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時計の価値を示す指標は、決してひとつではない。使用される素材の希少性やスペックシートに並ぶ数字は、確かに時計を評価するうえで重要な要素だ。しかしときに、それらの客観的な指標だけでは測りきれない価値が存在する。背後にある作り手の執念や、ブランドが乗り越えてきた壁の高さが、時計に抗いがたい重みをもたらすこともあるのだ。
先日、G-SHOCKの最高峰ラインであるMR-Gの新作として、フルサファイア外装を持つMRG-D5000が発表された。HODINKEE USチームのタンタンによるHands-On記事にすでに目を通した人も多いだろう。彼がレンズ越しに捉え、直接手首に載せて感じ取ったのは、サファイアという硬質な素材が織りなす比類なき物理的な美しさと、圧倒的な存在感だった。確かにそれだけでも、この時計は人を惹きつける十分な求心力を持っている。しかし、本稿で再び扱うにあたり焦点を当てたいのは、煌びやかなブルーサファイアの奥底に流れるカシオの文脈であり、ブランドが迎えた新たなフェーズについてである。
Image courtesy of CASIO
G-SHOCKのアイデンティティが「落としても壊れない」ことにあるとすれば、極めて硬質だが強い衝撃には脆く割れやすいサファイアは、本来もっともG-SHOCKから遠い場所にある素材のひとつである。なぜ彼らは、これほどまでに困難で矛盾に満ちた素材を選び、途方もない年月をかけてまでG-SHOCKの形に落とし込まなければならなかったのか。
カシオ計算機でブランド戦略を担当する馬道卓也氏は、MR-G(Majestic and Revolutionary)というコレクションが背負うアイデンティティについて次のように語気を強める。
ブランドマーケティング部 第1ブランド戦略室 室長 馬道卓也氏
「伝統的な時計ブランドから見れば異端かもしれませんが、既存の型に従い続ける『正しさ』とは違うところで、私たちはG-SHOCKらしさを表現してきました。“美しいものは壊れやすい”、“頑丈さと美しさの間には距離がある”。そういった矛盾したものを両立させてこそ、本当に美しいものが作れるのだと考えています」
極限のタフネスと美しさを両立させるジャパニーズ・ビューティリティ(Japanese Beautility)の追求。今年、彼らは新たにBreaking Ground(未開の地を切り拓く)というフィロソフィーを掲げたが、美しくも脆いサファイアは、この新たな決意を自ら証明するための究極の試金石だったと言える。
それまでの常識を疑う、逆転の発想が生んだサファイア外装
この無謀とも呼べる挑戦は、2018年のバーゼルワールドに端を発する。金無垢の35周年モデルと並んで展示されたサファイアのコンセプトモデルは時計業界に大きな衝撃を与えたが、ブレスレットに至るまですべてサファイアで構成されたその試作品は、G-SHOCKが規定する厳格な耐衝撃基準を満たしてはいなかった。2016年に始動していたこの開発プロジェクトは、実用化に至るまで約10年という長い歳月を要することになる。
当初、開発陣は初代から続くG-SHOCKの伝統である中空構造を踏襲し、パーツ間に緩衝材を挟むことで衝撃を吸収しようと試みた。しかし今回設計を担当した羽村技術センターの鈴木純一郎氏によれば、結果は失敗の連続だったという。衝撃を受けた際に緩衝材がたわむことで生じる微小な“歪み”が、硬質なサファイアに致命的な応力を与え、あっけなく破壊してしまったからだ。
ここで彼らは、G-SHOCK開発の根底にある「衝撃を吸収する」という固定観念を潔く捨て去る。鈴木氏は当時のブレイクスルーをこう振り返る。
羽村技術センター 開発本部 鈴木純一郎氏
「今までは衝撃を吸収し、緩和させることがG-SHOCKにおける基本でした。しかし、ダイヤの次に硬いサファイアの特性を活かすなら、衝撃に『立ち向かい、耐えうる』構造にすべきではないか。最初から歪まないように隙間をなくせば、もともと硬い素材なのだから耐えられるはずだ、と逆転の発想に行き着いたんです」
具体的には、モジュールを保護する64チタン製のインナーケースと、外装のサファイアパーツをミクロン単位の精度で隙間なく嵌合させることで、衝撃時の歪む余地を完全に排除している。さらに、大きな塊のままでは応力が集中してしまうため、サファイアを複数の小さなパーツに分割して組み合わせるマルチガードストラクチャーを踏襲。加えて、割れの起点となりやすいネジ穴をなくすべく、ネジを一切使用せずにパーツ同士を噛み合わせて固定するインターロックアッセンブリという独創的な組み立て手法を開発したのである。
ベゼルとブレスレット部の接合パーツ。見ての通り、ネジが使用されていない。Image courtesy of CASIO
美観と機能の両立への執念も凄まじい。文字板を覆うステンレススティール製のパネルカバーには初代モデルを彷彿とさせるレンガパターンの微細なスリットが設けられ、下層の高感度なガリウムソーラーセルへ光を届ける。写真を見てもらえばレンガパターンがプリントではなく、小さな穴の集合により成り立っていることがわかるだろう。シリコンよりも耐久性に優れるデュラソフトラバーバンドの表面にも緻密な金型処理でレンガパターンが施され、角度によって光を反射し、サファイアのきらびやかさと見事に呼応する。“MR-G”のロゴや“SHOCK RESIST”の文字には純金蒸着があしらわれ、ラボグロウンのブルーサファイアパーツは、隣り合うパーツとの色味の差異をなくすことを目的としている。それによって生じる極端な歩留まりの低さを受け入れてでも、G-SHOCKは一切の妥協をしない道を選んだのである。
