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本稿は2017年6月に執筆された本国版の翻訳です。
何か新しいものが見たくなったとき、私はパリのアントワーヌ・ド・マセド(Antoine de Macedo)氏のもとを訪ねる。アントワーヌ氏もそれをわかっているのだろう。彼は、私が今まで1度も見たことのないモデルばかりを見つけ出して持ってくるのだ。最近では、自分の経験の深さを見せつけるためにやっているのでは、とさえ思えてくる。誰もその存在を知らなかったような時計を見つけ出すのは、まさに彼の十八番なのだ。以前、フィリップスの予想を大きく上回る価格で落札されたあの奇妙なスクエアケースのギュブランを見つけたのも、彼である。
1952年製のブレゲ トリプルカレンダー・クロノグラフ。昨年クリスティーズにて販売された個体。
「これを見せないわけにはいかない」と、私が店に入った瞬間に彼はそう言った。すでに何か特別なものを用意していることは態度でわかっていた。彼は、私がブレゲに目がないことをよく知っている。たったひと言で、完全にこちらの注意を引きつけた。そして私たちがきちんと挨拶を交わすよりも前に、彼は店の奥へと姿を消した。
「きっとタイプXXだな」と私は思った。彼は美しいタイプXXをいくつもそろえている。あるいは、20世紀半ばのゴールド製カレンダーウォッチかもしれない。それならなおのこと大歓迎だ。だが、彼が奥から持ち帰ってきたのは、まったく予想外の時計だった。トノー型のステンレススティールケースに、シンプルなブラックダイヤル、バトン型の針とインデックス。見た瞬間、1970年代の香りが立ちのぼる。しかし、そのどこにも“ブレゲらしさ”は見当たらなかった。
「1970年代のものなんだ」とアントワーヌ氏は、私を安心させるように穏やかに言う。「しかも、すごく珍しい」。確かに、これは別のメーカーのサインが入っていても何の違和感もない。実際、ゼニスのレスピレーターを思い起こさせる。だが紛れもなく、これはブレゲなのだ。
この奇妙なトノー型のブレゲが、1970年代に生まれたものであることは疑いようがない。
しかしアントワーヌ氏は、さらに驚くようなことをしてのけた。どこか見覚えのある若者を呼び寄せ、私たちのもとへ連れてきたのだ。彼の名前もアントワーヌ。ここで夏季インターンを始めたばかりの人物で、なんとその左手首には、まったく同じブレゲが巻かれていた。こんな偶然、あるだろうか!
インターン生の手首で発見されたこの2本目の個体は、このリファレンスにおいてごくわずかしか確認されていない同一仕様のモデルのひとつである。
時計のデザインにおいて年代の特定がもっとも容易な時代があるとすれば、それは1970年代だろう。スイスの時計産業は危機に瀕しており、日本のクォーツウォッチが機械式ムーブメントを市場から駆逐しようとしていた。各メーカーは競争力を保つため、コストを削減せざるを得なかったのだ。多くの時計メーカーにとって、この時代は必ずしも最良の仕事を残した時期とはいえない(もっともこうした“ファンキーなデザイン”に対しては、私の同僚のひとりがよく使う表現を借りれば、確かな情熱を注ぐコレクターたちも存在する)。
ブレゲによれば、このようなモデルは1970年代の短い期間におよそ20本が製造されたという。つまり、ここにその10%が揃っていることになる。
ブレゲにとってこの不安定な時期は、1970年のオーナー交代によってさらに複雑さを増した。同年、ブレゲはジャック・ショーメ(Jacques Chaumet)およびピエール・ショーメ(Pierre Chaumet)に買収され、しばらくのあいだブランドの評価はパリの宝飾店ショーメのそれと結びつくことになる。時計の製造は小規模なロットで行われ、ショーメの販売網を通じて流通した。その手法は決して洗練されたものではなかったが、ブランドの火を絶やさずにつなぐには十分だった。そして1975年、このブレゲはヴァンドーム広場のショーメ・ブティックでマネージャーを務めていた若きフランソワ・ボデ(Francois Bodet)に託されることとなる。
この時計が最初に販売されたのは、まさにその1975年のことである。それから42年後、フランソワ・ボデの手腕によって大きく立ち位置を変えた現在のブレゲにおいて、この時計は再び市場に姿を現した。過去、現在に存在するブレゲのほかのモデルと比べれば、一見してごく普通の時計に見える。だが、まさにそこにこそ、この時計のおもしろさがあるのだ。
この時計の魅力を真に理解するには、1970年代という時代背景、そして同時期のレスピレーターのような類似モデルと並べて見る必要がある。そうすれば、ケースの面取り仕上げといった質感やディテールの完成度が際立ってくる。しかしこの時計が本当にその他を凌駕するのは、手首に乗せたときである。そのサイズ感が、実に絶妙なのだ。
この時計に格別の魅力を与えているのは、やはり、時計界でもひときわ美しいとされるブレゲの筆記体ロゴに尽きる。
内部にはETAのCal.2632が搭載されている。決して高級なムーブメントとは言えず、ブレゲの腕時計の裏蓋を開けてこれが現れるとは普通は思わないだろう。ただし、この選択はコストを意識したうえでのものであり、生産数がごく限られていたことを踏まえた判断でもある。
こちらが、時計内部に収められたETAのCal.2632である。
この時計は、販売店主であるアントワーヌ氏の手元にしばらく前からあったものだ。だが、彼は特に気にも留めていない。というのも、これは“本気で探しに来た誰か”が現れるまで、ずっと自分の手元にあるだろうということを理解しているからだ。ブランドについての知識がほとんどない人が、ふらりとやってきて買っていく。そんな可能性もきわめて低い。
正直なところ、私自身はいまだにこの時計にどう向き合えばいいのかわからずにいる。ひとつ言えるのは、このデザイン自体がとりわけ私の心に響くわけではないということだ。もしこの時計に世界でも屈指の名門マニュファクチュールのサインが入っていなかったら、数分以上目を留めることはなかったかもしれない。だが一方で、こんな時計が存在するという事実自体に私は強く引かれている。むしろ、その“あり得なさ”こそが、希少性以上に私を引きつけてやまないのだ。
これは、おそらく私がこれまでに身に着けてきたブレゲのなかで、もっともシンプルな1本だ。それにもかかわらず、いや、それだからこそかもしれないが、その他多くのブレゲよりもはるかに特別な存在に感じられる。
たとえば、誰にも気づかれずにこの時計をパリでカジュアルに着けて歩く。そんなシチュエーションを想像するだけで、ちょっとした高揚感を覚える。まさかそれが希少なブレゲだとは誰も思わないだろう。創業者アブラアン-ルイ・ブレゲ(Abraham-Louis Breguet)の直系の子孫であり、現在のブレゲ社の歴史担当でもあるエマニュエル・ブレゲ(Emmanuel Breguet)氏によれば、このモデルはおよそ20本のみ製造されたという。つまり、その10%がまったくの偶然で、今この瞬間、同じ建物のなかで時をともにしているということになる。
そしてエマニュエル氏は、このモデルをよく知っている。職務としてというだけではない。実は彼は数年前、この時計そのものを息子(つまり、前述のインターンであるアントワーヌ氏)に贈っていたのだ。
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