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わたしがこのストーリーに取り掛かったとき、それは「見てごらん。極めて美しく希少な腕時計だ」というような、明快な歴史物の類だろうと考えていた。しかし、わたしが見つけたのは、それよりもはるかにずっと興味深いものだった。パテック フィリップのRef.3448“センツァ・ルナ”(Senza Luna)は、そんな単純明快なものとは対極にある。
Ref.3448は、パテック フィリップの中でも、わたしにとって常にお気に入りのヴィンテージモデルだった。初めてこの時計を目にしたときのことは、今でも忘れられない。その頃のわたしは、サザビーズで働き始めたばかりで、リファレンスやムーブメントの数字の海を泳ぎまわり、必死にカタログを作成、抄録(要旨)をオーダーしていた。部長は、数本の時計を受け取った後、わたしのデスクにやって来て、イエローゴールドのRef.3448を見せながら、こう言ったのだ。「この時計をよく見て。特にラグを。これより良い状態のものを見ることは今後もないだろう」と。それは見事なまでにきれいで鋭く、非常に優雅で力強かった。一目惚れだった。
それが、この長くて奇妙な旅の始まりだったのだ。
パーペチュアルカレンダーとパテック フィリップのRef.3448
まずは、ベーシックなRef.3448から始めよう。この時計は、わたしにとってだけでなく、時計製造の歴史においても重要な意味をもっていた。パテック フィリップは、パーペチュアルカレンダーを発明したわけではないが(その栄誉は、英国の時計職人トーマス・マッジのものである)、現代の時計メーカーとしては早くから採用しており、1864年にはパーペチュアルカレンダーの懐中時計を製造し、1889年には、パーペチュアルカレンダームーブメントの特許を申請している。その後、パーペチュアルカレンダーの付いた初めての腕時計が1925年に製造されたが、これは同社がもともと、ペンダントウォッチ用に製造した19世紀のレディス用パーペチュアルカレンダームーブメント(No.97.975)を腕時計ケースに収め、トーマス・エメリー(アメリカの著名なコレクター)に販売したものだ。しかしながら、ブレゲやオーデマ ピゲも、20世紀初頭には、パーペチュアルカレンダーの腕時計を製造していたが、これらはパテック フィリップより後のことであり、本稿ではパテックにのみにフォーカスしたい。
パテック フィリップでは、Ref.1518のようなクロノグラフにQPを搭載したものと、パーペチュアルカレンダーのみのものと、2種類のパーペチュアルカレンダーを製造した。前者は当然興味深く、語り合うべき複雑さに満ちているが、この物語の主役は、後者のシンプルなモデルのほうである。
パテック フィリップは、リファレンスナンバーをもたないパーペチュアルカレンダーウォッチを2つ製造している。1930年のNo.198.167と1936年のNo.860.183で、レトログラードデイト仕様のものだ。その後、リファレンスナンバーシステムに移行すると、以下のものを製造した。Cal.12'''-120 QPのRef.1526(1941-1952年)、たった2本のみ確認されているRef.1591(1944-1947年)、Cal.27-SCQを搭載したRef.2497 (1950-1963年) 、そしてRef.2438-1(1955-1963年)で、これは2497と同じものだが、裏蓋がねじ込み式になっている。最後に、1961年に3本のみ製造されたRef.3449がある。これは、手巻きのCal.23-300Qを搭載している。
そして、わたしたちは、1962年から1981年にかけて製造されたRef.3448にたどり着く。では、3448は他とどこが違うのか。最も重要なのは、これがパテック フィリップで最初の自動巻きパーペチュアルカレンダーだということだ。3448は、Cal.27-460(パーペチュアルカレンダーの付かない自動巻きムーブメント)の改訂版である、Cal.27-460 Qを搭載している。Cal.27-460 Qはイエローゴールドのローターをもち、38時間パワーリザーブを備え、極めて巻き上げ効率に優れることで知られている。
3448は、最初の自動巻きパーペチュアルカレンダーウォッチであることに加え、革新的なケースデザインとダイヤルを備えていた。3448は、イエローゴールド(約450-500本製造)、ホワイトゴールド(約100本製造)、ローズゴールド(知られているのは少なくとも1本)、およびプラチナ(2本のみが知られており、うち1本の所有者はジャン-クロード・ビバーである)が製造された。アントワーヌ・ゲルラッハが設計した、この重厚なケースの直径は37mmあり、堅牢なスナップ式の裏蓋が付いている。とはいえ、ケースデザインで最も重要なのはラグだ。角張ったシャープなラグのデザインは、当時生産されていたどのモデルとも似ていない。Ref.3449、2497、および1526のそれぞれで見慣れた、直線的で段差の付いた曲線を特徴とするラグデザインとは、一線を画すものだった。これらのラグは未来的で、洗練されており、極めてクールで、あっという間に定番の存在となった。
