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HODINKEEのスタッフや友人に、なぜその時計が好きなのかを語ってもらう企画がこの「Watch of the Week」。今週のコラムニストは、ニューヨーク州北部の時計ライターであり、HODINKEEの寄稿者でもあるアレン・ファーメロ(Allen Farmelo)氏。彼はBeyond The Dialの創設者兼編集長であり、バイク好きでもある。
50歳になったとき、私は自分に間違った時計を買ってしまった。選択の余地がなかったわけでも、慎重に検討しなかったわけでもない。現在あまりにも多くの時計があり、時計に関する情報や意見で溢れていて、圧倒されてしまうことがあるのだ。
おそらく、私がどれほど圧倒されていたか考えるべきだったのだ。これまでよりもはるかに大きな時計の予算で仕事をしさまざまな可能性を知ったことで、私の50年の節目が差し迫っていることを勝手に正当化していたのだろう。50歳の誕生日時計は、私の肥大した、かつささやかなコレクションの中心となるもの。だがそれ以上のものを求めたのだ。その時計は、私が死と真正面から向き合ったときに、揺れ動く自己の感覚を落ち着かせるものでなければならないのだ。この時計と私は一体となって、人生の第三期を乗り越えるのだ。
だが、このようなことは一切起こらなかった。
結局、私は非常に美しいグランドセイコーのSBGH269を購入することにした。寺院の漆黒の床に映える紅葉をイメージした血のように赤い文字盤を持つ、ザラツ研磨されたスティール製の傑作だ。この時計は、私とそれを見たすべての人を魅了した。そのグランドセイコーを何時間もルーペで観察し、一緒に過ごした夜にはよい思い出しかない。
しかし、それ以上深い絆を結ぶことができなかったので、興味がなくなっていった。
私は、裏面にクリスクラフト社の社員であると刻まれたヴィンテージのタンク ルイ・カルティエ Ref.1140を購入。そして、気づいたら私の生まれた1970年製の36mmキングセイコー Ref. 5625をつけていた。パートナーが所有する1940年代のゴールド製オメガ バンパー34mmをつけたこともある。プライベートでは小さめのヴィンテージ・ドレスウォッチを愛用し、アウトドアではブレモンのS301スーパーマリンに戻った。私の50歳の誕生日時計はこれらすべてを実現するためのものだったはずだが、ほとんど箱に入ったままだったのだ。
そして51歳のとき、5週間かけて27州を巡る9000マイルのアメリカ横断バイク旅行に出かけた。BMW F750GSに乗り、テントで暮らし、その間ずっとアルスタ(Alsta )のMotoscapheを身につけていた。帰国後、グランドセイコーを一度見て、「離婚したい」と告げた。特に抗議もなかったので円満に終わったようだ。両者とも再起のチャンスを得たと思う。
私はインスタグラム上でSBGH269を1時間足らずのうちに売却した。それは時計好きの素敵な家族の元に行き、彼らの10代の息子さんは即座にグランドセイコーに惚れ込み、自分の物にした。我々はすぐには気づかなかったが、これはセレンディピティな交流であることがわかった。私と息子さんは同じ誕生日だったのだ! これには皆、驚いた。グランドセイコーとは誕生日に贈るべき時計であり、そして私は自由を手に入れたのだ。
売却益で潤い、今度こそ自分にピッタリの時計をと私は改めて探し始めた。
もともと、私の50歳の誕生日時計リストの上位にはヴァシュロン・コンスタンタンのトリプルカレンダーがあった。SS製のRef. 4240は1940年代に製造されたモデルで、とても気に入っていたが、私が購入できる価格帯のものは文字盤が再研磨されているものばかりで、その点では失格だった。現行のヒストリーク・トリプルカレンダー 1942は見事だが、私には少し大きすぎ、高価すぎた。
それでも、ヴァシュロンというアイデアは魅力的であり続けた。
私がこのブランドを好きになったのは1980年代の高校生の頃で、時計雑誌「Horological Journal」や「Galerie d'Horlogerie Ancienne(現Antiquorum)」のカタログを時折読むようになったのが最初だった。裏庭のハーフパイプでスケートボードをし、ソフトモヒカンのような髪型をしていたかつての私は、ヴァシュロンのマルタ十字のロゴを、カリフォルニアの超有名スケートボード会社「インディペンデント・トラック・カンパニー(Independent Truck Company)」のロゴと混同していた唯一の人間かもしれない。今でも私はスイスの老舗高級時計メゾンを、パンクに近い存在として捉えてしまう。
