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Historical Perspectives フレデリック・ダグラスにとっての美、そして最初の時計

現在メトロポリタン美術館に展示されているこのアイルランド製の懐中時計が、1894年当時、彼にとっていかなる意味を持っていたのか。ダグラスは、その思いをこう記している。

しばしば“由緒ある時計”が話題にあがるとき、会話の中心はその潜在的な価値に置かれることが多い。オークションでは、ポール・ニューマンのポール・ニューマン デイトナや、近年ではアル・カポネのパテック フィリップといった希少な逸品が出品され、我々はどうしても“その時計とストーリーが合わさることで、いったいどれほどの価値になるのか”と考えてしまう。しかし、その時計がかつての持ち主、つまり我々が敬意や興味を抱いて見つめる人物にとって、どれほどの意味を持っていたのかについてはめったに思いを馳せることがない。現在の市場における価値が気になるのは当然であり、その人物が生前にその時計に込めた価値を完全に理解することなど不可能に近いからだ。この物語は、ひとりの非凡な人物が1本の時計に託した特別な思いを描いたものである。

 友人からの助言とメトロポリタン美術館への訪問、そして自身の調査を通じて、私はフレデリック・ダグラス(Frederick Douglass、奴隷制廃止論を唱えた活動家)が初めて手にした時計の物語と、それが彼にとってどれほど大きな意味を持っていたかを、彼自身の言葉で明らかにした。

Frederick Douglass's first watch
Frederick Douglass's first watch
Frederick Douglass's first watch

 時計そのものは、一見しただけでは見過ごされてしまうかもしれない。ダイヤルに署名はなく、シルバーのケースに収められ、ゴールドのチェーンが付属している。フレデリック・ダグラスがこの時計を手に入れたのは1846年、奴隷から逃れた8年後、アイルランドのベルファストにて40ドルで購入したものだった。現在、この時計はフルアンサンブル(ひとそろいの衣服一式)とともに展示されている。メルトンウールのテールコート、英国製のトップハット、そしてサングラス、いずれもダグラスの所有物だ。これらはメトロポリタン美術館の展覧会、Superfine: Tailoring Black Style(華麗なるブラック・スタイル)の一部として公開されている。本展は今年のメットガラでも称賛を集めたもので、キュレーションを務めたのはモニカ・L・ミラー(Monica L. Miller)氏、企画を手がけたのはアンドリュー・ボルトン(Andrew Bolton)氏である。展覧会では、精緻かつ意志をもって身を装うというブラック・ダンディズムの系譜がたどられている。

 ダグラスはかつて奴隷とされたアフリカ系アメリカ人であり、19世紀を代表する最も影響力のある奴隷制度廃止論者、作家、そして演説家のひとりである。メリーランド州からの逃亡後、彼は自伝や演説を通じて国際的な注目を集め、奴隷制度および人種的不正義に対する闘いの先頭に立った。自由の身となった彼は、自らの公的イメージを意図的に洗練させ、格式と威厳を備えた姿を作り上げた人物でもある。さらに彼は、19世紀のアメリカでもっとも多く写真に撮られた人物として知られている。写真を自己表現の手段として用いたダグラスは、決して笑顔を見せなかった。そこには当時横行していたミンストレル・ショー(白人俳優が顔を黒く塗るといった差別的な演芸形式)的な戯画化への対抗意識があり、真剣な表情こそが彼の政治的使命の重みを伝えると信じていたからである。

A Portrait of Frederick Douglass

1877年頃に撮影されたフレデリック・ダグラス。Image courtesy of Brady-Handy photograph collection, Library of Congress, Prints and Photographs Division

 自由、教育、公民権のために闘い続けたフレデリック・ダグラスは、アメリカ国内外において、ブラック・セルフディターミネーション(黒人による自己決定)と尊厳の象徴となった。現在広く知られるポートレートの多くには、ダグラスの懐中時計のチェーンがはっきりと写り込んでいる。時計という存在は、より広い意味でダグラスの人生において一定の役割を果たしていたようだ。彼はもうひとつ別の懐中時計を、奴隷制度廃止運動家のジョン・ブラウン(John Brown)に贈ったとされている。1859年、ブラウンがハーパーズ・フェリー襲撃の罪で処刑された際、彼はウォルサム製の懐中時計を身につけていた。

 博物館で時計を見ることももちろん意義はあるが、それ以上に重要なのが、このあとに紹介するエッセイである。これはフレデリック・ダグラス自身によって書かれ、1894年に発表されたものだ。当時、グロバー・クリーブランド(Grover Cleveland)やトーマス・エジソン(Thomas Edison)といった著名人たちの個人的なエピソードとともに、“私の最初の時計の物語(The Story of my First Watch)”と題されたパンフレットに収められ、ニューヨーク・スタンダード・ウォッチ・カンパニーによって配布された。その文脈を踏まえれば、これは我々が近年出合ったなかでも、ひときわ心を揺さぶられる時計のストーリーである。だからこそ、時計が象徴しうる意味を力強く伝えるこの文章を全文掲載することにした。スペックや価格を超えて、こうした物に託された個人的な思いこそがHODINKEEに立ち返る理由なのだ。

A pamphlet from 1894, "My First Watch"

Image courtesy of Pocket Watch Database

才能を鎖で縛ることのできなかった奴隷より
By Frederick Douglass

若いころの私にとって、時計を持つことはほとんどあり得ないことだった。自分自身すら所有しておらず、時計を持てる日が来るという望みも抱きにくかった。それでも、奴隷として過ごした希望の持てない日々のなかで、いつか遠い未来に、本物のイギリス製“ブルズアイ”(65年前の船乗りや船長が、ズボンのポケットから重いチェーンとシールとともに下げていたような時計)を手にすることがあるかもしれないと、ひそかに思い描いていた。当時、もし男が時計を持っていれば、それを隠しておくことはなかった。富と品位の象徴だったからだ。金の時計はきわめて貴重な宝物であり、私が初めて目にしたその種の時計には強く心を奪われた。それは単なる時を告げる道具ではなく、オルゴールとしても機能し、心地よい音楽を奏でていた。この金色に輝く美しい品を見つめ、音に耳を傾け手に取ることは、心を満たし、言葉を失うほどの喜びであった。どんな時計であれ、自分のものにできたのは、奴隷から逃れてずっと後のことだった。そしてその頃には、もし少年時代に持っていたら感じていたであろう熱狂も、すでに過ぎ去っていた。成人してからというもの、自分の持ち物のなかでこれほど役に立ったものはほかにない。私の歩んできた人生は、常に時間の正確さに支えられてきた。この50年、約束の時間に遅れた記憶は1度たりともない。6年前にヨーロッパへ渡り、旅をエジプトまで延ばした。11カ月にわたる不在のあいだ、1度も時計の針に触れず、止めることもなかった。ニューヨークに帰港したとき、その時計はアメリカの時刻とぴたりと合っていた。