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小山 毅氏の人生は、いつも強烈なエンスージアズムによって決定づけられてきた。大学では機械工学を学びつつ、服好きが高じてビームスでアルバイト。卒業後はフォグランプなどを設計するメーカーにエンジニアとして就職するも、同僚や先輩たちがバブル時代を引きずったソフトスーツばかり着ていることに憂いを感じ、今度は社員としてビームスへ再入門志す。入社面接で決め手になったのは、アルバイト時代の店長から小山氏にまつわるひとつのエピソードが報告されていたことだ。
「当時(90年代中頃)はナポリ製の服が日本で話題になりはじめたころで、僕もすっかり魅了されていました。スーツはキートンやアットリーニ、シャツはルイジボレッリなどが好きでしたね。ある日、ボレッリの黒無地を他店で目にして“いいな”と思ったのですが、ビームスでは仕入れてくれなかった。そこで、自分で作ってみたんです。その話をバイト時代の店長が本社へ報告してくれていて、社員面接のときに“君がボレッリ風シャツを作っちゃった人か!”と話が弾んだという次第です」
めでたく入社が叶い、小山氏もますますナポリした。当時(90年代中ごろ)はナポリ製のスーツが日本で話題になりはじめたころで、小山氏もその道へ傾倒。そんななかで出合ったナポリブランドのアントニオ パニコに、人生観を揺るがされるほどの衝撃を受けたという。
「初めて見るナポリのビスポークは次元が違いました」と振り返る小山氏だが、そこで得た所感は彼への天啓だったのかもしれない。「驚嘆すると同時に、“こんな服を作ってみたい”という衝動が湧き上がってきたのです。圧倒的なアルチザンシップに感動するあまり、ただ着るだけでは満足できないと無意識に悟ったのかもしれません。そんなわけで、最初はただの趣味として、ハンドメイドのスーツを作りはじめたんです」。
完全に独学だったが、エンジニア出身で立体構造に強い素養と、溢れんばかりの愛情ゆえだろうか、ほどなく自分用のスーツを形にすることができた。勤務中にそれを着用していたところ、ビームスの先輩から「どこのサルトリアで仕立てたんだ?」と訊ねられたという。それだけ完成度が高かったということだ。とはいえ、自らサルトになろうという算段など全くなかったという。しかし、この趣味が思わぬ形で役に立った。
「パニコをはじめ、当時ビームスではいくつかのサルトリアを招聘(しょうへい)してトランクショーを始めていました。ところが、これがなかなかの難事業だったのです。我々はお客様のご要望を聞いて、本国のフィッターに色々と注文をつけるわけですが、“それはできないね”などと拒絶されることがしばしばあったのです。でも、僕が自分でスーツを作っているということがわかると、彼らもこちらの声に耳を貸してくれました。一応“技術者”の仲間として認めてくれたということなのでしょう。なので、気難しいサルトは小山の担当という立ち位置がいつしかできあがっていました」
小山氏に次の転機が訪れたのは2004年。敬愛するパニコが日本の直営店を開くことになり、そのショップマネージャーに誘われたのだ。いちもにもなくそのオファーに応じ、パニコの薫陶にどっぷりと浸ることになる。同店は惜しくも撤退してしまったが、その後ルビナッチの日本直営店、タイ ユア タイとクラシコの名店を渡り歩く。その際、同僚だったスーツ職人に「君、それだけの技術があってなぜテーラーにならないんだ」と背中を押されたのが、サルトリア ヤマッチを開くきっかけになった。今でも「スーツを仕立てるのが楽しくて仕方ない」という。“好き”の一念をここまで貫ける彼は間違いなく幸せ者だ。
さて、ここで小山氏の時計遍歴についても触れておこう。エンジニアになるほどのメカ好きは小学生時代から片鱗を表していたようで、最初に買ったのはセイコーのデジボーグだった。四角形の液晶画面に、メカニカルなデジタル画面が表示されるものだ。その後、高校生のときに赤いラバーストラップが装着されたホイヤーのフォーミュラ1を購入。機械式の本格時計にも当然惹かれていき、就職してまもなくロレックス サブマリーナーを手にすることになる。前置きが長くなったが、ここから彼の4本について紹介していこう。
小山 毅氏の4本の時計
