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独立時計製造の継承: AHCIの5人の候補者たちに会う

AHCI候補者たちのアトリエでは、若い時計師たちが表現を見いだし、技術を磨き、ウォッチメイキングの新章を形作っている。

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1985年にヴィンセント・カラブレーゼ(Vincent Calabrese)氏とスヴェン・アンデルセン(Svend Andersen)氏によって創設されたAHCI(独立時計師アカデミー)は、独立時計製造を最も純粋な形で支援している。現在そのメンバーは36名となり、その精神、すなわち使命は独立時計製造の芸術を永続させることにある。AHCIは今年で16カ国から36名のウォッチおよびクロックメーカー、5名の候補者、そして18名の元メンバーを数える。そしてそれぞれが時計製造の芸術に対する異なる意見と個人的な解釈を持っている。AHCIは、ビッグブランドのアトリエのような安定を求める時計師のための育成機関として構想されたわけではなく、増大する産業化のなかで職人的な時計製造技術を保護・促進するために構想された。

 長年にわたり、AHCIは時計職人界の偉大な才能を数多く育んでおり、そのメンバーリストにはカリ・ヴティライネン(Kari Voutilainen)氏やフィリップ・デュフォー(Philippe Dufour)氏といった巨匠のほか、フェリックス・バウムガルトナー(Felix Baumgartner)氏や、日本の浅岡 肇氏といったアヴァンギャルドな未来派も含まれている。AHCIは創造性と協働の持続的な文化を育むことを目指しており、今日でも世代を超えて実力を証明する場であり、橋渡しとしての役割も果たし続けている。特に現代において重要な意味を持つ。時計界の巨匠たちの多くがすでに全盛期を過ぎているためだ。そこで登場したのがAHCI候補者制度である。

 1990年代に、時計師が正式メンバーとして受け入れられる前に候補者となるためのプロセスが確立された。実際、ロベール・グルーベル(Robert Greubel)氏とステファン・フォルセイ(Stephen Forsey)氏、そして最初の女性候補者であるエヴァ・ロイベ(Eva Leube)氏など、いくつかの有名な時計師は候補者の地位を超えることはなかった。今日、候補者はイタリア人のマルコ・グアリーノ(Marco Guarino)氏からオランダ人のミヒール・ハルスマン(Machiel Hulsman)氏まで欧州全域に広がり、そして2019年から独自の時計製作を開始したポーランド出身のマチェイ・ミスニク(Maciej Misnik)氏を含む3名が新たに加わった。独立の精神のもと、すべての候補者はそれぞれ異なる時計観を持っている。私はすべての候補者に、何が独立の道を歩むきっかけとなったのか、最新作はどんなものか、そして何が彼らを駆り立てるのかについていくつかの質問をした。また、AHCIがこの小規模な職人的なビジネスに大いに必要な後継者育成という重要な側面を持ち、彼らと将来の候補者をどのように支援しているかについても話した。


マルコ・グアリーノ(Marco Guarino)

 イタリア出身で2024年からAHCI候補者として活動するマルコ・グアリーノ(Marco Guarino)氏は、生涯にわたる天文学への情熱を育んできたが、そこから自然と天文時計へ傾倒していった。トリノの時計学校を卒業後、彼は自らのアトリエを開設し、均時差から恒星時、永久カレンダー、そして月の均時差まで、天体のリズムを記録するタイムピースを制作している。「私は若いころから時計に情熱を持っていました」とグアリーノ氏は言う。「私の家族の誰も時計に携わったり収集したりしたことがなかったので、それは異例の情熱と言えるでしょう」

Marco Guarino watch

 多くの卒業生が修理や修復に進む一方で、彼は異なる道を選んだ。「イタリアでは、ほかの時計師と交流する方法がありませんでした」と彼は説明する。「1990年代になってようやく、インターネットを通じて私たちはより多くの情報を共有できるようになりました。そこで初めて、これまで知られていなかった道が開かれたのです」。彼は自らの資金を投じて、最初の工房の構築を始めた。「私はまず、工具用旋盤や大型のベンチフライス盤を含む最初の工作機械を購入しました」と彼は言う。「私は依頼をもとに天文時計の設計・製作を請け負い、そのあと少量生産で追加の時計を製作しました。私は均時差時計、永久カレンダー、そしてシンプルな輪列によるムーンフェイズを製作してきましたが、それは月周期あたりわずか0.03秒の誤差に抑える伝達比を達成しています」

