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In-Depth 失われたジョン・レノンのパテック フィリップ 2499に隠された驚くべきストーリーの(ほぼ)全貌

ジュネーブ裁判所は、オノ・ヨーコが世界で最も価値のある時計の所有者であるという判決を下したが、それは恐喝、窃盗、そして世界中を旅した時計の物語の序章にすぎない。それがどこにあるかわかった今、私たちはそれを目にすることができるのだろうか?

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時計に詳しい人なら、この写真を見たことがあるだろう。コレクターにとってはたまらない1枚である。史上最も有名な人物のひとりであるジョン・レノン(John Lennon)が、彼と同じく最も有名な時計のひとつ、パテック フィリップのRef.2499 パーペチュアルカレンダー・クロノグラフを着用している写真だ。この写真が撮られてからわずか数カ月後、彼は殺害され、それ以来この時計は姿を見せていない。

 この度、ジュネーブで進行中の訴訟のおかげで、この神話上のパテックの歴史と現在の所在に関する新しい情報が明らかになった。しかしこの訴訟は、恐喝、窃盗、そしてニューヨークからトルコ、ドイツ、ジュネーブ、そしておそらくは故郷へと旅した盗まれたパテック、そしてレノンが残した遺産の物語の始まりに過ぎない。


前提として、レノンの2499とは何か?
john lennon patek philippe 2499

オノ・ヨーコ(Yoko Ono)から、40歳の誕生日に贈られたパテック フィリップ 2499を巻いてポーズをとるレノン。

国際的な陰謀の話に入る前に、まずはレノンの2499とは何かについて話そう。

 ベン(・クライマー)が書いた、パテック フィリップ パーペチュアルカレンダー・クロノグラフのReference Points記事のなかで、彼は“パテック Ref.2499は、多くの人が究極のパテック フィリップであると考えており、古きよき時代の魅力と現代的な装着感を兼ね備えている。Ref.2499は、おそらくPP パーペチュアルクロノのなかで最も研究され、分析されているモデルだ”と述べている。

 パテックは35年という生産期間中、2499をわずか349本しか生産していない。複雑かつ希少で、収集価値が高く、小型の先代モデルに比べ、37.5mmという現代的なプロポーションを採用し、美しくデザインされていた。

 ほんの数カ月前に、レノンの2499にまつわるいくつかの俗説について記事を載せたが、今回の裁判ではそれらの噂のいくつかが事実であることが裏付けされた。オノ・ヨーコがレノンの40歳の誕生日にこの時計を買ったのは、レノンがニューヨークにある夫妻のアパートの外で殺害されるわずか2カ月前のことだったのだ。このイエローゴールドのパテック 2499は、ニューヨークのティファニーで購入したもので、文字盤にはティファニーのサインが入っている。

patek philippe 2499 tiffany & co

ティファニーのサインが入った、第4世代のYG製パテック 2499。レノンの2499と同じで、2本しか知られていないうちの1本だ。Image: Courtesy of Sotheby's

 購入日は1978年から1985年まで生産されたリファレンスの、最終シリーズである第4世代にあたる2499だ。モダンなサファイアクリスタルの有無で、以前のリファレンスと区別されている。

 レノンの2499の裏には、オノとレノンが短期間の別居のあとに作曲したアルバムの、最初の曲にちなんだひと言が刻まれている(裁判所への提出書類では、エングレービングされた言葉が伏せられていた。誰も教えてくれないので、あなたのベストな推測をコメントに残して欲しい!)

 レノンの2499はきれいなコンディションだと聞いている。2014年に初めてクリスティーズに持ち込まれたときは新品同様の状態で、オリジナルのパテックストラップがセットされていた。ピンバックルは、ストラップのひとつの穴だけ伸びていたから、そこに合わせてレノンが時計をつけていたのがわかる。


延々と続く曲がりくねった物語の先にあるレノンの2499
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アムステルダムにて、平和への思いをアピールしたベッド・インパフォーマンス中のレノンとオノ。Image: Courtesy of Wikimedia Commons

