ADVERTISEMENT
ご存知の通り、時計はどんな用途で使うにせよ、時刻合わせをする必要がある。もっと言えば、信頼できる標準時間に合わせて時刻合わせする必要がある。しかし、これは現代人がほとんど意識することはない。それは誰かが一手に引き受けているからだ。 引き受け手は、インターネットか、原子時計か、米国海軍天文台(USNO)のいずれかである。しかし、時計製造の歴史において、これらの外部リソースが利用できるようになったのは実に最近になってからだ。それまでは、他の手段を用いる必要があった。 私の時計に関する最も古い思い出のひとつは、時報局番に電話して時間を取得することだ。6、7歳のときは時計を所有していなかったが、 電話をかけ「○時○分をお知らせします」という優しい声とそれに続く短いビープ音を聞くのは魅力的だった。
時計製作の黎明期(16世紀の終わりから17世紀)において、時刻合わせは特にイライラさせられるような事柄ではなかった。初期の時計の多くはパワーリザーブが1日未満で、日差30分以内の誤差で作動すれば良しとされていた。厳密さが求められるのは、公衆用時計と日時計であった。後者は非常に安定している地球の回転に基づいているため、最も正確な時間を提供する。地球の自転は月からの潮力の影響でごくわずかに遅くなっているが、1世紀にわずか2.3mm秒増加している(少なくとも8世紀に天文学の記録が残存するようになって以降)。夜には、星の通過を観測することにより、非常に正確な時間を知ることができる。これは、特定の星が夜空の特定の座標を通過する時間を意味する。これも地球の軌道の安定性に依拠した尺度なので、非常に信頼できる時間標準とみなされた。例えば、古代エジプト人は、夜の時間を計測するために、メルケトと呼ばれる「知識の道具」を使って星の通過を観察した。言うまでもなく、彼らは時刻合わせのためにメルケトを使用していなかった(古代エジプトの技術が我々が考えるよりずっと洗練されていた場合を除く)が、天文学を最も正確な時間標準として使用する基本原理は、最近まで何千年も続いた。
16世紀または17世紀に時計を所有するような人々は幸運な身分であった。なぜなら、当時の懐中時計は富裕層のためのものであり、時計自体が金と宝石で覆われていても、ムーブメントはさらに価値があったのだ。そういう人々にとって時刻合わせをすることはそれほどの苦痛を伴うものではなかった。晴れてさえいれば日時計でも十分であったし、振り子時計の登場以降は陽光がなくとも、そちらに頼ればよかったからだ。
振り子時計は、記録によると、1656年にオランダの数学者で物理学者のクリスチャン・ホイヘンスによって発明され、翌年特許を取得した。彼の設計は時計職人のサロモン・コスターによって実際に組み立てられた。 1657年の英国人リチャード・タウンリーによるデッドビート・エスケープメント(脱進機)の発明に続き、1676年にグリニッジ天文台のためにトンピオンによって作られた2対の高精度レギュレーター搭載などの改良が施されたことによって、振り子時計こそ20世紀半ばのクォーツ時計が実用化され量産されるまでの最も正確な標準時計となった。
技術的観点から、時刻の正確性という決定的な課題は17世紀の終わりまでに振り子時計によって解決されたという事実(20世紀半ばまで継続的に改良されたものの、 基本的原理にほとんど変わりがない)を知った時の時計愛好家の反応は実に面白い。そして懐中時計や腕時計は振り子時計に追いつくために、さらに2世紀かかったのだ。
初期の大型の公共用の時計は、冠歯車脱進機(複雑な水時計で使用される脱進機を除く、初期の脱進機)が不安定だったこともあり、必ずしも小型の時計よりも優れたタイムキーパーではなかったが、徐々に、 最初期の塔時計は、冠歯車脱進機を振り子とアンカー脱進機に置き換えられた。 その後、ウェストミンスター塔の大時計(ビッグ・ベンとして知られている)で使用されているものなどは高精度なコンスタントフォース機構が使用されるようになった。 天文観測以外の日常生活を送る人々にも、鐘の音で時を知らせる(もちろん、視覚的には文字盤でも)公共時計は、自分の時計の正確な時刻合わせをしたい人にとって最も信頼できる標準時間を提供した。
