Lead image, courtesy of Phillips.
今年最も特別な時計のリリースのひとつが、ゼニスが伝説の独立時計師カリ・ヴティライネン、オークショニアのフィリップスと共同で、ヴィンテージ復刻版ゼニス キャリバー135 オプセルヴァトワールを発表したというニュースであった。
1950年代に製造され、時計製造の歴史上で最も多い230以上のクロノメーター試験に合格した天文台コンクール級のクロノメータームーブメント、ゼニスキャリバー135-Oをレストアしてケースに収めたコラボレーションモデルは、わずか10本の超限定モデルである。ゼニスとフィリップスは、ヴティライネンの協力を得て、このヴィンテージムーブメントのレストアと装飾、そしてユニークピースのケースとダイヤルを製作したのだ(オークションハウスが時計の制作に携わるのはまだかなり珍しいが、フィリップスは過去にローラン・フェリエ、ゼニス、そして最近ではピアジェと、いくつかの作品を共同制作した実績がある)。
フィリップス、ゼニス、そしてカリ・ヴティライネンの工房のチームによる2年間の緊密なコラボレーションを経て、今年6月に正式に発表されたゼニス キャリバー135 オプセルヴァトワールは、ムーブメントの希少性もさることながら3社のプロジェクトにかけた時間と労力を反映し、13万2900スイスフラン(約1985万円)と極めて高価格でフィリップスを通じて独占販売された。その結果は? 10本の時計は、フィリップスの顧客に即完売した。
しかし、それだけではない。夏に行われた発表会の議論に埋もれてしまったが、3社は最終的にフィリップスが11月初旬に開催するジュネーブ・ウォッチ・オークションのチャリティーオークションに出品する最後の1本を製作することに合意した。そのユニークピースとなる最後の腕時計の詳細が、最近明らかとなった。
11本目の時計は、クラシックなスタイルでありながら、完全にユニークな仕上がりとなっている。ゼニスとフィリップスは、このユニークピースで使用されるムーブメントは1953年製の個体で、同年のヌーシャテル天文台の試験に参加し、参加したムーブメントにおいて最高得点を獲得した個体だと発表している。最終エディションで変更されたのは、ケースとダイヤル、そしてムーブメントの仕上げだ。最初の10本で採用されたプラチナケースとブラックダイヤルの組み合わせから、サーモンダイヤルに、時計製造ではほとんど使われないニオビウムという金属をケースに採用したユニークなモデルとなった。
ニオブはチタンに近い硬度の高い延性を持つ金属で、時計のケースに最適な素材だ。ニオブを主成分とする合金が製品化されることは稀で、MRI装置の超伝導磁石や粒子伝導体に使用されていることがよく知られているが、コイン収集に詳しい方なら、記念コインに時折使用されていることで、この素材を見聞きしたことがあるかもしれない。
このユニークピースの内部に収まるキャリバー135の装飾は、オリジナルの10本の時計がYGメッキ仕上げであるのに対し、ピンクゴールド(PG)メッキ仕上げとなっている。また、フィリップスとゼニスが以前発表したように、このユニークピースのオークションによる収益はすべて、スーザン・G・コーメン乳がん基金に寄付される。この基金は、最近ゼニスがピンクダイヤルのクロノマスター オリジナルのリリースによりサポートを表明している。
数ヵ月前、フィリップスのシニアコンサルタント、オーレル・バックス(Aurel Bacs)氏とヨーロッパ大陸/中東担当のアレクサンドル・ゴトビ(Alexandre Ghotbi)氏、ゼニスのCEO、ジュリアン・トルナーレ(Julien Tornare)氏、カリ・ヴティライネン氏に、パートナーシップの経緯と成功についてお話を伺うことができた。そのため、オーレルとアレックスには一緒に、そしてカリとジュリアンには別々に、夏のジュネーブの午後、非常に楽しい会話を交わした。
彼らと私の会話は期待を裏切るものではなかった;時計そのものはもちろんのこと、各メンバーの時計作りに対する熱意、企業のビジネス戦略、そして現在の時計市場トップ層の収集事情について、それぞれのパートナーから得られた。今回の記事は、彼らの経験をつなぎ合わせ、ゼニス キャリバー135-O限定モデルやユニークピースほどの復刻モデルを製作するための経た段階的な協業プロセスを、情報源から直接紐解いたものである。
