REFERENCE POINTS第二弾へようこそ! これは、歴史を語るうえで、我々が最も重要と考える時計ファミリーを徹底検証するシリーズである(エピソード1ではパテック フィリップのパーペチュアルカレンダークロノグラフを、そしてエピソード2ではロレックス デイトナ ポールニューマンを取り上げた)。今回は、伝説的なオメガのスピードマスターを取り上げる。60年の時を経て、この時計そのものが、ひとつのブランドへと昇華されたともいえる。スピードマスターの起源、“スペースウォッチ”としての歩み、そして長年の進化の過程を紐解いていこう。
まずは、今回取り上げないものについて断りを入れておく。この記事では、スピードマスターの名を持つすべての時計を網羅するわけではなく、我々が真の“ムーンウォッチ”としてカテゴライズする、レマニア製手巻きムーブメント・3レジスター・ノンデイト仕様のモデルに限定する。オメガは、数百にも及ぶ派生モデルを長年に渡って製造しているが、記事の純粋さを保つため(そして時間的な制約もあり)最もピュアなスピードマスターに集中して紹介していく。また、「スピードマスターがいかにして宇宙へたどり着いたのか」という話は、この記事の主旨ではない。代わりに、個々のリファレンスを検証し、それらがどういう姿であるべきかを読み解いていこう。
オメガ スピードマスターの始まり — 瞬間という時を生きる男達へ
スピードマスターについて、最初に理解しなければならないのは、1957年のデビュー当時、クロノグラフは、売り上げの非常に小さな割合しか占めていなかったことである。これは、すべてのブランドにいえることだ。クロノグラフ、もしくは“ストップウォッチ”機能のついた時計は、エンジニア・技師・医者・アスリート向けに特化した道具としてデザインされた代物だったのである。それがオメガ、ホイヤー、ロレックス、ヴァシュロンのみならず、パテック フィリップ製であったとしても、その事実に変わりはない。実のところ、カジュアルな一般消費者向けのクロノグラフというコンセプトそのものが、1970年代に入るまで存在しなかったのである。ジャック・ホイヤーとアメリカ市場第3位のタバコブランドがもたらした、その市場の変化を追った記事はこちら。
これが、オメガを含むすべてのメーカーのスポーティなクロノグラフが、よりシンプルなモデルと比べて貴重視される理由の一つである。クロノグラフは、時刻表示のみの兄弟機と比べて複雑なだけではなく、ニッチな市場向けに特化した、非常にレアな存在なのだ。ここに掲載する、1957年式オメガ スピードマスターのオリジナル広告を見れば、その立ち位置が理解できるだろう。
上の広告では、一人は何らかのレーシングカーを運転しており、もう一人は最新の“オメガ製高精度リストコンピュータ”をその腕に装着している。その最新機器は“ケースの淵に刻印された”T.P.M.もしくはタコ・プロダクトメーター計測標記を使い“計算の必要なし、紙も必要なし”で車のスピードを計測することができる、と謳っている。
当時の機械式時計は、ファッション
アクセサリーでもなければ、
富裕層や上級思考向けのレトロな
娯楽品でもなく、あくまでも道具であったことを忘れてはならない。
タコ・プロダクトメーター! 刻印されたタキメーター・ベゼルにオメガが付けた最初の名前である。(もしもこの用語をタキベゼルの呼称として復活させられれば、我が人生に悔いなしである)当時の機械式時計は、ファッションアクセサリーでもなければ、富裕層や上級思考向けのレトロな娯楽品でもなく、あくまでも道具であったことを忘れてはならない。耐磁・耐衝撃・三重防水(200フィート)ケースにタキベゼルと3レジスタークロノグラフを搭載した1957年式スピードマスターは、オメガの考える、世界一頑丈で、最高精度の、便利なリストコンピュータであった。
1957年に誕生した伝説的なオメガは、スピードマスターだけではない
スピードマスターが、1957年に登場したオメガの一番有名な時計であることは周知の事実ではあるが、それが、最新技術時計のラインナップの一部として発表されたことを忘れてはいけない。同年、我々は、2913オメガ シーマスターの登場を目撃することになる。この最新型プロフェッショナルダイバーは、これよりも4年早い1953年に登場したブランパン フィフティ ファゾムスとロレックス サブマリーナーに対抗するものであった。そして、エンジニア用に特化した高耐磁性時計であるRef.2914レイルマスターも同年に登場し、ロレックス ミルガウスとIWC インヂュニア、そしてパテックの3417に真っ向勝負を挑むことになる。