ダイヤルレイアウトはそれほど独創的ではないものの、洗練されている。曜日と月は、12時のインデックスの下に並んだ2つの窓に表示され、デイトとムーンフェイズのインダイヤルは6時位置に置かれている。バトンインデックスの姿は完璧に調和が取れており、5時と7時の位置に小さな鋲があしらわれた。1962年から1981年にかけて製造されたダイヤルには、全部で4つのシリーズがある。最初のシリーズは、小さなエナメル加工のバトン・ミニッツマーカー仕様で(1962-1966年)、2番めのシリーズはパールドロップミニッツマーカーと小さなデイト表示リング仕様(1965-1973年)、3番めのシリーズは、パールドロップもしくはラインタイプのミニッツマーカーと大きなデイト表示リング仕様(1971-1978年)で、そして4番めのシリーズは、プリントされたラインタイプのミニッツマーカー仕様(1978年以降)だ。概して、これらは美しい時計だった。
オークションにおける3448
美しくとも、Ref.3448は厳密には“希少”と表現するような時計ではない。もちろん、ありふれているわけではないが、3449と同じような意味で希少ではないということだ。例えば、地下鉄で毎日目にすることはないだろうが、1年に1度ほどオークションに登場(大抵はイエローゴールド製だ)し、状態にもよるが、非常に高値を付ける傾向にある。2016年にジュネーブで開催されたクリスティーズのオークションでは、ホワイトゴールド製の個体が出品され、30万から50万スイスフラン(約3460万から5770万円)のエスティメートに対し、62万9000スイスフラン(約7260万円、公表時は64万6109ドル、約6780万円)で落札された。このモデルはセカンドシリーズダイヤルの初期のものだった。加えて、同年12月に開催されたサザビーズのオークションでは、イエローゴールド製のものが8万から12万ドル(約839万から1258万円)のエスティメートに対し、バイヤーズプレミアム込みで23万7500ドル(約2490万円)で落札された。2011年に開催されたクリスティーズのジュネーブオークションではピンクゴールドの個体が、50万から100万スイスフラン(約5770万から1億1540万円)のエスティメートに対して、209万9000スイスフラン(約2億4230万円)もの値を付けた。もちろん、個体の状態や希少性によって価格は変動するが、状態の良い3448の価値は、時間の経過と共に、上昇し続けている。
ユニーク パテック フィリップ 3448
これを聞いて、あなたは「すごい! ピンクゴールドの3448が2億4000万円? しかも、2本しか存在が知られていないだって!?」と、思うかもしれない。その通り。これは驚くべきことであり、確かに信じられないほど希少だ。しかし、次に紹介する個体ほどではない。“ユニーク パテック フィリップ 3448”と呼ばれるこの個体は、ムーンフェイズの代わりに、デイトとうるう年の両方を表示するインダイヤルを備えた特別な文字盤を使用している。ご存知かもしれないが、これはパテック フィリップで約50年間勤めた、アラン・バンベリーのために製造されたものだ。彼はセールスからスタートし、後にパテック フィリップ・ミュージアムのバイヤーとなり、一時期、抄録の作成を監督していた。そして、1990年代後半(2000年代初めともされる)にパテック フィリップを退職した。また、彼は同ブランドに関する本を書いており(そう、実際に彼は『パテック フィリップ』というタイトルの本を執筆したのだ)、このブランドについてのあらゆる情報の源として、時計界で尊敬を集めている。
スターン家からバンバリーへの贈り物だと噂されているこの時計(あまり使い古されていない)は、ムーンフェイズの代わりに、うるう年を表示する変則的で特別なダイヤルをもつのが特徴だ。アーカイブの抄録で確認されている通り、本個体は1970年にイエローゴールドのスタンダードな3448として誕生し、1975年にダイヤルとムーブメントがモディファイされた。加えて、この時計はバンベリーとフーバーの著作、『パテック フィリップ』の221ページに掲載されており、イラストも描かれている。
うるう年を表示するため、パテック フィリップは熟練の時計職人マックス・バーニーに、ムーンフェイズディスクを取り外し小さな針でうるう年を表示できるようにと、プレートの調整を依頼した。 この特別なダイヤルは、同ブランドの公式ダイヤルメーカーであるスターン・フレールが製造した。ダイヤルにはパールドロップミニッツマーカーがあしらわれているが、ミニッツインデックスはミニッツマーカーの周回に接しない内側に置かれている。
