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1年ほど前、実は今週行くマイアミビーチのアンティークショーで、ある紳士的なディーラー エリック・ウィンド氏のブースからプラチナのカルティエ タンク CPCP(コレクション プリヴェ カルティエ パリ)を何気なく手に取り、デプロイヤントクラスプを手首にはめた。時刻は午前11時59分、そろそろランチの時間だ。
その紳士的なディーラーは、私が購入の意思表示をしていないにもかかわらず、「よかったら、これをつけてランチに行ってもいいよ」と言った(注:これが彼らのやり方だ)。それから1時間ほど、私は小さなタンクを手首につけて、陽光が降り注ぐマイアミビーチを闊歩した。かなり暑かった。ワニ革のストラップを巻いた手首はもっと暑かったのだが、そんなことはどうでもよかった。そのタンクを気に入ってしまい、買ったのだ。それから1年、ほとんど手首から離れることはなかった。
私は以前からカルティエに夢中だった。あのマイアミビーチでの運命的なランチの数年前、私は地元の時計小売店で、90年代後半のプラチナ製サントス-デュモン CPCPという不気味なほどこれと似た時計を手に入れていたのだ。同じ金属で同様に超薄型で手巻きのフレデリック・ピゲ製Cal.21を内蔵し、寸法もほとんど同じ。販売店では下取りで引き取ったばかりで、それが何なのかまだよくわからないようだった。私は以前から、カルティエのプラチナ製の時計が欲しいと思っていた。そして、サントス-デュモンの伝説を長いあいだ信じていたのだ。初物好きの私にとって、1904年に発売された初の男性用腕時計という存在に勝るものはないと思っていた。
「あぁ、どうやら新しい電池が必要なようですね」と販売員が言った。手巻きムーブメントが内蔵されており実際には数回リューズを巻くだけでよいことを知らないようだった。だがサントス-デュモンの小さすぎるリューズのせいでこの手巻きムーブメントを巻き上げるのはなかなか難しいことがすぐにわかった。
電池交換の話をする店員は、まるでマクドナルドの揚げたてのポテトのようだった。つまりお得な香りが漂っていたのだ。そしてその時計はすぐクイックリリース式ではないバネ棒を2本交換するよりもはやく私のものになったのである。
その後、1998年から2008年にかけて展開されたカルティエのCPCP(クラシックデザインを復刻したコレクション)で、このプラチナ製サントス-デュモンの存在を知った。当時、カルティエの開発責任者が、超薄型のサントス-デュモンケースをプラチナで製造することがいかに難しいかを語っているのを読んだことがある。なぜなら、それぞれのケースバックには、ムーブメントを固定するために手作業ではんだ付けされたプラチナ製のフレームが取り付けられていたからだ。ひとつのケースが完成するごとに、ひとつは破損のために廃棄され、カルティエはこの時計を販売するごとに損失を被ったことになる。この事実は、ラグジュアリーブランドに常に迫られているような世の中において、たとえ20年後であっても、カルティエはこのことをすっかり忘れていて、シンガーソングライター、レオン・ブリッジスがメットガラにどのタンクをつけていくか(結局サントレであることが判明。記事「メットガラ2021のレッドカーペットで見かけた腕時計」参照)、といった差し迫った問題のほうに気を取られていたに違いないとしても、カルティエに仕返しできたような気分になれた。
とにかく、私はこのサントス-デュモンに惚れ込んでしまったのだ。サテン仕上げのプラチナケースとベゼルのむき出しのネジが、この時計がスポーツウォッチの元祖であり(国によって異なるものの)、文字通り初めて空を飛んだ飛行家サントス-デュモンのために作られたことを思い起こさせるインダストリアルデザインなのだ。27mm×36mmというサイズは、私の腕に乗せるとまるで切手のようであり、その薄さもまた然りだ。ポリッシュ仕上げのベゼルには傷がつきやすいが、それも魅力のひとつだ。
しかし、ブランドンがいつもしているように、昼食にハンバーガーかブリトー(どちらかよく覚えていないが)を食べているとき、私はそのタンクを見ていた。なぜか、スペック上ではよく似た時計なのに、まったく違うものに感じられたのだ。すぐに、サントス-デュモン(とさらに別の時計)とトレードしてそのタンクを購入した。ケースは完全にポリッシュ仕上げで、丸みを帯びた曲線とエッジが特徴だ。1904年頃にサントス-デュモンが発表されて間もなく、ルイ・カルティエは最初のタンク(1917年)を発表(現在ではタンク ノーマルと呼ばれている)。しかし、タンクの2作目であるルイ・カルティエが、ニルヴァーナのセカンドアルバム『ネヴァーマインド』のようなスマッシュヒットとなるのだった。チャート上位に食い込むには、何度かトライすることが必要な場合もある。
ところで、70年代のデザイナーがインダストリアルとエレガンスを融合させ、スポーツウォッチとして完成させたこと(どの話かもうおわかりだろう)を高く評価されているが、今世紀初頭にすでにこのアイデアに取り組んでいたのが誰だったかを思い出して欲しい。
しかし、このタンク ルイで、カルティエはついに「もういい、カルティエらしくやろう」と言い出したわけだ。エレガンス、セクシー、ロマンス、そしてたくさんのパンテール、私たちがカルティエについて語るとき、いつもプロゴルフのアナウンサーのように静かな口調で感嘆の声を上げる、そのすべてを実現しようというわけだ。
確かに、モハメド・アリやジャクリーン・ケネディ・オナシス、ウォーホルといったアメリカン・アイコンがこの時計を身につけている写真をたくさん見て、私の消費欲にサブリミナル的な影響を与えたことは確かだと思う。でも正直言って、この時計を身につけたときの衝撃は、原始時代から根付いているもので、きっと原始人コレクターの初期からあるDNAに刻まれたものなのだろう。「私はタンクが好きだ。滑らかで、キラキラしている」
サントス-デュモンやノーマルとは異なり、タンク ルイのデザインはインダストリアルというよりエレガントだ。長方形であることに変わりはないけれど、ケースはよりわずかにカーブしており、ソフトな印象を受ける。女性的でもなく男性的でもなく、ただただ美しい。これぞカルティエ、スリムでエレガントでセクシーなカルティエなのだ(ちなみにカルティエはこの方向性をさらに推し進め、1921年に流れるような曲線を持ったタンク サントレを発表している)。
しかし、それはカルティエの物語、そして私の物語の終わりを告げるわけではない。70年代、他のブランドは、シャープなエッジ、むき出しのネジ、船や舷窓からのインスピレーションなど、インダストリアルな美学に傾倒し始めた。カルティエはサントス-デュモンに手を加え、サントス カレとして生まれ変わらせた。この時計は、臆することなく80年代を表現しており、愛さずにはいられないものだった。
そして、サントスのフォルムを見直したのは彼らだけではなく、私もそうだった。タンクと同様、私はサントスのセカンドモデルであるサントス ガルベがベストだという意見だ(これは少し議論の余地があるだろう)。よりソフトで、より曲線的。カーヴィー。よりセクシー。そしてカルティエらしさ。自制心のない私は1本買ってしまった。2002年SIHH限定モデルという日付なし、夜光数字つきの変なやつを選んだのは、アンチカルティエの感じがするからだ。心配しないで、タンクもとってある。
あの金にならないプラチナのサントス-デュモンをつけて、カルティエに「仕返し」した気になった男から始まった旅は、今となってはカルティエの方に分がある。カルティエは今、より多くのポイントを獲得している。ラスベガスのように、メゾンは常に勝利を収めているのだ。
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