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特別な場所のために用意された時代を超越した時計 - 置き時計がある。現在、パテック フィリップのナビクォーツにふさわしい場所はない。この時計は、特定の時代にのみ作られた製品で、その名を聞いたことがない人もいるだろう。ナビクォーツは、1970年代にパテックが発表した航海をテーマにしたクォーツ時計だ。もともと船のためのバックアップ航海システムとして設計されたが、後に陸上の用途へと移っていったようだ。時計がコレクターズアイテムとなるにつれ、この時計は人気を失った。一時期、ナビクォーツはステータスシンボルとなっていたが、今では過ぎ去った時代の象徴となってしまった。しかし、それが話題に上らないからといって、語らないわけにはいかない。
ナビクォーツには、はっきりとした記憶がある。子供の頃、家に一台あったのだ。それは父の書斎のコーヒーテーブルの上に置かれていて、ただカチカチと音を立てていた。今年の初め、皆が在宅で仕事をするようになった時、妻と私は実家で過ごしており、HODINKEEのWEB会議に、父の書斎から参加した。同僚には見えなかったが、パソコンの横には大きな音を立てる置時計があったのだ。その音だけで、子供の頃の記憶が蘇ってきた。実際、この時計の一番の魅力は、その音の大きさと力強さにある。その音は木製ケースのため少し遮られているが、ナビクォーツの音は、はっきりと聞こえる。
父はその置時計を誇りに思っていた。「パテック フィリップだ 」と、彼はいつも言っていた。それが自慢のポイントであり、私もそれを理解していた。ブランド自体が、私たちにとって真のステータスシンボルの1つなのだ。父がナビクォーツを購入したのは1970年代のことで、彼の記憶では1700ドル(決して安くはない)だった。しかし、なぜ、父はそれを購入したのか? 色々な意味で、父の話は多くのナビクォーツのオーナーにあてはまると思う。この時計は当時、文字どおりの飾り物のような扱いだった。しかし、そのようなレッテルを貼っては、技術的な面だけでなく、本来の目的も損なってしまう。
これは、図書館の飾り物ではなく、むしろ本物のクロノメーターだ。ナビクォーツは、20世紀半ばにパテック フィリップが率先して行った最先端の電子時計製造への尽力により小型化された真の航海用時計だ。
ナビクォーツは、過小評価されていると言っても過言ではないだろう。現在の価値はインフレ率とほぼ一致しているので、価格がかなり上昇していてもおかしくない。ナビクォーツには3つのバリエーションがあり、順にI、 II、 IIIとつけられた。今回は、1970年代前半から1980年代半ばまで生産されていたナビクォーツE 1200を中心に紹介したい。
この時計の由来については議論の余地がある。初代ナビクォーツは、1970年のバーゼルフェアで発表された。議論の中心となっているのは、1969年にすでにいくつかのモデルが出回っていたという事実だ。パテックの専門家であり、Collectabilityの創設者でもあるジョン・リアドン氏によると、1968年にはナビクォーツがオークションに出品されていたという。しかし、本記事では時計が世に出たのは、パテックが本格的に販売を開始した1970年頃ということにしたい。
ナビクォーツは1970年に発表されたが、どこからともなく生まれ出たわけではない。1964年、ニューヨークのクイーンズで開催された万国博覧会で、パテックは電子計時の展示に特化した大きなブースを構えた。これは当時の時計技術の頂点であり、その技術の多くは後にナビクォーツにも反映された。
発売と同時に、そして1970年代の間、パテックはこの時計を航海用とすることに注力した。ナビクォーツは船に搭載するために作られたものであり、少なくともそれが当初のコンセプトだった。1980年代になると、マーケティングの方向性が変わる。この時から、パテックはこの時計を机上用で機能するもの、要するに机の上の置物、として売り出し始めた。パテックのようなブランドが、クォーツムーブメントを搭載した大きくて無骨な、航海をテーマにした時計を生産したということは、少し奇妙に思われるかもしれない。しかし、1932年にパテック フィリップを買収したスターン家がブランドの背景にあったと知れば、それは納得がいくはずだ。
元社長のアンリ・スターンと息子のフィリップ氏(現在は名誉会長)は、海上スポーツ、特にセーリングが大好きだった。アンリ・スターンはナビクォーツの航海用としての側面に情熱を注いでいた。実際、彼は1974年5月1日に自身のナビクォーツ(ナビクォーツ III)をプレゼントされ、それを1970年代の広告にも登場させた。その時計は現在も家族が保有しているとされる(パテック フィリップは現在、フィリップ氏の息子であるティエリー氏が経営している)。
2017年、クリスティーズはエルトン・ジョンからの贈り物であるティファニーの刻印が施されたナビクォーツE 1200を競売にかけたが(ジョン自身が所有していたかどうかは不明)、1万3750ドル(約143万2060円)で落札された。それにはゴールドのレコードまで付いていた。HODINKEEのヴィンテージマネージャー、ブランドン・フラジン(Brandon Frazin)は、当時クリスティーズに勤務していた。「最終的に、価格にはそれほど驚きませんでした。ただ売れたことが嬉しかっただけです」と彼は言う。さて、スターン家が所有するナビクォーツが市場に出回った場合にどうなるかは誰にもわからないが、この時計への関心が特に高いわけではないことは明らかだ。