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 現在グアリーノ氏は独自のムーブメントを開発しており、最近、月の均時差を持つ時計を完成させたばかりだ。「プロジェクトの目的は平均時と月の天文時の差を示すこと。太陽の均時差のようなものです」と彼は説明する。グアリーノ氏にとって、AHCIはインスピレーションとコミュニティの両方を提供する。「アカデミーは素晴らしい取り組みであり、改善、成長、学習への刺激となります」と彼は言う。「カラブレーゼ氏とアンデルセン氏のアイデアは時計製造史の一部となり、候補者となれたことは私にとって大変な名誉です」

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ミヒール・ハルスマン(Machiel Hulsman)

 オランダ出身で2022年からAHCI候補者となったミヒール・ハルスマン(Machiel Hulsman)氏は、ヨハネス・カリニッヒ(Johannes Kallinich)氏と同様に、すでに自身のビジネスを軌道に乗せている。彼は銀行業と保険コンサルティングのキャリアで成功したあと、大きな転機を経て、長年にわたる機械工学とウォッチメイキングへの情熱を再燃させた。彼のデビュー作“マリー・エリーズ(Marie-Elise)”は完成に5年半を要したが、主ゼンマイとヒゲゼンマイを外部から調達した以外、ルビーを含むすべてが完全に自社製だ。

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 再び時計製造に没頭するなか、彼は“自社製”という用語の、いわば“開かれた解釈”に気づいた。「私は誤解を招くようなマーケティングの考え方に耐えることができなかったのです」と彼は言う。「だから私はすべて自分で作ることを決意しました。歯車、ネジ、ルビー、脱進機といったすべてをゼロからです。これによって、私が望む種類のコンプリケーションやレイアウトを自由に設計する余地も生まれました」。しかし、オランダで真の独立性を築くことは課題をもたらした。「スイスに住んでいないこと、適切な人脈・情報・工具、そして素材を持っていないことが、極めて大きな障壁となったのです。何年もかかり、挫折と忍耐の連続でしたが、最終的にはすべてが報われました」

 彼は現在、いくつかの複雑なプロジェクトに取り組んでいる。それには息をのむような3軸トゥールビヨンと24時間アラーム、12mmの回転する地球儀、3Dムーン、ジャンピングアワー、12時位置で一時停止する分表示、そしてパワーリザーブインジケーターが組み合わされている。「これと並行して、私はイージー パーペチュアル(Easy Perpetual)プロジェクトに取り組んでいます。これはプッシャーやコレクターがない世界でもっとも簡単に設定できる永久カレンダーで、デイトをクイックセットするだけですべてが常に同期し続けます」

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 彼にとって、AHCIは仕組みと協力の両方を提供する。「時計製造の世界には依然として多くの秘密主義があります」と彼は言う。「これが、独立時計師になることをさらに難しくしています。特にスイス以外の国に住む人々にとってはまさにそうで、アカデミーがその助けとなっています。時計職人同士で知識を共有しながら、時計製造の職人的な側面に集中し続けられることが私の望みです」と彼は付け加える。「この情熱こそが、すべてを駆り立てる原動力なのです」

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ヨハネス・カリニッヒ(Johannes Kallinich)

 ドイツ時計製造の中心地であるグラスヒュッテを拠点とするブランド、カリニッヒ・クライス(Kallinich Claeys)は今年のドバイウォッチウィークに出展するなど、AHCI候補者のなかで最もビジネスに長けたブランドのひとつだ。私は、同ブランドがドバイでの出展準備をするなか、AHCI候補者でありブランド共同創設者のヨハネス・カリニッヒ(Johannes Kallinich)氏に彼の独立へのビジョンについて話を聞いた。彼は、伝統的なウォッチメイキングにおける技術と、先見的な精神を融合させることで急速に注目を集めている。

