最もよく見る腕時計は大量生産されたものである一方、時計マニアが手作業の工程を評価するのは常識だが、実は時計製造業と時計メーカーは、少なくともここ数世紀、可能な限り人間の手を排除しようとしてきたのである。その高い工作精度によって、ロレックス、オメガ、セイコー、グランドセイコーなどのメーカーは、正確で信頼性の高い機械式時計を毎年数百万本も生産することができるのである。
しかし、時計製造の階級ピラミッドが上がるにつれ、機械の限界を補うために、手作業、特に仕上げの工程が増え、品質管理もより厳しくなっていくものだ。ひとりの時計職人が一生のあいだに制作できる時計の数は(相対的に)ほんの一握りに過ぎず、手作業の量が増えれば増えるほど、実際の時計の数は劇的に減少する。
そして、そのピラミッドの頂点に位置するのがユニークピースと呼ばれる一点ものの時計だ。独立時計師の名声と製作本数は反比例することがよくある。故ジョージ・ダニエルズ氏は、多くの愛好家のあいだで非常に高い評価を得ているが、彼が生涯で完成させた時計の数はたった27個(プロトタイプを除く)だった。仮にロレックスが年間100万本の時計を製造し、1年を260営業日、1日を8時間とすると、1分間に約8本の時計を製造していることになり、ダニエルズの生涯の生産量は同社の3分強に匹敵することになる。ウィルスドルフ財団は、ダニエルズを生産性の高い社員とは認めないだろうが、彼の完璧主義があればこそ、我々は時計学的に豊かな生活を送ることができるのだ。結局のところ、真のラグジュアリーとは、“コストがどれだけかかっても、時間がどれだけかかってもいい”という哲学に裏打ちされているのだ。
そこで“ラ・ローズ・カレ”である。私がこの時計に初めて触れたのは、昨年12月のデジタルプレゼンテーションだった。パルミジャーニ・フルリエ(PF)のプレス資料は期待どおり、あるいはそれ以上のものだったが(多くのブランドがいまだにキッチンペーパーの広告程度の時計のプレス画像を送っている世界では当然のことだが)、残念ながら時計そのものを現物では見ることができずにいた。
私がようやく実際に時計(とエナメル装飾)を見たのは、長年ブルガリの時計部門を率いたのち、2021年にPFのCEOに就任するために退社したグイド・テレーニ氏の静かなオフィスであった(静かといっても、本当に静かだったのは断続的で、近くのもっと人気の時計を扱うブースでは、30分ごとに録音された音楽が流れ、内臓に響くほどの喧騒だった)。最初にこの時計について書き、その製造工程を説明したときは言葉を見つけるのに苦労しなかったものの、数ヵ月経った今では現実ではともかく、心のなかでは言葉を失っているほどだ。
特に時計について書く場合、“畏敬の念に打たれた”という言葉を使うのは簡単ではない。ピラミッドを初めて見たとき(時計にまつわることならジュネーブのロレックス本社を見たときとか)でない限り、この言葉を使うのは難しい。しかし、ローズ・カレを目の前にして、私はあまりに畏怖の念を覚え、この言葉を使わざるを得なくなっただけでなく、本作はこの言葉が完全に当てはまるため、実際に喜んで使ったほどだ。
まるで、どこかの深い鉱山で鉱脈を開こうとしているときに、ドラゴンの火がかすかに香る広大な部屋に迷い込み、スラインのアーケン石(J・R・R・トールキンの中つ国を舞台とした小説『ホビットの冒険』に登場する宝玉)が墓の上で光っているのを目撃したような感覚を味わうことができるのである。この時計は、何か巨大な、発光する青い宝石のように感じられる。ケースに施されたエナメル装飾は、黄金比によって生まれる螺旋、いわゆる黄金螺旋に基づいたデザインである。ふたつの切片に分けられた線は、長い切片と短い切片の比率が、線全体に対する長い切片の比率と同じ場合、それらの切片は互いに黄金比を持つのだそうだ。