ナビクォーツも航海機能を備えている。1960年代には、大型バージ船がパテック フィリップのタイミングシステムをもっているのは一般的であった。これらは航海のために使用され、船全体が時間を正確に保つには十分すぎるほどのシステムだった。ナビクォーツを所有することは、その技術の小型化されたバージョンを所有することに似ている。ナビクォーツは、クォーツ革命というべき技術の進歩の中で、パテックのクォーツ時計製造の集大成であった。このムーブメントは、パテック フィリップを含む20のスイス時計ブランドの共同事業体であるスイスのCentre Electronique Horloger(C.E.H.)が初めて製造したムーブメント、ベータ21と同時期に開発された。そのため、ナビクォーツは発売当時、最先端の電子計時技術の先駆けといわれていた。
これにはいくつかの理由から興味深い。クォーツ危機がスイスの機械式時計産業を滅ぼしそうになったという話をよく耳にする。実際のところ、リアドン氏が指摘するように、パテックはクォーツ技術開発のパイオニアであり、精度の限界を追及していた。それだけではない。船舶やバージ船にクォーツ時計(または補助時計システム)を搭載することで、本格的なビジネスを展開していた。
当時、ナビクォーツは確かに魅力的なものだったが、必ずしもブランドが大量に販売していたわけではなかった。リアドン氏の見解では、時計はパテックの全てのリソースと技術を小売市場に投入するための道具であり、それによって購入者が船や机の上にステータスシンボルをもつことができるようにしたのだという。にもかかわらず、この時計は航海用装置にはならず、その代わりに本当に素晴らしいノベルティとなった。立派な木製ケースやゴールドのアクセント、そして鍵を見ていると、その感覚が伝わってくる。
ナビクォーツに採用された最初のムーブメントは、Cal.RH29だった。1974年にはこのラインで最も多く見られるキャリバーである33QZが発表された。これは、固体回路構造(半導体で作られた超小型電子回路)で作られた自社製ムーブメントだ。時計自体は、パテックのカタログにおいて“ジャンピングセコンド”を特徴とする“クォーツタイムベースの電子マリンクロノメーター”と説明されている。ムーブメントには何の装飾も見当たらないが、パテック フィリップの刻印が入っている。この時計はムーブメントを駆動するために電池を必要とするが、電池を時計に入れる方法は他のクォーツ時計とは全く異なる。
ナビクォーツは標準的な単1電池を使い、それをチューブにはめ、そのチューブを時計のケースにねじ込む。チューブは所定の場所にロックされなければならない。その結果、ねじ込み式のリューズのように機能するのだ。リアドン氏によると、この時計は水中使用も可能だそうだ。パテックは特定の防水性や深さの評価を明記していないが、ねじ込み式電池を使う目的であると指摘している。しかし、ナビクォーツのカタログ説明には "湿気に強い "と記載されている。
この記事で撮影した2つの時計は同じE 1200シリーズの1970年代頃のものだが、審美性という点でこれ以上の違う時計もないだろう。一方はケース上に装飾的なNaviquartz の文字が書かれたダイヤル(パテックのロゴは無い)をもつ、クラシカルな外観のモデルだ。もう一方は、分・時表示にアラビア数字を配した、よりスポーティで、ほとんどツールウォッチのようなブラックダイアルを採用している。この書体は、実際、パテックのアヴィエーションモデルのいくつかを彷彿とさせるものだ。アルミの外装の上にプリントされており、パテックのロゴが入っている。
E 1200シリーズのサイズは、幅169mm、長さ229mm、高さ80mm、重さ2.9kgだ。他のナビクォーツの時計と同様に、柔らかい赤の裏地付きの木箱に入っている。箱は小さな鍵で施錠することができ、閉めると、先に述べたカチカチという音が、ガラスを通してよりソフトに聞こえる。ケースから時計を取り出すと、底面にはキックスタンドが付いている。これにより、箱の外側と内側の両方で時計を支えることができる。
パテックがナビクォーツの販売戦略を航海用から屋内用へと拡大したとき、キャッチフレーズは“船上から室内へ(From Boat, to Office )”となった。私は部屋でしか見たことがないが、その雰囲気がステータスシンボルとしての効果を高めていると思う。当時のナビクォーツは、その音が場合によっては心地よい音であったり、そうでなかったりするかもしれないが、あらゆる部屋にとってこれ以上ない装飾品だったのではないだろうか。
では、なぜナビクォーツは価格が上がらないのか - インフレを考慮した通常の計算とは違う? それは私にもわからない。私が調べたところ、業界の人々の話からも、それがクォーツムーブメントだからという事実とはほとんど関係ないようだ。クォーツは、単独で、それが使用されていることがネガティブな意味合いをもつことはない。それが置時計であり、腕時計ほど市場が確立されていないということなのかもしれない。リアドン氏が言うように、「ナビクォーツには絶対に起こらないということではなく、単にまだ起こっていないだけなのです」
時には、金銭的な価値とは関係なく、あるものをあるがままの姿で評価したり、あるものに知的な興味をもったりしてもいいのではないだろうか。ナビクォーツはある意味では遺産であり、また、ある意味では時計学の歴史の中で最も技術的にエキサイティングな時代の集大成でもある。この時計から確かにそういったものが感じられる。そして、私はこの時計の音を聞くたびに、いつも良い思い出がよみがえるような気がするのだ。
この記事の執筆にあたり、Collectabilityのジョン・リアドン氏とHODINKEE のヴィンテージマネージャー、ブランドン・フラジンに特別な感謝の意を表す。
写真:カシア・ミルトン