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本稿は2016年2月に執筆された本国版の翻訳です。
このヴィンテージレベルソは、通常よりも歴史との結びつきが強く、王位継承危機の記念品である(後述)。裏蓋には王への献辞が刻まれているが、本来の受取人が身につけることはなかった。この個体は現在、ジャガー・ルクルト ミュージアムのコレクションとして収蔵され、王が女性と王国のどちらかを選ばなければならなかった瞬間を静かに物語っている。
エドワード8世は、離婚経験のあるアメリカ人のウォリス・シンプソンとの関係が自身を人望なき国王にすることはわかっていた。しかし父である国王ジョージ5世の死去により、1936年1月20日に即位をする。イングランド国教会の新首長としての責任と、シンプソンとの不義の関係のあいだで苦悩したエドワードは、首相を含む周囲の人々の助言を求めて、王位に就いて最初の数カ月を過ごすことになる。シンプソンは女王になれるのか?
彼の王位継承に伴うすべての不確実性と不安を思うと、ほとんどすべての時計の存在は無意味に思えてくるが、時計の歴史愛好家にとって、この時計の出自は非常に魅力的である。ジャガー・ルクルトのレベルソは1931年に発表されて以来、王侯貴族のあいだで人気を集めていた。そしてそれは確かに、1930年代で最も英国的なスイスメイドの時計であり、インドに駐留する大英帝国の将校たちが行う過酷なポロの試合時でも時計を守るために特別に開発された。この時計はすぐに回転式ケースの反対側にエングレービングやエナメルの肖像画を入れたいと望む、国際的なエリートたちの目に留まった。
エドワードが特注したレベルソは、通常、イギリス君主の重要かつ希な戴冠式に伴う華やかさを考えると、驚くほど控えめであった。ステンレススティールとイエローゴールドのツートンカラーに、コレクション初のセンターセコンドを採用したレベルソCal.411搭載と、イングランド王が身につけるにしては大変シンプルな時計である。
文字盤はロイヤルの系譜をまったく感じさせない。代わりにアラビア数字は黒く、3時と9時位置にバトンインデックスを付けた、エレガントなホワイトフェイスが特徴だ。時・分はYG製の大きなドーフィン針でエレガントに示される。
ただ見かけによらず、驚きを提供するのがJLC レベルソの得意とするところである。ケースの裏側には彼の名前、将来の王冠、予定されていた戴冠の年という、受取人の身元が刻まれていた。これほど意図した受取人、今後の特別な機会について、彼が身につけるのを疑う余地はなかった。
しかし、このエングレービングを施すのは少し早すぎたのかもしれない。時計には王の名前とともに1937年と刻まれているが、1937年にはエドワードは王ではなくなっていた。エドワードは1936年12月11日、イギリス王室史上前例のない1歩を歩み、最終的に退位を発表して戴冠式を取りやめ、ひとりでイギリスの王位につく代わりに愛する女性と人生をともにすることを選んだ。
王にふさわしいとされた彼のレベルソは、実際には王の手元に残ることはなかった。その代わりにこのエングレービングは、エドワードが最後の瞬間まで迷い続け、最終的にはアメリカ人女性の愛に征服されるまで躊躇していたことを思い起こさせる。