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本稿は2017年2月に執筆された本国版の翻訳です。
1年ほど前、父は私に、代々我々の家系に受け継がれてきたにもかかわらず、私がその存在を知らなかった時計をサプライズでプレゼントしてくれた。確かに、私が時計に強い興味を持っていることを考えると(私の職業は言うまでもないが)、この時計のことを知るのにこんなに時間がかかったのは少し変だと思うかもしれない。しかし、幼いころにそれを受け継いだ父は、それを共有するタイミングを見計らっていたのだろうし、そしてそれをプレゼントしてくれてとてもうれしく思っている。言うまでもなく多くの人にとっては貴重な時計ではないかもしれないが、私にとっては大切なのだ。
美しいゴールドの時計が収められた、赤い革張りの箱を見つけたのは、今の妻との婚約の知らせがきっかけだった。私はすぐにそれが、まだ動くかどうか確かめたくなった。リューズを数回まわすと、秒針は律儀にダイヤルを回り始めた。文字盤はすでにつくり直されており、真っ白な文字盤にはサインがなく、時計の起源を示す明白な痕跡は残っていなかった。誰がつくった時計なんだろう? その最初の出会いのあと、夜の祝宴が始まっていたために、時計をそのままにしておくことにした。
昨年9月、結婚式の数日前に、裏蓋の下に何が隠されているのか知りたくて再び手に取った。ナイフとルーペを使って時計を開いてみると、クルム(KULM)と書かれた17石のムーブメントが現れた。私は現実に引き戻された。ムーブメントメーカーのサインを探していると、“A”と“S”の文字が刻まれた小さな盾を見つけた。少し調べてみると、これはスイスで最も生産力のあったムーブメントメーカーのひとつ、ア・シルト社(A.Schild S.A)が1939年に採用したロゴであることが判明した。
同社はクルムのような安価な3針時計に搭載されるムーブメントの大部分を製造しており、ア・シルト社は1979年にETAと合併することになる。しかし1940年から1979年のあいだに、ア・シルト社は何百ものさまざまな企業にムーブメントを供給していた。そのなかで最も名高いのがジャガー・ルクルトだろう。祖父の時計は明らかにそのような時計ではなかったが、ムーブメントの系譜を見れば、長いあいだそのままにされていたにもかかわらず、なぜこれほどうまく機能していたのかがわかった。
クルムに関しては、情報を入手するのが少し難しかった。同社はエボーシュサプライヤーのおかげで登場し、クォーツ技術が利用可能になったときに消えた、非常に多くの手頃な時計メーカーのひとつだ。しかし1926年2月6日付けのスイス時計連盟のジャーナルに、本社をビエンヌに置くという小さな記事を見つけた。記事によると、会社は実際にはGuanillon & Cieとして登録されていたが、時計はKULM Watch Companyの名で取引されていた。さらにこのモデルは、そのホールマークから、フランス市場向けに販売されたものと思われる。
もっとおもしろい結果を期待していなかったと言えば嘘になる。それでも20世紀半ばにエボーシュムーブメントが広く使われた一例として、この時計にはまだ一定の価値がある。クォーツが登場し、(より高価な)機械式ムーブメントが復活する前のスイス時計業界における、最も変革的な発展時期に属しているのだ。
ほかにももっと感傷的な理由はあるが、私にとってはかなり特別なものである。