時計業界は人間関係がすべてであり、この物語もその例に漏れない。ゼニスとフィリップスの最初のコラボレーションは、1年にわたるエル・プリメロ クロノグラフ ムーブメントの50周年記念キャンペーンの最中、2019年秋に行われた。時計メーカーとオークションハウスが、初代Ref.A386にインスパイアされたヴィンテージ感あふれるエル・プリメロの限定ペアモデルを発表し、69本(ゴールド20本、スティール49本)が限定生産された。この2つの腕時計に加え、ゼニスとフィリップスはジュネーブ・ウォッチ・オークション:Ⅹのために、プラチナケースとラピスラズリダイヤルのユニークピースのエルプリメロ・クロノグラフを製作した。この時計は、当時のゼニスのオークションでの最高額である25万スイスフランで落札され、その売上はすべて小児がん国際ネットワークの一部であるスイスの非営利団体Zoe4Lifeに寄付された。
フィリップスは年2回、ジュネーブのオークションを豪華なホテル、ラ・レゼルブで開催しており、2019年末にはゼニスとフィリップス時計部門のリーダーがディナーに集まり、初パートナーシップの成功を祝った場所である...
オーレル・バックス(フィリップス時計部門とパートナーシップを結ぶBacs & Russoのシニアコンサルタント、以下「AB」):2019年末にラ・レゼルブでジュリアン、ロマン・マリエッタ(ゼニスの製品開発・ヘリテージ担当ディレクター)と会い、彼らと成し遂げたエル・プリメロ・プロジェクトの成功を祝いました。文字通り時計が飛ぶように売れたので、もっと作ればよかったと後悔しましたよ。成功の結果、もっと手に取りやすいものを、もっと多くの数でやってはどうかと思ったのです。そこで私はゼニスのチームに、ヴィンテージのタイムオンリームーブメントCal.135をエル・プリメロ 復刻モデルと同じようにリバースエンジニアリング(訳注:既存の製品を解体・分解して、製品の仕組みや構成部品、技術要素などを分析する手法)で作れないかと頼んでみたのです。だって、彼らは魔法の屋根裏部屋(訳注:シャルルベルモ氏の屋根裏部屋)にキャリバー135を再現するための道具を持っているはずでしょう?彼らはまだ機械があれば可能だと言っていましたが、ありませんでした。だから、答えはノーでした。それっきりです。私はやりたかった。アイデアがあったからです。でも、彼らは “そんなキャシティも能力もない”と言い切ったんです。
ジュリアン・トルナーレ(ゼニスCEO、以下「JT」):このプロジェクトは、2年ちょっと前にオーレルとアレックス・ゴトビ氏とラ・レゼルブで始まりました。ラピスラズリダイヤルのワンオフモデルがオークションで売れた直後だったのを覚えています。私たちは大成功を収め、有頂天となり、美味しいワインを飲みながら素敵なディナーで報告し、お祝いをしました。私たちはゼニスの、そしてゼニス以外の時計製造の話題についてたくさん話しました。そして、最終的にキャリバー135の話になりました。彼らは文字通り、「何ができることはないですか?そのムーブメントはまだあるのですか?」しかし、彼らは市販されているムーブメントについて触れたのであって、天文台試験で実際に使用されたムーブメントのいくつかを当社が持っているとは思ってもみなかったのです。製作現場や通常業務に戻った後、私はロマンとローレンス・ボーデンマン(ゼニス社ヘリテージ・ディレクター)とさらに話し込みました。そして、ある時、私たちはこう認識しました。“信じられない。まだ使えるものがあったんだ”と。
AB:ゼニスは2020年の初めに私たちを会議に招きました。正確な日付は覚えていません。彼らは私に、「135について質問したときのことを覚えていますか?確かに、あの時申し上げたように、もう製作できないのですが、ご提案があるのです 」と言われました。そう言って見せてくれたのが、’50年代に天文台で優勝したムーブメントを収めたオリジナルの木箱でした。
