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※本記事は2015年9月に執筆された本国版の翻訳です。
おそらくリンドバーグ アワーアングルは、ロンジンの幅広いヘリテージコレクションのなかでも最も珍しく、希少なタイムピースと言えるだろう。ロンジンが製造し、1930~31年にロンジン-ウイットナー社がアメリカで販売していた歴史的なタイムピースをほぼ忠実に再現したモデルだ。リンドバーグがデザインしたこの時計は、その特徴については後ほど詳しくご紹介するが、かなり困難な課題を容易にするために作られた時計だ。その課題とは自分の位置を知ることだが、インターネットや衛星通信の発達により、自分の居場所を確認することを現代では当たり前のように享受している。GPSが開発される以前は、ナビゲーションは決して楽なものではなかったということは皆さんも想像がつくことだろう。時計がお好きな読者なら、1761年に初めて信頼性の高いマリンクロノメーターを発明したジョン・ハリソンという人物の名前を聞いたことがあるかもしれない。リンドバーグのアワーアングルウォッチの問題は、それがどのように機能するのか、ほとんど誰も正確に理解していないことだ。しかし、それゆえに物語がある。なぜリンドバーグ アワーアングル ウォッチがこのようなデザインなのか、そしてなぜ、こんな古風で奇抜で巨大な腕時計を身につけたくなるのかを理解するには、もう少し掘り下げてみる必要があるのだ。少なくともスミソニアン博物館に展示されるような時計には、それなりの敬意を払って然るべきだ。
リンドバーグが“ラッキー”というあだ名にふさわしい人物だったことはあまり知られていない。彼は1927年に大西洋単独横断飛行に挑むまで同時代の多くの人がナビゲーション(航空術)と称する教育を、実際には学んだことがなかったからだ。リンドバーグはこの飛行で、いわゆる “デッドレコニング”と呼ばれる推測航法を採用していたのだ。その恐ろしい響きとは裏腹に、デッドレコニング航法は実はとてもシンプルだった。速度計で速度を、コンパスで方角を把握し、その情報をもとに定期的に海図上の位置を更新していくだけだからだ。出発地がわかっていれば、計器や時計が正確ならば、理論的には常に自分の位置を正確に把握することができるのだ。これは当時のパイロットが“水先案内術(パイロテージ)”と呼んでいたもので、“窓の外を見る”という言い方にほかならない。リンドバーグがいずれも採用した方法である。ロジャー・コナー(Roger Connor)が2013年にスミソニアン航空宇宙誌に寄稿したように、彼にとって幸運だったのは、気圧が正味の風向きを“実質的にゼロ”になるよう配置されており、このような異常な状態が気象専門家によって報告されたのは初めてだったことである(だからといって偉業を矮小化するわけではない。ニューヨークからパリへの無着陸飛行を試みた6人の飛行士がすでに死亡しており、リンドバーグは翼が凍りつきそうな嵐を回避しなければならなかったこともある。ある時、ヨーロッパに近づいた彼は漁船にブザーを鳴らし、その船に乗っていた仰天する船員に向かって「アイルランドはどっち?」と叫んだこともあった)。
ほかにはふたつの選択肢があったはずだ。無線航法(地上の無線標識から自分の位置を確認する方法)は1927年当時、まだ発展途上ではあったが、すでに実用化されていた。しかし機器の信頼性や天候によって非常に不安定になる可能性があったうえ、何よりもリンドバーグは重量を最小限にするためにあらゆる努力をしていたため、機器がかなり重いこれらの技術に頼らないことを選択した(第1次世界大戦中のフランスのエースパイロット、ルネ・フォンク〈René Fonck〉は、ニューヨークとパリの無着陸飛行に挑戦したが、3人の乗員を乗せた飛行機は離陸時に墜落してしまったが、これはこの時フォンクがソファと冷蔵庫を持ち込むことにこだわったためだ)。そして 4つ目の可能性として、非常に古い技術である天文航法が考えられる。
天文航法は、天体を観測することで地球上の自分の位置を多少なりとも正確に把握するための“測位”を行うものだ。リンドバーグが飛行した時代には、一般に水先案内術、推測航法、無線航法、天文航法の4つの航法を組み合わせて位置を特定していたようだ。例えば、推測航法は天測航法ほど正確ではないかもしれないが、それでもおおよその位置を知ることができ、天測による修正作業を大幅に軽減し、観測や計算を再確認することができた。
