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Photos by Jonathan McWhorter
私には叶わなかった夢がいくつかある。例えば、月に行くこと(これは絶対無理だ)や、レーシングカーのドライバーになること(まだ希望はある、と思う)だ。小学1年生の私がル・マン 24時間レースのことをどれだけ理解していたかはわからないが、そのレースのことは知っていたし、ぜひドライバーとして参加したいとも思っていた。しかし、人生とは得てしてままならないものであり、物事は移り変わっていく。NASAが好機だと月への旅立ちに踏み切ったのは、大学1年のときに私が工学の道に進むことを断念した直後のことであり、モーターレースを楽しむのに十分な資産を用意するための大金を調達することも叶わなかった。
しかし、夢はなかなか覚めないものだ。今年が世界最大のレースの100周年であることを知ったとき、6月のある週末に私が行くべき場所はただひとつしかなかった。
フランスの小さな町で午後4時ちょうどにグリーンフラッグが振り下ろされたら、24時間ただ誰よりも遠くへ、誰よりも速く行くことだけがすべてとなる。
実際の24時間レースでは、チームに所属するドライバーたちが交代でハンドルを握る。だが、私には私しかいない。グリーンフラッグから11時間後の午前3時頃、私はガス欠になった。小雨に見舞われてずぶ濡れになりながら何マイルも何マイルも歩き続けたので、体に痛みも出てきた。ポム・フリット(フライドポテト)で満腹になったところで自分のピットボックスに閉じこもり、大きく開いたスロットルの音を聞きながら、あまり深くない眠りへと落ちていった。
“眠り”だと、表現として大袈裟かもしれない。それはほぼ居眠りのようなものだった。
時は人を待たず、24時間は構わず過ぎ去っていく。私が復帰したのは、午前7時半のことだ。
24時間レースの終了は近く、フェラーリのハイパーカー、51号車(フェラーリ499P)がすべてを手中に収めることはいまや明白であった。幸運は準備とチャンスが出会うところにあるという。私はまさにその機会に遭遇した。スタート/フィニッシュラインに陣取っていた私は、チェッカーフラッグが振られた瞬間、何がなんだかわからないままチームガレージに向かった。その後に起こった出来事は、まったく予想だにしていなかったことだ。祝杯をあげて抱き合い、涙ぐむチームメンバーに囲まれながら、私はロッソコルセの渦に巻き込まれ、名高いサルテサーキットの舗装路でマラネロの夢が実現する瞬間を目の当たりにしたのだ。スクーデリア(70年代初頭以来初のトップクラス参戦)が半世紀以上の時を経て初の総合優勝を達成した事実に、感動を禁じ得なかった。
スポーツは、まさに人生の縮図である。最高の高揚感、最低最悪の落ち込み、そしてそのあいだにある悲痛な緊張感、そのすべてはまだ幼かったころの自分をがっかりさせたくないという思いが原動力になっている。私はクルマに乗らなかったし、間違いなく何も勝ち取ってはいない。だが、振り返って小学1年生のジョナサンに自信を持ってこう言える。「ル・マンに行ったんだよ」と。
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