JT:私は、オーレルが最初に提案したものよりもさらに大きなことができると思いました。賞を獲得したムーブメントをいくつか集めて、ごく少量生産すればいいと思ったのです。そして、それを実際にやってみたのです。結局、契約書を交わすこともなく、金銭的な話もしませんでした。たった10本に必要以上のお金をかけてしまいましたが、伝説的なムーブメントを蘇らせるという情熱がすべてでした。それが動機だったのです。
天文台クロノメータームーブメントを腕時計として蘇らせるのに最も難しいのは、ムーブメントが腕時計に収まることを想定していなかったという事実だ。コンクールに提出されるムーブメントはケースに収めずにテストされ、優れた性能を発揮すれば、そのハイグレードな調整とムーブメントデザインを最大限にアピールするために、そのままの姿でいつづけたのだ。当然ながら、時計製造の歴史の中で最も多くの天文台クロノメーター賞を受賞したキャリバー135-Oは、ダイヤル、ケース、針を備えた完成品として公式に発表されたことはなかった。では、ゼニスとフィリップスは、これまで誰もやったことのないことを、ムーブメントの精度に匹敵するレベルで実現するために、誰に縋ればよかったのだろうか?
AB: 時計学上の夢が実現したわけですが、これが簡単なことではないことはすぐに明らかになりました。ムーブメントにはケースやダイヤルがないだけでなく、限りなく何もない状態だったのです。1950年代から一度も動作しておらず、洗浄もしていない、注油もされていませんでした。4半世紀を経たからといって、ムーブメントの状態が良くなるわけではないことは、誰もが同意し、理解し、評価できることだと思います。私たちは、それぞれのムーブメントに注油し、整備し、調整し、仕上げる必要があったのです。その時、アレックスがいいアイディアがあると言ってきたのです。
アレクサンドル・ゴトビ(フィリップス時計部門ヨーロッパ大陸/中東地域担当、以下「AG」):これをもっと面白いものにしよう、と思いました。独立系時計メーカーに、このムーブメントを手掛けてもらったらどうだろう。そうすれば、もっと面白い時計に仕上がるかもしれない。何せこのムーブメントは10個しかないのです。それも天文台試験用のムーブメントです。もう一歩踏み込んでみようと決心しました。
JT:当初、これらのムーブメントを見たとき、非常に荒削りであることにすぐに気づきました。時計に組み込まれることを想定していない、装飾が皆無のムーブメントです。ただただコンクールのために存在していたのです。そこで、最終的には時計師にお任せすることにしたのです。
AG:私たちはすぐに、カリが適任だと気づきました。現役の時計師はたくさんいますが、カリの技は至宝なのです。彼にできないことは何もありません。歴史的な時計に関する知識も豊富で、レストアの仕事でキャリアをスタートさせたほどです。その仕上げは、他の追随を許さないほどです。トゥールビヨンを作るのも、クロノグラフを作るのもお手のものですからね。
JT:カリが最初に挙がったのには、いくつか理由があります。もちろん、彼の技術がトップレベルであることは論を待ちません。しかし、私たちがカリを選んだのは、彼の謙虚な姿勢に惹かれたからです。彼は非常に謙虚で控えめなのです。私たちは最初から、彼なら私たち3者の目指すべきもののバランスをうまく汲み取ってくれると確信していました。何人かの候補者はいましたが、私は「このプロジェクトにイエスと言う時計師がいなければ、やらない」と何度も言いました。中途半端なことはしたくない。ゼニス社内の時計職人の一人を適当に選んで進めるのは嫌でした。私は、最高レベルの時計製造に真っ向から挑みたかったのです。
AG:私がカリを呼び出してお願いしたのは、パンデミックが始まった2020年の3月か4月頃のことでした。私は彼に言いました。「キャリバー135を使ってゼニスブランドやりたいことがあります。一緒にプロジェクトに参加しませんか?」と。彼は、「おめでとう、そしてありがとう、でも無理なんだ。抱えている仕事が多すぎてね」と言われました。数日後、私は彼に電話をかけ、「カリ、頼みますよ。これは素晴らしいんです。すごいプロジェクトになるんですから」と。
