュネーヴ協定成立の前にバオ・ダイはちょっとした買い物をしている。これは本当の話だ。彼の国を2つに分断することになったジュネーヴでの話し合いの間に、彼はホテル・デ・ベルク(現在のフォーシーズンズであり、いくつかの重要な時計オークションの拠点となっている)を出て、通りの向かい側にあるロレックスのディーラー、Chronometrie Philippe Beguin(クロノメトリー・フィリップ・ベギン)に向かった。彼の店員への要望はシンプルなものだった。 

彼は今までに作られた中で最も希少で、高価なロレックスを望んだ。

– Phillips GWA5 Catalog

 彼は極上の時計をいくつか見せられたが、そのどれにも満足しなかった。結局、そのリテーラーは街の少し外れにあった(そして今もそこにある)ロレックスに連絡し、イエローゴールドにブラックダイヤル、そしてダイヤモンドのインデックスが付いたRef.6062を提供することができた。それこそが、今見ている時計である。 

 バオ・ダイは1997年に83歳でこの世を去った。ニューヨーク・タイムズ紙はこう伝えている。“彼がベトナムを去ったのは、君主制を廃止しようとする不正な国民投票によって追放された1950年中頃のことだった。その後は祖国とほとんど関りをもたず、代わりにパリや地中海沿岸のリヴィエラで、ゴルフやブリッジトーナメント(トランプゲーム)や女性を中心とした快楽主義的な生活を送ることを選んだ”。彼が1954年の春にジュネーヴで購入したロレックスは、存命の遺族によって、2002年にオークションに出品された。 


時計マニアから見て、なぜこの時計はそれほど特別なのか? 

 ヴィンテージウォッチをコレクションする上で、最初にして最も重要なルールはコンディションを何よりも重要視するということだ。最も理想的なのは、隅から隅までオリジナルの状態で美しくエイジングした時計である。きれいなリダンダイヤルよりも、均一な経年変化が見られるダイヤルのほうがずっと好まれるのは、まさにこのためである。この原則はコレクション対象となるどんな価格帯の時計にも当てはまり、多くのコレクターにとって、最高のコンディションに勝るものは、際立った希少性か来歴だけだ。幸運なことに、この“バオ・ダイ”は、その3つを全て兼ね備えており、そのおかげで驚くべき価値を見出されているのである。 

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 初めて“バオ・ダイ”を手にしたら、そのダイヤルに間違いなく感銘を受けるはずだが、その感動の理由は、偶数時のインデックスにダイヤモンドを配したブラックダイヤルのRef.6062として知られる唯一のものであるというだけではない。そこには目立ったキズが一切なく、ブラックの艶やかな仕上げが完璧に保たれているのだ。しかし、だからと言って、この時計が全くの新品で着用されていなかったり、新しいまま倉庫で眠っていたりしたわけではない。それどころか、ケースには、バオ・ダイ本人の側近が証言している通り、たびたび着用されたことを示す痕跡があり、1950年代から1960年代にかけてこの時計が(皇帝のお気に入りのスポットであった)フランス・リヴィエラのカンヌで過ごした時間を容易に想像することができる。 

 この傷ひとつないダイヤルは、1950年代にRef.6062をデザインしたロレックスの卓越した仕事ぶりを実に印象的に示している。実際のところ、ダイヤルがこれほど良い状態で保存されているのにはそれなりの理由があり、防水ケースとねじ込み式のリューズとケースバックに守られているため、ダイヤルはどんなダメージも受けそうにないのだ(そうは言っても、ダメージを受ける可能性はある。手入れされていなかった期間があればなおさらだ)。有名なオイスターケースのおかげで、Ref.6062は、ムーンフェイズとトリプルカレンダー表示をもつ、もう1つのヴィンテージロレックス Ref.8171より、ずっとロレックスらしさが際立っている。ロレックスらしさという点に関して言えば、Ref.6062はロレックス創業者のビジョンを具現化した究極の形かもしれない。防水性を備え、クロノメーター認定を受けた自動巻きムーブメントを搭載しており、複数のコンプリケーションを組み込んでいるにも関わらず、視認性も驚くほど高い。