最もユニークな公共時計のひとつはいわゆるタイムボールであり、多くのアメリカ人は大晦日の夜にニューヨークのタイムズスクエアでボールが落ちるのを眺めたことがあるだろう。文字通り、大きなボールの落下をシグナルとして使用することは、時間を視覚的に伝達するわかりやすい方法と言える。レイテンシー(遅延)がない点で、鐘の音よりも正確な時刻を伝える利点もある。タイムボールの起源は非常に古く、ギリシャ人はアレキサンダー大王の没後、ガザの街で公共時計として使用していたとされ、時計台から港の船に時刻を送信する目的で使用された。そのため陸地では、船員は出航前にマリンクロノメーターの時刻合わせが可能だった。最も有名なタイムボールのひとつは、グリニッジ天文台のオクタゴンルームの上にあり、1833年に設置された。それ以来、毎日午後1時がボールの落下によって知らされる(米国では、正午にボールを落下させることが慣習となっている)。
一連の動作は、停泊中の船に通知するために時報の5分前にタイムボールを持ち上げることで開始した。ボールが地面に達したときではなく、ボールが落下し始めた瞬間が時刻の変わり目であった。英イングランドのディールにあるディール・タイムボール(一例を挙げると)を含め、世界中でまだ数十のタイムボールが運用されている(ディールはナポレオン戦争中の軍艦の重要な停泊地であった)。実際、ディールタイムボールは、王立天文台からの電信信号によって遠隔操作された。多くの地域では、大砲を発射することで時間を知らせた。これらは場所によって異なる時間に設定されたが、正午が選ばれることが多い。南アフリカのケープタウンでは、1806年以来毎日正午にシグナル・ヒルから正午に大砲が発射されている。また、ブリティッシュコロンビア州バンクーバーでは毎晩発射される9:00の大砲が存在する。この大砲は砲口装填式で、1816年に鋳造され、ジョージ3世のと砲兵長官であった初代マルグレイブ伯爵の紋章が砲身に刻まれた、海軍史愛好家向けの12ポンド砲だ。
電信機の発明は、複数の場所で正確な時間信号をほぼ瞬時に受信することが可能な上、相互に補正し合うことを可能とした。このことは特に鉄道にとって不可欠であり、鉄道網の発展が標準時間の整備に拍車をかけたのだ。ある地域は従来とは別のタイムゾーンへの移行が発生したものの、時刻合わせに関する問題ははるかに容易となった。時計史を通して問題となったのは現地時間であった。簡単に言うと、元々正午は太陽が空の頂点に達したときを意味した。その後、平均時間の概念が徐々に台頭した。平均時間は、太陽日のように1日の長さが15分以上差が生じることはなく、年間を通して1日の長さは変化しない。現地平均時間と太陽時間の違いは、今ではよく知られる均時差に過ぎず、日時計で時計を設定するの考慮する必要がある。
電信、タイムボール、電信によって制御された公共時計や時報を知らせる鐘は、正確な標準時間をいつでも得られる時代の幕開けとなり、電信のおかげで、鉄道駅の時計は他の公共時計と同様に正確で信頼できる基準時間となったが、電話、ラジオ、若者の堕落を招くテレビなどの発明が複数組み合わされて、正確な標準時間がさらに広く利用可能となった。
無線ネットワークを介した時間信号の放送は、電信制御された時計台と時計の両方を陳腐化させ、ラジオ局は1922年のBBCを皮切りに、国民への啓発のために時報の放送を開始した。 1926年、ニューヨークのブローバ ウォッチ カンパニー社は、時報付きの最初のラジオ広告を放送した −「8時です、ブローバ ウォッチ タイム」、そして1941年7月1日、この種の初のテレビ広告が放送された。これもブローバによる広告だが、近年の過剰な広告とは異なり、簡潔にしてシンプルだ。− インターネットという世紀の発明によって、YouTubeで当時の広告を今でも体験することができる。
時刻合わせのための正確な標準時間はいつでもどこでも手に入れられるようになった。誰もが腕時計や時計を正確に設定できるインフラに関する私の最初の思い出は、単に時報局番に電話をかけることだった。 また、2016年、アトランティック誌のエイドリアン・ラフランスは、時報局番について素晴らしい思い出を綴った。その一部を紹介しよう:
「小さな子供が学ぶ最初の2つの電話番号は、911と自分の電話番号です」
「私が5歳の頃、911に電話することにしました。何が起こるのかを見るためだけに。何が起こるかは、私には見当もつきませんでした。交換手が応答すると、私はすぐに電話を切りました。すると、彼らはすぐに掛け直してきました」
「このことは、好奇心の強い子供を持つ多くの母親がそうであったように、すぐにお小言につながりました。それは、当時電話という不思議なものに気づいたときと同じ頃の出来事のはずです。911とは別に、トラブルに巻き込まれることなく、いつでも好きなだけ電話をかけることができる電話番号がありました」
