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Hands-On 父の卒業記念時計

今でも与え続けてくれる贈り物。

子供の頃、僕は父を必要以上に厳しい人だと思っていた。30代になり、自身も子供をもつようになって、10代の頃には見えなかったことが見えるようになった。僕は6人兄弟という大家族の中で育ったため、父と母の頭の中はいろいろなことでいっぱいだったのだろう。両親が優先したのは、時計やクルマ、高級料理といった贅沢品ではなく、ミルクチョコレートを無限に欲しがる成長期の家族を養うことだったのだ。もっとも、ミルク問題の大部分は僕が占めていたのだが。

 僕の父、ブレンドンは、年を重ねて日に日に感傷的になっているが、過去につながる経験や物を楽しんでいるようだ。その中にはある時計も含まれている。僕がHODINKEEへつながる世界に飛び込んで間もない2013年、父は実家のキッチンにあるキャビネットの小さな引き出しを開け、古い時計を取り出した。

シルバーを基調としたこの時計は、周囲の環境に合わせて色が変化する。この写真を撮影している間、僕は子供時代の裏庭の深い青と緑を思い出していた。

 幅36mm、グリュエン社製のこの時計は、今まで見たことはなかったが、明らかに優しく扱う必要があった。僕はまだヴィンテージウォッチに特別な趣味や見解をもっていなかったが、その時計はあまりにも小さく、ダメージと経年変化があったのを憶えている。ひび割れた風防を通してシルバートーンのダイヤルが光り、竪琴のようなシェイプのラグにはストラップもブレスレットもなく、裸の状態だった。

 自動巻きのムーブメントを搭載していたが、リューズと巻き真がなく、日付も針もずれていて、1日から次の日への移行を忘れてしまったかのように固まっていた。ベゼルには美しい装飾が施され、“12”の数字は大きく表示されていた。このシンプルなグリュエンは、僕がヴィンテージウォッチに興味をもつきっかけとなった。

 1974年にグレンドン・カレッジを卒業した時に両親から贈られたものだと、父はその時計を手にしながら話してくれた。僕の祖父であるアーニー・ステイシーは、1967年から1982年までオンタリオ州オシャワ市の消防署長を務めていた。彼もまた息子と同様に、自身の大家族を養う以外にほとんど贅沢というものをしなかった。

父は気のいい男で、ポケットショットにも応じてくれた。

 僕の父が大学を卒業した時、当時はまだ家族の中でたった2人しか大学に行かなかったこともあって、祖父母は誇らしげに式に出席した。そしてこのシルバーダイヤルのグリュエン プレシジョンを父に贈ったのだ。父はこの時計を2年ほど頻繁に身に着け、その後よくある話だが、時計は壊れてしまった。左利きの父によると、何かに引っかかってブレスレットが壊れ、時計が落下してしまったのだという。父は修理に出すつもりだったが、結局35年以上も静かに保管されることとなった。

 僕は数枚の写真を撮り、アーチャー・ウォッチのアル・ジェンスキーという人物にメールを送り、父のグリュエンを着用可能な状態に修復することに興味がないか尋ねた。アルとは、トロントで初めて出席したTIMEZONEの集まりで知り合ったが、彼は放置されていた時計を修復したい人々の間では伝説的な存在だった。だから卒業記念のグリュエンの修復を彼が引き受けてくれた時は嬉しかった。

 約250ドルと6カ月を費やし、グリュエンが戻ってきた。その時も、そして今でも、グリュエンは順調に動き、外見もシャープだ。僕は父のために、時代に合った素敵なエクスパンションブレスレットを用意した。それ以来、この時計は父のドレスウォッチとして、さりげない装いが必要なイベントや、昔の思い出に浸りたいときに使われている。

父の卒業記念時計が、70年代当時の輝きを取り戻した。

 手首に装着してみると、ケース、ダイヤル、ブレスレットなど全てスティールであるにもかかわらず、全く重く感じない。このグリュエン プレシジョンは自動巻きで、25石のグリュエン社製711CAムーブメントを搭載している。このムーブメントは手巻きも可能だが、ハック機能はない。この年代の時計としてはありがたいことに日付はクイックセットが可能で、白地に黒の日付ホイールを使用していて、とても見やすい。

 アプライドマーカーが高級感を醸し出しているが、僕がこの時計で最も気に入っているのは、プレシジョンの槍のような先端をもつ時針と分針で、どちらも今は光らないクリーム色の夜光が少し付いている。バトン針やスティック針を採用している類似モデルと比較すると、この針のおかげでよりドレッシーな雰囲気が醸し出されているのが分かる。

復元されているが、グリュエンのヴィンテージの良さを裏切るものではない。

 僕ならレザーストラップを選んだかもしれないが、父にはエクスパンションブレスレットが似合う。祖父もまた、そのタイプのブレスレットを好んで使っていた。ちょうどこの物語の最初の原稿を書き上げる数時間前に、その1つを受け取った(その話はまた後日)。この中古のベラヴァンスブレスレットと組み合わせたグリュエンは驚くほど快適だ。ほとんど重さを感じさせないところを見ると、二人とも多分それを分かっていたのだ。

 父が引き出しから古いグリュエンを取り出した日のことを振り返ると、僕に直接語りかけることで彼が過去から何かを取り戻したのだと思われてならない。父は、母や家族、信仰、お気に入りの自転車、絶妙なジョークなど多くのものが大好きだが、時計を愛しているとは思えない。いろいろな意味で、時計を大好きな僕のことを彼は愛してくれていると言った方が正確だろう。彼がグリュエンを出してくれたのは、それが意味するものが僕にとって意味のあるものになると知っていたからなのだ。偉大な母親や父親がしばしばそうするように、父もそれを僕と共有したかったのだ。

左利きの父は、右手首にグリュエンのプレシジョンを巻いている。

 このグリュエンは、一見したところ特別な時計には見えない。しかし、かつてこの時計が父と彼の両親を結びつけたように、その後、予期せずして僕にも同じことを起こしてくれた。そして、この時計によって、僕は父と時計を愛することを共有した。この小さなグリュエンは、僕の時計に対する見方を変え、感傷やノスタルジー、そして時と共に発展していく親子の絆についての考えを教えてくれたのだ。

 今、僕は30代になって随分経ち、必要以上に厳しくしてしまうことがある。このグリュエンは、父と、そして祖父と僕が共有する特徴を表しているようだ。それゆえに、僕にとっては単なる時計としての存在以上に大切なものとなっている。