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 彼は2025年初頭にAHCI候補者となったが、ドイツにおけるパテック フィリップとも言うべきA.ランゲ&ゾーネでのキャリアを経て、グラスヒュッテに留まっている。「私は2010年から2013年の3年間、見習い期間を過ごしました」と彼は振り返る。「そのあと、A.ランゲ&ゾーネで比較的シンプルな時計に携わり始め、のちにアウトサイズデイトとパワーリザーブインジケーターを持つランゲ 1のような、より複雑なピースに携わりました」

 ランゲで、彼は伝統的なドイツのウォッチメイキングにおける妥協のない精度と高度な技術を学んだ。「それは私に精度と細心の注意を払うことの重要性を教えてくれました」と彼は言うが、「私は自分自身にさらなる挑戦を与える必要性を感じ、マスターウォッチメーカー(C.W.M)の資格取得を目指しました」。多くの学生はETA 6498のムーブメントに自作の部品を組み込み微調整する程度だが、彼はそれ以上に踏み込んだ。「私は自分自身の時計を制作したいと思い、ETA 6498を単なるスタート地点として使用し、最終的にすべてを置き換えました。新しいメインプレート、ブリッジ、ネジ、実際にすべてを作ったのです」

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 彼の完璧主義は、マスターウォッチメーカー(C.W.M)の資格を取得後、彼を再びランゲへと導いた。今度はクロノグラフ部門で、そこで彼のコンプリケーションへの情熱が確固たるものとなった。「しかしある時、ランゲは仕事をするうえで素晴らしい場所であるものの、それを超えたいと思ったのです」

 同じランゲ時代の同僚だったベルギーの時計師、ティボー・クライス(Thibault Claeys)氏と共に、彼はカリニッヒ・クライスを創設した。「私たちの最新のプロジェクトは、最初のモデル(Einser、ドイツ語で“最初”を意味する)の改良版のようなものです」と彼は言う。「それは同じキャリバーの美しいムーブメントを使用していますが、ダイヤルを再設計しました。依然として私たちの創業の精神は受け継いでいます。目標は、ダイヤルから針、そしてすべての仕上げのディテールに至るまで、さらに多くの手仕事を披露することです」

 AHCIが将来の独立時計師を育成するうえで果たす役割について、彼の考えは明確だ。「私はAHCIがきわめて重要な役割を果たしていると信じています。その役割とは独立時計師たちをつなぎ、彼らの創造物の背後にあるクラフトマンシップを支援するプラットフォームであるということです。AHCIは、真の手仕事への敬意に基づいたコミュニティという基盤を提供するでしょう」

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ダン・ピムプラチャン(Dann Phimphrachanh)

 デビュー作“セコンド・ヴィーヴ(Seconde Vive)”で、ダン・ピムプラチャン(Dann Phimphrachanh)氏は本格的なコレクターやWatches by SJXのような権威あるメディアの注目を集めた。彼は今年、新しいAHCI候補者のひとりとなった。ポルトガルの時計師であるピムプラチャン氏は、わずか1000ユーロ(日本円で約18万円)強の資金と、自身の技術への信念だけを携えてスイスにやって来た。彼はパルミジャーニ、グルーベル・フォルセイ、ダニエル・ロート、そしてジャガー・ルクルトで11年以上の経験を積み、2012年にコンセプト時計師としての資格を得るために3年間の夜間コースを修了した。

Dann Phimphrachanh watch

 何が彼を独立の道に進ませたのかと尋ねると、彼の答えは個人的な動機を明らかにする。「見習い時代に初めてウォッチメイキングに触れて以来、その魅力は増すばかりでした」と彼は言う。「この職人の伝統は深く心に刻まれました。私たちの祖先と同様に時計づくりに生きたすべての偉大な時計師たちと同じように、私は常にクリエイターとしての自分自身を思い描いてきました」。その詩的な精神は彼のデビュー作「セコンド・ヴィーヴ(Seconde Vive)にも貫かれており、彼にとってはすべてを自力で行うことが最も重要だ。「独立は何年もの研鑽と洗練のあとの究極の目標であり、遅かれ早かれ、その道を歩むことは明白でした」