ジュネーブで提出された法的書類により、レノンの2499は、レノンの未亡人であるオノ・ヨーコを含む二者間で進行中の、紛争の対象になっていることが明らかになった。時計が最初にオノから盗まれたとされて以来、これを取引してきた複数の当事者を含め、紛争に関する多くの個人情報は伏せられているが、その個人的な詳細(ニューヨーク在住の日本国籍の未亡人とされる)が、オノが一方の当事者であることを示している。一方でオノの所有権の主張に異議を唱えている当事者は、香港在住のイタリア国籍の人物である(詳細は後述)。さて、欠けていたストーリーの穴を埋めるときが来た。

 1980年のレノンの死後、彼の私物はすべてカタログに記録され、その後オノの所有物となった。そのなかにはレノンの2499も含まれていた。

おそらく地球上で、最も価値のある腕時計だ

 この時計の次の章は、オノの元専属ドライバーだったコラル・カルサン(Koral Karsan)が、オノから200万ドル(当時の相場で約2億3260万円)を脅し取ろうとして逮捕された2006年から始まる。彼は密かに記録した恥ずかしい録音テープや写真を公開すると脅し、さらにはオノと彼女の息子を殺すとまで脅迫している。またカルサンは、オノと性的関係を持ったとも主張した。彼は最終的に軽い罪状で有罪を認め、すぐに母国トルコへと強制送還された。

john lennon glasses stolen patek philippe

レノンの眼鏡は、2017年にオークショナタ(Auctionata)社が倒産した際に見つかった盗難品のひとつだった。

 そして2017年、カルサンがオノからレノンの財産を盗んでいた証拠が浮上した。ベルリンを拠点としていたオークションハウスのオークショナタは倒産したばかりで、その資産を分散する際、弁護士と警察がオークショナタの倉庫から眼鏡や日記など計86点のレノンの私物を発見した。オークションハウスによると、ドイツ警察によってエルハン・Gと名づけられた男性(ドイツでは姓を公表しない習慣がある)が、カルサンからこれらの品物を譲り受け、販売していたという。エルハンはかつてレノンの2499を所有していたが、それはこれらの品には含まれていなかった。

 ジュネーブ裁判所に提出された書類によると、カルサンは2010年にレノンの2499をエルハンに渡しており、同時期に盗んだほかの86点も譲渡していた。その後、エルハンは2013年にオークショナタに接触し、最終的にハウスとの委託販売契約を締結。エルハンは別の手紙のなかで所有権を保証することはできないし、オノがレノンの2499の所有権を主張することもないと書いている。それに伴い、この時計の真の所有権に関する疑問が浮かび始めた。

 その直後、2014年1月に締結された契約では、オークショナタはこの時計を競売に出すのではなく、現在香港に住むイタリア人ディーラーに60万ユーロ(当時の相場で約8450万円)で私的に売却することに同意した。業界関係者にとって、彼は評判の怪しいディーラーであった。さらに当時、彼はオークション会社の顧問委員会に名を連ねていたとも言われており、おそらくこのアクセスを個人的利益のために利用していたのだろうとも聞いていた。現金のほかに、ディーラーは取引の一環として40点以上のヴィンテージウォッチをオークショナタに売却することにも合意している。

 数カ月後の2014年、イタリア人ディーラーはこの時計をクリスティーズ・ジュネーブへと持ち込み、売却について問い合わせをした。6月に時計を受け取ったあと、クリスティーズは2014年9月にオノの弁護士にこの時計について尋ねた。このことについてオノは驚いたようだ。彼女は、時計はまだ自身の家にあるはずで、レノンのほかの品々と一緒に戸棚にしまってあるはずだと答えた。結局、これは彼女がレノンが亡くなった2カ月前に買った、最後の贈り物のひとつだった。そこで自宅の戸棚に目をとおしたオノは、35年前にレノンに買った時計がなくなっていることを初めて知る。オノによると、カルサンはこの時計とレノンのほかの私物が保管されていた部屋に入ることを許された、数少ない人物のひとりだったという。

