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Apple Watchは発売から6年が経過したが、そのあいだ劇的な変更やアップデートはほとんど行わず、少しずつ改良を重ねてきた。しかしそれらが積み重なって、現在のSeries 7は世界で最も人気のあるスマートウォッチの最も成熟したバージョンとなった。実際、ケースデザイン、素材、プロセッサー、センサー、ディスプレイなどの変更によりApple Watchはほかのデバイスの延長線上にあるウェアラブルデバイスというよりも、スティーブ・ジョブズが最初から望んでいたようにアクセサリーのようなものとは違った独立したモバイルデバイスの新しいカテゴリーとなったようだ。
それは急速なプロセスではなかった。iPhoneと同様、Apple Watchも当初はある種の技術的なコンセプチュアルアートとしての面白さがあった。一面を示すものではあるが、それ自体は目的地というよりも道しるべとしての面白さだった。
それでもすぐに魅了された。私はどうしようもないほどのガジェット好きでそれが機械式時計にも現れている(私の夢の1つはルモントワールを搭載した時計を所有することだが、正直言って最近の機械式時計製造の世界においては娯楽的価値以外の役割はない)。そして、最初のApple Watchは昔のディック・トレーシーのリストラジオTVのように私を直撃した。
同時に使っていてイライラすることもしばしばあった。最も使いたい機能が埋もれてしまうようにUIが構成されており、当時すでに8年が経過していたiPhoneの機能と比較して、やや冗長であると批判されたのは当然のことだと思う。iPhoneは新製品の発売のたびに必然的に生じる問題を解決するために良い点を強調し、粗い部分を滑らかにすることに多くに時間を費やしていた。
このような話をしたのはApple Watchは少しずつ改良されてきたが、初代Apple Watchを使ったときとSeries 7を使ったときの違いが非常に大きいからだ。
Series 7の箱を開けて最初に気づくのはスクリーンの大きさだ(箱は環境への影響が少ないダンボール製)。私のレビュー機は45mmモデルだが(Series 7には45mmと41mmのケースがある)、スクリーンはSeries 6よりもはるかに大きく明るく、ある意味ではまったく別の時計のように感じられる。スクリーンが大きくなっただけではあまり意味がないと思われるかもしれないが、実際に使ってみると視覚的な操作スピードに大きな違いがあり、触覚的な感覚も異なる。画面が大きいということはボタンが大きく、タッチインターフェースがより簡単になるということだ。
またベゼルがわずか1.7mmにまで縮小され、一部の新しい時計のフェイスに劇的に使われているラップアラウンド効果により45mmのSeries 7はほとんどシネマティックな効果が感じられる。
Apple Watchの進化における最大のポイントはAppleのウェルネス・エコシステムに統合されたことだろう。Apple Watchは長時間座っていると(我々は非常に長時間座っているが)、立ち上がって体を動かすように促す。さまざまなエクササイズのトラッキング機能も向上している。特にサイクリストにはより正確な走行距離と消費カロリーのトラッキングが期待できる。これは例えば交通規制のために一時停止したことをApple Watchが検知できるからだ。私はサイクリストではないが、ニューヨークでシティバイクを借りてサイクリングアプリを試してみたところ、問題なく動作した。実際、消費カロリーや走行距離のトラッキングは6よりも7の方が明らかに正確なようだ。
健康アプリといえば、Apple Watchに搭載されているスリープトラッカーは常に素晴らしいものだったが(私は自分が思っている以上に寝返りを打っているようだ)、消費電力の問題から定期的に使用するのは少し難しいものだった。7のバッテリー駆動時間は6と同じだが、新しい急速充電器を使えば、寝る前(または起床時)に簡単にバッテリーを充電することができるため、スリープトラッカーを時々ではなく定期的に使うようになった。
太極拳のエクササイズアプリはピラティスのアプリと同様に新たに追加された。私はピラティスはやらないし(やるべきかもしれない)、ヨガも30年ほどやってない(これもやるべきかもしれない)が、太極拳をはじめとする中国武術は数十年前から時々やっていたため、このアプリが追加されたのはとても嬉しかった。太極拳にはいくつかの異なるスタイルがあり、練習方法によって生理学的効果が大きく異なるため少し厄介だが。