数学は興味深いものだが(黄金比が無理数であることなど)、それを理解しなくても黄金螺旋はすぐに、そして直感的に魅力的に感じられるものだ。自然界には黄金螺旋の近似形が頻繁に現れ、それが現れる個々の事例を超越した根本的な秩序と調和を表現しているようだ。一見すると、エナメルのデザインは両面のカバーとも同じだと思うかもしれないが、そうではない。代わりに螺旋模様は互いに鏡絵になっており、一方を他方に置き換えることはできないのだ。この螺旋を数学の専門用語では一方を左螺旋、もう一方を右螺旋と呼ぶ。
ふたつのカバーを開けると、ムーブメントとブラックオニキスのダイヤルが露出する。カバーの内側は鏡面研磨されており、ムーブメントとそれを制御するダイヤルや針など、開いた時計のそれぞれの面が映し出されるようになっている。この鏡面仕上げの内装はカバーの鏡面仕上げのデザインに呼応し、また黄金螺旋のデザインの再帰的な原理にもつながっている。ディテールへのこだわりは、取り憑かれたようでいて繊細、そして徹底している。黄金螺旋を表現した正方形や長方形はケースのほぼすべての面に見られる。また黄金螺旋をモチーフにしたエングレービングはエナメル加工はもちろん、各カバーのベゼル、ボウ、チェーンにも施されている。ボウの長い脚と短い脚の比率もまた、黄金比に由来している。
ムーブメントはグランド・プティ・ソヌリ、ミニッツ・リピーター付きで、ルイ・エリゼ・ピゲがオリジナル製作したものだ。No.5802は1898年から1904年の間に完成したが、ケースに収められることはなく、ラ・ローズ・カレのためにケースカバーと同じデザインの特別なものが作られた。このムーブメントはピゲが意図的に黄金比を意識してデザインしたものではない(少なくとも私が知る限りは)。しかし高級時計製造のムーブメントは、部品の配置に優雅さと秩序を表現する性質があり、それが黄金比の視覚的論理とよくマッチしているのである。
時計のチェーンは最高級のポケットウォッチでさえも、そのデザインのディテールはほとんど統一されていないが、これは全く別の芸術作品だ。チェーンのリンクはラウンドやオーバルではなくスクエアで、ボウの取り付け部分から一番端のバーまで徐々に細くなっている。例えば、バーから“PF”のメダルまで、そしてメダルから“ローズ・カレ”のモチーフが刻印された次の無垢のリンクまでの距離は、黄金比になっている凝りようだ。
64mm×20mmというこのサイズの懐中時計は、伝統的にエナメルで装飾され、抽象的なモチーフではなく、具体的なモチーフが用いられてきた。そのため、風景画や肖像画、ヤン・フェルメールのような巨匠の作品をモチーフにしたエナメル画のミニチュアなど、さまざまなモチーフが自然に描かれる。このように厳格に抽象化されたデザインを選択することは珍しく、同じパターンと同じ幾何学的秩序を時計全体に使用することは、確かに大きな明示的秩序を与えるが、それはより深い暗示的秩序への扉に過ぎないのだ。
これはどんな機械式時計にも一定の真実味のある話だ。より真実味があるのは、ローターと自動巻き機構は明確な哲学の勝利というよりも、むしろ便宜上必要な譲歩であるのだから、最終的には手巻きの、それも目に見えない暗黙の秩序の神々が思し召しの6時位置に4番車(秒針)を配した時計を選ばなければならないと私は考えているのだが。
しかし、私が長年時計を見て書いてきたなかで、ラ・ローズ・カレほど物理的秩序と形式的秩序を完全に結びつけている時計はなかったと思う。このような時計について書く機会は、多かれ少なかれ一生に一度しかないのだから。
ラ・ローズ・カレの製作過程を詳しく知りたい方は、2021年12月に掲載した「How They Made It」の記事をご覧いただきたい。 パルミジャーニ・フルリエについての詳細は、公式Webサイトまで。