すると彼は、何本の時計が必要なのか、また、実際にムーブメントを見てからでないと同意できないと、少し譲歩してくれました。そこで、ロマンはカリの工房に出向きました。ムーブメントを見たカリは、電話をかけてきて、「やってみよう」ということになりました。そこから、彼が装飾とムーブメントの作業だけを担当していたのが、最終的にはケースとダイヤルも製作するよう進展していったのです。カリの素晴らしいところは、時計職人でありながら、ケースやダイヤルの工房も持っていることです。そのおかげで、この時計ではあらゆる実験が可能になりました。こうして、カリはプロジェクトに参加し、やがて中心的な存在になりました。最終的には全てが彼を通して決定されるようになりました。
カリ・ヴティライネン(独立時計師、以下「KV」):ある日、アレックスから電話があり、アイディアを披露してくれたんだ。当時、私は仕事がたくさん抱えていてね、あまり乗り気ではなかったね。アレックスから考えておいてくれと言われ、結局また電話がかかってきて、もう少し詳しく相談に乗ることにしたんだ。私の場合、年間80本しか生産していないので、11本作るのも大変なことなんだ。でも、アレックスのことはよく知っているし、このキャリバーがコンクールで活躍してきた歴史も知っている。これらのことが相まって、私は引き受けることにしたんだ。もうひとつ大きな理由は、ゼニスがLVMHグループの一員であり、そのグループのオーナーは一族であることなんだ。私はその一族を尊敬しているからね。もし、他の会社だったら、引き受けてなかったよ。
時計業界では、コラボレーションはかつてないほど一般的になっているが、それは通常2者間に限られ、3人目の大物を迎えることはほとんど前例がないといえる。しかし、キャリバー135-Oでは、まさにそれが実現したのだ。独立系時計メーカー、大手時計ブランド、そして大手オークションハウスという、それぞれのカテゴリーをリードする3者が一体となって、まったくユニークなものを作り上げたのである。ゼニスは歴史と信頼性の管理人として、ムーブメントを提供した。フィリップスは、そのキュレーションの目利き力と、市場の頂点にいるコレクターが伝統的な3針ドレスウォッチに何を求めているかについての知見を通じて、審美面におけるガイダンスを提供した。そして、カリ・ヴティライネンは、疑う余地のない時計製造のクオリティを保証してくれたのだった。
JT:一緒に仕事をするのはとても簡単でした。オーレルやアレックスとはすでに一緒に仕事をした経験がありましたが、カリとはまったく新しい試みでした。カリはとても穏やかな性格で、人の話をよく聞いてくれるので、志を同じくするさまざまな人々と、すべてがとてもスムーズに進みました。なぜなら、私たち全員が本当にお互いの話を聞き、自分の役割を理解していたからです。自分の専門分野で仕事をする余地を残しておいたからこそ、スムーズに進んだのです。言い争ったり、厳しい議論をしたりすることはありませんでした。とてもシンプルでスムーズにことが運んだのです。
AB:確かに当初は、この10本の時計の実現性や商品性について、不安や疑問があったと思います。でも、いざ始めてみたとき、私はざっくり計算してみたのですが、レジェップやロジャー・スミス、デュフォーといった世界的なブランドと同じような価格帯で勝負することになると気づきました。あるいはパテックも視野に入りました;実際にこの価格帯ではタイムオンリーのパテックフィリップがあるとは私には思えませんでしたが。また、このプロジェクトに参加した他の人たちを出し抜くつもりはありませんが、私たちは販売面でリスクを引き受けたので、このすべてにおいて真の起業家だったといえるでしょう。自分たちが思うような時計を作れば、それを評価してくれるコレクターが現れると信じていたのです。アレックスと私は、顧客の立場に立って、時計の設計と開発に取り組まなければなりませんでした。そして、興味深いことに、この時計について話したら、一晩で40〜50件の照会があったのですが、そのほとんどがゼニスを所有したことがない人たちだったのです。その多くはパテックのコレクターでした。中にはヴティライネンを所有したことがない人もいました。しかし私たちは、ランゲ、パテック、ヴィンテージ、独立系など、あらゆるタイプのコレクターの心をつかむ時計を作りたかったのです。
