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90年代ウィークへようこそ。この特集では直近10年間で最も魅力的な(そして最も過小評価されている)時計と、20世紀末を特徴付けたトレンドとイノベーションを再考していく。ダイヤルアップ接続を行い、クリスタルペプシ(無色透明のコーラ)を手に取って欲しい。
通常、このシリーズですでに取り上げたデニス・ロッドマンに、ゴージャスで才能あふれるトニー・ブラクストンと彼女のカルティエ パンテールへの関心を奪われることはないだろう。しかし、トニー・ブラクストンとカルティエの写真で、デニス・ロッドマンが写っていないものはない(ご存じの方はご一報ください)。もっと大きな問題がある。この年代を正しくカバーしようとするならば、あらゆるところにロッドマンを配置しなければならないのだ(これはブラクストンとロッドマンは、マーヴェリック・レコードのパーティで撮影された写真だ。彼らは1996年のVMA/MTV Video Music Awardsに一緒に行ったが、実際には付き合わなかった。しかし彼女は、彼を「ちょっとセクシー」だと思ったと認めている)。
ブラクストンは、少なくともロッドマンがリバウンドするのと同じくらい歌がうまかった。「Unbreak My Heart」、「Breathe Again」、「Seven Whole Days」といった曲は、私や何百万人もの女性が20代を乗り切るのを助けてくれたし、この時代、いやR&Bの全歴史のなかで最も素晴らしい曲のひとつである。しかし、チャート上位のシングル、グラミー賞、アメリカン・ミュージック・アワードなどの大成功のあと、レコード会社との果てしない訴訟、ループスの診断、つらい離婚、そしてさらなる訴訟などが起こった。
1983年にデビューしたパンテールは、80年代から90年代にかけてセレブリティの憧れの時計だった。ブラクストンがこの時計を買った理由を推測してみる。まだマネージメントにお金がかかっていたため、あまり高価なものではなく、それでいてラグジュアリーで成功を予感させるような満足感のあるものが欲しいと思っていたところ、パンテールが彼女の状況にぴったりと当てはまることに気づいたからではないだろうか。その後、彼女は『ライオンキング』や『美女と野獣』などのブロードウェイショーでカムバックし、『ダンシング・ウィズ・ザ・スターズ』に出演し、音楽制作も続けた。ロッドマンと同じように、彼女もリアリティ番組で活躍した。彼が活躍したリハビリテーションのジャンルよりも健全で、家族向けの番組だ。ブラクストンは唯一無二の存在だった。彼女はもっと良い運命になる資格があった。1996年9月の夜、「Unbreak My Heart」がチャートのトップに躍り出たとき、デニス・ロッドマンが傍らにいて、このクラシックな時計を腕にして、この先にはいいことしかないと確信している彼女の姿を見ると、うれしくなるのだ。
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