このユニークなモデルは、信じられないほどカッコよく、1981年に発表された、後のRef.3450に少なくとも部分的な影響を与えているようだ(ただし、この時計のうるう年は、3時と4時の間の小窓で表示される)。この特殊な3448は、2008年にサザビーズのジュネーブオークションで、130万から200万スイスフラン(約1億5000万から2億3000万円)のエスティメートに対し、184万900スイスフラン(約2億1200万円)で落札されたが、購入者は今だに謎であり、この時計が再び公の取引に登場することはなかった。
Ref.3448“センツァ・ルナ”
さて、そんなわけで、わたしたちはついに3448“センツァ・ルナ”という不可解な時計たちにたどり着いた。この時計はどんなものなのか? これらは信じられないほど希少な時計で、オークションで取引されたのは6本のみだ。(うち2本は、それぞれ2回落札された)。“センツァ・ルナ”(イタリア語で“月がない”の意味)は、ムーンフェイズの窓がないことを特徴とする3448のバリエーションで、代わりにデイト表示のみのシンプルなインダイヤルを備えている。
わたしは当初、これらは極めて希少な文字盤を備えた本当に素晴らしい時計だと認識していた。確かに素晴らしい。このセンツァ・ルナを自分にとっての新しい究極の時計と呼んでいたかもしれない。ところがいくらか調べ始めると、すぐに何かがおかしいと分かった。より多くの情報を集め、いくつか矛盾と思える点をはっきりさせようと、およそ10もの情報源にあたってみたが、情報を公開しても良いと言って応じてくれたのは2人だけだった。アンティコルム、クリスティーズ、フィリップス、そしてサザビーズの代表者たちはみな、センツァ・ルナについて情報公開を前提としたコメントを拒否したし、ボナムズの代表者たちはわたしたちが依頼した記録を出せなかった。明らかに、この時計には何かあるのだ。
だが、わたしたちが知らないことについて話す前に、まずは知っている事実を見てみよう。これは、センツァ・ルナの各モデルとユニークRef.3448の詳細を表にしたものだ。
ご覧のとおり、合計7本の月なし3448がオークションに出品されている。バンベリーのために製造されたユニークRef.3448については、パテック フィリップのアーカイブの2つのアーカイブ、およびフーバーとバンベリーの著作で確認されているので、ここでは語らず、話を前に進めたいと思う。
これで、エキゾチックSセンツァ・ルナの時計が6本残ったことになる。1本(Dr. H. クロットのオークションから取り下げられた作品。詳細は後ほど)を除く全ては、取引当時としては信じられないような高値を付け、最高額は2004年の69万6500スイスフラン(約8040万円)だった。2004年にスタンダードなRef.3448は約10万から15万スイスフラン(約1150万から1730万円)で販売されており、2008年(不況の前)にもほぼ同じ価格で取引されていた。先に述べたとおり、これらの時計は全く信じがたい値段を付けたのだ。一体それはなぜか?
はっきり分かっているのは、6本の時計のうちクロットのオークションで取り下げられた1本を除く5本は2000年から2008年の間に公に取引されことだ。5つの時計全てがアンティコルムで市場にデビューした。2000年と2003年に出品された最初の2本にはパテック フィリップのアーカイブが全くなかった。そこから状況はずっと複雑になる。
3番の時計については、オンラインのリストにはアーカイブが存在するとあるものの画像は載っておらず、アンティコルムは印刷版のカタログ原本のコピーを提供できなかった。それで、その画像がそこに存在するかどうかは分からない。
他方、リストの4番の時計についてはアーカイブの存在が明記され、印刷版のカタログ上にその画像が時計と共に載っている。しかしながら、アーカイブはこの時計が工場出荷時にはムーンフェイズの複雑機構だったことを示しており、疑わしいことに、「文字盤のタイプ」の項目にはただ「記載なし」とある。
5番の時計が2004年に初めて出品されたとき、アーカイブの存在が示唆されたが、カタログ上にはなかった。ところが、2007年に同じ時計が再び姿を現したときには、アーカイブのコピーがカタログに印刷されており、それは4番の時計のアーカイブとほぼ同一物に見えた。両方ともムーンフェイズについての記載があり、文字盤についての実質的情報は何もなかった。
Dr.H. クロットのオークションから取り下げられた6番の時計について、わたしはオークションハウスのオーナーであるステファン・ミューサー(Stefan Muser)と話した。ミューサーによれば、彼らはブレスレットタイプのホワイトゴールド3448 センツァ・ルナを出品したものの、すぐに取り下げたそうだ。パテック フィリップが、その時計は本物だと信じるものの、現状の文字盤で工場から出荷されたかどうか確認できないと言ったからだった。
さらに、アンティコルムが最初の3本はパテック フィリップの重要顧客のための特注品だが、後の3本はプロトタイプの文字盤の小規模なバッチの一部だと説明した。これらの時計を取り扱う人々の話が一致しないため、混乱が深まっている。