しかしリンドバーグは天文航法がより正確であるにもかかわらず、飛行中に天文航法を使用しないことを選択した。これはリスクを考慮した上での決定であった。天文航法は非常に有用なものだったが、ナビゲーターを乗せることになり、重量と物資が増えることになる(リンドバーグ夫人は熟練のナビゲーターとなり、後の多くの飛行に同行しリンドバーグのためにこの役割を見事に果たした)。また、六分儀の使い方を習ったことのある人ならわかるように、片手で操作することが必ずしも成功の方程式ではない。搭乗機スピリット・オブ・セントルイスのデザインは、翼が高く、空のかなりの部分が翼に遮られることになる。また、当時リンドバーグが知っていた方法で計算すると、かなり手間と時間がかかり、コースを維持することと自分の位置を特定することに注意を割かれるたびに、事故の危険性が増していったのだ。
しかし、飛行に成功したリンドバーグは天文航法を学ぶことが不可欠であることを確信し、決意を固めた。1928年4月、アメリカ海軍初の空母であるラングレーを訪れた彼は航空航法に革命を起こし、その技術を教えてくれる人物に出会うことになるのである。その人物とはフィリップ・ヴァン・ホーン・ウィームス(Philip Van Horn Weems)という若い海軍中佐であった。
…空中で迷子になることは、何ら不名誉なことではないと言ってよいだろう。これは最高の航空士にも起こることだ。重要なことは、迷ったり、位置がわからなくなったりする時間を可能な限り短くすることである。
– P. V. H.ウィームス著『エアナビゲーション』ウィームスは、戦場でほかの男が従うような男であった。7人兄弟のひとり(しかもテネシー州タービンで生まれた)である彼は幼い頃に孤児となったが、6人の兄弟と1人の姉妹とともに両親のいない家の農場を引き継いで切り盛りしていた。アナポリスにある海軍兵学校に入学し、フットボールチームの中心選手として活躍する一方、どうにかしてオリンピックのレスリングチームにも入ることができた。1912年、卒業と同時に海軍少尉として入隊した彼は、すでに航空術の課題に魅了されており、アカデミーで、そしてチャールズ・リンドバーグのためにこの問題に取り組むことになる。1927年、リンドバーグが大西洋単独横断に成功したとき、ウィームスはすでに有名なウィームス式航空術の最初のバージョンを開発していた。
ウィームスは定点観測の簡略化という、簡単にはできないことを実現しようとしたのだ。天文航法は比較的ゆっくりと発展し、理論的には正しいが実用性に欠ける難しい観測法であった(ジョン・ハリソンの宿敵である王立天文学者ネヴィル・マスケリン〈Neville Maskelyne〉が好んだ月の距離を使う方法はあまりにも複雑で、かつてウィームスはそれを使う航空士に会ったことさえないと言っている)。ウィームスが航空術の簡略化に着手した当時はまだ、球面三角法を使って、地表に描かれた星の観測による三角形を解くという複雑な作業であり、その分、厄介で時間のかかるものだった。海上を数ノットで移動する船なら、このような時間のかかる方法も可能だが、飛行士にとっては致命的となりかねないのだ。
しかし天文航法は、その複雑さとは裏腹に理論的には非常に単純なものである。どの星も、ある瞬間には必ず地球上のある1点の真上にくる。六分儀を使って地平線の上の星の高度を測定し、観測時刻を正確に知っていれば、その地点から自分がどれだけ離れているかを計算するのに十分な情報を得ることができる。その距離が仮想円の半径となる。自分の潜在的な位置はその円上のどこかにあり、これを“位置の円”と呼ぶ。さて、正確な時計と星の地理的な位置と日時を関連付けた暦表があれば、理論的には自分の位置を計算するのに十分な情報が揃う。天文地平線上の星の位置(アジマス:方位角)がわかっていれば、自分とその星の位置とのあいだに線を引くことができ、その線が円を切るところが自分のいる場所となる。ただし、地球が星の下を自転しているため、地理的な位置が変わってしまうことを考慮しなければならない。しかし、観測時刻と星の天球座標が正確にわかっていれば、観測によって星の地理的な位置と、その点に対する自分の位置を特定することができるというわけだ。