 デビュー作としてセコンド・ヴィーヴ(Seconde Vive)は強いアイデンティティを持ち、彼の将来に期待を抱かせる。「セコンド・ヴィーヴ(Seconde Vive)は、同業者たちに自分の技術力を示したいという願望の結果でした。彼らの目において、ある程度の正当性を得ることが重要だったからです」と彼は説明する。「同時に、私は一般の人々、誰でも理解できる目に見えるメカニズムを共有したいとも考えていました。私は小規模であっても、職人的なウォッチメイキングにある種の継続性を保ちたいのです」と彼は言い、信念を込めて付け加えた。「何よりも、定義されたり商業的に有利な枠組みに合わせることよりも、私たちのもっとも深い信念に従って生きることが重要だと信じています」

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 AHCIが職人の独立性の未来をどのように確保するのかを尋ねると、彼は一度考えてから答えた。「私の見解では、AHCIは情熱的な職人の集団です」と彼は言う。「業界が強い成長に駆り立てられているのに対し、職人は自身の技術と創作に専念します。このウォッチメイキングへのアプローチは、何よりも創造的なひらめきを持つ者を鼓舞する精神状態なのです」

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マチェイ・ミスニク(Maciej Misnik)

 ポーランド出身のマチェイ・ミスニク(Maciej Misnik)氏は異色の経歴を持つ。主に懐中時計を手がけており、2022年にF.P.ジュルヌ主催のヤング・タレント・コンペティションで受賞している。独学で技術を習得した彼の、権威あるコンペティションへのエントリーは、トゥールビヨンとデテント式脱進機を持つマリーンデザインの懐中時計だった。珍しいことに、彼はグダニスク工科大学の技術物理学部で技術物理学を専攻し(2014年に学士、2021年に博士号を取得)、11年以上にわたって同大学と関わり、ウォッチメイキングとはかけ離れた分野に関する数多くの科学研究プロジェクトを実施していた。「私のウォッチメイキングの旅は、最初に鳩時計を分解したことから始まりました」と彼は語る。「真面目な話をすると、その情熱は私が物心がついたころからずっと続いているものです。2019年に7年間の勤務を経て電気通信技術研究所での職を辞任(物理学者であり、ちょうど10年間、高真空技術分野に携わっていた)したことで私の科学者としてのキャリアは終わり、その後、自分自身の小さな時計工房を開設したのです」

 その年の夏休み期間中、彼はきわめてシンプルなストップウォッチ機構を持つ自身の最初の腕時計をデザインした。しかしパンデミックを含むさまざまな事情により、彼のビジネスはあまり収益を生まなかった。「実際、私の事業は収益性が低く、損失を生んでいました」。しかし彼は博士論文を完成させたあとも、余暇を利用して作業を続け、トゥールビヨン懐中時計に取り組んでいた。「私は2月末にその時計を完成させ、4月にそれで(F.P. ジュルヌ主催のコンペティションで)権威ある賞を受賞しました。そのとき、私はこれが自分の生きる道になる可能性があると考えたのです。実際そうなりましたが、基本的にすべては偶然の積み重ねです」

Maciej Misnik watch

 彼は現在、顧客のためのトゥールビヨン腕時計の仕上げを含むいくつかのプロジェクトに取り組んでおり、いくつかのクロックを製作している。しかし、彼はその労力を感じさせない気さくな口調で私に語る。「少なくともひとつは、2026年4月にジュネーブで展示できればと考えています」と彼は言い、彼の仕事が若い志のある世代に与える影響について思いを巡らせた。「私の仕事がほかの人々にどのような影響を与えるか? それは時が経てばわかるでしょう。私は年に1度、夏季インターンシップの学生を受け入れていたので、時計師になるために勉強している学生たちのあいだには、ある種のファンベースがあるのかもしれませんね」と彼は笑顔で言う。

 彼はまた、AHCIが業界の後継者問題で果たす重要な役割を見ている。「アカデミーは独立時計職人たちが集う場所となっている。それだけでも大きな意義があります」と彼は言う。「アカデミーという組織は、その名前に反して教育機関ではありませんが、展示やイベントでの議論を通じて、職人的な工芸における伝統的な価値を推進しています。これは価値のある取り組みであると信じています。AHCIは成長を続け、毎年新しい候補者やメンバーを受け入れるなど前進していることを考えると、伝統的な時計製造の精神が失われることはないでしょう」

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