文字盤自体にも不一致がある。全てパールのような分目盛が使用され、文字盤下部にシグマ表示がない。1970年から1971年頃、「Swiss Association Pour la Promotion Industrielle de l'Or (通称APRIOR)」が加盟企業に、ゴールド製の文字盤やゴールド製のインデックスをもつ文字盤の時計について、「Swiss」表示の左右どちらかにいわゆる「APRIORシグマ」を記載するよう推奨し始めていた。その中には、ロレックス、IWC、そしてもちろんパテック フィリップを含む主要ブランドの多くが含まれていた。したがって、わたしたちはこれらの文字盤は全て1971年より前に製造されたのだろうと考えるわけだが、うち3本は間違いなく1971年よりかなり後に製造されているのだ。つまり、文字盤かケースがおかしいということになる。製造年が合わないからだ。
ところが、じっくりよく見てみると(難しいだろうとは思う。画像の解像度がよくないから)、これらの文字盤は全てわずかに異なっている。特に日付のサブダイヤル周辺の姿が一貫しておらず、サブダイヤル自体のサイズもまちまちだ。したがって、これら6本の時計の文字盤が単一ロットからのものだとは信じにくい。
ここにきて、わたしは「なぜ」で始まるたくさんの疑問を抱いて取り残された気分になった。6つの時計の文字盤が異なるのはなぜか? なぜアーカイブに文字盤についての実質を伴う記載がないのか? なぜ半分はおそらく個人向けに作られ、残り半分はプロトタイプの一部だとされるのか? なぜ、注意深さと特筆すべきアーカイブシステムで知られる企業・パテック フィリップが、これらの文字盤についての記録を何も持っていないのか? なぜそれ以前には聞いたこともなかった6本の時計が、8年の間にオークションに登場したのか? なぜその後10年もの年月、センツァ・ルナはオークションで姿を見せないのか? そして、最も重要なこととして、なぜオークション界の誰も、これらの時計について公言しようとしないのか?
答えをいくらかでも知ろうとして専門家たちに電話したが、先に述べたように、彼らのほとんど全員がわたしがここに書くことができる何かを語るのを拒否した。(そして何人かは、このストーリーを完全に放棄するよう提案しさえした)。
しかし、尊敬を集めるコレクターで、有名な作家のジョン・ゴールドバーガー氏(John Goldberger)Talking Watchesでが大いに助けてくれた。彼によると、6本のセンツァ・ルナの文字盤は1990年代に、あるディーラーがとある引き出しの中で見つけたもので、既存のRef.3448に組み込まれたのだという。それらの時計はおそらく市場に初めて登場したもので、既に公に知られていた時計のシリアルナンバーに紐づけられなかったのだろう。ゴールドバーガーは、実際にスターン・フレールが製造した文字盤だが、ある時点で工場内で破棄され、その後、不純な動機をもつ誰かによって発見されたのだと考えている。
最後にもう一点。ゴールドバーガーによると、これらの時計のケース全てには、ラグの間にムーンフェイズ調整機能がまだ付いているという。ホワイトゴールドのセンツァ・ルナの1本(下の画像を参照)にそれが見られる。しかし、この写真では誰かにその存在を保証するのは無理だろう。
さらに、コレクターでTimeZoneのマネージングディレクターであるウィリアム・マッセナ(William Massena) とも話した。彼は、「この時計に関する情報の欠落は奇妙ですね。いつ、誰が、なぜ、どこで? 通常、こうした質問の少なくともいくつかには答えがあるのに、センツァ・ルナについては何もありません」と言った。
彼は全く正しい。本来あるべきものがそろっているユニーク3448とは違い、この6本についてはどの本にもデザイン画はなく、アーカイブ写真もなく、サポート資料もない。
わたしはパテック フィリップに連絡を取り、質問への答えが何か見つかったか尋ねてみた。これまでのところ、提供できる新しい資料は何もないとのことだ。何か見つかったら、このストーリーを更新することにする。
では、この全ては何を意味するのか?
正直なところ、これは質問すればするほど疑問が増えるというケースだ。本当の答えを知るのは難しい。これらは本当に美しくて興味深い時計だから、これ以上情報がないのは残念だ。
これはわたしが今まで調査した中で最も興奮を誘う、腕時計ストーリーのひとつだった。答え探しをやめることはないと思う。とはいえ、ここでの真の要点は極めて単純なのだろう。
「ヴィンテージ時計は複雑である」。
驚嘆すべき時計は大量にあり、その中には参照資料がまだ見つかっていないものもある。しかし、物事というのは必ずしも見た目通りとは限らない(あるいは見たままという場合もある)。
もしこれらの時計についてさらに情報をもつ方がいらっしゃれば、ご連絡いただきたい。本記事を更新してゆこうと思う。