ロレックス サブマリーナー Ref.16610 1990年代
1990年代以降、ナポリ仕立て一本槍を貫いてきた小山氏だが、時計の好みも昔からまったくブレがない。「ミリタリーダイバーズが私にとっての大定番。回転ベゼルをはじめとする機能美に惹かれ続けています。このRef.16610は社会人の初ボーナスで購入しました。当時ファッション好きのあいだではヴィンテージウォッチがブームだったのですが、私はファーストウォッチこそ新品を手に入れたかった。今、改めて考えれば、もともとエンジニアになるような機械好きですから“最新が最高”という哲学に触れたかったのではないかと思います。いや、ただ天邪鬼だっただけですかね(笑)。サブマリーナーを選んだのは、ジェームズ・ボンドへの憧れからです。ビームスに入社してからは、先輩から『いますぐそれを売って、エクスプローラーのティファニーWネームに交換しろ』なんて言われましたが、愛着があって手放しませんでした。夜光にトリチウムが使われている最後の世代なので、購入から30年ほどが経ってほんの少しだけクリーム色に焼けてきました。これからもずっと愛用していきたいですね」
ロレックス サブマリーナー エクスプローラーダイヤル Ref.6200 1950年代
小山氏が2本目に入手した機械式時計もサブマリーナーだった。ビームス勤務時に先輩から譲ってもらったものだが、これがのちにロレックスファンの聖杯と称えられることになろうとは露ほども予期しなかったという。3・6・9表示のエクスプローラーダイヤルを備えた特別なデザインのサブマリーナーは生産量が極端に少なく、コレクターを訪ね歩いても所有者に出会うことは滅多にない。「よく見るとダイヤルには0.5秒単位で目盛りが入っているのですが、どうやらこの仕様はRef.6200のなかでもレアだとか。そもそもの流通量が少ないので真偽は不明ですけれどね。コンディションも良好な状態をキープしていて、ミラーダイヤルは今でも黒々としています。希少性を抜きにしても大変魅力的な一本で、ケースが小さいわりに厚みがあり、独特の存在感があるところに惹かれますね」
キング・オブ・サブマリーナーと称されるRef.6200には謎に包まれた部分も多い。小山氏も偶然手にした聖杯の神秘を探究すべくリサーチを続けてきたが、それでも未解明の部分は少なくないそうだ。「最も大きなミステリーは、1953年に発表された初代サブマリーナー Ref.6204より後に発売されたモデルにもかかわらず、リファレンスナンバーが若いことです。ちなみにRef.6200の製造期間は1954〜55年などと言われていますが、この個体はシリアルナンバーから1958年製ということが判明しています。巷ではRef.6204の前から企画自体は進んでいて、発売に至るまでに時間がかかってしまったことが理由ともされており、僕もこの説を支持します。個人的に付け加えるならば、Ref.6200はもともと軍向けに企画されたプロトタイプだったのではないかということ。3・6・9のダイヤルは同時期に製作されたオメガのシーマスターなど、当時の軍用時計にしばしば見られる仕様で、それゆえエクスプローラーダイヤルのサブマリーナーという珍奇なモデルが生まれたのでは……Ref.6200の防水性は200mとも言われていますが、そんなハイスペックを採用したのも軍向けであったことが理由なのかも。エビデンスのない憶測に過ぎませんけどね」
パネライ ルミノール ベース Ref.PAM00002 1990年代後期
ボンドへの憧れからサブマリーナーを手にしつつ、ミリタリーダイバーズを象徴する一本としてパネライのルミノールにも思いを募らせていたという小山氏。「軍用時計をコレクションした本に掲載されていたのを見てひと目惚れしたんです。とはいえ当時はヴィンテージでしか入手する方法がなく、津田沼にあるミリタリーショップで実物を目にしたことがあるのですが、サビだらけの状態で購入には至りませんでした。ただ、あれを今持っていたらすごい値打ちものになっていかも……後の祭りですね。ショップで実物を目にしても状態が気になって購入には至りませんでした。それだけに、1997年にブランドがリシュモングループへ参加し、日本でも新品が買えるようになったというニュースを聞いたときは飛び上がりました。