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アレクシ・フリュオフ(Alexis Fruhauff)氏は時代の流れに逆らうことをいとわない。時計業界の多くが注目度の高い腕時計に焦点を当てるなか、パリを拠点とする若き才能はあえてクロック(置き時計)に専念している。この選択は彼のキャリアの初期において大きな糧となっており、今年4月にはF.P.ジュルヌ主催の権威あるヤング・タレント・コンペティションで優勝を果たした。
アレクシ・フリュオフ氏
この賞は技術的な成果、伝統的なクラフツマンシップ、そしておそらく最も重要なこととして、時間計測の新たな解釈に挑む大胆さを体現する時計師を見出し、称えることを目的としたものである。フリュオフ氏は下の画像にて示す、伝統的なクラフツマンシップと現代的な技術を融合させたテーブルクロック、その名もパンデュル・ア・セコンデ(Pendule à Seconde)で受賞を果たした。5万スイスフラン(日本円で約920万円)の賞金と業界内からの評価を伴うこの受賞は、クリエイティブな時計師にとって大きな足がかりとなっている。そしてパリのリセ・ディドロを卒業したフリュオフ氏にとっては、トレンドに逆行することが正しい道であるという証明にもなった。
F.P.ジュルヌ ヤング・タレント・コンペティションは、アワーグラスの支援を受けてフランソワ-ポール・ジュルヌ(François-Paul Journe)氏が2015年に立ち上げたもので、新進気鋭の時計師や学生に贈られる数少ない重要な賞のひとつである。審査員にはジュルヌ氏本人をはじめ、フィリップ・デュフォー(Philippe Dufour)氏、アンドレアス・ストレラー(Andreas Strehler)氏、ジュリオ・パピ(Giulio Papi)氏といった業界の主要人物が名を連ねる。この賞は18歳から30歳までの学生、見習いもしくは独学の時計師を対象としている。これまでの受賞者には、2024年に鍵巻き式の腕時計、Séléne(セレネ)で受賞したトマ・オベール(Thomas Aubert)氏や、極めて魅力的なムーンフェイズ懐中時計を発表した関 法史氏がいる。2018年は、シャルル・ルティエ(Charles Routhier)氏、レミー・クールズ(Rémy Cools)氏、テオ・オフレ(Théo Auffret)氏が受賞を分け合った。新進気鋭のフランス人時計師であるオフレ氏は2021年にHODINKEEで紹介しており、29歳のフリュオフ氏とともに新たなプロジェクトを始動する予定だ。
時計界のアカデミー賞と呼ばれるGPHG(ジュネーブ ウォッチ グランプリ)のような賞とは異なり、F.P.ジュルヌ ヤング・タレント・コンペティションはより広範な視点から受賞者を評価する。フリュオフ氏のパンデュル・ア・セコンデはそのアプローチの好例であり、伝統的に難易度の高い技法と現代的な革新技術を、テーブルクロックというトレンド外のプロダクトで融合させている。私自身、20世紀初頭の建築に魅せられていることもあり、ケースのモノリシックな(重厚かつ無機質な)佇まいに魅了される。私の目にはフランク・ロイド・ライト(Frank Lloyd Wright)のタッチと、チェリーウッドの天板からは日本の五重塔の屋根を思わせる繊細なニュアンスが感じられる。ケース自体の大きさは55×32×23cmで複雑かつユニークな作品であるだけでなく、フリュオフ氏がフランスのクロックメイキングに再び脚光を浴びせるきっかけとなった。
このクロックはロストビート(編注;片振り作動)を備えたピボット・デテント脱進機と調整可能な振り子が特徴で、フリュオフ氏が事実上白紙の状態から構想したものである。その過程では時計製作用の工具も自作するなど、プロジェクトは3年に及んだ。チェリーの無垢材を使用した構造は18世紀当時のスタイルと素材に敬意を表したものであり、時計師アンティード・ジャンヴィエ(Antide Janvier)とポール・ガルニエ(Paul Garnier)の作品からも着想を得ている。ムーブメントの詳細については、ヤング・タレント・コンペティションの専用ページを参照して欲しい。それでは若き時計師へのインタビューを通じて、フリュオフ氏のインスピレーションと彼のパリでの新たな取り組みについてさらに深掘りしていく。
このインタビューは分かりやすく編集されています。
トール・スヴァボエ(以下T.S.): 時計づくりに目覚めたきっかけは何ですか?