KV:製作は私の工房で進めたんだが、全てはゼニスとフィリップスとの直接の共同作業となったよ。なんといってもゼニスの時計だから、それとわかることが重要なんだ。また、モダンな外観でありながらヴィンテージスタイルの時計を作らなければならなかったんだ。だから、とても困難な仕事だった。そしてもちろん、仕上げをどうするかなど、いろいろなことを考えなければならなかったんだ。何度も繰り返し図面を引いて、プロトタイプを作ったよ。すべてにおいて時間がかかったけど、結果的には美しい時計になったと思うよ。本当の意味でのコラボレーションが実現したんだ。
AB:私たちは、歴史的な時計製造のタイムレスなクオリティを、最も美しく魅力的な現代のパッケージとして融合させたいと考えました。そのため、ダイヤルについても議論を重ねる必要がありました。白、黒、青、緑、どれがいいのか?ケースは38、39、40、41mmのどれがいいのか?スティールか、RGか、プラチナか。見た目は現行のカリのケースがいいのか、それともゼニスのヴィンテージがいいのか。ムーブメントに21世紀的な仕上げを施すなどして、時計が台無しにならないような組み合わせで、誰もが自分の役割とDNAを認識できるようにする必要がありました。ゼニスのテイスト、ルックス、フィーリングを持ちながら、カリの仕上げの素晴らしさとフィリップスの愛情を感じさせるような時計です。かなり大変なことでしたが、常にみんなに相談し、発言してもらいました。ブレーンストーミングを何度も行い、常にアイディアを共有しました。楽しい反面、どちらかに偏り過ぎないよう、綱渡りのような作業でしたね。私たちは、その細い綱を渡り切ることに成功したのです。
AG:フィリップスのパートナーシップは、どれも2年近くかかっています。ひとつのプロジェクトを完成させるのに、システム的に2年かかるのです。ですから、あまり注力しても採算の取れるビジネスプランにはならないと思います。でも、私たちにとっては、情熱の問題なのです。
AB:フィリップスと他の会社とのコラボレーションで、私が最終製品を小売価格で買わないということはあり得ません。私は、自分の言葉にお金をかけなければならないのです。ガラクタで、厚みがあって、安っぽくて、何でもありで、受け入れられないような製品は、私たちは引き受けません。見なくてもいいのです。
AG:独立系の時計メーカーと巨大ブランドのコラボレーションは、本当に初めてのことだと思います。通常、両者が出会うことはないでしょう。
AB:しかも、彼らは私たちの前にお互いを理解していませんでした。もちろん、お互いのことは名前だけは知っていましたが、アレックスが皆を引き合わせてくれたのです。
コラボレーションが成立し、3社のパートナーがそれぞれの役割を確立したら、あとは実際に時計を作るだけだ。ゼニス、フィリップス、ヴティライネンの3社は、それぞれのパートナーから、どうすればより魅力的で面白い時計になるのか、意見を出し合いながら、最終的なプロダクトを完成させた。ダイヤルカラー、ケースデザイン、仕上げについて数え切れないほどの議論を重ね、ゼニス キャリバー 135 オプセルヴァトワール リミテッドエディションは、2022年6月2日に10本限定で公式に発表された。フィリップスを通じて、1本13万2900スイスフランで独占販売されたのだ。
AG:この時計はヴィンテージの雰囲気を出したかったのですが、過去のものをそのまま再現するのは避けました。そのため、最終的なデザインはオリジナルの135にかなり近いのですが、ムーブメント以外のすべての要素はモダンなスタイルになっています。そして、フォティーナもありません。それは、私たちがオリジナルピースに対する知識と理解を持ち、特定のゼニスや特定のカリの時計のレプリカではなく、私たちのコラボレーションに対する真のオマージュとして、パッケージにまとめ直すことができたと自負しています。