しかし、実際にはひとつの星の高度と方位だけでは十分な精度が得られないため(観測精度の都合上)、航海士は常に少なくともふたつの星を用いる。位置の円は2ヵ所で交差するため、明らかに間違っていると思われる1ヵ所は考慮しなくていい(円は数千マイルに及ぶこともあり、北大西洋のどこかにいることがわかっていても、交差する1ヵ所が南アフリカであれば、どちらを使うべきか明らかだ)。ウィームスはアビゲーション(誤字ではなく、“アビゲーション”は当時の飛行中の航法用語)に革命を起こし、修正点を得るためのプロセス全体をより簡単に、より短時間で行えるようにしたのだ。
アワーアングルとは経度と同義である。角度の代わりにグリニッジ標準時と地球上の別の地点との時差が表示されるだけだ。リンドバーグ アワーアングルウォッチは、ウィームスのアビゲーション理論を基礎に、観測からアワーアングルをより簡単に計算できるようにリンドバーグが設計した時計である。地球は24時間で1回転し、1周は360°なので、1時間は15°に相当するという単純な計算に基づいている。これがナビゲーターにどのように役立つかというと、自分のいる場所が正午だとして、天体のグリニッジ時角を求めれば、経度がわかるのだ。
太陽を使えば、わかりやすい。例えば、グリニッジ標準時で午後4時30分だとする。つまり、アワーアングル(時差を度数に換算したもの)は、60°(ダイヤル上では60とIVが対応している)+7°と30分を、アウターベゼルから読み取ることができる。インナーダイヤルは回転式で、60/15のゼロ点を無線時報の最後のピップに合わせることができる(秒を時刻に合わせるこの方法は、実際にウィームスによって発明され、ロンジン ウィームス セコンドセッティング ウォッチに搭載された)。つまり太陽が真上にある場合、自分はグリニッジ標準時からちょうど67°と30分西に位置し、北緯45°にいる場合は、メイン州の上空にいることになる(緯度はもっと簡単な問題で、例えば北半球で夜間に航行する場合、北極星の地平線上の高度にほぼ正確に対応する)。この方法は精緻ではないし、万能でもないがナビゲーションとアワー アングルウォッチで使われる時角の基本原理を利用している。
例えば、太陽以外の天体のグリニッジ時角を求め、アルマナック(暦)を使ってその天体の観測時の地理的な位置を求めるのにもこの方式が使えることは容易に理解できるだろう。高度や方位角の代わりに時角と偏角を使って天体航法を簡単にするというアイデアは、ウィームスによって初めて提案され、ホイットニー(Whitney)著『ミリタリータイムピース』によれば、1929年の月位置表(月位置推算暦)で初めて登場した。1933年、最初の『航空暦』が出版され、ウィームスは太陽、月、そして航海に重要な星のグリニッジ時角と偏角を与え、それが現代の航空航法の礎となったのである。
賢明な読者の皆さんは、時角の計算をするためには、その地域の実際の太陽時を知る必要があること、つまりその日の均時差を足したり引いたりしなければならないことにすぐに気づかれたことだろう。そのため、時計のベゼルは回転させる必要がある。ベゼルを回転させることで、その日の均時差に相当する分数を進めたり戻したりすることをできるのだ。
ナビゲーターが希望すれば、この時計は恒星時への調整も可能だ。この場合、時計からグリニッジ標準時での恒星時(現在)を読み取る。次に選んだ星を調べ、天球上の経線上の位置である赤経を求める。その差分がその星のグリニッジ時角となり、それを知ることで現在地からの星の高度を測定し、通常の方法で位置の円を導き出すことができる。恒星時に設定された時計でも、“正午の太陽高度から緯度を求める”ことで位置を知ることができるが、その場合は恒星時と太陽時の変換表が必要となる。
以上のことから、秒単位の設定機能がなぜ重要なのかご理解いただけたことと思う。秒の誤差が当時の航空機を1マイルも狂わせる可能性があるため、時刻は1秒単位で正確でなければならなかったのである。
不思議なことに、時計を正しく作動させることは航空術のなかで最も難しいことのひとつである。