 オノはこの時計を取り戻すために米国で手続きを取ろうとした。だが今はジュネーブに保管されているため、彼女は最終的にイタリア人ディーラーがこの時計を所有していることに異議を唱え、盗まれたものだとして、2015年10月にジュネーブ宛へ請求書を提出した。

john lennon patek philippe 2499

2499J。

 その後、両当事者はクリスティーズと“委託・預託契約”を締結し、所有権が十分に裁定されるまで、レノンの2499はイタリア人ディーラーの弁護士によって預託保管されることになった。2015年以来、これがレノンの2499の現状であり、裁判所が所有権を決定するあいだ、法的には宙に浮いた状態になっていたのだ。

 現在、このイタリア人ディーラーが訴訟の相手方となっており、オノとレノンの2499の所有権を争っている。

 この直後にオークショナタが倒産し、カルサンが盗んだレノンのほかの86点のアイテムも発見され、カルサンとエルハンに対して刑事訴訟が行われた。ドイツの訴訟手続きにて、オノは盗品について、特にレノンの2499について証言した。彼女はカルサンがかつて主張していたように、決してカルサンへの贈り物ではないと証言した。

 ドイツの捜査当局は最終報告書のなかで、エルハンは時計が盗品である可能性を知っていたことはおろか、オークショナタに持ち込む前に個人で売ろうとしていたとして、彼を盗品受領の罪で有罪にした。2017年8月、この時計は盗難財産の登録簿へ記録された。エルハンは最終的に、1年の実刑判決を受けたがカルサンは逃亡を続け、ベルリン検察、のちのユーロポールが逮捕状を発行した。

 そこからオノとイタリア人ディーラーは、互いにレノンの2499の所有権を主張して争った。イタリア人ディーラーの主張は基本的に、オノからカルサンへ時計を譲ったというものであり(オノはドイツでの証言のなかで、レノンの死後すぐにカルサンへ安価な時計を大量に贈ったのは、自身が多くの時計を所有していたからだと述べたが、彼女にとってはそれほど意味のある品では決してなかった)、オノはこの時計を盗難品として届け出たことはなかったというものだった。オノは2014年に、クリスティーズから初めて連絡が来るまで、それが盗まれたことすら知らなかったと証言し、そのあとすぐに時計を取り戻そうとし始めた。そして2022年、裁判所はこの件について追加審理を行った。


新たな始まり

 審理後、裁判所はオノ・ヨーコが、カルサンによって盗まれたレノンの2499の正当な所有者であるという前回の判決を下した。イタリア人ディーラーが主張していた、オノが元ドライバーに時計を贈ろうとしたという証拠は見つからなかったからだ。またスイスの裁判所は、レノンの86点の遺品も盗まれていたことが判明したドイツの犯罪捜査についても言及した。ディーラーはまた、所有権について“ファインダーキーパー(先に見つけたもの勝ち)”と呼ぶ理論も提示しようとしたが、裁判所はそれをすぐに却下した。40年以上もオノから離れていたこの時計が、彼女の手元に戻る日も近いかもしれない。

 判決が確定する前に、もう一度控訴することができる。


愛は買えない
Patek 2499 Tiffany perpetual calendar chronograph

レノンの2499と同じ、ティファニーのサインが入った第4世代の2499。こちらは2020年に、81万8600ドル(当時の相場で約8740万円)で落札されている。

 オノ・ヨーコは現在90歳だ。今年の初め、彼女は長年暮していたかの有名なダコタ・ハウスから引っ越しをしている。この建物は、1973年に彼女とレノンが最初に移り住んだ、ニューヨークのアッパー・ウエスト・サイドにある住居であり、1980年にジョン・レノンが悲劇的な銃撃を受けたのと同じ場所でもある。 

 引っ越し後は、レノンと一緒に建てたキャッツキルにある家に身を寄せた。近年の健康状態の悪化を理由に、公の場から身を引いたのだ。彼女は以前から病気と闘っていることが報じられており、車椅子生活を余儀なくされ、24時間体制での治療が必要だとされている。このようなセンチメンタルな気分にさせてくれるアイテムを売るよう、オノを説得できるような金額は、オークション業者がいくら努力しても、この世に存在しないと信じるに足る理由がある。特に彼女はこの時計を取り戻そうと10年以上も戦っているのだから。一方、オノとレノンの息子であり、自身も音楽活動で成功を収めているショーン・レノン(Sean Lennon)も、この時計を金額以上に高く評価している可能性がある。