KV:ダイヤルのインスピレーションは、目新しいものから得たわけじゃなくて、現代の視点を通してアプローチしたんだ。ゼニスは、その歴史の中でさまざまな経験を積んで、さまざまな時計を生み出してきたから、過去の事例を数多く見て検討することができたよ。インスピレーションはそこから得ることができたね。それに、ムーブメントは平面ではないので、ダイヤルはムーブメントの形状に沿う必要があったんだ。ダイヤルを機械加工して、その縁に伝統的なローズ・エンジン旋盤で装飾を施すんだけど、これが直線ではなく傾斜があると、より難易度が高くなるんだ。
JT:ダイヤルにはカリらしさを取り入れて、カリの作品を知っている人には誰でもわかるようにしたかったのですが、ゼニスのスピリットや135の存在が薄くなってもいけません。そのバランスを取る必要があったのです。おそらく、それこそが最も時間をかけて私たちが議論したことだったでしょう。そしてムーブメントでは、機能性、精度、ムーブメントの特徴を保ちつつ、新しい装飾を施したいと考えました。ムーブメントの外観を完全に変えてしまうことは避けたかったのです。
KV:ムーブメントがオリジナルコンディションを保っていることを確認できたのは嬉しかったね。コンクールの後、一度も手が入っていないんだ。それ以来、ずっと眠ったままだったからね。テンプのネジはきっちりとメンテナンスし、ムーブメントを扱う過程でネジやその調整には触れなかったよ。キャリバー135に使われているギョームテンプは、本当に最高のものなんだ。温度補正に関して言えば、現在でもこれ以上のものはないんだ。非常に柔らかいから、作業は非常にデリケートに扱う必要があったけど、温度補正の結果はやはり最高の一言だね。タイムグラファーでも非常に優秀なパフォーマンスを叩き出すよ。問題なくクロノメーター級を表示するからね。今コンクールに出ても昔のようなパフォーマンスを発揮できるだろうね。テストでは、6姿勢すべてで常に1秒以内、もしくはそれに近い値がでるんだ。もっと良い結果を出すことも可能だけど、各姿勢で1週間以上計測して、小さな修正を加えてタイミングを確認し、さらにまた計測しなければならないので、作業時間がもっと必要になるだろうね。
KV:ゼニスのキャリバー135は、私が以前担当したロンジン360エボーシュとは違うのは、前者が業務用としても開発されたものだからなんだ(編集部注:コンクール用のキャリバー135はケーシングされることはなかったが、ゼニスはこのムーブメントを搭載した腕時計を、1948年から1962年の間に最大11,000本生産した)。つまり、このムーブメントは徹底的に機能重視で、完璧に作動したのさ。針合わせや巻き上げなど、どれも比較的簡単に操作することができたよ。ロンジンは360ムーブメントをほとんど製造しなかったので、針合わせや巻き上げがうまくいかず、レストア時にやり直さなければならなかったほどだよ。キャリバー135には、そういう壁はなかったね。私の目標は、ムーブメントを新品同様に復元することで、改造することではなかったんだ。香箱と地板には装飾を施したよ。ブリッジは面取りされ、すべてのネジ穴はポリッシュされ、受けにはサテン仕上げを施したんだ。すべてのアップデートは非常に控えめだけど、よく見ればちゃんと仕上がっていることがわかると思うよ。輪列の歯車とピニオンを分解してみたんだけど、これが厄介だったね。とにかくすべてにおいて時間がかかり、繊細な作業だったね。
毎日が学びの連続だったと彼らは言う。このようなパートナーシップは、関わった3人にとって初めてのことであり、彼らは皆、時計製造のビジネス、製造、歴史的側面について新しい視点を得て各々の道へ帰っていった。ゼニスは、エル・プリメロ クロノグラフ ムーブメント以外の品質と時計製造の革新の長い歴史について、世界、特に時計コレクター市場の最高級の層に対し啓蒙することができた。フィリップスは、時計の設計と製造の共同作業において新たな経験を積むことができ、趣味と品質を決定する第一人者として、コレクション界における優位性をより強固なものにすることができた。そして、カリ・ヴティライネンは、時計製造、ダイヤル製造、ケース製造、修復を含む時計製造の拠点であるスイスの最も包括的なハイエンド独立時計製造業の経営者兼リーダーの一人として、その地位を確固たるものにし続けているのだ。