アレクシ・フリュオフ(以下A.F.): この分野が非常に希少な職能であるということが、幼いころの私に強い影響を与えました。時計師に出会う機会はそうあるものではありません。学校も少なく、職人も少ない。幼少期はスイス国境近くのジュラ地方プレマノンやジュネーブで休暇を過ごすことが多かったのですが、そこで初めて時計雑誌に触れたのです。複雑なムーブメントの写真に子供ながらに魅了されました。ハイエンドの時計には、機械部品のひとつひとつを芸術作品として昇華させる魔法のような魅力があります。祖父は自動車工学、父は航空工学というメカニックの家系に生まれた私は、自然とより小さなスケールの機械に引かれるようになりました。
T.S. : なぜ腕時計ではなくクロックに焦点を当てたのでしょうか?
A.F. : 時が経つにつれて、アンティーククロックに熱中するようになりました。かつてフランスのクロックメイキングは、非常に大きな文化的意義を持っていました。ヴェルサイユ宮殿やフォンテーヌブローのような歴史的な大邸宅を訪れると、それがよくわかります。そして今日、フランスで私がオート・パンドゥルリエ・トラディショネ(編注;仏語でHaute Pendulerie Traditionnelle、伝統的な高級クロックメイキングの意)と呼ぶものを実践している人はほとんどいません。クロックの市場は一般にほとんど知られておらず、腕時計業界よりもはるかにニッチです。ですが私はその挑戦が楽しいのです。本格的な時計愛好家にとって、極めてハイエンドかつ伝統的、それでいてモダンなクロックが非常に限られているというのは残念なことだと思います。というのもクロックは部屋やアパート、家に活気を与えてくれる存在です。ほかの人と共有したり、遠くから鑑賞したり、世代を超えて大切にしたりできるオブジェといえます。こうしたすべての魅力が、私がクロックメイキングを愛する理由です。
T.S. : 全員がそうでないとしても、卒業後の時計師の多くは最初の数年間で技術を磨くために、実績のあるメーカーで経験を積むことから始めます。ですがあなたは今週、パリ中心部の物件の鍵を受け取り、今秋にはテオ・オフレ氏やスペースワンのクールな未来派チームとともにアトリエを開設するというより大胆な道を選びました。それについて詳しく教えていただけますか。
A.F. : アトリエはかつてルイ14世広場として知られていたヴィクトワール広場10番地にありますが、この歴史的な広場はパリ1区と2区の境界線にもなっています。敷地面積183m²のアトリエは、3階と4階をまたぐメゾネット構造です。3階には時計製造エリアと軽工作機械を設置し、ノートルダム・デ・ヴィクトワール教会に面した反対側はスペースワンのエリアにする予定です。4階はオフレ パリ工房と顧客対応スペースに充て、1階にはスペースワン専用のショールームを設けるつもりです。
このレイアウトは理想的です。スペースワン、私のクロックメイキングスタジオ、オフレ パリがそれぞれ独立して顧客を迎え入れることができ、互いの活動を妨げる必要がありません。たとえばオフレ パリの顧客が来訪する場合でも、ほかのスペースを通らずに対応できるのです。この物件の空き情報を耳にしたとき、私たちはすぐに飛びつきました。まさに夢のような立地でパレ・ロワイヤル庭園のすぐそば、パリで最も美しいアーケードのひとつ(ギャルリー・ヴィヴィエンヌ)にも近く、ルーヴル美術館やフランス銀行からもほど近い。このエリアは歴史の香りに満ちています。
私にとってアレクシ・フリュオフ氏がスペースワンやテオ・オフレ氏とともに踏み出したこの大胆な一歩は、フランスの時計製造が台頭していることを示すもうひとつの証左だ。また今回、このグループから独占情報を得た。それはテオ・オフレ氏が歴史的ブランドであるレピーヌの買収を最終段階に進めているというニュースだ。これは老舗フレンチブランド復活の新たな動きであり、今年後半にパリを訪れる際にヴィクトワール広場10番地を旅程に加えるべき理由が増えた。今後の動向をウォッチ(あるいはクロック)しておこう。
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