スピードマスターと同じく、シーマスターとレイルマスターの初号リファレンス(CK2913、CK2914)を、そのオリジナルコンディションで見つけることは、非常に困難だ。例えば、レイルマスターは、エリック・クー氏(Eric Ku)のお気に入りであり、彼が所有する初期型の個体を、我々のTalking watchesエピソードで確認することができる。レイルマスターとシーマスター共に現行機種ではあるが(オリジナルデザインに回帰したシーマスター300は2014年に再登場)、リファレンスCK2915スピードマスターは、1957年に登場したオメガの技術系トリオの中で、ダントツの人気と価値を維持している。
オメガ スピードマスター Ref.2915 (1957-1959年)
上ビデオでも述べたとおり、Ref. 2915 オメガ スピードマスターが、スピーディファミリー全体の祖先であることに間違いないが、それらの元型といえるかは、個人的には微妙なところである。その地位にあるのはCK2998だと僕は考える。だが、重要性、希少性、そして他と一線を画すデザインすべてにおいて、CK2915が最も人気と価値を持つスピードマスターであるといえるだろう。このモデルは、1957年に登場する2915-1をはじめ、2915-2と過渡的な2915-3を含めても、たったの3年間しか製造されなかったのである。ブロードアロータイプの針をはじめとする、後継モデルとの相違点を多く持つ2915は、スピードマスターの中で一番簡単に見分けられるモデルだろう。
2915のもう一つの大きな特徴は、そのステンレス製のタキメーター(もしくはタコ・プロダクトメーター)付きベゼルだ。当時、タキメーターは、せいぜい文字盤の外周に存在した程度であった。大型ケースとベゼルに配された外装式タキメーターのコンビネーションは、より迅速な走行スピードの割り出しを可能にする画期的な機構だと、当時のオメガは考えたのだ。
6年後の1963年に登場するロレックス デイトナもこのコンセプトを拝借し、タキメーターを外付けベゼルに搭載することになる。同じくホイヤーも、オータヴィアでこのデザインを採用した。一方、ホイヤー カレラは、1960年代後半に2447 Ref. NSTおよびSNT(“T”がタキメーター仕様を表す)が登場するまで、タキメーターそのものが非搭載であった。それらのモデルにおいても、タキメーターは文字盤上のプリントであり、ベゼル式ではなかった。ホイヤーはその後、回転式のタキメーター・ベゼルを1970年代に発表して挽回を図ることになる。
針とベゼルの仕様が、超初期型スピードマスターと普通の初期型スピードマスターを見分ける一番簡単な相違点ではあるが、その細部を検証していくと、2915がその後のスピードマスターと大きく違う時計であることが浮き彫りになる。文字盤を例にとると、“OMEGA”の“O”が楕円形であるはずだ。また、初期個体の“Speedmaster”の“r”はかなり長めのはずである。
Ref. 2915-1と2915-2においては、ケースバックにヒッポカムポス(伝説上の海獣・シーホース)の刻印が採用されていない場合がある。代わりに、ほぼ無印のケースバックの外縁に“SPEEDMASTER”と入っているのだ。シーホースロゴがケースバックの平らな部分に入っている個体も存在し得るが、それらの場合でも“SPEEDMASTER”表記は必ず外縁部分に入っているべきである。また、すべての2915-1と2915-2のケースバックは、端に面取が一段のみ入っている。
さて、 Ref. 2915-3に入ると、話がややこしくなってくる。このモデルは、1959年のたった1年間しか製造されておらず、“過渡的”という言葉を体現しているといえる。簡単に言えば、「何でもあり」なのである。このモデルは、最初のスピードマスターのリファレンスである2915を冠しているが、その次のモデルである2998-1と全く同じ見た目である場合も無くはないのである。