JT:この時計はゼニスですが、フィリップスは、ハイエンドの顧客がこのような時計に何を期待しているかを理解するのに役立ちました。ゼニスのクライアントにとって何がベストなのか、カリが彼のクライアントにとって何がベストなのかを知っているのと同じように、このような時計を購入するコレクターは、さまざまなブランドを購入することができるのです。フィリップスは、そういうコレクターが何を求めているのかを知っているのです。また、3者のコラボレーションをどう扱うかも学びました。2人1組で仕事をすることは何度もありましたが、3者というのは簡単な数ではありません。それを完璧に実行できたのは凄いことです。
AG:ゼニスとしばらく仕事をするうちに、彼らのチームがいかに情熱的であるかということがわかりました。彼らは自分たちのブランドを愛しているのです。彼らにとっては仕事ではありません。ある日、時計の仕事をしていて、次の日にはフルーツを売るという実業界のプロ経営者もいますが、彼らにとっては何を売ろうと変わらないのです。ゼニスの人たちは、自分たちがやっていることが大好きで、一緒に仕事をするのがとても楽でした。彼らが巨大なラグジュアリーコングロマリットの一員であるのは想像し難いことです。提案に対して‘NO’と言われたことは一度もありません。
AB:とても反・巨大ラグジュアリー企業的な振る舞いでしたよね。常に非常に気さくでした。“稟議に諮り、3カ月後に連絡します”というような事務的な回答は一切ありませんでした。契約書すらありませんでした。カリが加わってからは、提案もありませんでした。「1時間当たりの単価、1ムーブメント当たりの単価、かくかくしかじかの料金で請け負います」ということもありませんでした。それは、私たち全員がやりたいと思った旅であって、その情熱に巻き込まれたのです。ここが情熱がなせる面白いところなのです:時計そのものへの情熱もありますが、ヴティリアネンやゼニスのチームが、それぞれの会社やリーダーのために働くことに、いかに誇りを持っているかを知りました。彼らは何事にもプライドを持って取り組んでいます。ゼニスとヴティライネンの大きな看板を背負って街を歩いているのです。彼らはゼニスとヴティライネンの空気のなかで息をして生きているのです。彼らが仕事に対して持っているプライド、チームのためにエネルギーと時間を費やすということは、驚くべきことでした。
JT:このプロジェクトでもうひとつ素晴らしかったのは、ゼニスはエル・プリメロだけではないということを、より強く印象づけたことです。これは、多くの人にとって大きなステートメントになりました。私がゼニスに入社したとき、(前LVMHウォッチ&ジュエリー社長の)ジャン-クロード・ビバー氏から、「エル・プリメロを擁することはゼニスというブランドにとってよいことか、否か?」と聞かれました。当時はまだ他の面で少し弱かったのですが、エル・プリメロを持つことは大きな強みになるというのが私の答えです。つまり、どれだけのブランドがエル・プリメロを自社のヘリテージにしたがっているかということです。しかし、さらに我々が強くなるためには、弱点を改善する必要があるということでした。非クロノグラフの、3針クロノメーターである135に話を戻すと、超クラシックでエレガント、そして最高レベルの仕上げに回帰することで、多くの人々にゼニスの歴史に異なる視点を提供することができます。
このプロジェクトは、私たちがエル・プリメロとは別に大きな成功を収めることができる可能性を示しました。今はスポーツウォッチがもてはやされていますが、いずれはエレガントな時計作りが人気を取り戻すと思います。数年後には、時計の非常にクラシックな側面がより強く戻ってくると信じています。ですから、私たちは、将来それを生かすために、卓越した歴史を守り続ける必要があるのです。もちろん、この特別な135-Oはもう二度とリリースすることはないでしょう。もうムーブメントのストックはありませんし、数少ないムーブメントもメーカーに保管することになります。しかし、市販のCal.135の素敵なクラシックや復刻は、将来的に実現する可能性があります。お約束はできませんが、私はそれが私たちのヘリテージの一部であると信じているということは、やらない理由がないということでもあります。
