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ポロは、ピアジェ初となる特定のモデル名を冠した時計であり、私にとっては、この事実がポロについて知っておくべきことのほとんどすべてを説明してくれている。
「ピアジェは当時、モデル名に強く反対していました」と、ピアジェのパトリモニー(遺産)・オフィサーであるアラン・ボルジョー(Alain Borgeaud)氏は説明した。「彼らは常に、ブランドを第一に考えていたのです」。しかし、このデザインはピアジェの大胆かつ新しいスポーツシックな方向性を示すものであり、またブランド初のスポーツウォッチには名前が必要だった。少なくとも、米国代理人はそう主張した。当時、ピアジェはパームビーチで開催されたポロ・ワールドカップのスポンサーだったため、“ポロ”という名前は理にかなっていた。
そして1979年、ピアジェ ポロが誕生した。
ここ数年コレクターのあいだでヴィンテージピアジェへの関心が高まっている中、今年はピアジェの150周年となり、今はこれ以上ないタイミングである。ストーンダイヤルから極薄時計の製造まで、ピアジェは20世紀半ばのパイオニアだ。しかし、ほかの時計とは一線を画すものがある。それがポロだ。
このコレクターズガイドでは、1979年に発表され、90年代初頭まで生産された初代ピアジェ ポロを詳しく紹介する。それは『カジノ(原題:Casino)』に出演したロバート・デニーロ(Robert DeNiro)氏の手首や、またアンディ・ウォーホル(Andy Warhol)、ブルック・シールズ(Brooke Shields)氏、ビョルン・ボルグ(Björn Borg)氏、その他多くの実在する人物の手首を完璧に飾り、瞬く間に時代のアイコンとなった。
近年、ポロの人気が再燃している。これまでと同様、シルヴェスター・スタローン(Sylvester Stallone)氏が『タルサ・キング(原題:Tulsa King)』でポロをつけ、またコートサイドに座ったマイケル・B・ジョーダン(Michael B. Jordan)氏も着用しているなど、文化的な影響もある。しかし、その関心は主に愛好家やコレクターによって動かされてきた。それはノスタルジーであり、ピアジェが文化や時計製造に与えた影響への感謝であり、より小型でドレッシーな時計への転換でもある。これらが混ざり合って、私たちが“トレンド”と呼ぶ混乱を招く大釜になった。
私は以前、ポロが発売された歴史的背景について記事にしたことがあり、マライカ(・クロフォード)はWatches in the Wild: パリ編で、ピアジェのボルジョー氏とともにその魅力を探求している。
この記事ではピアジェのアイコンであるポロに焦点を当てる。同モデルへの関心は高まっているが、テキスト化した情報はまだあまりない。売りに出されているポロを見ると、値段はピンキリだ。大ぶりなポロよりも小ぶりなポロのほうが、高い値段が付いていることが多く、コンディションはあまり考慮されていないようだ。
この記事がそれを変え、潜在的なコレクターがより多くの情報に基づいて購入を決定するのに役立つことを願っている。
ポロの幕開け
ポロの前に登場したベータ21は、ピアジェを含む21のスイスメーカーがコンソーシアムを組んで開発したクォーツムーブメントである。ベータ21自体は上出来だったが、エレガントでシックな超薄型のピアジェには合わなかった。その分厚いムーブメントは、ロレックスの5100やピアジェ、パテックのベータ21のような、さらに分厚いケースに収められた。ピアジェは分厚い外観を好まず、超薄型の筆頭格としての評判にも見合わなかったため、ベータ21では、より薄い時計であるかのように錯覚を起こさせるステップケースを採用した。しかし、それだけでは十分でなかった。
「ピアジェは、私たちが最初から最後までコントロールできるものを望んでいました」とボルジョー氏。そこでピアジェは、独自のクォーツキャリバーの開発を開始し、最終的に1976年に、自社製Cal.7Pを発売した。それは発売と同時に、厚さわずか3.1mmという世界最薄のクォーツ時計となった。その後すぐに、女性用に設計されたさらに小さなムーブメントである8Pが登場した。
新しい極薄ムーブメントを準備したピアジェは、同じようにシックな時計を必要とした。
ボルジョー氏は、「米国代理人は特に、ピアジェには日常使いしやすく、若い新規顧客を引きつけることもできる“スポーツシック”な時計が必要だと考えていました」と話す。デイトナ(旧ル・マン)の初期の広告のように、ポロには触れず、ただ“新しくて輝かしい”とだけ紹介したピアジェウォッチの初期の広告を見つけることができる。