電話番号は地域によって異なるが、一般的には落ち着いた口調で、「次の発信音で、時間は…」と心地よく言ってから、時間、それに続いて同様の抑揚のビープ音が鳴った。 ラフランスによると、驚くべきことに今だに時報局番から時間を知りたいと考える人がかなり存在するということだ。米国海軍天文台(USNO)の時報局番担当主任研究員であるデミトリオス・マトサキス氏は、これに関するインタビューの中で、年間300万件の電話を受けると答えている。 USNO時報局番を呼び出すと、1965年頃に建てられた司令室で録音された音声で時間を聞くことができる。その肉声は他でもない映画ビンゴ・ロング・トラベリング オール・スターズ&モーターキング(日本未公開)及びチカマグアの戦い(ナレーター)で知られるフレッド・コビントン氏(1928-1993)によるものだ。彼は1978年にUSNOの「時の声」となった。今や彼は時間を超越した永遠の領域−天国に召されたが、1-202-762-1401をダイヤルすることで、彼の声が今なお時間を暗唱するのを確かめることができる。
最初に電信、次に電話、ラジオ、テレビからの電子時刻信号により、タイムボール、大砲、時計台などが実用面での標準時間としては廃止された。 時刻合わせのために必要なわけではなく、文化的および歴史的な名残で今日存在しているのだ。 20世紀中の機械式時計技術の絶え間ない向上により、すでにかなり減少していた正確な標準時間の必要性は、1か月あたり1分以内にまで精度が追い込まれた初の音叉時計技術(アキュトロンおよび音叉ムーブメントの数々)および 1969年に登場したクォーツ時計によってさらにその必要性が減り、いつでもどこでも正確な時刻が得られるようになった。
それでも、クォーツ式または機械式の腕時計の所有者は、時折時刻合わせする必要があり、多くの人が信頼できる標準時に対する機械式時計の精度をチェックすることに、ある種の愉悦を感じていることだろう。
現代では携帯電話に表示される時間は十分に正確であり、これには相応の根拠がある。インターネットが機能するためには、モバイルデバイスとコンピューターの内部クロックをネットワーク全体で正確に同期する必要があるからだ。 ネットワーク タイム プロトコル(NTP)は、同一ネットワーク上の各デバイスをUTCの数ミリ秒以内に同期するように設計されている。UTCは、世界標準時であり、世界中の50超の国立研究所内の400個以上の原子時計によって刻まれる時間の平均である国際原子時によって規格化されている (現代の多くの電子時計は、GPSまたは電波信号から時刻を取得できるが、これらも原子時によって制御されており、夏時間への、または夏時間からの移行を除いて時刻合わせ設定する必要はない)。 HODINKEEアプリは、iPhoneの内部クロックで生成された時間を使用する。当初、HODINKEEとWatchvilleの両方のアプリはNTPを介してインターネットタイムサーバーと直接同期していたが、iOS 9のリリースにより、開発者はNTPとiPhoneの時計のずれが大幅に減少したことに気付き、もはやNTPから時刻情報を同期する必要がなくなったと判断した経緯がある。
時刻合わせという行為は、哲学的にも心理的にも深遠なものだ。時計をできる限り正確にしようと、時報やその他の標準時間に合わせて調整を試みるものの、同時に、それにも限界があると諦観していることだろう。しかし、時計自体はますます正確になり続けている。これは、時計製造技術が停滞していることを懸念している人々にとっては、驚きに値する。オメガ、ロレックス、グランドセイコー、シチズンなどの企業は、より正確な時計を作るために膨大な時間と労力とを注ぎ続けている。実際、シチズンは2019年の初めに、500年以上の時計製造の歴史上、これまでに作られた中で最も正確で最も精緻な腕時計を発表した。
時計製造技術が向上するにつれ、原子時計の正確な標準時を参照することは、実務上の必要性からではなく、自分の所有する時計や歩度が正確と評価される時計の精度を観察し、楽しむための嗜好的要素から成り立っている。そして、我々が何世紀にもわたって描いてきた夢、すなわち一度時刻合わせをすれば、そのままでいいと言う夢が現実になろうとしていることを実感するのだ。
話題の記事
Breaking News パテック フィリップ Ref.5711 ノーチラスがチャリティのための1点ものとして復活
日本の時計収集を支えた機械式時計ブームと、市場を牽引した時計ディーラーたち
Four + One カントリー歌手の時計コレクションが描く音楽キャリアの軌跡