そんなわけで、ヴァシュロンは今でも私の心に語りかけてくる。論理から遠く離れた情熱の炉のなかで、人間と機械の真の結びつきが生まれるかもしれないのだ。それが、青春時代の感動の力というものだろう。
パテック フィリップのカラトラバの魅力に引きずられたのは事実だが、1980年代のヴァシュロン・コンスタンタンRef. 92239/000P-4、33mmのプラチナケースのドレスウォッチによって、私の時計探しの旅は唐突に幕を閉じた。
Googleでカラトラバを検索しているとき、この時計を初めて見つけた。この小さなヴァシュロンはすぐに私の目を引き、インターネットのアルゴリズムはそれを忘れさせてはくれなかった。私はそのプロフィールページをクリックし、写真を眺め、移動し、そしてまた戻ってくるということを繰り返した。やがて、その売り手が私の家から1時間ほどのところにいることがわかり、実際に会う日を決めた。現実に車を走らせながら、私はめまいがするほどだった。インターネットでの出会いがどんなものなのか、やっとわかったような気がした。
それはまるで一目惚れだった。その数分後には熱烈なラブコールを表明した。時計に酔いしれながら近くの銀行へ行き、中年の夢であるイタリア製の赤いバイクを買えるだけの現金を引き出し、代わりにこの時計を買った。グランドセイコーを1週間前に売ったばかりだったが、この衝動買いは今までで最高の買い物だった。
その後、私はこの新しい時計をマンハッタンにあるヴァシュロン・コンスタンタンの旗艦店に持って行った。優秀な時計職人であるスタッフがケースを開けて、この時計がバーゼルワールド1989でのヒストリーク・コレクションの公式発表に備えて1984年に作られたものだと確認したのだ。
私が買ったものは1990年、最初のヒストリークモデルがブティックに並んだときに、オリジナルのオーナーによって購入されていた。この時計については、約1年前のクリスティーズのオークション出品を除いて、ネット上にはあまり情報が載っていない。アメリカに来る前の数十年間は、ヨーロッパにいたようだ。でも、本当のところはわからない。
私が知っているのは、この時計がこのリファレンスのなかで数少ないプラチナ製のものであるということだ。ケースの金属は研磨されておらず、これは私にとっては重要なことだ。文字盤は無傷で、湿気によるダメージがないことを示している。Cal.1014/2ムーブメントは、ゴージャスでクリーン、信じられないほど正確で、毎日巻き上げると素晴らしい音がして、このよくできた巻き上げ機構を十分に楽しむことができる。また、マッチした純正のプラチナ製マルタ十字のピンバックルは、必需品だと私は思う。
私はいつもこの小さなヴァシュロンを身につけているが、つけるたびにますます愛おしくなる。横幅わずか33mm、厚さ6.3mmというサイズとはとても思えない。ケースはほぼ文字盤で占められるが、プラチナ製で明るく輝き、長めのラグはエレガントな40mmだ。少なくとも35mmの時計と同じように見える。フランネルシャツにジーンズという普段着でも、中年の危機を乗り越えたシャレたレザージャケットでも、ときにはフォーマルな服装でもこの時計は完璧にマッチする。
そして何より、この時計は私とともに歩んでくれる。私は現在52歳だが、この数ヵ月のあいだにこの時計と私は切っても切れない関係になった。それこそが自分にとって重要な時計を買うための必要な条件だったのだ。
私の素晴らしい小さなヴァシュロンは、長きにわたった特異で有益な旅の最終目的地だ。私はストレートなドレスウォッチ、それも小さなものが好きなのだと知った。そして、昔からある比較的華奢な時計を身につけると自分らしさを感じられることも発見した。それが私にとって何を意味するのかはわからないが、年齢がそんなことを気にしない自由を与えてくれた。
また、歳を重ねるにつれ、ソフトモヒカンとは正反対の髪型になり、ハーフパイプのスケートボードを拒む関節や、ブラック・フラッグよりバルトークに傾倒する音楽的嗜好を持つようになっていった。しかし、1980年代に流行した小型のドレスウォッチをはじめ、若いころに抱いていたさまざまな考えや情熱が、50代になって再びよみがえりつつあるのだ。21世紀を迎え、私は一見シンプルに見える20世紀を振り返るようになった。リアルの書店に足を運び、ヴァシュロン・コンスタンタンの光沢ある全面広告が掲載されたリアルの雑誌を手にとって、こう思うのだ。「いつか、この時計を手にしてみたい」
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