1979年、ピアジェは132~136gのゴールドを使用した金無垢時計、“ポロ”を発表。男性と女性をターゲットにした小さいサイズと大きいサイズの両方で展開し、またラウンドとスクエアのオプションもあった。ゴールドはサテン仕上げで、あいだにポリッシュ仕上げのゴドロン装飾を採用し、ポロの特徴的な外観を与えていた。ピアジェの新しいクォーツCal.7Pは、ポロに搭載された。今では愛好家がクォーツを見下すこともあるが、当時はこの新しい技術は違った見方をされていたのである。
「当時のクォーツは非常にシックで、7Pは最もシックなもののひとつになりました」とボルジョー氏。超薄型で、裏蓋に隠されたリューズを介して針をセットするため、ケースサイドからリューズの突出がない。つまり、リューズがピアジェの新しいブレスレットウォッチのエレガンスさを損なうことがないのだ。これにより、ポロは時刻を知るための2本の針を備えた、完全に左右対称のブレスレットウォッチとなった。
標準的な金無垢ポロは、1980年代には約2万ドル(インフレ調整後で現在7万ドル、日本円で約1037万3000円に相当する)で販売されていた。さらにダイヤモンドセッティング、ストーンダイヤル、そのほかあらゆるカスタマイズオプションが、別料金で用意されてもいた。
この頃、4代目のイヴ・ピアジェがブランドの指揮を執り、エレガントさと華やかさのバランスのとれたブランドとして、さらなる定義づけに取り組んでいた。“ポロはブレスレットウォッチだが、まず前提としてブレスレットである”と、イヴのこのセリフは有名である(フランス語ではもっと上品に聞こえるらしい)。
型にはまったピアジェ ポロ
ラウンドポロのほうが認知度が高くなったが、一方でスクエアポロのほうが商業的には成功したとボルジョー氏は話す。
「(スクエアモデルの)ブレスレットはケースの形状と完全に一体化しており、ポロの重要な特徴であるブレスレットと時計が完全に調和化した完璧な例となっています」と同氏。この点については、私が話をしたすべてのディーラーやコレクターが同意していた。ラウンドポロが注目される一方で、スクエアポロはピアジェのブレスレットウォッチを最もよく表現している。
ピアジェは1979年から1990年までポロを生産していた。1988年、ヴァンドーム・グループ(現リシュモン)はピアジェを買収した。ポロの生産は1990年に終了したが、ピアジェは買収後も数年間ポロを販売していたようである。
ボルジョー氏の推定だと、ピアジェはスクエアとラウンドのポロを2000から3000本(合計4000から6000本)生産したという。製造数は驚くほど少ないが、メーカー希望小売価格や金無垢ロレックス デイデイトがその約半額で手に入ったことを考えると、それほどでもないかもしれない。
ポロに含まれていた膨大な量の金と、歴史の大半においてポロの価値がスクラップの価値よりも低かったという事実を考えると(現在でもそれほどの価値はない)、長い年月のあいだにどれだけの数が溶かされたのかはわからない。
ポロの約95~98%はクォーツであった。ピアジェのコレクターにはたまらない、珍しい自動巻きポロについてはのちほど紹介しよう。YGのポロが圧倒的に多く、全体の約70%を占めている。残りの約20%がバイメタル(WGとYG)と、10%がWGだ。
ピアジェは数十種類のサイズ、スタイル、バリエーションでポロを生産した。リファレンスナンバーからは以下のことがわかる。最初の桁はキャリバーを表し、Cal.7Pの場合は7、Cal.8Pの場合は8が多い。次の数桁はケース素材を表す。そして末尾の桁はブレスレットの種類を表す。たとえば、ダイヤモンドのないプレーンな金無垢ブレスレットの場合は“C701”となる。
ピアジェ ポロの知っておくべきリファレンス
最も知名度が高くて重要なリファレンスは、初代の大ぶりなラウンドポロ、Ref.7661 C701(34mm径)およびその兄弟機であるスクエアのRef.7131 C701(25mm径)である。これらと並行して、ピアジェは小型のRef.761(27mm径、ラウンド)とRef.8131(20mm径、スクエア)も発表している。80年代を通じて、ピアジェはほかのサイズやデイト、デイデイトモデルを投入した。ピアジェはまたあらゆる種類のレザーストラップ付きポロも発表しているが、今回はフルゴールドブレスレットのものだけに焦点を当てる。なお2016年にポロ Sが発売されるまで、ピアジェはスティール製ポロを製造したことはなかった。
これらはポロの主要なリファレンスである。
ボルジョー氏は、「一般的なモデル以外の生産量は、非常に少なかったです」と言う。カスタマイズは多くの場合、1から25の例でしか生産されなかったと説明した。ボルジョー氏はピアジェに入社して16年になるが、今でも見たことのないユニーク・ポロを発見することがあるという。