– P. V. H.ウィームス著『エアナビゲーション』この時計は、フィリップスが2015年4月にジュネーブで開催されたオークションでは14万3000スイスフラン(約1795万円)で落札された(リンドバーグ本人からの個人的な贈り物だったようだ)。ウィームスはアワーアングルウォッチが販売される前に、彼自身が最も誇りに思う成果である『Star Altitude Curves』を1928年に出版し、システムの簡素化と改善を続けていた。40個の恒星について、その位置の円の緯度と経度を観測日時と相互参照しており、手で計算するよりも簡単に調べることができる、ナビゲーターにとって実に素晴らしい資料となった。観測条件を整え、練習を重ねれば、ときには40秒程度で、8km以下の精度で位置を特定することも可能であった。第2次世界大戦中も、その後の商業航空においても、ウィームス式航法は航空機乗務員にとって必須の技術となった。
ところで、ロンジンがリンドバーグのデザインによるアワーアングルウォッチを製作したことは決して偶然ではない。1927年の大西洋横断の最後に、パイロットでもあったロンジンアメリカの幹部、ジョン P. V. ハインミュラー(John P. V. Heinmuller)がリンドバーグの着陸の時間を公式に計測した縁もあって、リンドバーグはそのデザインを持ち込んだのだった。今ではあまり知られていないが、ロンジンは1987年にリンドバーグの飛行60周年を記念してアワーアングルウォッチを初めて製作している。
天文航法は、純粋に理論的なレベルでも限りなく魅力的なテーマだが、最終的には実用的な科学であり、ごく最近まで実際に航空分野で使用されていたのだ。現在は慣性航法やGPSに取って代わられたが、ボーイング747の初代機ではフライトデッキにナビゲーターの定位置があり、星の位置を“撮影”するための六分儀望遠鏡が搭載され、ナビゲーターは推測航法と天文航法を併用していた(ある資料によると天文航法を行うための六分儀のポート自体は、747がもともと備えていたものなので、まだ残っているようだが、六分儀は現在はなく、SMOKE EVAC[煙排出口]が設置されている)。驚くべきことに、史上最速の有人偵察機SR-71 ブラックバードには、昼間でも星が見えるように特殊な光学レンズを用いた非常に複雑な自動天体ナビゲーションシステムが採用されていた。ノルトロニクス社製の天体ナビゲーションシステム「NAS-14V2」は、誤差90m以内の精度を持ち、現在でもGPSの補助として時々使われている。リンドバーグやウィームス、さらにはジョン・ハリソンもその原理をすぐに理解したであろうナビゲーションシステムを、史上最速の飛行機が使っていたという事実は極めて示唆に富んでいる(ちなみに、ウィームスは第2次世界大戦で副提督を務め、1960年代初頭にはNASAのために宇宙航行法の開発にも携わるなど、非常に長いキャリアを歩んだ)。
そして、ロンジン リンドバーグ アワーアングルウォッチは、まさにこの時代の始まりを告げる記念品なのだ。この時計は最初は理解するのが難しい時計で、直径47mmという大きさから着用しやすい時計でもない(サイズはmm単位まで正確に復刻しており、ヒンジ式ケースバックもそうだが、多くの航海時計と同様、リンドバーグ アワーアングルウォッチは懐中時計用ムーブメントをベースに作られている)。しかし、私が試みたように、この時計が生まれた背景をもう少し理解しようと時間をかければ(実はこの話のために全部理解したと言えば嘘になるが、1938年発表のウィームス著『エアナビゲーション』は最後まで読んだ)、それが朧げながらも見えてくるのだ。そして、この時計を身につけることで、海図や表、六分儀、そして時計を使った天体観測が空論的な趣味人や歴史家だけが興味を持つ技術ではなかった時代に、具体的なつながりを感じることができるのではないかと感じている。それは、まさに生きるか死ぬかの問題だったのだ。
ロンジン リンドバーグ アワーアングルウォッチは、Longines.comでご覧いただける(写真のスティールモデルは、税込67万3,200円)。また、ロンジンの歴史上重要なアワーアングルをこちらで特集している。それから我々のお気に入りのロンジン ヒストリカル コレクションの記事はこちらから。
そして、もしあなたが天体ナビゲーションに興味があり、時間に余裕があり、頑固なまでにこだわりがあるのなら、ここから始めてみるのもいいかもしれない。