太極拳で有名な基本的なゆっくりとした動きのフォームは特に長いものでは驚くほど効果的なトレーニングになるが、基本的にはバランス、地面とのつながり、動きの調和をトレーニングしているのであって有酸素運動をしているわけではない。(陳家の練習者は、この時点で「ああ、私たちのフォームは有酸素運動だ」と思うだろうが、それは正しい)しかし定期的に練習するならば、太極拳を毎日のエクササイズに加えるのは素晴らしいことだ。
私は一般的にガイド付き瞑想アプリをあまり評価していない。ポジティブを強めネガティブを排除、肯定にしがみつきミスター・インビトウィーン(Mr.Inbetween)に手を出さないように励ますのは無害だが、それ自体は本当の瞑想ではないと私の師が考えているからだ。私の練習方法は非常にシンプルなものであり、アイデアで遊ぶことがほとんどできない私のために師が与えてくれたものであることを免責事項として述べておく。
しかしSeries 7をレビューするのであれば、ジャーナリストとしての完成度を高めるためにもこのアプリを公平に評価する義務があると思う。現実の根本的な性質を知ることはできないが、マインドフルネスのアプリを使うことでなぜか自分が思っていたよりも病的なまでに憂鬱な思考をする癖がついてしまっていることを思い知らされ、驚きと同時に少し気が引き締まった(最近は憂鬱なことが多い)。
機械式時計の愛好家のために、古典的な複雑機構をシミュレートした楽しい新フェイスがいくつかある(ミニッツリピーターはまだないがこれはとても楽しいだろう。フェイス上のスキューモーフィックなスライドを押すと古典的なリピーターのチャイムが鳴るというのはかなり気の利いたものだ。ほとんどの時計ユーザーは戸惑うことだろう)。個人的に最も気に入っている新フェイスは、やはりワールドタイムフェイスだ。ワールドタイムウォッチを実際に長時間着用する機会を初めて得たがこれがなかなか気に入っている。ワールドタイム機能は世界中の時間を神の目で見ることができるのが楽しいとおそらく数え切れないほど主張してきたが、少なくともこれまでは実際に体験したのではなく抽象的に想定していたことであることも認めなければならない。私が最もよく使うのは圧倒的にこのフェイスだ。
その大きな明るいディスプレイも常時点灯するようになったため、iPhoneのアクセサリーというよりも時計を身につけているような感覚になった。おかしな話だが、Apple Watchは今や2000年代半ばにiPhoneが目指していたものと非常によく似たものになっている。iPhoneは強力な携帯コンピューティングとセンサーを搭載したデバイスとなり、一般的な研究やコミュニケーション、センサーに頼ったニーズにおいてほぼ完全にコンピュータに取って代わるものとなった。
もちろんiPhoneにはできないことだが、Apple Watchは身体に接触しているという事実を利用して血中酸素飽和度、心拍数、心臓の電気的活動(ECGアプリの形で)を記録できる。非侵襲性の血糖値測定器があれば、さらに素晴らしいものになるだろう。もちろん健康アプリの真のキラーとなるのは血圧測定器だが、必要な電力と必要なハードウェアの改造が必要なため、これはまだ先になりそうだ。
新しいSeries 7の最も価値のある機能のなかには私が利用しなかったものもある。特に転倒検知だ。Series 6を装着していたときに一度だけ転倒したことがあるが転倒検知機能が即座に検知してくれた。Series 7にも同じ機能が搭載されており、地面に強くぶつかった場合には大丈夫かどうか医療支援が必要かどうかを尋ねてくれる。また、地面に強くぶつかっても反応しないとApple Watchが自動的に救急車を呼んでくれるのだ。
新しいフェイスやアプリ、機能はどれも素晴らしいものばかりだが、私がいつも使うのはあの大きくて明るい画面だ。Series 7が発表されたときには「画面が大きくなったのはいいが、そんなに違いはないだろう」と思う人もいたろうが、ワイドスクリーンからIMAXになったような気がしないでもない。このような体験をすると次のステップが気になる。Appleには昔から思いもよらないところで仕掛けをしてくるという特徴があるのだ。それまでの間、Series 7はApple Watchが最も得意とするものすべてにおいて大きく大胆なヘルプとなるだろう。