2915-3では、ヘアライン仕上げのベゼルの個体と、“BASE 1000”表記の黒ベゼルを登載した個体の両方が確認されている。つまり、2998と同じ見た目かと思えば、2915-2と瓜二つである可能性もあるのだ。
過渡的”という言葉がスピードマスター
Ref. 2915-3のために生まれたかの如く、
本当に何でもありなのである。
僕自身、ステンレス製ベゼルとブロードアロー針を登載した2915-3を目にしたことがある。黒ベゼルにアルファ針(次期モデルである2998と同じ)のものも見たことがある。ステンレス製ベゼルとアルファ針のものも見たし、黒ベゼルにブロードアロー針の組み合わせも見たことがある。そして、そのすべてが、このリファレンスとして正解である可能性が十分にあるのだ。1959年、オメガは第一世代のスピードマスターの製造を終了に向かわせつつ、それと同時に次世代モデルの製造も開始していたのである。2915-3は、その移行期の産物であるといえるだろう。
2915-3の文字盤・ケース・プッシャーについては、上記の2915全体の仕様に準じているはずだが、そのケースバックには、ついに“SPEEDMASTER”表記がシーホースロゴの真上に登場する。さらに、二段階に面取されたケースバックデザインが採用されている。ただし、旧式のケースバックを持つ2915-3が見つかったとしても不思議ではなく、その個体の素性を必ずしも疑う必要はない。これらの理由により、2915-3の鑑定および値付けは非常に難しく、仕様がはっきりしていて個体の鑑定が比較的容易な2914-1と2915-2の方が、時計収集においてより上位にランクしているといえるだろう。
オメガ スピードマスター Ref.2998 (1959年-1963年)
上記のとおり、2915が初代のスピードマスターであることに間違いはないが、潜在的により重要な存在となり得るのは、実は2998であり、今日のスピードマスター の元型であるともいえるだろう。ただし、これは金額的な価値としての話ではない。それに関しては、年季と希少性、そして興味深さという点で、2915に軍配が上がるべきだと僕は思う。しかしながら、2998を以って、スピードマスターはそのアイデンティティを確立したといえる。2998 には、1959年から1963年までの製造期間内で、合計8種ものサブリファレンスが存在する。-1から-6まで、そして-61と-62である。微細ともいえるこれら8種のサブリファレンス間の違いをできる限り紐解いていこう。
最初の2998である2998-1は、同じ年(1959年)に製造された一部の2915-3と瓜二つである。この時点で、“BASE 1000”表記の黒ベゼルは標準装備となっており、ブロードアローの時針・分針に代わり、アルファ針が採用されている。2998-1まで残留する要素として、楕円形に近い“OMEGA”の“O”が挙げられるが、それは2998-1としての絶対条件ではない。また、2998-1のサブレジスターは、まだアルファ針を維持している。
2998-2では、BASE 1000ベゼルと、時・分そしてサブレジスターのアルファ針が引き続き採用されているが、楕円型の“O”は姿を消しているはずだ。そしてリファレンス2998-3になると、針と文字盤に変化は無いが、“BASE 1000”ベゼルが“TACHYMÉTRE 500”ベゼルへと移行する。
2998-5までくると、スティック型サブレジスター針、“TACHYMÉTRE 500”ベゼル、そして円形の“O”への移行が完了している。リューズガード無しで左右対称のケースとアプライドのオメガロゴは健在で、2998-6・-61・-62間に大きな変化は無い。後者二つのサブリファレンスは、その製造年を表している。
黒ベゼルとアルファ針を持つ2998の登場で、今日まで続くスピードマスター の根幹が出来上がったといえる。そして、宇宙との結びつきが生まれるのもこのリファレンス からである。1962年10月、宇宙飛行士ウォリー・シラー(Wally Schirra)が、マーキュリー・アトラス8号で歴史的な宇宙飛行を行い、その腕にはウォリー・シラー2998が巻かれていた。
このシラーの時計は、確かに宇宙に行った最初のオメガであり、バーゼルワールド2012で発表された“ファースト オメガ イン スペース”のモデルとなった。ただし、このオメガはシラーの個人所有の時計であり、NASAから支給されたものではない。これについては、この後まもなく登場することになる。
