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HODINKEEのスタッフや友人に、なぜその時計が好きなのかを解説してもらう「Watch of the Week」。今週のコラムニストはザッカリー・ストーリー(Zachary Story)氏。彼はニューヨークのプライベートクラブ、コアクラブ(Core Club)でマーケティングディレクターとして働いている。亡き父の思い出の場所でもあり、思い入れのある施設だ。今回は、そんな彼が父親を偲んでロレックスのサブマリーナーを紹介する記事だ。
これは私の父の時計だ。彼は2010年にこの時計を手に入れた。ロレックスのサブマリーナーで、2008年モデルだと思う。とても親しい友人であるミラノの時計商から譲り受けたものだ。アフターマーケットのブラックコーティングは、イタリア軍のベレッタライフルに使われている色と同じだ。私は時計コレクターとしてはまだまだだろう。チューダーのブラックベイ、カルティエのサントス、タグ・ホイヤーのフォーミュラ1を所有している。しかし、私にとって今回の時計は特別な存在なのだ。この時計は父と私の関係を物語っている。父は昨年、心臓発作で亡くなった。
私は彼を非常に尊敬していたと言っても過言ではない。彼は私の父であり、兄であり、そして友人だった。彼は私にとって、まさに世界のような存在だったのだ。私は彼に何でも話すことができた。彼は17年間、『Departures』の編集長を務めた。オクラホマシティで育ち、オクラホマから出るために必死で働いた。
彼の育ったのは、マーク・トウェイン(Mark Twain)の小説に出てくるような1950年代から60年代にかけてのオクラホマだ。そして私自身はニューヨーク育ちだったが、自分もそれを経験したいと思い、オクラホマ州のオクラホマ大学に進学した。
今私は、父が亡くなって間もない頃に始めたコアクラブでの仕事に就いている。この場所は、父にとってとても大切な場所だった。2007年にこのブランドのコンサルティングを始めたころ、父の体重は230ポンド(約105kg)もあった。CEO兼創設者のジェニー・エンタープライズ(Jennie Enterprise)氏は、彼の人生を変えるだろうと、あるトレーナーを紹介してくれた。父は体重を50ポンド(約23kg)減らし、生まれ変わったのだ。この施設は父という人間を大きく変えてくれた。
父とサブマリーナーには多くの思い出がある。私たちが旅行したとき、この時計が父の腕にはめられていたのを覚えている。父は旅行とライフスタイル雑誌の編集を生業としていたため、よく旅行をしていた。旅先での思い出は、ミラノや南アフリカ、タンザニアといったエキゾチックな場所に父と一緒に行ったことだ。どんな理由であれ、旅に出たとき、この時計は私の心に強く残った。彼はいつもそれを身につけていたのだ。
たった10年しか使っていなかったにもかかわらず、彼はそれを徹底的に使い倒した。彼はシャネルのJ12も持っていたが、本当に彼が身につけ、感謝し、愛していたのは、この時計だった。私はいつも彼の肩を叩いて「頼むからこの時計をなくさないでよ、いつか自分がつけたいから」と言ったのを覚えている。彼は物をなくすチャンピオンだったし、忘れっぽかった。彼の死は、私が予想していたよりもずっと早く訪れた。そしてそのとき、母は特に時計に興味を示さなかった。
私はすぐに彼の時計をつけ始めた。この時計は彼の日常生活を象徴するようなものだったから、なにか非現実的な気がした。自分が身につけるというのは、まるでバトンタッチのようだった。今、私はそれを毎日身につけているのだ。
彼の宝物を受け取ることは、私の人生の新しい章の幕開けのような気がした。私は今、この世界に自分自身でいることを知ったのだ。もう彼にアドバイスをもらうことはできない。これは大変なことだ。私は今、より自立し、より強くならなければならない。この時計を見ると彼のことを思い出すが、同時に私が自立した大人であることを思い出させてくれる。
この時計は、決して交換や売却を考えるようなものではない。おもしろいと思うのは、もしこの時計がGMTやほかのサブマリーナーとともに並べられていたとしても、私は10回中10回、この時計を選ぶだろうということだ。とてもユニークで、とても個性的だ。どこでも見られるものではない。そして私の父がそうであったように、常識にとらわれないものなのだ。典型的なサブマリーナーは、今や時計文化においてむしろ遍在すると感じている。このブラックは唯一無二な存在なのだ。
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