 このジュネーブの裁判は、スイスの法律ブログGotham Cityがフランス語で最初に報じ、それをフィリップスの従業員(HODINKEE元欧州担当エディター)であるアーサー・トゥシェット(Arthur Touchot)が時計の世界に持ち込んだ。内輪の話だが、最も有名なオークションハウスの従業員がそのようなことについて投稿するのがおもしろかったから言及しておこう。誤解のないように言っておくが、フィリップスはこの時計の所有権を主張していない。おそらく、ポール・ニューマンのポール・ニューマンをはじめ、過去20年間にわたり重要な腕時計(バオ・ダイとかスティール製1518も含む)を販売してきた、オークショニアのオーレル・バックスが主導する彼らのやり方で、物語を牽引しているのだろう。おそらくオークショニアにとっては白鯨(まるで幻かのような達成困難なもの)であり、バックスの輝かしいキャリアを語るうえでの最後の作品となりうる、レノンの2499の委託販売につながることを期待しているのだろう。

 もしあのイタリア人ディーラーがこの訴訟に勝っていたら、所有権争いが始まった2015年に当事者と交わした委託・預託契約によって、クリスティーズが最初に時計を販売する権利を得ていたと思う。すでに、この取引に関わっていた従業員の何人かはクリスティーズにいないので(フィリップスに移った従業員が数人いる)、おそらくそれで争いが終わることはなかっただろう。いずれにせよ、この時計はオノの手に渡ることになりそうだ。彼女はいつも自分のやり方を持っているので、彼女やショーンがレノンの2499を今後どうするかは、誰にもわからない。

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金をくれ(それが俺の欲しいものだ)

しかし、もしレノンの2499がオークションに出品されたらどうなるか、ちょっと想像してみよう。

 サザビーズは2020年12月に、2本目のティファニーサイン入りで知られる第4世代YG、まさに私たちがレノンの2499だと信じていたものと同じRef.2499を81万8600ドル(当時の相場で約8740万円)で販売した。その時計のオリジナルオーナーは証明されているが、その人物は史上最も有名なひとりではなかった。きっとレノンの2499にはもっと多くのことが待ち受けているだろう。ティファニーのサインは、ほかの第4世代の例と区別するのに役立っている。サイン入りでなければ、2499のバリエーションのなかではより一般的で、あまり珍しくない。

 この裁判でオノは、この時計が200万ドルから400万ドル(日本円で約2億9430万~5億8860万円)のあいだで評価されていた証拠を提示した。ただ私が話をした大半の人々によれば、これは控えめなエスティメートだという。

 “おそらく地球上で、最も価値のある腕時計だ”と、ディーラーのエリック・ウィンド(Eric Wind)は話す。正しいメッセージを伝え、きちんとしたマーケティングを行えば、レノンの2499は4000万ドル(日本円で約58億8600万円)の時計に化けるかもしれないと彼は言う。

 一方、私が話を聞いた別の元オークション専門家はそう確信していなかった。同氏は今年5月に、約70万ドルで落札されたメル・ブランク(Mel Blanc)の2499を例に挙げた。メル・ブランクはバッグス・バニーの声を務め、少なからず名声を得ていた。もちろん、レノンのほうが価値が高いのは明らかだが、天文学的で記録的な数字よりも、1000万ドルから1500万ドル(日本円で約14億7150万~22億730万円)くらいの時計だと言った。レノンの2499について、ブルームバーグで語った専門家のなかには、このレンジに同意する者もいた。

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エリック・クラプトン(Eric Clapton)のプラチナ 2499。