オメガ スピードマスター Ref.105.002(1962年-1964年)
1962年から1964年にかけて製造されたこのRef. 105.002の面白い点は、2998-62と全く同じ外観であることだ。さらに、105.002登場後に製造された2998-62も確認されており、これらのモデル間の移行が順を追ったものであったかは定かでない。これが、アルファ時針・分針を登載する最後のリファレンスとなる。
オメガ スピードマスター Ref.105.003(1964年-1969年)
ここにきて、状況はさらに複雑なものになる。この時点で、オメガは既に宇宙に行っているわけだが、NASAが腕時計の宇宙飛行認定をするには至っていない。しかし、このモデルには大型のプッシャーが搭載され、これまでより多少頑丈な作りになると同時に、以降のスピードマスターに恒久的に使われることになる、細い白色の時針・分針が登場する。
サブリファレンス-63と-64がかなりレアな存在であるのに対し、-65はよく見かける。これらのモデルは、キャリバー321時代の終焉となる1969年まで継続して製造されることになる。また、左右対称のケース、大型プッシャー、スティック形サブレジスターおよび時・分針まで、105.003-65と完全に同一の仕様を持つ、リファレンス145-003もこの項目に含める。これらが、38mmケースを持つ最後のモデルとなる。
オメガ スピードマスター Ref.105.012(1964年-1968年)
Ref.105.012の登場によって、今日我々が知る(そして継続して製造されている)スピードマスターの姿へと進化を始めることなった。リューズガードが登場し、大型化したミドルケース自体が完全新設計となっている。プッシャーは幅広になり、新しいケースデザインによってしっかり保護されている。文字盤には“PROFESSIONAL”表記が“OMEGA Speedmaster”の下に入った。このモデルは、左右対称ケースと“非プロフェッショナル”仕様のダイヤルを持った他のリファレンスと並行して製造されていたことを忘れてはならない。個体の製造時期を判定する際、スピードマスターの世代間の移行が、必ずしも順を追ってはいないことを覚えておこう。そして105.012と共に、42mmのケースが登場した。
Ref.105.012の登場によって、
今日我々が知る(そして継続して
製造されている)スピードマスターの
姿へと進化を始めることになる。
より分厚いプロフェッショナルケースの採用だけが、105.012の歴史的重要性ではない。この時計は、宇宙探査において重要な役割を担うことになるのである。NASAがクロノグラフ正式採用テストに使用したのは105.003であったが、アポロ計画の宇宙飛行士たちがいくつもの初期ミッションで使用したのは105.012である。
ニール・アームストロング(Neil Armstrong )は105.012を、マイケル・コリンズ(Michael Collins)は後継機である145.012を使用した。バズオルドリン(Buzz Aldrin)がどちらを使用したのかは、実は分かっていない。オルドリンがミッションで装着した時計は、1970年、スミソニアン博物館への運搬中に行方不明となり、失われた歴史上最も重要な時計の一つとなってしまった。
Ref.105.012のケースは、二社のケースメーカーによって作られていた。ほとんどの手巻き式スピードマスター のケースはHuguenin Freres社が供給していたが、例外も存在する。それらの時計は105.012CBと呼ばれ、Centrale Boîtes社が製造した。面取されたツイスト・フラットラグを持つケースを下写真で確認できる。
ケースバックの内側にはCBと刻印されており、ここでそれが確認できる。磨かれていないCBケースの105.012はかなりレアな存在であり、その需要は高い。
オメガ スピードマスター Ref.145.012(1967年-1969年)
