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Culture Of Time パルミジャーニ・フルリエの高級時計づくりを支える父娘

父の日を前に、ミシェル・パルミジャーニ氏とアン-ローレ・パルミジャーニ氏に、一緒に仕事をすることについて伺ってみた。

地球の裏側で、パルミジャーニ家が呼んでいる。ミシェル・パルミジャーニ氏とアン-ローレ・パルミジャーニ氏が親子であることを知らなくても、すぐにわかるだろうと言われていた。確かに、フルリエにあるブランドの本社からビデオチャットで登場した2人は、同じアゴ、同じ鼻に穏やかな表情をしていた。彼らは父の日を前にして、巨大なコングロマリットが支配する時計業界で、小さな独立企業(フルリエ本社では53人の従業員が働いている)を経営することがどのようなことなのかを教えてくれた。

 アン-ローレ氏(41歳)がまだ10歳くらいの少女だった頃、実家には一日中カチカチと一秒ごとに音を鳴らしながら時を刻むクロックが置いてあった。彼女はこの時計に魅了され、何時間も座って見つめていたという。家の隣には父親の時計工房(1996年にパルミジャーニ・フルリエを設立する以前、彼は修復を専門としていた)があり、彼女はそこで多くの時間を過ごしていた。私はフランス語があまり得意ではないが、2人がお互いに話し始めると、明らかに家族の雰囲気に浸っているようで、お互いに足りない部分を補い合い昔を懐かしんでいた。

 彼らの話によると、アン-ローレ氏は時計製造に触れることで、絵を描いたりデザインしたり、いじったりすることが好きになっていったそうだ。お絵かきがきっかけで美術学校に入学し、そこで次に大好きなもの―エングレービングに出会った。

 アン-ローレ氏が語るように、彼女が学校に通っていた当時、女性が彫金を学ぶことは珍しかった。フランス語で彫刻を意味する言葉には、女性を表す言葉がないほどだ。しかし、彼女はそれにもめげなかった。彼女はその技術を習得し、時計学校に通うことにしたのだ。ミシェル氏によると、アン-ローレ氏は自分で時計の世界を見つけ、自分で選択する必要があったという。彼女がすべてを与えられたものだとは思われたくなかったのは明らかだ。最終的には、デザインとエングレービングのスキルを兼ね備えた彼女にとって、大好きな時計の仕事は理想的なものとなった。

 ブランドの創始者であるミシェル氏は、アン-ローレ氏が自分のルーツに戻ってきたことを喜んだが、彼女は現在のデザインとプロジェクト管理の責任者としての職務に就いただけではない。この仕事は、彼女にとってもうひとつの教育であり、父親が教授を務める第二の修士号とも言えるだろう。アン-ローレ氏は、父から時計産業に関する多くの技術や考え方を学んだと語っている。今、彼女はさまざまな仕事をしている。プライベートブランドのプロジェクトや特別な時計製造のリクエストにも対応したり、物流、購買、品質管理、そしてオートオルロジュリーのワークショップチームのワークフローを管理している。現在、彼女はパルミジャーニ・25周年記念ユニークピース(Parmigiani 25th Anniversary Piece Unique)のプロジェクト管理を行っている。

 しかし、教育は一方向に流れるだけではない。では、ミシェル氏は娘アン-ローレ氏から何を学んだのか? 彼女がすかさず口火を切り、父の代わりに「忍耐」と答え、2人は笑い合った。ミシェル氏によると彼女は、基本的な整理整頓のスキルも教えてくれたという。彼は、会社の日常業務やブランドの秘密などの情報を頭の中に閉じ込めておくタイプだが、家業を存続させるためにそれは理想的とはいえなかった。そこで彼は、彼女を通じて、そうした情報を書き留め、彼女に伝えるためのプロトコルを作成することを学んだ。

 特に特別なプロジェクトでは、お互いに協力し合うことが多いのだという。「一緒に仕事をすることで相乗効果が得られます」とアン-ローレ氏は話す。「私たちはお互いにバランスをとって、とても調和のとれた関係を築いていると思います」。また、自分が悩んだときには、父親という味方がいるのだと付け加えた。

 なかでも、2人にとって特別なプロジェクトがある。エメラルドグリーンと半透明のピンクのエナメルに、ピンク、ブルー、イエローのサファイアをあしらった、非常に豪華なフィボナッチと呼ばれるユニークな懐中時計だ。このモデルは、2010年にアン-ローレ氏が担当した最初の大きなプロジェクトで、仕事に対する熱意、テクニック、クラフツマンシップなど、時計に関するあらゆる技術が詰め込まれている。ミニッツリピーター、永久カレンダー、ムーンフェイズ表示、スイレンの装飾、手彫りのブリッジなど、時計の内部も外部も複雑な構造だ。

 アン-ローレ氏の時計製造への愛情は、限界を押し広げ、工芸品として、そして芸術としての高級時計の可能性を実現することから生まれた。一方、父ミシェル氏は、この業界のルーツである修復作業に情熱を注いでいる。彼は古い時計を見て研究し、その製作に使われた古い技術に注目する。同氏は、時計製造における歴史的な知識がかなり失われていると考えており、教育、そして過去を振り返ることが非常に重要だと考えているのだ。

 独立した企業として運営することで、自分たちの情熱を貫くことができるのだそう。「創造する自由があるのです」とミシェルは言う。「完全に独立していれば、自分のやりたいことを自由にできます。難しいのは、自分たちの時計が誰のためのものなのかを忘れてしまわないようにすること。私たちが常に目指しているのは、ディテールが重要であり、品質が保証されるアートウォッチを作ることです。間違いを犯す権利は、大規模グループの一員である場合よりもそれほど重要ではありません。なぜなら、私たちのような小さなブランドにとって、その結果は重大なものになるからです」

 彼らはビジネスをしているが、父娘の関係のユニークさは2人とも忘れておらず、一緒に過ごす機会をともに喜んでいる。ミシェル氏は現在70歳。アン-ローレ氏をブランドの将来を担う人材と考え、絶大な信頼を寄せているのだ。

 アン-ローレ氏は、父と一緒に仕事をすることでとても充実した日々を送っており、ブランドの魂と心を受け継いでいきたいと語った。そのとき、ミシェルが「彼女は私を喜ばせるために言ったのではないと思います」と言い、また笑いが起きた。この家族経営のビジネスでは、レガシーを構築しそれを未来に向かって押し進めていくことが重要なのだ。