Bao Dai Rolex 6062 dial

“バオ・ダイ”は、偶数時のインデックスにダイヤモンドを配したブラックダイヤルのRef.6062として知られる唯一のものである。 

 腕に着けてみると、“バオ・ダイ”の着け心地は他のRef.6062と同様に感動的だ。36mmのオイスターケースには、本質的に完璧な部分があり、それはどのRef.6062においても(そしてこの点に関しては、どんなヴィンテージのデイトジャストも)同じである。華麗になり過ぎず、大きすぎることもなく、イエローゴールドのジュビリーブレスレットも時計全体の印象に大いに貢献している。記録を打ち立てたスティール製のパテック・フィリップ Ref.1518と同じように、“バオ・ダイ”が(とんでもなく高価ではあるものの)日常的に着用するのに良い腕時計であることは想像に難くない。ヴィンテージのプレキシガラス風防がそのまま保たれているという事実も非常に重要である。というのも、その顕著な湾曲がRef.6062のシルエットをとても優雅にしているからだ。 

“ベビー・バオ・ダイ”をご覧あれ。

同じオークションで、フィリップはもう1つの非常にレアなイエローゴールド、ブラックダイヤルのロレックスを競売にかけた。そのRef.6088はバオ・ダイと同じ時期に“ステッリーネ”や“スターダイヤル”といったロレックスウォッチの精鋭と共に生産された。推定落札価格20万~40万スイスフラン(約2280万~4560万円)。※実際には67万スイスフラン(約7715万円)で落札された。

 ダイヤモンドインデックスに対する私の最初の印象は間違っていたことが分かった。実物を目にして手に取るまでは、肩をすくめて“クールだけど、自分の好みじゃない”なんて思うと想像していたからだ。しかし、実際に目にすると、ダイヤモンドはこの時計に素晴らしい輝きを与えている(そしてなんといっても、これは皇帝に売られた時計なのだ)。このRef.6062についてはクロノメーター認定の配置も完璧に思える。多くのRef.6062において、クロノメーター認定の表示はデイト表示窓と時・分針の軸との間に押し込められている。より珍しいケースとして、こちらの時計の場合(例えばいくつかのステッリーネダイヤルのRef.6062と同様)のように“Officially Certified Chronometer”の文字が、秒表示インダイヤルの中、ムーンフェイズ窓のすぐ下に配置されているものがあり、この配置はダイヤルのバランスを美しく見せてくれる。このモデルでは、ダイヤルの12時位置にダイヤモンドを配置したために、クロノメーター認定の文字が別の場所に移されたと一般に認識されている。

 この時計のコンディションや見た目、雰囲気といった基本的な部分だけで、私は心を奪われている。しかし、かつてベトナム最後の皇帝が所有していたという事実によって、この時計が最もコレクション価値のある非常に限られた時計の1つとなったことは明らかだ。2002年の売却後、おそらく世界最高のプライベートコレクションの1部となっていたことも特筆すべきだろう。つまり、5月にこの時計を落札する誰かは、約60年間という歳月における3人めのオーナーになるのだ。 

元王者の再来

“バオ・ダイ”は2002年11月に最初にオークションにかけられ、約23万5000ドル(約2700万円)で落札された。当時としては、オークションにおいて史上最も高額な値が付いたロレックスであった。まったく、時代の代わりようには本当に驚かされる。

 有力なコレクターの間では、この時計が世界最高価格のロレックスの座に返り咲くかもしれないと話題になっている。“バオ・ダイ”はたった1つしかないこと、Ref.4113は12本存在するが、ブラックダイヤルにダイヤモンドインデックスのRef.6062は3本しか存在しないことを考慮すれば、新記録となる価格がつく可能性は十分にある。しかし、希少性だけが問題なのではないし、この時計は最近トレンドのローズやスティールではなく、イエローゴールドであるということも忘れてはならない。現代の嗜好から見るとやや小さめでもある。しかし、それ以上に1950年代のロレックスを、またコレクター界における“バオ・ダイ”の意味を究極の形で表現しているかもしれない。 

 “バオ・ダイ”は史上最も高価なロレックスとなる価値があるのか? この問いに答えられるのは、この時計を競り落とそうとしている人々だけだ。 

 我々はただ、フィリップスのジュネーヴ ウォッチオークション 5を待ち、比類なきロット93の行方を見守るだけだ。記録が更新されるかはさておき、1つ確かなことがある。それは、この特別なRef.6062を腕に着けたほんの数分が、私の心に愛すべき思い出として刻まれたということだ。そのとき私はおよそ50年前にカンヌの豪華な大邸宅でパーティーを開く皇帝の気分を味わった。年若いフランスのジェイ・ギャッツビーの気分と言い換えてもいいだろう。