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Historical Perspectives ハミルトン エレクトリック 世界初の電池式腕時計で輝くアメリカンウォッチ

ハミルトンの電池式腕時計、エレクトリック500は熾烈な米国製腕時計市場競争のなか勝者に輝いた。

本稿は2016年7月に執筆された本国版の翻訳です。

第2次世界大戦直後、米国製腕時計の市場競争は熾烈となった。エルジン、ブローバ、ハミルトンなどのメーカーは、消費者にアピールできる技術的に高度な腕時計の開発競争を繰り広げた。最も熾烈な競争のひとつは、従来のゼンマイ式ではなく電池式の腕時計を開発することだった。今回紹介するのは、その勝者であるハミルトン エレクトリック500だ。ハミルトンは電池式腕時計を消費者向けに開発した最初の企業だが、多大なコストを費やしつつ、最終的に勝者となった。

 電気式時計が登場したのはかなり昔であり、1814年にフランシス・ロナルズ(Francis Ronalds)卿が最初のモデルを発明した(ブレゲがトゥールビヨンの特許を取得したのがそのわずか13年前であることを考えると、これはかなり驚くべきことだ)。ただし、電池式腕時計をつくる上で克服しなければならない課題がふたつ存在した。ひとつ目は腕時計に対応できる電流を使用した発振器システムの開発。ふたつ目は時計ケースに収納できる小型電池の開発だ。当然ながら、このふたつの課題は密接に関連している。どのようなシステムを使用するにしても、小型電池を消耗させないだけの高い効率性が必要だったのだ。ハミルトンのエンジニアたちは、アーサー・フィリンガー(Arthur Filllinger)がハミルトン初の電気式ムーブメントを開発した1947年に、これらの課題に取り組み始めた。ただし1951年に初の実用モデルを作り上げたのはフレッド・ケーラー(Fred Koehler)で、最終的にはこれがモデル500ムーブメントの開発ベースとなった。このムーブメントの功績は、当時のハミルトンの主任物理学者だったジョン・ヴァン ホーン(John Van Horn)、そのチームメンバーの物理学者フィリップ・ビーミラー(Phillip Biemiller)、そして熟練技師のジェームズ・H・リース(James H. Reese)によるものだという声が多い。

 モデル500ムーブメントには、ハミルトンとナショナル・カーボン・カンパニー(後にユニオン・カーバイド社と改名)が共同開発した電池が使用された。ナショナル・カーボン・カンパニーは、40社を超えるほかの電池メーカーがハミルトンの申し出を断ったあとで、ハミルトンとの提携に合意した。この電池は液漏れせず、非常に安定した電圧を提供できるように設計されていた。ハミルトンでは、コスト削減と単一サプライヤー依存からの脱却に向け、電池の自社製造というアイデアも一時検討されたが、大規模製造により電池価格が手ごろになったため、同社は電池事業への参入を断念した。

 モデル500ムーブメントにはゼンマイが存在しない。大型のテンプ(機械の運動率を規制する車輪)の動きによって、歯車と針を動かす力を得ており、テンプの振動で歯車を連動させているのだ。モデル500は、いわゆる“ムービングコイル”式の電気時計だ。テンプの片側はバランススクリューが付いた一般的な外観だが、その反対側には大型のワイヤーコイルが取り付けられており、このコイルが電磁石になっている。テンプ下にあるプレートには、円盤状の永久磁石がふたつ取り付けられている。テンプが揺れるとコイルがふたつの磁石の隙間に入り込み、テンプ下をとおる非常に細い2本の線バネの1本が、テンプのハブの接点を介してコイルに短い電流を流すのだ。

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 コイル内で発生した誘導磁場は、永久磁石の磁場と相互作用しながらテンプを揺らし続ける。ヒゲゼンマイは非磁性の合金で出来ているが、ハミルトンのエンジニアたちは磁場の漏れを最小限に抑えるためにかなりの工夫を強いられた。彼らはプラチナとコバルト製のバッテリー用に独自の配合を開発しなければならなかったのだ(ゼネラル・エレクトリック社の先行特許を侵害しないようにする工夫が必要だった)。細長い2本の線バネの2本目は、実際は“遮断用”だ。テンプのハブにある石によって電流が遮断され、電流が流れるバネ間の電気接触を切断する。これによりコイル内の磁場が遮断され、テンプは弧を描きながら自由に揺れることができるという仕組みだ。

 残念ながら、ハミルトンはこの時計の生産を急いでしまった。1957年1月3日にサボイ・プラザ・ホテルで開かれた発表記者会見には120人以上のジャーナリストが集まった。当初純金製だったこの時計の価格は175ドルだった。“この時計は477年の時計製造の歴史における初の基本的な改良だ”と誇らしげに説明する広告もつくられた(ピーター・ヘンラインが時計を“発明”したとされる1480年を、時計の歴史が始まった日とする説もあるが、この説はすでに否定されている)。ハミルトンのエレクトリックムーブメントは、リチャード・アービブ(Richard Arbib)設計のベンチュラやペイサーなど、数多くの時計に採用された。

ハミルトンの電動ペイサー。

 しかし、初代モデルの動作にはムラがあった。さらに時計職人や宝石商は正しい修理手順を理解できていなかったため、この時計の販売をためらうことが多かった。ハミルトンはあらゆる修理を実行する際は時計を工場に返送することを推奨したが、これが問題をさらに悪化させた。エレクトリックを実際に使用する上で生じた深刻な問題のひとつは、テンプハブの接触点が腐食しやすく、ごくわずかな腐食でも時計が止まってしまうということだった。

 1960年にブローバが電池式の音叉時計であるアキュトロンを発表したことは、ハミルトン エレクトリックに決定的な打撃を与えた。ハミルトンとは異なり、ブローバは最初からサービススタッフを徹底的に訓練して製品サポートを行った。しかしハミルトン エレクトリックと同様、アキュトロンも結局は行き詰まることとなった。1969年にセイコーがクオーツアストロンを発表し、そこから歴史上で初めて、本当にどこでも正確な時間が得られる時代が幕を開けた。最終的にハミルトン エレクトリック(1969年に生産終了)は失敗作となったが、この非常に独創的なエンジニアリングの産物には、今でもコレクターや時計職人のあいだにファンが存在している。

この記事で使用したハミルトン エレクトリックのムーブメントに関する情報と写真を提供してくれたアーロン・バーロウ(Aaron Berlow)氏に感謝の意を表する(Instagramでambwatchesをフォローして欲しい)。

この記事の情報の多くは、ルネ・ロンドー(René Rondeau)著「The Watch Of The Future: The Story Of the Hamilton Electric Watch(未来の時計:ハミルトン エレクトリック・ウォッチの物語)」から引用しています。ハミルトン エレクトリックのコレクターや愛好家の基本参考書として、本書を強く推奨します。