当時はカルティエのブティックで取り扱っていたので、店頭へ走りましたね。ただ、ここでひとつ問題が。僕はブラウンのレザーストラップが装着されたRef.PAM00002が欲しかったのですが、目当てのストラップはスモールセコンド付きのRef.PAM00001にしか採用されていませんでした。ストラップ単品を購入できないかと訊ねたのですが取り付く島もなかったので、悩んだ挙句Ref.PAM00002とRef.PAM00001を2本買いすることにしたんです。ちょっと普通ではないですかね。薄型小径が主流の昨今ですが、僕は今でも軍用由来の厚みのある時計に魅力を感じます。ちなみに当時のストラップですが、ウェットスーツの上から巻く設計が踏襲されていたため、一番短い穴にバックルを通してもブカブカの状態。お店で穴を追加してほしいと頼んだのですが、楕円形の特殊な穴なので無理と言われてしまい、仕方なく自分で穴を追加した記憶があります。その後、ビームスでもパネライを取り扱うことが決まり、所有者だったこともあってパネライ担当を仰せつかりました。そんなエピソードもあって、デカ厚ブームが過ぎた今も特別な愛着を感じる一本です」
ユニバーサル・ジュネーブ トリコンパックス 1940〜50年代
上記のとおりミリタリーダイバーズを愛好する小山氏にとって、こちらは異色の一本だという。「ボンドに倣って普段のスーツスタイルにはダイバーズを合わせていましたが、冠婚葬祭など改まった場所ではそうもいかないと思ってコレクションに加えました。せっかくならば全く個性の違うものをと思って、ドリプルカレンダー・ムーンフェイズ・クロノグラフを搭載した複雑機構を狙うことにしたんです。ユニバーサル・ジュネーブというブランドを選んだのは特に深い理由もなく、当時(2003年ごろ)の勤務先であるビームスで販売していたヴィンテージラインナップのなかでデザインが気に入ったものを手に取ったという次第です」と小山氏は話すが、奇しくも同社は2026年の再始動に向けて目下、熱を帯びているブランド。氏には名機を本能的に見分ける特別な能力があるのかもしれない。
もうひとつ
アントニオ・パニコ氏のサインが入った、ブレザーの金ボタンセット
サルトリア ヤマッチの裁断台にはすぐ横に壁があり、そこには小山氏とパニコ氏のツーショット写真が針で留められている。ふたりの特別な絆を感じさせる一枚だ。+Oneとして小山氏が選んだのも、心の師パニコにまつわる思い出の品だった。「パニコの日本直営店は『サルトリア サロット』という名前だったのですが、そのオープン記念時にノベルティとして製作したメタルボタンセットです。パニコの紋章である王冠をあしらったものですが、日本で企画製作したものなのでナポリでは手に入りません。僕もこの1セットしか所有していないので、もったいなくて使えないですね。蓋の内側にはパニコさんのサインがあります」
自らの“好き”を突き詰め、サルトという天職を得た小山氏。振り返ればその原点はパニコであり、運命的な出会いを生んだビームスである。それは氏の時計観においてもしかりだ。
「スーツにダイバーズという合わせはボンドに由来する嗜好ですが、実はビームスの先輩方にも影響を受けているんです。僕がファッションの世界に入った1990年代、“ハズシの時計”という感覚は一般的ではありませんでした。でもビームスでは当時から、スーツにG-SHOCKを合わせるようなカルチャーがあったんですね。スーツにスポーツロレックスを合わせるのも、実はイタリアで結構昔から定番だったり、日本でも石原裕次郎が実践していたりしたのですが、それをスタイルとして発見し、世に広めたのはビームスの功績ではないかと思います。ミリタリーダイバーズもテーラリングも、僕がもともと好きだったものなのですが、両者を結びつけてくれたのがビームスだったともいえます。スーツにサブマリーナーという合わせは僕にとってひとつの“文化”になってしまっていて、もはやハズシではなく当たり前の状態。なので、正統派ドレスウォッチには心が動かないんです」
Photographs by Keita Takahashi Words by Hiromitsu Kosone
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