 別の例としては、プラチナの2499が挙げられる。これはフィリップ・スターン(Philippe Stern)が、リファレンスの残りのムーブメントを使用して2本だけ製作した個体だ。1989年に初めてオークションにかけられ、1本だけが個人の手に渡った(もう1本はパテック・ミュージアムに所蔵)。その後、大物コレクターであるエリック・クラプトンのコレクションに加わり、2012年にクリスティーズによって360万ドル(当時の相場で約2億8730万円)で売却された。同様に希少で、ロックスターの来歴を持つことから、ベンはReference Points記事のなかでこの個体を“究極のRef.2499”と呼んでいる。しかし、レノンの2499こそがそのタイトルを獲得するかもしれない。ベンにレノンの2499のオークションの可能性について尋ねたところ、彼は当初、クラプトンの2499と同様に300万ドルから500万ドル(日本円で約4億4150万~7億3570万円)だろうと言った。ただこの時計を取り巻く物語が複雑なために、最終的にどのあたりで着地するのか、推測するのは難しい。

 もちろん、最終的な比較対象は、2017年に1770万ドル(当時の相場で約20億円)で販売されたポール・ニューマンのポール・ニューマンである。しかし、ここでもその魅力は異なる。ポール・ニューマンデイトナは特に珍しい時計ではないが、ポール・ニューマンという名前は、時計収集のひとつのサブカルチャーを形成した。一方、ティファニーのサインが入った2499は、客観的には珍しいがレノンと同一視される時計ではない。レノンの2499の最大の魅力は、レノン自身の伝説にあり、彼が亡くなるたった2カ月前にオノがプレゼントしたことで、時計がその物語のほんの一部であるかのように感じられるのだ。そして、レノンのようなアーティストがあまりにも早くこの世を去ると、彼らの伝説は時間とともに大きくなっていくように見えてくる。

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1969年のレノンとオノ。

 皮肉なことに、最も有名で貴重な2本のヴィンテージウォッチは、まったく気にしていないように見えるふたりの男性がきっかけで誕生したということである。おそらくそれも彼らの魅力のひとつだろう。私はレノンのインタビューをたくさん見てきたが、彼はいつも質問の回答が完璧で、ウィットに富み、洞察力に優れているように見えたし、この騒動についても同じようなことを言うだろうと思う(個人的に好きなレノンのアドリブは、ビートルズの屋上コンサート中、Don't Let Me Downの歌詞を忘れてしまいほかのメンバーを笑わせたときだ)。

 最後に、ほかのビートルズの時計もオークションに登場していた。最も近しいのは、リンゴ・スター(Ringo Starr)のパテック パーペチュアルカレンダー 3488で、これは2015年に18万ドル(当時の相場で約2180万円)で落札されている。しかし、同じオークションでレノンのギターのひとつが100万ドル(当時の相場で約1億2105万円)近くの値段で競り落とされた。ビートルズ内でもジョン・レノンは存在を示しているようだ。

 そして今、レノンの2499の延々と続く曲がりくねった物語が明るみになり、ティファニーからトルコ、ジュネーブへと盗難の旅はさらに続き、再登場の可能性はその魅力(と価格)をさらに高めるかもしれない。

 しかし裁判でジョン・レノンのパテック 2499の新たなストーリーが明らかになったとしても、私たちがその時計を目にすることはないかもしれない。だがそれでいいのだ。

追記:もうひとつ楽しいストーリーがある。2499をつけた、レノンのトップ画像をもう一度見て欲しい。アメリカ国旗のピンが見えるだろうか? このピンもティファニーで購入したそうで、裏にはレノンがアメリカでグリーンカードを取得した記念の刻印があると耳にしている。70年代初頭、反戦を主張するレノンは次第にアメリカ政府の注目(それと怒り)を集めるようになり、1972年にはリチャード・ニクソンの再選に反対している。その結果、政府とCIAによるレノンとオノへの監視が強化され、最終的にニクソン政権はレノンの国外追放を命じた。数十人の著名な支持者がレノンの米国残留を訴え、1975年に判事団はレノンに有利な判決を下す。そして1976年、レノンはグリーンカードを取得したのだ。この話は筋が通っているし、なによりレノンの冗談みたいにも聞こえる。彼を国外追放しようと、アメリカ政府が何年も試みた(そして失敗に終わる)あと、彼はアメリカの誇り高き宝石商であるティファニーから、星条旗と、文字盤にその宝石商の名前が入った高価な腕時計というふたつの品を手に入れている。“私はここにいる”とアイテムが物語っているようだった。それが本当だったらいいのだけれど。