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In-Depth アンティキティラ島の機械 時間に置き去りにされた古代オリンピックのコンピュータ

古代オリンピックの正確な開催日を計算することは、アンティキティラ島の機械の隠し芸の一つに過ぎなかった。

聞いたことがあるかもしれないが、古代ギリシャ人は頭脳の面で我々に決して引けを取らなかった。

 その証拠として提出されたのは、“アンティキティラ島の機械”として知られる謎めいたブロンズの装置だ。保存状態は良くない。著しく腐食した塊から成り、海底に2000年もの間眠っていたため、外観はほぼ認識できない。この機械は、1901年にギリシャの天然海綿スポンジ漁のダイバーによって発見された、エーゲ海に浮かぶアンティキティラ島の水深45mの海底に沈んでいた古代ローマ時代の貨物船の残骸の一部だった。1902年にはギリシャの考古学者(ヴァレリオス・スタイス)が、海底から引き上げた青銅の塊の中に歯車のようなものがあることに気づいていたにもかかわらず、数十年もの間、誰もこの船に関心を示さなかった。

 彼はそれが時計ではないかと考えたが、それはあり得ないものとして却下された。確かに、古代ギリシャ人は哲学の発明という素晴らしい偉業を遺したかもしれないが、彼らが時計らしき機械を作ることに心血を注いだかもしれないという発想を誰も真剣に受け止めなかったのだ。しかし、1970年代になって、破片のX線画像が明らかになり、腐食の下に実際に機械があったことが判明した。これが現在のアンティキティラ島の機械として知られているものの概要だ。

現存する最大のアンティキティラ島の機械の断片。出典:Getty Images

 その後、数十年にわたって丹念な分析が行われ、機械の秘密が徐々に明らかになってきた。それは、実際には時計ではなく、信じられないほど精巧なアナログコンピュータであることが判明したのだ。機械の心臓部は、エジプト暦による日付表示だった。機械を操作するには、天文学情報が目的の日付のポインターに表示されるまで、手回しのクランクを回す。クランクを回すとほかの歯車も動き、任意の日付に太陽、月の位置、月の満ち欠け、日食の予測、暦の周期、場合によっては惑星の位置などを確認することができた。また、古代オリンピックの開催時期を予測することもできた。

トニー・フリースとアレキサンダー・ジョーンズ両氏によるアンティキティラ島の機械の輪列と表示を仮想的に再現した図面(Wikipediaより)。

 月齢表示の輪列はとりわけ洗練されている。月の見かけ上の速度は、月の軌道が楕円形(すべての軌道は楕円形)であるため、わずかに変化する。古代ギリシャ人は、楕円軌道をモデル化する数学的ツールを持っていなかったとされる。ヨハネス・ケプラーが“すべての惑星の軌道は、太陽を中心とした楕円である”と記したのは、1609年のことだ。しかし、彼らの非常に優れた観測技術は、このような速度の規則的な変化を捉えており、記録されていた。アンティキティラ島の月周回軌道の輪列には、この速度変化を正確に反映させるために、世界で初めて外転サイクロイド歯車が採用されている。

 その機能が明らかになるまでにこれほど時間を要したのは、考古学の世界では“そんなものが存在するはずがない”という固定概念があったからだ。しかし、古代世界の機械工学は想像以上に発展していた。当時の最も有名な発明家であるアレクサンドリアのヘロンは、今から2,000年前に、初の蒸気機関と初のコイン式自動販売機を発明した(信じられないかもしれないが、この自動販売機は冷えたレツィーナワイン缶ではなく、神殿の聖水を提供していた)。

アレクサンドリアのヘロンが発明した風力オルガンの復元図(Wikipediaより)。

 しかし、アンティキティラ島の機械は信じられないほど高度なものだ。それは古代世界における機械と数学の洗練度の高さを物語っている。また、このような装置は、何もないところから突如現れたものではない。つまり、アンティキティラ島の機械が作られる前に、何十年、何百年にもわたる高度な機械の失われた歴史の集積があったのだ。

 古代オリンピックの正しい日付を設定するには、かなり高度な天文学的知識が必要だった。オリンピックは4年に1度、“オリンピアード”と呼ばれる周期で開催されていた。具体的には、夏至の後の最初の満月の日から開催されることになっていた。夏至とは、最も昼間の時間が長い日(2021年は6月21日)のことである。

 夏至の後の最初の満月を予測するには、月の満ち欠けがどのように変化するかを知る必要がある。月の満ち欠けは、1年ごとに少しずつ変化し、19年に1度の周期で一巡する。これがメトン周期と呼ばれるもので、アンティキティラ島の機械が作られる約500年前に、アテネのメトンがこの周期の近似値を計算したことにちなんでいる。メトン周期表示の歯車は、アンティキティラ島の機械の一部に組み込まれている。

古代オリンピックの舞台となったオリンポスのイメージ図。

 これまでどれだけのことが忘れ去られてきたのだろうと思いを馳せるのと同様、私はなぜ古代世界に産業革命が起こらなかったのかを考えさせられた。叡智は確かに存在した。実際に産業革命を起こすためには、もちろん、多くのことが多かれ少なかれ同時に起こる必要がある。識字率、実用的な工学を可能にする数学的表記法、比較的進んだ冶金学、産業規模の安価なエネルギー源など、すべては全体の一部なのだ。産業革命がようやく起こったのは、少なくとも部分的には化石燃料の開発による一度限りの贈り物だったと言えるだろう。

アンティキティラ島の機械の仮説的な復元図。画像はウィキメディア・コモンズ、復元はテッサロニキのアリストテレス大学、テッサロニキ技術博物館にて。

 しかし、古代ギリシャ人やローマ人が産業革命を成し遂げなかったとしても、アンティキティラ島の機械は、想像よりも遥かに進んでいたことを示している。この機械のような複雑な天文歯車装置がヨーロッパに登場するのは、14世紀頃になってからだ(しかし、ヨーロッパ以外の地域では素晴らしい時計製造が行われていた。例えば中国では、1094年に技術者であり数学者でもある蘇頌〈そ しょう〉が、水の流れを制御する非常に高度な脱進機を備えた、回転する夜空の地図を表す渾天儀〈こんてんぎ〉、別名アーミラリ天球儀を備えた天文塔時計を完成させた)。

 あと数百年あれば、古代ギリシャ人は何を考え出しただろうかと考えるのも一興だ。アンティキティラ島の機械が作られたころ、アテネの「風の塔」には水時計が存在した。アンティキティラ島の機械を携帯用の天文時計にするには、機械式脱進機とコイル状の鋼鉄製のゼンマイを動力源とした重厚なものにしなければならない。しかし、振り子、アンクル脱進機、落錘などを備えた据え置き型の天文時計にするには、それほど手間はかからなかったはずだ。歴史に“もしも”を考察することは、最も当てにならない推測だが、実際に機械式時計を発明したかという点に限っては、古代ギリシャ文明はあと少しのところまで来ていたような気がしてならない。

Headline image, WikimediaCommons_。アンティキティラ島の機械の3つの断片(アテネ国立考古学博物館)。アンティキティラ島の機械についての詳細は、アンティキティラ島の機械研究プロジェクトをご覧いただきたい。ボーナスラウンド:機械の再現例はいくつかあるが、レゴ好きにはこちら