よいことには、必ず終わりが訪れる。しかし、フィリップスとゼニスの関係には、第3幕の可能性もあるのだ...。
AB:これは、実は私たちにとって、より人間的な旅だったのです。古い時計の本で調べられるようなことではありません。
AG:フィリップスのリミテッドエディション部門は、オーレルと私の2人しかおらず、本業ではありません。私たちが個人的に好きな人やブランドと、楽しむためにやっているのです。
AB:これは我々のビジネスの一部ではありません。もし、もっと正式なビジネスの一部にしようと思ったら、すぐにやめざるを得ないと思います。なぜなら、私たちにとっては、素晴らしいRef.2499(パテック)をオークションに出品する方が、はるかに利益が大きいからです。これまでのプロジェクトは、日中に仕事をこなしたあとの余暇に取り組んできました。このプロジェクトは、2年間で最低でも30日か40日を積み重ねたと思います。合理的なビジネスマンなら、そんなことはしないでしょう。
JT:私は、私たち全員が成し遂げたことを、とても嬉しく、誇りに思っています。3つの会社の3つのチームが、3つの異なる文化圏から集結し、見事な結果を残したのですから。嬉しさと誇らしさと、ちょっとした懐かしさが入り混じった気持ちです。今のところ、フィリップスとのさらなるコラボレーションは予定していませんが、私たち全員にとって非常に重要で、成功した2つのプロジェクトがあります。では、なぜしないのか?最初のコラボレーションが終わったのち、2回目のコラボレーションをする予定はなく、自然にそうなったのです。だから、将来についてイエスともノーとも言えません。まだ何も計画されていませんが、何かが起こる可能性は残されています。
JT:私たちはキャリバー135-Oのムーブメントの残数を公表していませんが、いくつか持っています。そのうちのいくつかは、これから私たちのミュージアムでこの時計のプロトタイプの隣に展示され、このコラボレーションの歴史とストーリーを解説する予定です。そして他のものは、過去70年間あった引き出しのなかに入ったままです。これはいいバランスです。来客がマニュファクチュールを訪れると、これまで見せることのなかったCal.135を、私たちの歴史の一部として見ることができるようになるのですから。
AB:コラボレーションをするとき、もう二度とその人たちとは仕事をしたくないと思いながら終えることがあります。今回はその逆でした。また同じチームと仕事をするために、何かをやりたいと思うのです。意義のある、完成度の高い時計という意味では、この時計を超えるのは難しいでしょう。これまで私たちが手がけたものは、このような重厚なレベルのものではなかったので、また同じようなことをするのは難しいでしょう。たまたま、運命がそれを引き寄せたのです。
AG:そして、もし2作目を作るとしたら、あるいは似たようなものを作るとしたら、似たようなものはありえないと思いますが、誰もがこの時計と比べたがるでしょう。続編がオリジナルと同じように賞賛されることは、ゴッドファーザー以外ではめったにないことなのです。
上記引用文は、分かりやすさと長さの都合上、編集を加えています。
ゼニス×ヴティライネン×フィリップス キャリバー135-O ユニークピースは、フィリップスが開催するジュネーブ時計オークションの一環として、チャリティオークションに出品される予定です。XVIは、2022年11月5日~6日にラ・レゼルブで開催されます。この時計はロットNo.21で、予想落札価格は10万~20万スイスフラン(約1490〜2980万円)。掲載情報の詳細と登録・入札はこちらからご覧ください。ゼニス、カリ・ヴティライネン、フィリップスについての詳細は、公式Webサイトでご覧ください。
Hodinkee Shopは、ゼニスの正規販売店であり、全コレクションを見るには、こちらをクリックしてください。ゼニスは、LVMHグループの一員です。LVMH Luxury VenturesはHodinkeeの少数株主ですが、編集上の独立性は完全に維持されています。