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建築家シャルル・エドゥアール・ジャヌレ(Charles-Édouard Jeanneret)は、彼のペンネームであるル・コルビュジエ(Le Corbusier)として世に知られている。これは、彼の母方の祖母の名ル・コルベジエ(Lecorbésier)を捩ったものだ。1920年に雑誌エスプリ・ヌーボー(L'Esprit Nouveau:新しき精神)の初版に書いた記事で初めて使用された。ペンネームを使ったのは、人は生まれ変わることができるという、自身の信念を反映させたかったからだという。20世紀初頭の多くの芸術家と同様に、ル・コルビュジエは大きな野望を抱いていた。既存の形式言語を抜本的に変革することで、革命を起こそうという概念である。理論的分析によって視覚を明確に言語化することを通じて、芸術を進化させようというものだった。
私が常日頃から疑問に思っていたのは、建築家が理路整然とした設計言語を現実の建築現場で使用するにあたって、壮大なイデオロギーの影響を特に受けやすいということがあるのだろうかということだ。一般人なら話は違うかも知れないが。ル・コルビジュエが興味を抱いた対象は個々の建築プロジェクトにとどまらなかった。都市計画にも一生をかけて熱心に取り組んだ(ひとつの都市全体の設計まで手掛けたことすらある)。
ル・コルビュジエは、建築における諸問題を体系的かつ包括的に解決するため、独自の建築的ポリクロミー(多彩装飾)体系を考案した。初回のものは1931年に発表したもので43色だった。1959年にはその拡大版を発表し20色を追加して、計63色となった。この色体系を考案した目的は、デザイナーや建築家に対し妥当なバリエーションを備えたカラーパレットを提供し、心理・視覚・感情に与える既知の効果を示すことだった。各色を組み合わせて使うことでさまざまなパターンに応用して使え、それでいて見た目に違和感がなく不自然にならないよう考えていた。各色はさらに「鍵盤」という形で分類されている。ピアノの鍵盤のように、ル・コルビジュエが最適な視覚的調和をなしていると見なした形で各色が並んでいた。この色体系には面積の広い部分に使うのに最も適した色がどういったものか、アクセントとして使うのに適した色がどんなものかに関する指針も載せられていた。
今年初めに、ラドーは9つの腕時計を発表した。各時計にル・コルビジュエ考案の建築的ポリクロミーの中から1色を採用している。今回発表されたコレクションはケースにセラミックを採用した「シンライン コレクション」がベースだ。デザイン重視の極薄コレクションで、通常は非常にフラットなクォーツ製キャリバーを採用している。近年では数多くの人目を惹くデザインを施した文字盤が誕生している。
各時計ごとに建築的ポリクロミーから1色を選んで採用しているため、自分で各色について調べてその役割を確認できる。もちろんどのような視覚効果を狙ったものかについての説明も読むことが可能だ。ラドーでは色の持つ心理的影響や装飾効果だけでなく、色の厳密な特性についても一覧表をネット上で公開している。
イエローの4320Wなどは興味深い1例だ。ル・コルビュジエは、黄色を原色で建築物に使用するのは相当危険だと考えていたようだ。1931年発表の元々の色体系には多少なりともはっきりとした黄色はなく、4320W(明るい黄色:le jaune vif)は1959年の改訂版で初めて登場した。4320C(明るいピンク:rose vif)も同様に色体系の中ではアクセントとして使うのに適した色とされている。どちらの色にせよ特に部屋が大きい場合、壁紙に使うと心が落ち着かず非常に居心地が悪くなる。
イデオロギーに基づいた、理論に根差した芸術作品や建築物にどのような感情を抱くかは問題ではない(個人的にはあまり好きではない。シュルレアリスムの芸術作品には興味深いものが数多くあるが、作家のマニフェストには興味深さを感じないといわれれば、未来派の場合は恐らくなおさらそうだろう)。
しかし、この時計コレクションには驚くほどの深みと明瞭な思想が備わっていると断言できる。HODINKEEのオフィスで、本コレクションが注目の的となったのは言うまでもない。長年かけて風変わりな時計にやや慣れてしまった感のある同僚たちの数多くが、コレクションの周りに蜜を求める蜂のように群がったのだ。建築的ポリクロミーの狙いを忠実に再現したこのシリーズは、各々が他と明確に異なる感情に訴えかける特性を備えているが、グループとしての一体感もきちんと兼ね備えている。
今回のトゥルー シンラインでは、オリジナルの1931年版と1959年の改訂版両方から色を採用している。1931年版が淡い色に特化している訳ではないが、1959年に追加された20色は概して大胆で彩度が高くなっている。オリジナルの1931年版の色の1つに32141(平均的で自然な色合い:ombre naturelle moyen)があり、後に追加された43XXX番の20色と比較するとさほどの華やかさはないが、たぶん一般受けはこちらの方が良いだろう。
本コレクションの魅力としては、カラバリの豊富さに加えて、装着時の快適性も挙げられる。ブレスレットと同様、ケースもセラミック素材を採用しているため非常に薄型で軽量な作りだ。素材の強度が高いため、時計の光沢が失われることはほぼ永遠にない。ラドーの腕時計を見ると必ず、自分がヴィンテージウォッチに初めて興味を抱くようになった時期に、オリジナルのダイヤスター コレクションを見たときの衝撃が甦る。
ヴィンテージのスティールないしゴールドの腕時計は(長年大切に使ってきた場合や、未使用品の場合は除く)ほぼどれも経年劣化の跡が目に付く。しかしダイヤスター コレクションだとキズ防止のタングステンカーバイド性ケースを採用しているため、概して新品と見た目があまり変わらない。トゥルー シンライン コレクションに採用されているラドーの「ハイテク セラミックス」ケースも、少なくとも同程度に長く輝きを保つはずだ。
ケースの寸法は39.0mm x 5.0mm、各色とも全世界で999個までの限定生産。
一般的に、昨今の腕時計メーカーが過去の設計や装飾を利用する場合は自社独自のものに限られるため、何かしら自己完結的な腕時計しか目にすることがない。これは必ずしも悪いことではない。ラドーは、大人気のキャプテン クック コレクションを含む、伝統に根差しこれを発展させた腕時計ジャンルの分野では強い競争力を誇っている。
しかし一方で、レ・クルール ル・コルビュジエ コレクションには実に心惹かれるものがある。個人的にはここまで上手く仕上がると思ってなかった。しかし実際に腕に身に着けてみると、色鮮やかな、個性光る逸品に仕上がっており、価格帯を問わず滅多に見つからない魅力を備えている。遊び心を大切にしつつも、極度に理論にこだわることに対する不安を乗り越え、時には体系的に問題を解決しようという心構えを持つことで、結果として素晴らしいものが生み出される場合もあるのだ。