最も一般的なバリエーションはオニキスダイヤルで、次にラピスラズリが続く。しかし、ほかにもマザー オブ パール、オパール、ターコイズ、レッドジャスパーなど、数え切れないほどのポロが存在している。特にダイヤモンドをあしらったものは非常に多く、パヴェセットのダイヤル、ブレスレットリンクやゴドロン装飾にセットされたダイヤモンド、その他あらゆる種類のセッティングがある。オニキスダイヤルやダイヤモンドセッティングのように、バリエーションのいくつかはカタログで提供されていたものもあれば、そのほかはクライアントの特別な要望によるものもある。これらのより精巧なポロの多くは中東向けで、しばしば小売業者のアスプレイを通じて注文されることが多かった。
ニューヨークのティファニー、ロンドンのアスプレイのような有名小売店のサインが入ったポロもいくつか見たことがある。
数百件もの販売とオークション結果を調査したが、ポロで最も見つけた古いシリアルナンバーは34,0xx。1979年のもので、7661、761、7131、8131で見られた。シリアルナンバーが55,xxxといった遅いものは、90年代初頭のものである。
私の調査では、大きなスクエア型の8131は7661をほぼ2対1で上回っている。当時はスクエアポロのほうが人気だったかもしれないが、ラウンドポロは相対的に希少であり、現在ではラウンドウォッチのほうが好まれているため、見つけるのはかなり難しくなっている。お気に入りの時計市場に行くか、無作為に47番街にある販売店に電話をかけたりすれば、スクアエポロを見つけることができるだろうが、7661の場合は必ずしもそうではない。
小型のラウンドリファレンス7661よりもはるかに一般的である。しかし、これは実際はスクエアモデルには当てはまらない。私はそれより小さな8131に比べ、より多くの7131を記録した。わずか25mmという“フルサイズ”の7131は、常にユニセックスな魅力を放っていたのかもしれない。
最も一般的なブレスレットリファレンスであるC701のほかに、ブレスレットの典型的な例としては、次のようなものがある。
- C 705: ダイヤモンドセットのゴドロン装飾
- C 715: ダイヤモンドセットのゴドロン装飾とブレスレットリンク
- C 725: ダイヤモンドセットのブレスレットリンク
ケースと文字盤のダイヤモンドセッティングは、ブレスレットのセッティングと一致している必要がある。
ポロ デイトとデイデイト(Ref.15561、15791、15562)
時刻表示のみの初代ポロのすぐあとに、ピアジェはポロ デイト Ref.15561(32mm)と15791(30mm)、そしてポロ デイデイト Ref.15562を発表した。どちらも時刻表示のみのモデルよりも一般的ではないようだが、つまり希少性が望ましさを意味しない例である。日付表示(クォーツであることを忘れてはならない)が追加されただけで、2針モデルよりも魅力が薄れたのだ。
7661と同じくらいの値段で出品されているのをよく見かけるが、私としてはもっと安い値段で取引されるべきだと思う。そう、たしかにポロであることに変わりはないし見た目もクールだが、彼らはポロではないのだ。
希少な自動巻きポロ(Ref.14661、561、5661、5131)
最も珍しいヴィンテージポロは、自動巻きムーブメントを搭載したものである。ほんの一握りしか知られておらず、私が調べたのは10本にも満たない。
ピアジェのボルジョー氏は、「リクエストに応えるため、あるいはポロの新たな可能性を探るためだった可能性があります」と述べた。「しかし、これは決してメインプロダクションではありませんでした」
自動巻きムーブメントは34mmケース(Ref.14661)と27mmケース(Ref.561)の両方で確認されている。14661には日付窓があるが、561にはなく、ピアジェのCal.25Pを搭載している。小型のほうがよりピュアな感じがする。また自動巻きのスクエアポロ(Ref.5131)も存在しており、これはラウンドよりもさらにレアである。
ボルジョー氏はまた、ピアジェの超薄型機械式Cal.9Pを搭載したポロは、おそらく十数本だろうと述べた。
トリプルカレンダーポロ: 1986年に製造された、ポロのトリプルカレンダームーンフェイズを2本確認している。それは6年前に小規模なオークションにて、約7000ドル(当時の相場で約77万円)で落札された。ボルジョー氏は、このポロのカレンダーしか知らないという。これらのケースとムーブメントは250本限定生産の一部であったが、ポロ15908 C701として生産されたのはわずか数本のようだ。
“ポロ・スタイル”
時計だけでなく、ポロのモチーフはそれだけで認識されるようになった。ピアジェはカフリンクス、ライター、指輪、さらには時計の箱まで、ポロの特徴的なゴドロン装飾を用いてあらゆるものを製作した。
ポロより前は、ピアジェはピアジェスタイル全体を作り上げたかったため、モデル名の使用を控えていた。