すべての321搭載スピードマスターの中で、最新モデルであると同時におそらく市場価値としては最安となる Ref. 145.012は、僕個人が「スピードマスター 」と聞いて、まず思い浮かべるモデルである。製造期間は1967年から1968年とされているが、1969年製の個体も少数確認されている。145.012は105.012とよく似ているが、さらに大きく背の高いプッシャーが採用されている。最も一般的な321スピードマスター であると同時に、他のどのリファレンスよりも多くの宇宙飛行士に使用されたこのモデルは、321登載機の中では一番若く、製造数も他に比べて多いため、他モデルよりも安値で取引されるのだ。つまり、真のNASAのDNAを持ち、名高い321キャリバーを登載しながら比較的リーズナブルな価格帯に位置するこのリファレンスが、おそらく一番「お買い得」なスピードマスターだといえるだろう。
オメガ スピードマスター Ref.145.022(1969年-1988年)
Ref. 145.022を以って、スピードマスター はまた大きな転機を迎えることになる。伝説的なコラムホイール式クロノグラフ・キャリバー321が姿を消し、よりシンプルで安値なカム式クロノグラフ・キャリバー861がムーンウォッチに登載されたのだ。「ザ・ムーンウォッチ」の二つ名と共に、スピードマスターの知名度が世界的に高まると時を同じくして、コスト削減による増産をオメガが決定したのは偶然ではない。ただ、この同時期に、スイス時計業界が日本製クォーツの脅威を感じ始めていたことを忘れてはならない。名機321を切り捨てる決断をしたオメガを責めるのは簡単だが、オメガ自身がその企業生命の危機に直面していたのである。
145.022は長年に渡り製造されたため、数多くのサブリファレンスが存在する。その初代となる-68は、人類が月に到達する以前の1968年製であることからプリ・ムーンウォッチ(ムーンウォッチ前)とされ、861キャリバー登載ではあるが、文字盤にはまだアプライドのオメガロゴが残っている。ケースバックもまた、321キャリバー登載の前世代機である145.012と同等のデザインである。サブリファレンス-69にて、文字盤に塗装仕様のロゴが登場することになるが、初期の個体ではまだ旧型のケースバックが使用されている。また、後期の145.022-68のケースバックには、直線状のテキストで"The First Watch Worn On The Moon.”と刻印されている。
1971年から1988年にかけて、145.022にはいくつかのサブリファレンスが登場し、それらの文字盤のプリントには微小な差異が認められる。そして145.022-71が、メダリオンケースバックを持つ最初のモデルであると同時に、段差のついた文字盤を採用する最後の年式となった。この時期が、ヴィンテージ・スピードマスター と「限定版時代」の境目だと考えるコレクターは多いだろう。
スピードマスターをコレクトする
冒頭でも書いた通り、REFERENCE POINTSシリーズは、個々の時計に纏わる逸話を紹介するのではなく、コレクター視点で各リファレンスを識別するための理解を深めることを目的としている。上ビデオとテキストがその助けになることを我々は願うが、ここで、いくつかの注目すべきポイントについて解説をしよう。まずは、オメガのスピードマスター を収集する際に「絶対」はないということだ。かなりの確率で、僕がこれまで書いた各リファレンスの仕様から逸脱する個体を目にすることになるだろう。しかし、それらのすべてが仕様として間違っているというわけではない。この記事は、ベスト・プラクティスやコレクター間の通説を用いて、各リファレンスの仕様を読み解くためのガイドであり、絶対的なルールブックではない。個体の整合性を確認するにあたり、この記事をガイドとして利用すると同時に、あなた自身によるリサーチをすることが重要である。
製造時期についても書いておこう。スピードマスターという時計を、シンプルな連番というコンセプトで判断することはできない。僕自身、多くの2915-1が製造される以前の1957年11月に製造された2915-2を所有したことがある。2915-2と刻印されたケースバックを持つ2915-1も見たことがある。2998-4仕様のベゼルを登載して生産されたと確信できる2998-1も見たことがある。1969年製の145.012や1968年製の145.022も見た。「ほぼなんでもあり」というのがスピードマスター 収集の世界ではあるが、この記事が、各リファレンスの「そうであろう」姿を指し示すガイドになればと思う。