なお、サファイアの輝きをより強調するために、ベゼルは通常のG-SHOCKよりも高く設定されている。
ひとつひとつのレンガモチーフは天面の角度を微妙に変えることで、ランダムな光の反射を生んでいる。
量産性を度外視したこの緻密な構造は、開発担当者自らが製造現場へ泊まり込み、職人たちと膝を突き合わせて組み上げのプロセスを築き上げた結果である。山形カシオのPPL(Premium Production Line)において、熟練のマイスターたちをさらに指導する立場にある限られた技術者の手作業によってのみ成立する、まさに極限の構造なのだ。その常軌を逸した組み立て難易度と妥協なき品質管理の結果、このMRG-D5000は世界限定わずか20本という、極めて希少な作品となっている。
レジェンドの卒業と「ブルーローズプロジェクト」が示す次世代の決意
定石を捨て、現場の限界を超えてまで、なぜ彼らはこのサファイアモデルを完成させねばならなかったのか。本作の取材を通して見えてきたのは、カシオ内部で繰り広げられた継承のドラマである。
G-SHOCK生みの親である伊部菊雄氏が牽引するドリームプロジェクトは、長年G-SHOCKの限界を押し広げ、予測不能な熱狂を生み出してきた。18K金無垢モデル、AIを活用したオークションモデルなどによる常識外れなアプローチで業界を驚かせてきたカリスマが第一線を退いた今、その強烈な“非常識へ挑戦するDNA”を次世代がどう継承していくのか。それは、ブランドが直面する大きな課題であった。
18Kイエローゴールド製のG-D5000-9JR。ドリームプロジェクト第1弾のコンセプトモデルを受け、2019年に世界限定35本で販売されたものである。Image courtesy of CASIO
ドリームプロジェクトの第2弾、G-D001。2023年に1本だけ製造され、同年12月に開催されたフィリップスのチャリティオークションに出品。40万50ドル(当時のレートで約5800万円)で落札された。約Image courtesy of CASIO
伊部氏が去れば、革新的な挑戦も途絶えてしまうのではないか。そんな懸念を払拭し、MR-Gを真の最高峰へと昇華させるための明確な意思表示こそが、今回カシオが立ち上げた「ブルーローズプロジェクト」だったのである。
自然界に存在しない青いバラは、長らく不可能の代名詞であった。しかし、長年の研究によってそれが現実のものとなったとき、花言葉は「不可能を可能にする(夢が叶う)」へと反転した。このエピソードを体現するかのように、新プロジェクトの口火を切る題材として、かつて伊部氏が構想し、唯一形にできていなかったサファイアのG-SHOCKが選ばれたのである。これを自らの手で実現し世に問うことこそが、次世代のエンジニアたちによる決意表明にほかならなかった。
Image courtesy of CASIO
興味深いことに、完成したサファイアモデルとその隙間を作らず衝撃に耐えるという逆転の発想を見た伊部氏は、純粋な喜びとともに「自分が最初に考えたのは衝撃を逃がす形だった。それを全く逆のアプローチにしているのは、新しい耐衝撃の考え方だ」と称賛したという。カリスマが残した夢の設計図をただなぞるのではなく、次代のチームが独自の理論とアプローチで壁を突破し、恩師をも驚かせる。これほど見事なバトンパスがあるだろうか。
馬道氏曰く、本作はG-D001に続くドリーム プロジェクトの第3作目にはあたらない。しかしMRG-D5000の64チタンとサファイアクリスタルを組み合わせた堅牢なスクリューバックの裏蓋には、伊部氏への最大限の敬意を込めて“DREAM PROJECT”の文字が刻まれている。先人たちが築いた常識を打ち破り、自らの手で新たな地平を切り拓いていくという誓いが、そこに表れているのだ。
なお、カシオはこのフラッグシップの発表に合わせ、ベゼルの一部にサファイアを採用したMRG-B5000SA、フルメタルケースの四隅にサファイアを埋め込んだGMW-B5000SB-1A2という、合計3つのブルーサファイアモデルを同時に披露している。これまでのコンセプトモデルは正直、一部の幸運な人々に向けられた非常にニッチなプロダクトであった。しかし今回は究極のコンセプトを頂点に据えつつも、現実的なバリエーションを用意することで、新しい哲学の断片をより多くの愛好家へ届けようとする意図が見て取れる。
Image courtesy of CASIO
絶対的な存在の手から離れても、カシオ計算機の開発陣のなかにはG-SHOCKのNever Give Upの精神が確実に息づいている。ブルーローズプロジェクトは、ここからが本番だ。馬道氏は最後に、静かだが確固たる口調でこう締めくくった。
「例えばですが、今後単なる色違いのモデルをブルーローズと呼ぶつもりはありません。まったく新しい驚きや価値を持っているものだけが、このプロジェクトにふさわしいのです」
MRG-D5000が纏うサファイア、その奥底で鈍く光る青い輝きは、G-SHOCKが迎えた新たな夜明けの光そのものなのだ。
Photographs by Keita Takahashi
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