「ポロの前は、シャネルを身につけるようにピアジェを身につけるだけでした」と、ジャン=ベルナール・フォロ(Jean-Bernard Forot)氏は昨年、私に語った。「ピアジェファミリーはアイコンを生み出すのではなく、スタイルを作り上げることに重点を置いていました」
ポロはその両方を作り出すことに成功した。
エンペラーズ ニュー グルーヴ(皇帝による新しいポロ)
80年代をとおして、ピアジェはポロ以上の存在であり続けた。ピアジェはポロに先立ち1970年代にエンペラドールを発表した。似たような“ブレスレットウォッチ”でさまざまな形状があり、ポロよりも豪奢だった。約200gのゴールドを多めに使用し、バーク(樹皮)のような仕上がりになっているため、より存在感を放つ。ピアジェは手巻きCal.9Pと、クォーツムーブメントを搭載したエンペラドールを製作している。
「人々はエンペラドールを発見し始めたばかりです」 と、メンデル・ウォッチ(Mendel Watches)のハリス(Harris)氏は言う。
数週間前、私はマイアミビーチ アンティークショーにて、あるディーラーのブースでヴィンテージポロをいくつか見ていた。その際ディーラーが私を呼び止め、黒文字盤のエンペラドールを取り出した。
「これが本当に欲しいものですよね」と彼は言った。ということで、ポロの潜在的な誇大広告を超えた何かを探している人のためのヒントがここにある。私はポロのほうが好きだが(この手首ではこれだけの豪華さしか扱えない)、エンペラドールにはカリスマ的な魅力があることは否定できない。
ヴィンテージピアジェ ポロのコレクション
どこから収集すればいいのか私が尋ねると、ボルジョー氏はこう答えた。「私にとっては、YG製のスクエアポロ自体が重要です。そこから、さまざまな文字盤の色やダイヤモンド、ツートンカラーを選ぶことができますが、できるだけ地味なものを選ぶことが重要です」
ストーンダイヤルも気に入っているが、飾り気のないポロはもうそれだけで存在感がある。
コンディションも重要だ。ポロの裏蓋にはリファレンスナンバーとシリアルナンバーが刻印されており、パンチングされたホールマークもあるはずだ。なおケースサイドの9時位置にもホールマークがある。多くの場合、このケースサイドは擦り減ってしまっている。長い年月のあいだに、非常に多くのポロが様々な人の手を経て何度も何度も磨かれ、元のエッジの一部が失われ、そのたびに仕上げられているのだ。
サイズはいくつかあるが、7661と8131の大型サイズが圧倒的にコレクション性が高い。すべて金無垢のため存在感があるものの、現代の基準としてはかなり小ぶりである。
では、1本につきいくら払えばいいのだろうか。
メンデル・ウォッチのハリス氏は、大型のポロについて、「7000ドルから8000ドル(日本円で約103万7000~118万5000円)のものは価値があります」と話す。関心が高まる中、大型モデルは1万ドル(日本円で約148万2000円)前後でも十分な価値があり、ストーンダイヤルであればそれ以上の価格になるという。「まだ成長の余地があります」と同氏。しかし、彼は現在のハイプサイクルを心配している。
「多くの大手ディーラーやインフルエンサーが彼らのことを話題にしており、少し不健全な環境を作り出しています」とハリス氏は述べる。
それでも、ポロには人々が理解できる本質的な価値がある。それは文化的な影響であり、時計製造の歴史であり、あるいは単に金塊というからかもしれない。
ポロの行方
ポロの未来は明るい。ヴァシュロン・コンスタンタンのヒストリーク222が明確な成功を収めて以来、多くの人が次にヒットする可能性のあるヘリテージとして、オリジナルのピアジェ ポロの復活を予測している。
ヴァシュロン222が発売されてからの2年間は20年のように感じられ、スポーツウォッチに関する騒ぎはかなり沈静化した。しかし、ピアジェ ポロはほかのスポーツウォッチとは似ていなかった。2016年、ピアジェが現代のスポーツウォッチのカテゴリーへの参入としてポロ Sを発表したとき、多くの人々を混乱させた。
きちんとした時計ではあるが、ピアジェらしさが感じられない。1979年の初代ポロには、それ以前のスポーツウォッチとは一線を画す明確な視点があった。2024年になり、コレクターがそれを再び発見したのも理にかなっているのかもしれない。
感謝:ピアジェのパトリモニー・オフィサーであるアラン・ボルジョー氏に、ポロへの時間、知恵、愛を共有してくれたことに感謝する。またヴィンテージピアジェについて豊富な知識を持ち、ポロのリファレンスナンバーシステムについて、私の多くの質問に辛抱強く答えてくれたディーラーのPlus-Ultra.chのクノスペ氏にも感謝している。そして最後に、ピアジェ ポロについての知識を共有してくれたメンデル・ウォッチのハリス氏にも感謝をささげよう。