初期のモデルを見ると、この問題の複雑さがより顕著になってくる。 Ref. 2915と2998がその最たる例であろう。驚くべき数の交換パーツが存在し(偽物も含む)、高額な初期型のモデルを探す際には、より一層の注意が必要になる。エリック(Eric Wind)が上ビデオでも触れた通り、すべてのパーツがオリジナルの、いわゆるフルスペックの初期型スピードマスターは、超レアな存在だといえる。それらが市場に現れる機会の希少さという点では、非常に珍しいレベルのロレックスやホイヤーでも、とても太刀打ちできないのである。現実的に考えて、フルスペックの状態を保った2915の現存数はせいぜい数百程度と思われ、過度にポリッシュされていないものとなると、それをさらに下回るだろう。それと同時に、前世紀半ばに製造された321搭載のオメガの総数は4万から8万個であり、321スピードマスター全体を超レアなものとして考えるべきではない。元来、この全体的な製造数の多さが、スピードマスターの市場価値を下げてしまう一因であるが、貴重で魅力的な個体はすでに誰かのコレクションに加わっており、それらがこれから市場に出回る可能性が低いのもまた事実である。
フルスペックの初期型スピードマスター Ref.2998や2915は非常にレアな存在であり、垂涎の的となって当然である。
多くの読者のフィーリングを傷つけることを重々承知した上で(本当にすまない!)書かなければならないのは、何千もの321スピードマスター 製造されていたことを踏まえても、321モデルと861モデルの間にあるクオリティ、希少さ、そして長期的な価値の差はかなり大きく、その差は時間と共にさらに拡がっていくだろう。オメガが321を廃し、861に飛びついた時、この時計は、文字通りそのハートという大きな魅力を失ってしまったのだ。321は、その歴史が1941年までさかのぼる、レマニア製クロノグラフキャリバーをベースにしていることはおそらくご存知だろう。このムーブメントは、パテック3970・590・5004、現行モデルも含む無数のヴァシュロン、そして近年のブレゲまで、世界屈指のクロノグラフ時計に使用されている。もちろん、ハイエンドメーカーのバージョンは、さまざまな趣向を凝らしたドレスアップがされているが、その根本がオメガ スピードマスターと同じキャリバーである事実に変わりはない。これは、321モデルのオーナーが自慢できる要素の一つである。
僕の中の俗物的なコレクターとしての意識が上の考察を書いたわけだが、搭載するレマニア製クロノグラフキャリバーの種類に関わらず、すべての手巻き式スピードマスターが素晴らしい時計だと思う気持ちに偽りはない。スピードマスターは、本当にすべてを兼ね備えた時計であり、そのケーススタイル、文字盤タイプや製造時期に関わらず、長く所有する喜びを与えてくれる。スピードマスターのもう一つの魅力は、僕の知る限り、1960年代後期以来ほぼ同じキャリバーを持ち、ケースのプロポーションや文字盤のデザインを変えることなく現在まで製造され続けている唯一の時計であることだ。オメガは、変わることなくスピーディ・プロフェッショナルを作り続け、現行希望小売価格55万円で販売し続けているのだ。
この素晴らしいスピードマスターを、たった今から新品で購入し、保証書に自分の名前を書き記し、終生のパートナーとして使っていけるというこの事実には美を感じる。正直なところ、321ではなく1861キャリバーを搭載していても、5千ドルでここまでの満足感を得られる新品時計は他にないと僕は思う。
クイックガイド
スペシャル・サンクス
REFERENCE POINTSは、とても個人で完遂できる仕事ではなく、さまざまな人々のリサーチや考察の集大成であることはもうご存知だろう。今回の記事を実現するにあたり、貴重な時間だけでなく、上で取り上げたいくつもの個体を提供してくれたエリック・ウィンド氏とクリスティーズ時計部門チームに感謝します。また、故チャック・マドックス氏(Chuck Maddox)、我々のよき友人であるオメガのPRチーム、ミュージアムデパートメント、そして地球最高のスピードマスター ガイドブックであるムーンウォッチ・オンリー(購入はこちら)の編集チームの皆さんに感謝します。