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Business News ダニエル・ロート ラ・ファブリック・デュ・タンの協力のもと、2023年に再始動

早くに知名度を高めた独立時計師の名が、非常に限られた生産体制のもとで2023年に復活を果たす。

2000年からブルガリの傘下となったダニエル・ロート。この度、ルイ・ヴィトンとラ・ファブリック・デュ・タン(La Fabrique du Temps)が協力し、ミッシェル・ナバス(Michel Navas)氏やエンリコ・バルバシーニ(Enrico Barbasini)氏をはじめとした、一流の時計職人たちが参画する独立ブランドとして活動を再開することを発表した。復活後のダニエル・ロートは、2023年後半に早くもファーストコレクションとなる腕時計を発表する予定だという。

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 新たな独立体制により、ダニエル・ロートは時計師であるダニエル・ロート氏による自社ブランドの初期作品で用いていた、“機械的な創意工夫と現代の古典主義を取り入れる”ことに力を注いでいくとのこと。今後は非常に限られた本数(年産100本ほど)の時計をつくり、2023年後半には20本のみのサブスクリプションシリーズで時計を発売する予定だ。

 ミッシェル・ナバス氏とエンリコ・バルバシーニ氏は、ラ・ファブリック・デュ・タンの創業者であると同時にトップクラスの時計職人だ。2011年にルイ・ヴィトンが買収したこの工房は専門的にいえば、過去10年以上にわたって最高の時計づくりが行われてきた工房である。ルイ・ヴィトンがラ・ファブリック・デュ・タンを独占し、タンブール カルペ・ディエムのようなクレイジーな製品を作り始める以前は、ローラン・フェリエやジェイコブなどがクライアントだった。さらにナバス氏とバルバシーニ氏は、オーデマ ピゲとパテック フィリップで働いていた経験があるだけでなく、そのほかにも多くの実績を残している(最近の身近なところでは、ナバス氏はフランク ミュラー独自の複雑機構、“クレイジーアワーズ”の製作を任されていた)。そして現在、彼らはダニエル・ロートをハイエンドなマニュファクチュールとして復活させるための創作とその遂行を、細かく管理することになった。昨年はInside The Manufactureという企画で、編集部がラ・ファブリック・デュ・タンを取材している

 時計職人の家系に生まれたダニエル・ロート氏は、ジョージ・ダニエルズ氏、F.P.ジュルヌ氏、フィリップ・デュフォー氏、フランク・ミュラー氏、そしてロジェ・デュブイ氏らと並ぶ、現代における最初の偉大な独立時計師のひとりである。オーデマ ピゲで経験を積んだあと、ブレゲはブランド再興のために、1980年代にロート氏を起用。そして1988年、ロート氏はスイスのル・サンティエで自身の会社を設立する。独立時計師として彼は数多くの傑作を生みだしたが、そのほとんどは彼の特徴である、エリプソカーベックスシェイプのケースを持っていた。最初に発表した作品はトゥールビヨンのコレクションだったが、その後すぐにほかの複雑機構を開発し、なかにはフィリップ・デュフォー氏と共同で、瞬転式のジャンピング機構を備えた永久カレンダーを製作したこともある。

carpe diem Louis Vuitton

タンブール カルペ・ディエム

 1988年から1995年まで、ロート氏はスイス最高峰の独立時計師として、時計を製造していた。しかし自分ひとりだけではブランドをさらに発展させることができずに苦悩しており、1995年にロート氏は外部からの投資話を受け入れて、会社の経営権を売却した。売却後、生産本数は増加したものの、ロート氏は2000年にブルガリに売却されるまで携わり続けた。そし2011年、LVMHがブルガリを買収し、ブランドは今もダニエル・ロートというブランドを所有している。現在、ロート氏はジャン・ダニエル・ニコラ(Jean Daniel Nicolas)という名前で活動し、年間で2、3本のみ時計を生産している。

watchmaker Daniel Roth

2021年時点のダニエル・ロート氏。Image: Courtesy of the FHH Journal

 ロート氏が1988年から1994年のあいだに製造した初期の複雑時計は、特に独立時計師の作品や、いわゆる“ネオヴィンテージ”と呼ばれる時代の時計に興味を持つコレクターのあいだで、ここ数年人気を博している。ロート氏が手がけた最初のふたつの時計、トゥールビヨン リファレンス C187と、クロノグラフ リファレンス C147は、この時代の柱となっている。ダニエル・ロートは7年間で、2500〜3000本ほど製造したと言われており、年間500本程度生産していたことになる。今回のプレスリリースでは、ロート氏がロンドンにあるリテイラー、アスプレイ(Asprey)のために製作したオリジナルのトゥールビヨンについて触れられており(初期のC187の画像とともにご覧いただきたい)、復活を果たしたダニエル・ロート氏最初の時計が何であるかをほのめかしているようにも感じる。

Daniel roth c147 chronograph

クロノグラフ リファレンス C147。Image: Courtesy of Sean Song

 復活を果たしたダニエル・ロートでは、当時のロート氏の原点でありモットーの“La Montre Object d'Art(芸術品のような時計)”をもう一度取り戻して、ダニエルズ氏、ヴティライネン氏、ジュルヌ氏といったほかの独立時計師と肩を並べたいと願っている。

 ダニエル・ロートのオリジナル作品への関心が高まっているいま、LVMHがその名を復活させるべくトライするのは理にかなっていると思う。一方ナバス氏、バルバシーニ氏によるラ・ファブリック・デュ・タンの時計製造の実力も否定できない。とはいえこのような職人技の多くは、明らかにパッケージや美学が独創的であり、万人向けではない(前述の“カルペ・ディエム”参照)。ロート氏によるダブルエリプソケースも好みの分かれるところだが、これまでラ・ファブリック・デュ・タンが発表してきた数多くの作品と比べれば、より伝統的なものだ。この世代で最も偉大な時計職人のDNAを受け継いだクラシカルなスタイルの時計に、この工房の時計づくりの一端を見ることができることに、とても興奮している。

 昨年末、ダニエル・ロート復活の噂を初めて耳にしたとき、ローガン(Logan)はダニエル・ロート氏が、何らかの形でダニエル・ロート(ブランド)に復帰する可能性も否定できないとも言っていた。私としては30年近く離れていた自分の名前を冠したブランドと再会する時計職人の姿を、ぜひ見てみたいところだ。

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ブルガリとルイ・ヴィトンはLVMHグループの一員です。LVMH Luxury VenturesはHODINKEEの少数株主ですが、編集上の独立性は完全に保たれています。