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Auctions フィリップスに出品される文豪ラルフ・エリソンのオメガ スピードマスターは誰の手に?

これでエリソンは、時計界でも注目される存在になるのだろうか。


予言者が尊敬されるのは、自分の国や郷里以外だということわざがある。小説家のラルフ・エリソン(Ralph Ellison)も名声がないとは言えないが、例えばポール・ニューマン(Paul Newman)のように、時計と関係が深いセレブレティのようなお茶の間まで浸透した知名度には遠く及ばない。1913年、オクラホマ州オクラホマシティに生まれたエリソンは1994年にニューヨークで逝去したが(享年81歳)、生涯で発表した小説はわずか1作であった。

1952年に出版された『見えない人間』のオリジナル表紙。画像:Wikipediaより

 『見えない人間(原題:Invisible Man)』は、20世紀のアメリカの小説のなかで最も尊敬されている作品のひとつである。この作品は分析を必要とするが、あらすじは捉え難い。ジャズ、T・S・エリオットの『荒地』、ヘミングウェイなど、あらゆるものに影響を受けたこの作品は名も無き語り手、つまりタイトルにもなっている『見えない人間』による一人称の物語だ。この本はアメリカにおける黒人の生活が社会全体から“見えない”存在とみなされていることを描いている。あたかも現世から分岐して併存する別世界の黒人の経験とアメリカ社会で重なるのが、暴力や抑圧、排除のみであるかのように。しかしエリソンが追求したのは、より広い意味で実存的な問いである。すなわち社会における権力の不均衡が、どれほど自身にアイデンティティや存在に対する疑念を抱かせるのかという問いだ。

 エリソンは、自身が遺した大量のメモや草稿を小説として上梓することなく、死後発表された『ジューンティーンス(奴隷解放記念日)』を除き、二度と小説を発表することはなかった。しかし『見えない人間』はエリソンの名声を確固たるものにするのに十分な作品であり、1952年に発表されて以来、読者に研究・分析・議論、そして称賛され、また小説家を志す人々に刺激を与え、同時にひるませてきた。

 エリソンは、音楽(タスキーギ大学に入学したのはオーケストラがトランペット奏者を必要としていたからである)、写真(ハッセルブラッドのオーナーであった)、趣味で作ったりいじったりした高級ステレオ機器など、多種多様な趣味を持っていた。これらが彼の創作活動の肥やしになっていたのか、それとも気を紛らわせていただけなのかは文学評論家(あるいは精神分析医)に任せるとして、彼が少し意外な時計を所有していたことが判明した。オメガのスピードマスター プロフェッショナル Ref. 145.012-67 SPだ。彼が製造年と同じ1968年に“入手”したこの時計をフィリップス社が2021年12月のオークションに出品することになったのだ。

 私が“入手した”とやや曖昧な表現に止めたのは、この時計の所有歴は確かなものの、エリソンが自分で買ったのか、それとも贈られたのか判然としないためだ。当時のスピードマスターはセンスのある人がスーツに合わせるような時計ではなかった。テーラードスーツにハイキングブーツを合わせるなど、ジャンニ・アニェッリ(訳注:トリノ出身のイタリアの実業家。イタリアの自動車会社フィアットの元名誉会長でファッションアイコンとしても有名)のハイ&ローの組み合わせは後世になってからのスタイルである。エリソンのような趣味の持ち主は薄い金無垢の、おそらくシンプルな時計を選ぶだろうと思っていたが、そうではなかった。実際、数え切れないほどの写真が証明しているように、彼は生涯にわたってスピードマスターを身につけていたのだ。

ラルフ・エリスンとファニー・マコンネル(Fanny McConnell)。

エリソンのスピードマスターは、巡り巡ってフィリップスの手にわたった。委託者であるロサンゼルスのテッド・ウォルビー(Ted Walbye)氏が、ゲイリー・シュタインガート(Gary Shteyngart)氏にウォール・ストリート・ジャーナルの紙面で語ったところによると、この時計はエリソンの死後、ロングアイランドで開催された、住宅を一般公開して故人の遺品を売るエステートセールで、エリソンと妻のファニーの遺品を合わせて6000ドル(約70万円)以下で売られたなかの一品だということだ。この時計がエリソンのものであることを示す手がかりは、クロノグラフの上部プッシャーがなくなっていたことだった。エリソンがこの時計を身に着けた数多くの写真を見ると、上部のプッシャー(スタート/ストップ用ボタン)が失われているのがわかる。実際、少なくとも1973年にエリソンがこの時計を身につけている写真では、すでにプッシャーが取れてしまっている。

 エリソンは、他の点では完璧主義者だったので、やや奇妙な事実に思えるかもしれない。『ジューンティーンス』は、歴史上最もひどい文学的先延ばしの例のひとつだと言われることがあるが、私はむしろ「完璧主義は目標の敵」の好例だと見ている。いずれにしても、エリソンがテクニカルなスティール製の大型クロノグラフを所有して身につけていたことが奇妙だとすれば、クロノグラフとしても使えない時計を所有していたことは、もっと奇妙なことに感じられる。

1975年の保険査定で、スピードマスターの評価額を185ドルと算定したことが示されている。

 しかし、パズルの最後のピースは、ウォルビー氏が時計ジャーナリストのマイケル・クレリーゾ(Michael Clerizo)氏の助けを借りて、アメリカ議会図書館のラルフ・エリソンのアーカイブにある時計のシリアルナンバーが記載された保険書類を発見したことだった。ウォルビー氏はムーブメントをオーバーホールし、製造当時と同じ上部プッシャーを取り付けた以外は、この時計をオリジナルの状態のまま保っている。私がフィリップスのゲイリー氏と一緒に見たときには完璧な状態だった。なお、風防とパッキンも交換されているが、取り外されたオリジナルの風防も付属する。

 さて、重要なのはここからだ。20世紀アメリカ文学を代表する作家の一人であるラルフ・エリソンが所有していた時計でありながら、エスティメートはわずか1万〜2万ドル(約115万~230万円)である。フィリップス社でゲイリー氏と一緒にこの時計を見たとき、過去100年間のアメリカ文学界で最も偉大な巨人が所有していた時計を実際に目にし、手にしたこと対する興奮が部屋中に満ちていた。エリソンの名前がついていれば、もっと高い値がつくのではないかと思うかもしれないが、少なくとも今のところ、私がこれまでに見てきたオークションに出品された時計のなかで、最も重要な文学的出自を持つスピードマスターが格安で落札される可能性は残されているようだ。

 この時計は、2021年12月11、12日(アメリカ東部時間;日本では12月12、13日)に開催される2021 フィリップス・ニューヨーク・ウォッチ・オークションにてロット番号138として出品され、エリソンのスピードマスターの命運は、2日目のハンマーに委ねられる。この落札により、『見えない人間』の作者が時計コレクターの間でより注目されることになるのは間違いないだろう。